表か裏か、裏の裏は表か

 戦争は終わった。

 そのはずだったし、あり得ない未来が顔をのぞかせもした。

 あまりにも眩しくて、直視不能で未知数な光。

 それをもたらした少女に、危機が迫っていた。

 リュカは人間の商人たちが使うやかたへと駆け寄った。


「リュカ、おいこらツノナシのリュカ! 落ち着けって」

「ああ、落ち着いてはいるさ! まずいな、門番がいる」

「屋敷自体もデカいからな。正面からはまずいだろ」

「こういう時に頼れるのは、やっぱさ」

「またか?」


 肩越しに振り向き、薄闇の中でヤリクを見詰める。

 頼りになる奴だが、頼りっぱなしという訳にはいかなかった。それに、リュカにだって面子めんつはあるし、情けない自分ではいたくなかった。


「裏に回ろう。この鉄のさくを乗り越えなきゃ、中には入れない。僕が踏み台になるから、ヤリク、お前が」

「ちょっと待て、リュカ。いい心がけだが、俺は御子みこ様の顔や姿を知らないぞ?」

「あ……そ、そうか。参ったな」


 ぼんやり光る窓の明かりを見上げ、リュカは溜息を一つ。

 周囲はぐるりと敷地を鉄の柵が囲んでて、これは侵入者防止用なので当然一人では超えられない。敷地に入っても、大小様々な岩を密に積み上げた石垣があって、建物はその上だ。

 土台の石垣は魔族が作ったものだが、建屋自体は人間が煉瓦れんがで建てたものである。


「ええと、いいか? 髪が黒くて、瞳もそう。本当に真っ黒なんだ。それがなんだかとても深くて、こう、綺麗で、底知れない暗さで」

「わかった! わかったから! 言われたってわからんし、髪が黒いなんて見たことないぜ。……ああ、だから特別なのか。それで?」

「妙な服を着てた。ああでも、今日は教会の人間がよく着るようなものだったな」

「はいはい、わかった。俺じゃちょっとわからないってことがわかったぜ」


 結局これかよ、とヤリクが鉄柵を背に腰を落とした。

 すまないと思ったが、現状ではこれが一番妥当な役回りだろう。


「今度なにかおごれよ、リュカ」

「釣りの穴場を知ってる。デカいのがじゃんじゃん釣れる秘密の場所さ」

「よし、いいじゃないか。人が来ないうちに急げ! 間に合わせろよ! 下手したらまた戦争だからな!」

「そりゃ困る、僕は戦いは苦手なんだ」

「奇遇だな、俺もだ。上手くやれてるのも、お前がしょぼいのも結果論でしかないかってね」


 両の手と手を組み合わせて、来いよとヤリクが身構える。

 遠慮なくリュカは、猛ダッシュでその手に片足を突っ込んだ。同時に、地を蹴る力にヤリクの腕力が重なる。あっという間に、リュカはとがった鉄柵の上を飛び越した。

 だが、着地は失敗してつんのめり、そのまま不格好に墜落する。

 やはり、身体を動かすのはどうにも得意じゃない。


「おーい、大丈夫か? あとは上手くやれな? 俺はヨギやナーダと合流する」

「イチチ……あ、ああ、頼む」

「あんま無理すんなよ。光の御子とかいっても、結局は人間の娘なんだからな」

「でも、その人間を理由にまた争いなんてさ」


 その時、手に明かりを持った人間が複数人、近付いてきた。

 このワスペルの街はもう、敵地……負けたリュカたちにとっては、もう戻ってきそうもない土地だった。遠くでキャンキャンと鳴く声も近付いてくる。

 確か、人間たちが使役する犬とかいう動物だ。

 すぐにヤリクは気配を消して、まるで溶け入るように闇に消える。

 ああ見えても凄腕の狩人かりうどで、やはり頼れる奴だ。


「さて、マヨルだっけか……簡単に死んでくれるなよ。魔族に汚名が着せられたら、今度こそ全面戦争かもしれない」


 敷地内は静かだが、大半の部屋に明かりがついていた。

 飲食の影が揺れてて、時折笑い声さえ聴こえる。

 戦勝気分で羨ましいと思ったが、逆の立場ならリュカたちだってうたげもよおしたかもしれない。そして、明日は我が身という点ではどっちも一緒だった。

 注意深く庭を歩き、茂みから茂みへと影の中を走る。

 見上げれば、建物は三階建てでその一部がせり出ている。最上階にあるバルコニーには、人影があった。

 闇夜の中でもはっきりと、風に揺れる黒髪が見えた。

 そして、星を見上げて溢れる呟きさえも耳に届く。


「……みんな、引いてたな。ドン引きだった……だよね、戦争してたんだもんね」


 少し意味がわからないが、理解できる言葉だった。

 そして、吐露とろされる心情は察するにあまりあるものだ。本当に、光の御子マヨルは同世代の女の子なんだと思う。ミサネやナーダみたいな、タフでしたたかな娘たちとは違う。

 夜空を見上げるマヨルの横顔に、一滴の光。

 それは、星の海から溢れた流星に見えた。


「お母さん……帰りたいよ。日本に……お母さんのとこに、帰りたいよぉ」


 そこには、教会があがめる光の御子などいなかった。

 ここにいるのは、望郷の念にひとりで泣く女の子だ。

 ただただそうでしかないと、リュカにははっきりと感じられた。光の御子が真に選ばれし救世主ならば、人間たちも素直に従う筈だ。ところが今は、逆に排除しようと動いているらしい。

 旗頭はたがしらとして仰いでおいて、勝手なものだ。

 リュカは意を決して、星明かりの中へと歩み出る。


「泣くなよ、マヨル。お前さ……お母さんってとしでもないだろ」

「ひうっ!? だ、誰っ! そこにいてらっしゃるの、誰でございまするか!?」

「変な言葉になってるぞ。僕だ、リュカだ」

「……リュカ君? な、なんでここに……どうやって入ったの?」

「詳しい話はあとだ。逃げるぞ、来いっ!」


 昔、小さい頃……リュカにも母がいた。

 幼い自分に母は、毎晩寝物語ねものがたりを聞かせてくれたものだ。

 人間の世界では、女性は誰もが王子様に憧れ、屈強な騎士たちに夢を見る。誰しもが、自分の運命の異性に出会う日々を待ち望んでいるのだ。

 だが、自ら踏み出し手を伸ばす者は少ない。

 魔族の社会もだが、女性の積極性はあまり歓迎されない。そんな狭量きょうりょうさだけが、種族の別なく世界の半分を縛り上げていた。

 当然、マヨルもそうだと思ってた。

 しかし、現実はリュカの予想を容易たやすく裏切る。


「逃げる? 逃げちゃうんだ! うーん……それってありかも? でもなー」

「なんだよ、死にたいのか? 僕の友人が言ってたんだ。それにあの、アシュラムって奴のことだから」

「アシュラムさんはいい人だよ? ただ、まだまだ言葉がお互い足りてないだけで」

「死体になったら喋れないけど、いいか? それでいいのかよ、お前っ!」


 思ったより大きな声が出た。

 それで、正門の方が騒がしくなる。

 同時に、頭上の声が軽く弾んで元気を取り戻した。

 その声こそが、リュカが初めてあって仰天ぎょうてんした、なんとも異質で大胆な少女の響きだった。


「なんだかよくわからないけど、リュカ君が必死なのはわかったよ。けど、どして? ……ううん、今は行動だって話だよね。ちょっと待ってて! 着替えるから!」


 マヨルの言葉で初めて、彼女が下着姿だったことをリュカは知った。気付いてようやく、どうにも恥ずかしくなってくる。淡雪のような肌が、青白い魔族とは全く別物に見えた。

 無垢むくなる色の肌に、なにものにも染まらぬ髪と瞳。

 そして、例の不思議な装束しょうぞくでマヨルは再び現れた。

 胸元に真紅の布を結び直して、彼女はバルコニーの手すりをよじ登る。

 ピンと立ったマヨルは、風を感じて髪を手で抑える。


「どうすればいいかな、リュカ君! わたし、この高さだと骨折しちゃうかも」

「そりゃそうだ! 魔族だって同じだよ!」

「そうなんだ、もっと強いんじゃないんだ?」

「人間よりは頑強に出来てるし、なにをやらせても魔族が強い! けどさ、そういう優劣と個の違いは同列に語れないだろ! いいからなにか考えろよ!」

「そんなー、王子様は万全の体制で助けに来てくれないとなあ。そっか、まあ、そだねえ」


 その時だった。

 不意に、そこかしこで笛の音が連鎖した。

 耳にキンと痛い調べは、人間たちが使役する犬へ合図を送る音だ。この、神経をかきむしるような音色が人間には聴こえないというから不思議なものである。

 だが、事実マヨルには聴こえていないようだった。

 それでも、にわかに周囲が慌ただしくなる。


「侵入者だー! 館の守りを固めろ!」

「この厳戒態勢の中でか!? 馬鹿な!」

まわしき白邪はくじゃめ……まだ戦争がしたいのか! 我らが御子を狙うとは!」


 大人たちの声は皆、殺気に尖っていた。

 そして、リュカはこの瞬間に悟った。

 、と。

 結論からいうと、リュカは誰かの張り巡らせた策謀にハマって、そのシナリオ通りに踊ってしまったらしい。それも、さかしく振る舞ってこのザマだから道化もいいところだ。

 そう、ハメられたといってもいいだろう。

 ヨギに? 違う、友はそういう奴じゃない。

 とすれば必定、この状況を好きに解釈して喜ぶ人物は一人しかいなかった。


「諸君、落ち着け! まだ敷地内から光の御子は連れ出されていない! 卑劣な白邪の尖兵を駆逐し、御子を守りたもうこと! これこそ教会の正義、騎士の本懐である!」


 芝居を感じさせない声が、逆に台本を読み上げる響きに聴こえた。

 アシュラムの声が、具足を鳴らす無数の声を引き連れてくる。

 館のあらゆる方向から、敵意が刺すように迫っていた。


「やられた……誰に? いや、それは今は考えられない。してやられたんだ、僕は、僕たちは!」


 あっという間に、気配が充満して押し寄せる。

 圧してくる全てが、リュカをマヨルごと飲み込んで殺気立った。

 そんな中で、不思議とマヨルの眼差しがきらめきに輝いていた。

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