光の御子が照らす未来

 会談は緊迫の中で始まった。

 そして、人間と魔族……双方の緊張感が弛緩しかんすることはない。

 どこまでも重苦しく凍っていく空気に、リュカは胸中で嘆息たんそくを禁じ得なかった。

 やがて人間側の貴族たちが入室し、二つの種族がテーブルを挟んで並んだ。

 段取りが整ったところで、人間側からの驚きの提案がなされた。


「なっ……中立都市ですと!? こ、このワスペルを!」


 驚きの声で椅子を蹴ったのは、伯父おじアガンテだ。他の面々も皆、ささやきとつぶやきをないまぜに顔を見合わせる。一方で、人間側にもこの発言にまゆをひそめる者たちがいた。

 周囲が少し落ち着くのを見計らって、アシュラムが改めて口を開く。


「もう一度申し上げます。王国は、この鉱山都市ワスペルの支配権を放棄します。勿論もちろん、教会が聖堂を建てて、神の教えによって最低限の治安維持は行われますが」

「む、むう……想像もできん。中立ということは、つまり」

白邪はくじゃの民も出入りは自由ということです。むしろ、定住しての労働も認めましょう。仔細はこちらにまとめさせてもらいました」


 リュカは見逃さなかった。

 物腰穏やかに見えて、アシュラムは決定をなぞるように事実を積み上げようとしている。そんな彼の前で、狼狽うろたおどろくアガンテはいかにも頼りない。そして、人間の貴族たちはアシュラムの涼しい横顔に表情が暗かった。

 それでも、アガンテは差し出された巻物スクロールを受け取った。

 獣の皮を用いたものではなく、高級品の製紙である。

 書類を広げて数秒で、アガンテはかっと目を見開いた。


「なんだこれはっ! このような……恥を知れ、人間っ!」

「悪い条件ではないはずです。このことは、王も承知の上……どうか、教会を信用して頂きたい」

「信用だと? 神の名のもとに、我らが同胞はらからを虐殺する教会をか!」

「そのほうが犠牲は少なくて済みますし、あなた方の利益にもなるのです」

「ふざけるなっ!」


 アガンテが、バン! と紙面をテーブルに叩きつけた。

 よほどのことが書いてあったのだろう。

 すかさずリュカは「ちょっと失礼」と巻物を拾い上げる。すぐにシム族の族長たちがリュカを取り巻いた。リュカの視線に、皆の血眼ちまなこの眼光が幾重にも重なる。


「小僧、ワシは人間の文字は読めん。なんと書いてあるのじゃ!」

「少々お待ちを」


 リュカには、人間の文字も言葉も理解できたし、使いこなせていた。幼少期から、混血児である自分になにかしらの付加価値が必要だと思ったからだ。ヨギのつてを頼って、人間の本を沢山勉強した過去がある。

 反面、自分なりに鍛えてみたが戦士としての武芸はさっぱりだったが。

 それでも、いくさとなれば己をいとわず戦うし、こうして交渉や外交の場にも出る。


「ええと、ふむ……ここには、魔族が鉱山で引き続き採掘作業をすることを許す、そう書いてありますね」

「なんと! では、ワシらシム族は再びこの地に」

「ただし、税を課す、とあります」

「税? 税とはなんじゃ」

「全員から定期的に徴収する、持参金のようなものです」

「持参金? 娘をとつがせる訳でもないのにか? 何故なぜ?」

「人間たちは王に税を納めてるんですよ。その見返りとして、王の庇護ひごを受けてるんです」


 シム族の族長は、絶句に固まってしまった。

 その周囲の民もである。

 無理もない……族長は賢人だが、魔族には王も貴族もいないのだ。十二の氏族がそれぞれ家族、族長というまとめ役がいても支配者ではない。

 税は勿論、通貨という概念ですら知らぬ者が多い。

 人間との交易を行う者のみが、王国の貨幣を用いて商売をしている。

 以前ヨギも言っていたが、丸い金属片コインをたらふく溜め込む父親を、周囲の一族は奇異の目で見ているとのことだった。


「なるほど、うん、酷い。なかなかどうして、恥知らずな文章だな」


 一通り目を通して、リュカは巻物を丸め直す。そしてそれを、涼しい顔でたたずむアシュラムの前に放ってやった。

 アシュラムは僅かに片眉かたまゆを震わせたが、口を開けば言葉は実に紳士的だった。


「大変な譲歩だとは思わないかね? 少年。教会としては、白邪はこれを全て殲滅する、その基本方針は揺るがない。しかし」

「教会の教えにくだった者のみ、限定的に二級信者として中立都市への出入りを認める」

「そうだ。神の名において、汚らわしい白邪にも慈悲深い恵みがもたらされるのだ」

「慈悲? 恵み? そんなの必要ない。僕たちはいつだって、自分のかては自分で得てきた。恵んでもらう理由も意味も、ないっ!」


 リュカが真っ直ぐ視線の矢を射る。

 その眼差まなざしを真正面から受けて、アシュラムはフンと鼻を鳴らした。

 そこでリュカは立ち上がると、魔族の面々をぐるりと一瞥して言葉を選ぶ。


「まず、ワスペルを中立都市にということですが……この書面では、実質的に人間が支配することになっています。王国ではなく教会が支配するだけで、僕たちには同じことだ」


 それだけではない。

 教会の教えに改宗した魔族のみが、出入りや居住を許される。そして、今まで通り採掘作業をしていいとのことだ。だが、そこには毎日の供出量が定められていた。一定数の労働成果として、鉱物を差し出さねばならぬのだ。

 そして、それと別に税を払う。

 これではまるで、奴隷どれいだ。

 リュカの理解が次第に、周囲の者たちにも伝搬でんぱんしてゆく。

 制度や手法の仔細まではわからずとも、意図するところはすぐに知れ渡った。


「聖導騎士アシュラム。そもそも、僕たちに神様はいらない。皆、その身に宿る象精アーズを通じて大自然と繋がっている。その全てが僕たちにとっては神様だ」

「土着の信仰、古いならわしだ」

「古いか新しいかは、そんなに大事なことじゃないさ」

「何故、神の教えを拒む? 獣のような我欲で生きる白邪らしい考えだ。……君のことを少しだが調べさせてもらったよ、少年。母親が人間だそうだが――」

「生まれや育ちの話はしてない! 例え考えが同じになっても、それを誰もが等しく感じられない、そう思える訳がない! そういう話だろ!」


 思わずリュカは声を荒らげた。

 そしてすぐに、下手を打ったと舌打ちを零す。

 アシュラムは武人としては勿論、交渉人としても弁が立つようである。決して余裕に満ちた態度は零さず、舌鋒ぜっぽう鋭い言葉で巧みに揺さぶってくるのだ。

 二度目の敗北感にれつつ、リュカが脳裏に言葉を探していた、その時だった。

 今までずっと黙っていたマヨルが「はいっ! はいはーい!」と手を上げた。その所作しょさの意味がわからず、リュカは思わずぽかんとしてしまった。アシュラムや人間たちもそれは同じで、奇妙な沈黙にマヨルは頬を赤らめる。

 それでも、彼女は咳払いを一つして話し始めた。


「わたし、この計画は反対ですっ!」

「我が御子みこ! そのような!」

「アシュラムさん、わたしって光の御子なんだよね? 日本から……異世界から来た救世主、勇者なんだよね?」

「いかにも。しかしながら、神の御使いとしての立ち振る舞いというものが」

「でも、ちょっとお母さんが言ってたのと違うなあって」

「お母さん? 母君がなにか」


 大きく頷き、静かにマヨルは立ち上がる。そして、そのまま歩き出した。彼女は人間側の席を離れて、大きなテーブルの中央に向き直る。まるで、人間と魔族の境界線を引くような声が響いた。


「まだ、この世界に来て日も浅いけど、わたしなりに勉強しました。教会の文献、っていうか人間の言葉が日本語に似ててよかったなって。それでね、えっと」


 誰もがマヨルを見詰めていた。

 リュカも、目が離せない。

 あいも変わらず彼女の目は、奈落ならく深淵しんえんみたいに底が知れない。真っ黒いその奥に、無限に光が吸い込まれてゆくようだ。ともすれば、リュカは自分がその瞳に落下してしまうのではとさえ思う。

 だが、不快でもないし恐怖もない。

 夜のとばりはいつだって、リュカたちを優しく明日へと運んでくれるから。


「中立都市自体はいいと思うよ? でもね、そこでは人間も魔族も平等でなきゃ」

「……我が御子、それは無理というもの。違う者同士を同列には扱えませぬ」

「わたしの国では、そりゃ完璧で完全じゃないけど……違う人同士でも仲良くしてるんだ。違い過ぎる人同士も、会えば挨拶する程度の距離感でいいんだしさ」

「理解が及ばぬ……つ、つまり、白邪にこの鉱山を返還しろと?」

「取って取られての繰り返しじゃ、戦争はなくならないんだ。きっと、うん……多分絶対、恐らく確実にそう。だから、まず最初にこのワスペルを『どっち側でもない街』にするの」


 リュカは息を飲んだ。

 そして呼吸を忘れた。

 突飛とっぴでありえない話だし、現実感が全くともなわない。

 ほら話や絵空事の臭いがしたし、恐らくアシュラムたち人間も同じ気持ちだろう。

 そう、マヨルの言葉は人間と魔族を同じにしてしまった。

 未知への訝しい気持ち、理解不能という居心地の悪さを共有させたのだ。


「うん、決めようよ! この街、民主主義でいけばいいと思うっ!」

「ミ、ミンシュ、シュギ?」

「難しく考えないで、最初はざっくり雑でいいの。やってみる、始めることが大事!」

「ざ、ざっくり……雑、とは」

「この街では、人間も魔族も一人の市民。扱いは完全に同じにしてもらいます。暴力は駄目、悪さをしたら、うーん……ま、最初はわたしが話を聞いて大岡裁おおおかさばきだねっ。それでね、選挙! 大事なことは多数決でみんなで決めるの!」


 アシュラムはただただ、まばたきを繰り返すだけだった。

 そして、リュカはその目の奥に見た。混乱の中で今、アシュラムの瞳に暗い炎が灯る。壮麗にして威風堂々たる聖導騎士せいどうきしが、この場で真っ先になにかへ戦慄している。そしてリュカには、それがよくないもののように思えてならなかった。

 だが、人間の貴族たちは皆、手を叩いて笑い出した。


「これはまた……我らが御子は奇異なことを!」

左様さようですな! しかしこれはいい……小生は教会の独断専行には反対です!」

「しかり! 最近の教会の横暴、目に余る! この件はやはり、陛下の決断を」


 魔族たちにも動揺と共に、夢にも思わぬ未来が提示されていた。リュカと同じ、奇妙な興奮が広がってゆく。しかし、そこへの理解は誰もが及ばない。リュカ自身もまた、そうして混乱に熱くなる一人だ。

 しかし、アシュラムだけは俯き黙ったまま、破綻してゆく会談の熱気を睨んでいた。

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