地底の賢人……変人?

 リュカたちが歩き始めて、すでに一時間が経過していた。

 恐らく外はもう、夜も暮れて寝静まっているだろうか。それとも、人間も魔族も人手をかき集めてリュカたちを追っているだろうか。なにせ、救世主にして伝説の御子みこマヨルがさらわれたのだ。

 そのことをおずおずと、最後尾を歩くヨギが声に出す。


「あのぉ、リュカさん」

「うん? ああ、リュカでいいって。僕もヨギって呼び捨てにしてるだろ?」

「それは、だって、自分はそういう奴ですから」

「ま、無理にとは言わないけどさ。あまり慇懃いんぎんで他人行儀だと、寂しい」

「寂しい、ですか」

「ああ。それで?」

「……自分たちは、追いつかれないでしょうか」


 背後を振り向けば、今来た道が暗がりの奥へと消えている。

 もう、ここからでは入り口の光は見えない。

 かなり歩いた気がするし、まだまだ道は長い気もした。

 それで不安に駆られる気持ちもわかるから、ざっくり雑にリュカは説明してみせる。


「まず、追いつかれないだろうね」

「そうでしょうか」

「僕たちは山の裏側、向こう側に抜けて出る道を選んでる。対して、追う側は一応調べられる全ての道順を確認しながら進まないといけない。僕たちが隠れてるかもしれないからね」

「た、確かに」


 半分は希望的な憶測だ。

 あのアシュラムという男、剣の腕が立つだけの騎士だとは思えない。知力に長けた狡猾こうかつな一面を隠し持っている気がするし、それにハメられたと考えるほうがリュカは気が楽だ。

 そうでなければ、迂闊にもマヨルを連れ出してしまった既成事実が少しばかり手痛い。

 勿論もちろん、追手は慎重に坑道の全てのルートを精査しながら進むだろう。

 だが、リュカたちの脱出の意図いとが知れてれば……出口への最短ルートだけを急ぐ可能性もある。先に馬や鳥走竜ケッツァで出口に先回りされる可能性だってあった。


「それにね、ヨギ。安心していい。僕の見込みでは……恐らく、追跡の手はまだ出発すらしていない。と、思う。かなりの確率でね」


 賭けかもしれないが、可能性の一つとしてありえない話ではない。

 人間側、特に教会の者たちはマヨルに手を焼き始めていた。救世主としてかつがれてるだけの聖女を、彼らは欲しているのだ。

 それが、突飛な制度や挑戦的な試みを提案してくるのだから、たまったものではない。

 そして、リュカはもう直感で感じたことを確信に変えている。

 マヨルが口にした異世界のやりかたは……教会には都合が悪いのだ。


「人間たちは、真っ先に僕たちより伯父貴おじきに、それぞれの氏族の族長に矛先を向けるだろうな。とりあえず、最初は言葉で。そのあとは、伯父貴次第か」

「そ、それって、まずいじゃないですかあ!」

「うん。下手をすればまた戦争だ。けど、僕たちが無事に脱出してマヨルと生還する。その上で交渉に望めば勝ち筋は見えてくるんじゃないかな」

「でもでも、自分は聞きました。確かに人間たちは、マヨルさんが面倒で邪魔だと」


 リュカは会談の場で、アシュラムの豹変ぶりを見ている。

 表情こそ変えなかったが、お飾りの御子が自分の意思を表明した時……明らかに負の感情をくゆらせていた。間近でそれをリュカは、はっきりと感じられたのだ。

 だから、焦りもしたし助けにも走った。

 家に帰りたいと泣いてる少女には、親身にならざるをえなかったのだ。

 そのマヨルだが、ナーダと並んで先頭を歩く。

 どうやら年頃の乙女同士、会話が弾んでいるようだった。


「まあ、ガッコウ、ですか。確か……人間の社会にはそうした施設があると聞きました」

「そだよ、学校! そこでみんな、一緒に勉強するの。運動もするし、遊ぶんだよ?」

「私たち魔族は、その集落に何人かの師がいます。読み書きと簡単な計算は皆、師が手の空いてる時に教えてくれますね」

「ふーん、そうなんだ。じゃあ、給食は? お弁当とかは」

「キュウショク……オベン、トウ? 昼食なら、子供たちで協力して狩りますけど」

「おおー、ワイルドォ! いいなあ」


 あくまで、リュカたち魔族の話だ。

 人間はこちらの世界でも確か、学校という施設に集まって勉学にいそしむらしい。数字で点数をつけられるし、合格ラインに達しなかったものには罰もあると聞いている。

 なにより、人間は確か……裕福な者しか、学校に通うことはできない。

 つまり、マヨルは元居た世界ではそれなりの暮らしをしていたのだろう。

 そんなことを思っていた、その時だった。

 頭上の風に触れていたヤリクが、ピタリと脚を止める。


「どうした? ヤリク」

「この先に人がいる。二百歩にひゃっぽくらい先だ」

「……人間か? 数は」

「一人、そんなに背は高くない。そいつに触れて抜けた風が今、俺の手にある。冷た過ぎないから、鉄の武装を身に着けてる人間じゃないな」


 ヤリクは風の象精アーズを身に宿している。

 大気は彼にとって、全てが手であり皮膚、そして目や耳だ。

 そして、人間であれ魔族であれ、空気を吸って吐かねば生きてはいけない。

 そっとリュカは腰の石剣に手を添える。

 励起れいきさせた緊張感は、たちまち仲間たちに伝搬した。

 同時に、通路の遙か向こうの闇に白い光がぼんやり灯る。

 こちらの明かりを消して身を隠そうにも、周囲は岩肌が切り立つ掘りたての坑道だった。


「どうする、リュカ」

「どうもしないさ。互いに顔が見える距離で、挨拶をする。そのあとのことは、向こうの選択に任せよう」

「へえ、いいのか? 人間かもしれないし、教会の騎士かもよ?」

御曹司殿おんぞうしどのの風はそうは言わなかった。それに」

「それに?」

「敵だったら、その時に改めて態度を決めるよ。そして、迷わない。でも、今はまだ」


 不安そうなマヨルの肩を、そっとナーダが抱いている。彼女は、リュカの視線に気付いて力強く頷いてみせた。話は聴こえていただろうし、納得してくれてるらしい。

 背後を振り向けば、ヨギも何度もコクコクと首肯しゅこうを繰り返していた。

 以前、鉱山都市ワスペルで暮らすシム族の噂をリュカは聞いたことがあった。この坑道は一日の半分を費やして働く、一族に取っての住処すみかにも等しいものなのだと。

 果たして、その記憶が事実として現実に浮かび上がった。


「おや? おやおやあ? これはこれは……こんな時分にどこの氏族の子供かなあ?」


 目の前に、妙齢の女性が現れた。

 青白い肌に真っ白な髪、そして頭の角……いわゆる普通の魔族だ。

 それだけでもう、敵ではないと知れてリュカはほっとした。気付かれないように、長く多くの息を吐き出す。自然と安堵は、積極的な言葉で返事をしていた。


「僕はリュカ、ワコ族の者です。みんな、僕の仲間です。あなたは」

「お? おーおー、噂のツノナシって君かあ。へえ」

「そうです、混血なんです。あと、追われてるかもしれなくて、山の裏側に抜ける道を探してます」

「ふーむ、なるほど」


 奇妙な女だった。

 知的に輝く瞳は、大半の魔族がそうであるように赤い。深い真紅で、手にした蟲ランプが発する光に妖しく輝いている。角は左右に長く伸びて、先だけが上向いて曲がっていた。背は低く、表情は見る限りでは無邪気であどけない。

 リュカが特に印象的に思えたのは、やはり目に揺れる知的な光だった。

 その女性は、咄嗟とっさにナーダが背に庇ったマヨルを見据えて声をあげる。


「んん? んーっ、なんと! そこの君は人間だね、ちょっとちょっと……その目、顔にかけてるやつ!」

「ほへ? 眼鏡めがね、珍しいのかな」

「メガネというのか! おとなげなくてすまないが、いいかね! いいよね!」


 小柄な女性が前のめりに、ぐいぐいとマヨルに迫った。

 そして、そっと手を伸ばすが……眼鏡とやらには触れない。

 リュカも不思議に思っていたあの装飾品は、やはり珍しいものらしい。眼鏡をかけてからのマヨルは、以前と違って瞳に生命力が満ち溢れていた。


「ふーむ、硝子ガラス……ではないね。不思議だ。でも、光の屈折を意図的に作り出す器具じゃないかな? そう、確か……人間たちが言ってるレンズというやつだ」

「あ、えと、その、はい。多分この眼鏡、レンズはプラスチックかなあ」

「プ、プラ? プラステック? ……ふむ! 実に興味深い!」


 腕組みのけぞって、女はうんうんと何度も頷いた。

 そして、思い出したようにリュカたち全員に向き直る。


「いやいや、ごめん! 私はシム族のアメア。見ての通りの女さ」

「いや、まあ……ごめんなさい。見てもわかりませんが、敵ではないですよね?」

「うんうん、そういう角ナシ君はリュカ君だったね? 敵じゃない、敵対する意味もない。だから、その手を剣から離し……はな、し……おおう! 君! 珍しい石剣だね!」


 話が一向に進まない。

 けど、リュカは腰の石剣をさやごと外して差し出した。

 敵対の意思はないと示せるし、対話を成立させる近道に思えたからだ。

 アメアは、リュカが以前に伯父からもらった剣にほおずりしていた。


「いい石だなあ! しかも、なんて綺麗に研ぎ澄まされてるのだろう。職人が十年かけても、こうは磨けまいよ。元がいいからだし、職人も腕っこきだったんだろうなあ」

「あの、アメアさん。そのう……僕は以前、風の噂に耳にしたことがあります。坑道に入り浸って、ひたすらに鉱石の研究に打ち込む変人……あ、いや、賢人の話を」


 その噂の人間こそ、目の前のアメアだと思う。

 とりあえず、敵じゃなかっただけでもありがたいし、ホッとした。

 そのアメアだが、石剣を抜いたり納めたりしながら耳を傾けている。どうやら、鞘走る音を聴いているようだ。そして、なんだかだらしない笑みに顔をふやけさせていた。


「くあーっ、業物わざもの過ぎるでしょう。角ナシ君、いいもの持ってるね。大事にしなよ!」

「は、はあ」

「それで? ああ、えっと……うん? そっちの子、人間だよね。しかも」


 不意にアメアの表情が引き締められた。

 理解不能で意味不明な高揚感が、瞬時に影を潜める。

 そして、彼女は石剣をちゃっかり抱き締め返さぬ素振りを見せながら……先ほどとは別種の笑みで顔を歪めた。

 その眼差しは、真っ直ぐにマヨルを射抜いて串刺しにしていた。

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