異変

 会談は宙を舞った。

 木端微塵こっぱみじんに空中分解してしまったのだ。

 光の御子みこマヨルの言葉を、誰もが理解し得なかった。勿論もちろん、リュカにもだ。民主主義とは? 選挙とは? 全く未知のもので、手順や仕組みを説明するマヨルの言葉が耳を滑ってゆく。

 制度について思考が追いついても、その必要性や有用性がわからなかったのである。

 ただ、熱かった。

 己が未熟で無知と知りながらも、マヨルは熱く語ったのだった。


「で! お前はその熱にうかされてんのか、ええ? 珍しく熱くなってるじゃねえか、ツノナシ!」


 リュカは今、ヤリクと共に夕暮れのワスペル市街を疾走していた。

 石畳いしだたみに落とす影が、陽光の残滓ざんしに引きずられてゆく。

 元々が鉱山都市だけに、その街並みはシム族を始めとする魔族が整備してきたものだ。リュカたちの集落では、族長を含む一部の者だけが石造りの住居を構えている。

 だが、ここワスペルでは大半の建物が石造りで整然と並んでいた。


「訳のわからない話だったんだ! けど、わからないから知りたくなる!」

「なにを? その、マヨルって娘のことをか?」

「彼女の言うことをだよ、ヤリク! 御曹司おんぞうしにとっても、面白い話なんじゃないかってね」

「そうかぁ? ちょっと聞いた感じじゃ、とても正気だとは思えないけどな!」


 それでも二人は、街の奥を目指して走った。

 先程、ヨギから受けた一報が原因だ。

 それは聞き捨てならない話だったし、今この現状が危機を迎える可能性に満ちている。例のマヨルの問題発言は、少なからず人間側にも大きな動揺をもたらしたようだった。

 そして時はしばし巻き戻る。





 大混乱の中で、会談は休会となった。

 アシュラムからの提案で、引き続き明日また改めて話し合いが持たれることになったのだ。そして恐らく、マヨルに次という機会は与えられないだろう。

 リュカはそれが少し残念な気がして、そんな自分に驚いていた。

 ともあれ、他の仲間たちと街の酒場で合流する。

 そこかしこに人間だらけで、それは店内でも同じだった。


「……御曹司、抜け目ないなあ。族長たちに嫌な目でみられるだろ、それ」


 リュカは、先に来ていたヤリクを見て呆れてしまった。

 人間たちが陣取る店の中央を避けて、すみの小さなテーブルに彼は座っている。そして、どの氏族も使ってる木のうつわで食事を取っていた。

 白い湯気が煙るそれは、人間たちが火を使って調理したものだ。

 そのことを咎める視線に、ニヤリとヤリクは不敵に笑う。


「俺たち魔族は火を使わん! ……まあ、たまに少し使うがよぅ」

「それで? いいよ。言い訳というか、屁理屈を聞こうか」

「おうっ! 俺は火は使っていないが、人間の料理は美味うまい! こんなの毎日食えてんのか、あいつら……まるで祭りの日々じゃないか」

「悪びれないね、お前は。……僕の分は?」

「連中、広場で飯炊きしてるぜ? 言えばくれるんじゃねえかな」

「のこのこ顔を出して、白邪はくじゃ呼ばわりされるのはちょっとね」


 なんとも豪胆なことで、ヤリクは人間たちが集まってる真っ只中に出向いたらしい。彼にとって人間の料理は、それだけの価値があるのだろう。

 もしくは、リスクに鈍感なだけか、能天気過ぎるかだ。

 ともあれ、そっと周囲を見渡してみる。

 そこにはもう、魔族の姿は全く見当たらない。

 人間たちはこちらなど気にした様子もなく、酒を傾けながら早めの夕食に舌鼓したづつみを打っていた。ヤリクの器から漂う匂いも、リュカの下腹部をキュウと小さく唸らせてくる。


「で? その、例の御子様とやらがしでかしたって聞いたぜ?」

「まあね。なんていうか、突然荒唐無稽こうとうむけいな話をし始めてさ」

「やっぱあれじゃないのか? ちょっとお気の毒な娘とかってのさ。ほら、人間にはたまにいるらしいじゃん。ちょっと頭がおかしいっていうか」

「トチ狂って、魔族の元に嫁いできちゃうような?」


 はふはふと食事をかっこんでいたヤリクが、手にしたさじでリュカを指した。

 行儀が悪いと思ったが、自分も良くない言葉を口にしたと思う。

 リュカの母親は、何故なぜか魔族の父と一緒になり、子をもうけた。

 ヤリクは自分を角ナシとからかうが、両親のことをくさしたことは一度もなかった。


「お前な、リュカ。そういうとこだぜ、わかるか?」

「……わかってるよ、今のは僕が悪かった」

「気にし過ぎさ。お前ももっとな、男と女で人を見ろ。人間だ魔族だなんざ、小さい小さい」

「なんか、お前に言われると妙に腹が立ってくるんだけど」


 やはり、気のおけない仲間に自然と感謝の念が込み上げる。

 魔族の日常は、その全てが感謝で彩られていた。

 大自然、花や木、石に獣に、地水火風。

 魔族が火を使わないのは、自然が自ら望んで火を起こさないからである。


「でさ、ヤリク」

「んー? ああ、一口食うか?」

「いらないよ、食い意地が悪い。それより……って知ってるか?」

「いや? 知らないな。言葉の響きから察するに、食い物じゃなさそうだし、色気もへったくれもない」


 リュカ自身もまだ理解が及ばないが、そんな自分に確認するように話してやる。

 ようするに、大事なことは全員で話し合い、全員の多数決で決めるやり方らしい。族長も平民も、男も女も一緒にである。

 そんな世界にどうやら、あのマヨルという娘は以前いたらしいのだ。

 そのことを話してやると、流石さすがにヤリクは飲み込みが早かった。


「へえ、それじゃあなにかい? 御子様の国には族長がいないのか?」

「いや、いるらしい。族長を決めるのも、その多数決……とかいうのを執り行うとのことだ。信じられるか? 女の族長もいるんだってさ」

「俺なら真っ先に、そのセンキョとかに参加する奴らに金を配るな。貨幣に興味がない奴には、家畜や土地なんかか? ……当然、アリだよな?」

「駄目なんだってさ。話し合っての説得や勧誘はいいが、金品を使うのはナシらしい」


 そう、訳が分からない。

 何故、そんな制度があるのか。そもそも、どうやって維持しているのか。

 ただ、不思議と奇妙な魅力を感じるのも事実である。

 まるでまやかしの幻術に見えて、筋だけは通っているように思える。きっと、リュカたち魔族の使う象術しょうじゅつが、人間たちから見ると妖しげな術に見えるのと一緒だ。


「僕は、もっとマヨルの話を聞いてみたい」

「なんだ、れたか?」

「違うよ、ただ……彼女のいう世界のほころびや矛盾むじゅん、無数の個人一人一人の声が価値を持つ状況に興味がある。っていうか、成立するはずがないから問いただしたいんだ」

「……お前、モテないだろう。ミサネもかわいそうに」

「なんでそこでミサネの名前がでてくるんだよ」

「そういうとこなんだよ、角ナシ。そもそもな――」


 そういうヤリクが、不意に黙った。

 その表情に緊張が走ったのは、酒場の空気が静止するのと同時。

 人間たちが一斉に振り返った扉から、ヨギが慌てて入ってきた。

 子供だとわかると、とたんに人間たちは元の歓談と飲食へ戻ってゆく。

 だが、ヨギの血相を変えた顔は尋常ではなかった。


「リュカさんっ、ヤリクさんも! よかった、ここに……あの、あのっ!」

「どうしたんだ、ヨギ。……ヤリク、ちょっと頼む」

「あいよ」


 リュカとヤリクとは阿吽あうんの呼吸、ツーカーの仲である。

 ヨギの揺れた目に、リュカは異変を感じ取った。そして、彼のもたらす言葉を、まずは仲間内でだけ共有したくなったのだ。

 自然とヤリクは立ち上がって、人間たちが賑わってるたくへ寄ってゆく。

 見てるリュカが驚くほどに、彼は平然と話しかけて輪に加わった。子供だからと油断もあるのだろうが、やはりヤリクの話術と愛嬌は大したものである。

 そして……ヨギを落ち着かせて話を聞き、リュカは愕然がくぜんとしたのだった。





 それで今、夕闇迫る中を走っている。

 目的地は、ワスペルの街でも奥まった方にある、人間たちの宿泊所だ。行き来する人間たちのための施設で、当然ながら人間が暮らすようにできている。この街には平時から、鉱石を求める商人が多数出入りしていた。

 確か、人間の要塞ようさいや城を小さくしたような、石垣のある建物だったと思う。


「急げ、ヤリク! ……マヨルを始末って、自分たちでかついだ神輿みこしだろうに!」


 そう、ヨギは教会の騎士らしき男の話を聞いてしまった。見るも精悍せいかん美丈夫びじょうぶだったというから、恐らく聖導騎士アシュラムだろう。

 どうやら、光の御子という伝説は絶対ではあっても、御子自体は持て余し始めたらしい。

 それでも、有効活用しようという気だけは意地汚く確かだった。


「なあ、リュカ! その、御子様ってのが殺されるとどうなる?」

「ヨギの話では、魔族の仕業ということにするらしい。それを理由にまた戦争が起こることも考えられるし、御子自身がいなくなれば話し合いを持つ必要もなくなる!」

「なんてこったあ……よくもまあ、そんな破廉恥はれんちなことを考えるな、人間は」

「まったくだ!」


 恐らく、アシュラムたち教会の人間にはわかるのだ。マヨルのいうことが、彼女が提示する世界がどれだけ恐ろしいかが。きっと、王族や貴族たちも同じだろう。

 それは多分、リュカたちの仲間、十二氏族の誰もがそうなのではないだろうか。

 先代より血を継ぎ認められた、有能な者だからこそ族長になる。

 血統と実力でのみ、魔族の指導者は認められるのだ。

 話し合うまでもない、どこの生まれか、誰の子か……それだけわかればいい。もっと知りたい者は、知力や腕力で確かめ合えばいいのだ。


「そうか、わかったぞ……そういうことか」

「おいおい、なんだよリュカ」

「マヨルの言う世界は、王様や教会にとっては煙たいものなんだ。多分、神様とかってのにもさ」


 日が完全に落ちると、周囲を宵闇が包み込む。

 そして、向かう先にぼんやりとランプの明かりが灯った。人間は植物から油を抜いて、それに火を灯す。闇を照らしてからでないと、眠れない種族だと言われている。

 弱々しい灯火の数々が、巨大な煉瓦れんが作りの建造物を浮かび上がらせていた。

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