象精の導きのもとに

 迷ってる時間はなかった。

 そして、マヨルは戸惑いを見せなかった。

 勿論、ならばとリュカも躊躇を引っ込める。

 最悪の事態を招いてしまったこと、自分が「」になりつつあること……その現実はリュカに歯ぎしりする程の悔しさをもたらした。

 だが、地団駄じだんだを踏んでる時間すら惜しいのが現状である。


「リュカ君! わたし、降りるね! 受け止めて!」

「ちょっと待てって、マヨル! この高さじゃ難しい!」

「大丈夫、ちょっとカーテンを拝借、っと。結んで下まで届かないかな」


 ガチャガチャと鎧や剣が鳴る音が近付く。

 その時、不思議とリュカは違和感に気付いた。

 そして逆だと気付かされた。


「マヨル、お前……目が」

「あ、これ? みんな驚くから外してたんだ。眼鏡めがねだよっ」

「メガネ、とは」

「実は近眼なんだよね。それはさておき、よいしょっと」


 マヨルのひとみが、光に溢れていた。

 昨日からずっと、印象に残っていた黒い瞳……そのよどんだような底知れなさが、今はない。払拭されてしまった。代わって、星空を凝縮したような眼差まなざしに胸が高鳴る。

 奇妙な装飾品を身に着けたマヨルは、輝く瞳に強い力を灯していた。

 これが、これこそが本来の彼女なのだ。

 未知の存在、人間の救世主……そういう役割の時とは全然違って見えた。


「クソッ、腹をくくるってことか! マヨル、よく聞いてくれ!」


 声を張り上げる。

 もう、逃げも隠れもできない状況だった。

 暗がりの中で、リュカは集中力を練り上げてゆく。

 めったに使わないが、象術しょうじゅつに頼るしかない。

 そして、リュカがその身に宿した象精アーズは、便利に使っていいものではなかった。

 だが、今はその選択を迫られている。

 決断は早かった。


「マヨル、その布を広げてくれ! そう、かかげるようにして頭上に!」

「こ、こう? パラシュート、みたいな?」

「言ってる意味はわからないけど、もっとゆったりと! あまりピンと張ると、膨らめない!」


 マヨルが半信半疑という気持ちも隠さず、言う通りにしてくれる。

 それを見上げて、リュカはすぐさま精神力を研ぎ澄ました。

 掲げた右手に、ゆっくりと熱量が集う。

 肌寒い夜気が、彼の手に滞留して渦を巻いた。


「よし、僕を信じてべっ!」

「はいはーいっ!」

「緊張感ないなあ、もう! 死ぬかもしれないんだぞ!」

「そんなこと言われてもねー、異世界まで飛ばされたあとで戦争だったし、ねえ?」

「そういうものか……? けど、死なせはしないいいっ!」


 ――炎だ。

 リュカが持って生まれた象精は、火。

 唯一対となる要素を持たぬ、禁忌きんきの力だ。

 不浄でもなく、恐れ多くもない。

 ただ、自然の世界が望まぬから、魔族は火を使わない。

 自分たちが自然の一部だとわかっているからだ。

 だが、今のリュカは一族の教えよりも未来を選択した。

 同時に、抜刀の音を連ねて人間たちが襲い来る。


「いたぞ、あそこだ!」

「例の術だ、今度は火を出してるぞ!」

「館を守れ! 御子みこ様は……あそこか!」


 マヨルは全力で飛んだ。

 夜風に布をはためかせて、力いっぱいバルコニーを蹴り上げたのだ。

 同時に、リュカもまた大地を踏み締める。

 混血児でも、その半身はまごうことなき魔族……人間が白邪はくじゃと恐れる民族の血が流れていた。運動は苦手でも、やってやれないことはない。

 空中で、落下する少女と飛翔する少年が交差した。

 そして、二人が一つに重なり合う。


「ちょ、ちょっとリュカ君っ! どこ触ってるの、よっ!」

「いいからバランス! もっと両手を広げて! 死にたいのかよッ!」


 片手でマヨルの腰を抱いた。

 細くて華奢きゃしゃで、今にもへし折れそうな程に頼りない。

 同時に、右手の炎を高々と掲げる。

 そこから発する熱気が、見えない気流となって逆巻く。あっという間に、マヨルの持つ布地が内側から膨れて……そして二人は、まるで空中を歩くようにゆっくり浮かび上がった。

 その光景に、周囲がざわめきの中で動きを止める。


「ふわ……わ、わたしたち、夜空を歩いてる?」

「違うな! ほら、ちゃんとしてくれ! 僕の方で火力を調整するから!」

「手から火の玉が出てる……魔法みたい!」

「マホウ? また訳のわからないことを。ほら、外に出る!」


 見上げる誰もが言葉を失っていたし、リュカも自分で驚いていた。

 こんなにも上手く、ことが運ぶなんて思わなかった。けど、禁じられた火遊びは何度もしたことがある。十二氏族の中でもまれに、火の象精を持つ子供は生まれた。それは、人間との混血児も同じなのだ。

 火の象精は、強く力をいましめられる。

 みだりに使うなと固く言われていたが、今がその時だとしか思えなかったのだ。


「ふーん、熱気球みたいな? あっ、火が消えそう!」

「小さく絞ってるんだ。いきなり消したら落っこちるだろ」


 武装した騎士たちを敷地に置き去りに、そっとリュカは地表へと降りてゆく。

 このことがバレたら、伯父おじからの説教では済まされない。

 過去、安易に火を扱った魔族は罰せられてきた。

 命までは取られないが、償いは要求されるだろう。

 それを知った上でだったし、後悔はなかった。

 着地と同時にマヨルを解放し、邪魔になった大布を捨てさせる。

 すぐに近くで声が走った。


「やるじゃんかよ、ツノナシのリュカ! こっちだ!」

「急いで、すぐに人間たちが来るし、族長たちだって気付き始めている!」


 ヤリクだ。

 ナーダも一緒にいる。

 二人はすぐに駆け寄ってくる。

 だが、ナーダは何故なぜかマヨルに詰め寄った。


「リュカ! 火を使ったわね? もうっ、あれほど禁じられているのに!」

「え、えっと……ど、どもー? 昨日ぶりだよねー、藤崎真夜フジサキマヨルデス」

「えっ? ええと、あらら? もしかして」


 ナーダはスンスンと鼻を鳴らしてから、ほおを赤らめた。

 彼女は興奮状態になると、嗅覚や聴覚が局所的に鈍るのだ。

 そして、リュカにそのことを指摘している余裕はない。


「追手がすぐ来る! まず、マヨルを安全な場所に!」

「だな! そういう訳だ、御子様よぉ……ちょっくら走ってもらうぜ!」


 ヤリクはすでに弓を構えてつるを張っている。

 彼の矢は、狙った相手を逃さない。

 だが、鉄の鎧で武装した騎士たちには分が悪い。

 それに、今は逃げの一手しかなかった。

 すかさずナーダがそっと手を掲げる。


きりを出します。少し濃い目で……それと、氷のつぶても」

「氷はいいよ、ナーダ。必要ないかもだけど、僕の手に掴まって」


 そこからは悪ガキたちの行動は機敏だった。

 奪われたワスペルの街だって、路地裏を駆ければ人間の混乱が遠ざかる。アクシデントに喚く声を置き去りに、リュカたちは必死で走った。

 そして、ナーダが片手で自分の象精、水の力をつむぎ出す。

 リュカと握り合ったもう片方の手が、微かに緊張感で力んでいた。


「わわっ、水が一瞬で……霧になった!? やっぱ魔法だこれ! そっかー、アシュラムさんたちが言ってたまやかしの幻術ってこれかー」

「えっと、マヨルさん? でしたよね。いかにも、これが私たちの象術です」

「ショウジュツ……?」

「水は氷と、地は樹と、そして風は雷と。全て自然の一部で、私たちが生まれながらに借り受け宿した力なんです」


 そして、もう一つ……対となる要素を持たぬ、火の力。

 それもこの夜、リュカは役立てることができた。咄嗟とっさの判断だったが、人間たちにいいように扱われるよりはましだ。あのままでは、リュカは光の御子マヨルに手を出そうとした大罪人になってしまう。

 アシュラムたちの狡猾さか、それとも巡り合わせが悪かったのか。

 ともあれ、これでリュカたちは一夜で逃亡者に早変わりだった。


「来い、リュカ! あっちでヨギが待ってる」

「待ってるって、どうするんだ? どこに逃げる! 族長たちのとこか!」

「そっちも無理だろ。っていうかこれ、どう転んでも人間たちに口実を与えてしまうな」


 ヤリクは周囲を警戒しつつ、街を奥の方へと走る。次第に路地は斜面となって、目の前に真っ暗な山肌が迫った。

 鉱山区に入る頃には、振り返れば無数の松明たいまつが見下ろせた。

 その一つ一つが、意気軒昂の猛りでリュカたちを追ってくる。

 ヨギの声が響いて、皆でその言葉を頼りに闇へと飛び込む。


「こっちです、皆さん! 坑道に逃げ込めば、人間も追ってはこれませんよ!」


 こうして、リュカたちの逃亡生活が始まった。

 それが苦難と冒険の旅になるとは……この時、まだ誰もが予期していなかった。リュカ自身さえ、これからどうなるかはわからない。

 だが、こうありたいという気持ちは確かだった。

 それは、争いではなく対話で、マヨルがその鍵を握っているような気がするのだった。

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