屈辱の会談

 リュカの予感は的中した。

 その夜遅く、魔族の陣を人間側の使者が訪れたのだ。

 要件は唯一ただひとつ……翌朝、会談のために改めて炭鉱都市ワスペルへ参集せよ、とのことである。武力で追い出しておいて、あとから顔を出せとはなんとも乱暴な話だ。だが、この招聘しょうへいに魔族は応じるしかない。

 怪我人と避難民だらけのキャンプに、人間たちが来られても困る。

 こちらからおもむかなければ、再び兵が雪崩なだれを打って押し寄せる危険があった。


「クソッ、なんてことだ! このような形で訪れたくはなかったものだな!」


 城壁の門をくぐったときから、ワコ族の族長アガンテは不機嫌だった。

 その補佐として同行したリュカにも、同じ思いはある。顔にも態度にも出さないことにしているが、人間の身勝手さには憤慨ふんがいしているのだ。

 それでも、話し合いが持たれるというのならそれもいい。

 対等な立場など望めないが、勝者側にも対話せざるを得ない理由があるらしい。

 その中心には、あのマヨルがいるとリュカは考えていた。


伯父貴おじき、よく氏族の族長たちが了承しましたね」

「他に選択の余地がないからな。それに……十二氏族といっても、すでに五つが滅びた。今回兵を出せなかった一族からは、現場の者たちで頼むということになっておる」


 魔族の滅びは、既に始まっていた。

 かつて、大いなる導きの元に十二の魔獣がこの地に集った。混迷の動乱期、大陸中が荒れに荒れていた時代である。詳しい伝承は失われているが、数百年前に魔族は一つの民族として生き始めたのである。

 始原の十二匹から生まれたのが、十二氏族だ。

 しかし、人間の台頭によって、その数は徐々に減り続けている。

 このままでは本当に、大陸の全ては人間の手に落ちるのだ。


「それにしても……なんということだ、まあ。見ろ、リュカ……そこかしこに人間がいるわい」

「そりゃ、敵地ですから。でも、ぱっと見た感じでは市街地の被害は少なそうですね」


 リュカも伯父の名代みょうだいとして、何度かワスペルには来たことがあった。

 山間の土地に広がる城塞都市で、街の半分は山の斜面に広がっている。そこかしこに坑道が入り組んでいて、男も女も忙しく働いていた。

 活気があった街並みは今、不気味な静けさに満ちている。

 暗く雲の垂れ込めた空には、人間たちの掲げる教会の旗がなびいていた。

 アガンテに言われるまでもなく、憂鬱ゆううつ滅入めいってくる。


「リュカ、悪ガキたちはどうした。どこでなにをしてる?」

「ミサネはキャンプに残してきました。人間を刺激し過ぎますから」

一角獣いっぽんづの、か……誇り高き戦士の部族、サネ族の血もあの娘で絶える。で、他の面々はどうした」

「ヤリクはヨギと一緒に捕虜交換に立ち会ってます。勿論もちろん、大人の手が足りないからですけど。ナーダは他の女たちと怪我人の手当に出てもらいました」

「……妙なことを示し合わせてるんじゃないだろうな? ええ?」

「僕はなにも。それより伯父貴、あれを」


 街の中央、交易所が集会の場に選ばれたようだ。

 そして、その入口を両側からいかつい鎧姿が固めている。

 教会の騎士たちだ。

 その手には、鉄製の槍が握られている。

 全く表情の読めぬ兜の向こう側から、刺すような視線を感じた。


「ふん、一端いっぱしに威圧してるつもりか。人間風情が、笑わせてくれるわ」

「違いますよ、伯父貴。上です、上。二階のテラスを見てください」

「ん? ……なんじゃ、あの小娘は。黒い髪に、黒い瞳……どこぞの姫君だ?」

「伯父貴、光の御子みこって聞いたことありませんか」

「光の、御子……ふむ、その名……長老から昔、確か……ううむ、思い出せん!」

「聞き覚えだけはある、と」


 見上げれば、長い髪を風に遊ばせる少女が手すりに腰掛けている。

 曇天どんてんの下に広がる灰色の世界で、そこだけが綺羅きらめいて見えた。アガンテが言うように、高貴な気品と威厳があるように感じる。それもこの瞬間までで、向こうもこちらを見つけたようだった。

 リュカを見て身を乗り出し、マヨルが満面の笑みで手を振ってくる。

 そこには敵意や害意は勿論、白邪はくじゃと呼んでさげすむようなゆがみが微塵もない。


「やれやれ。あんなに無邪気に笑えるものかな」

「むう……リュカ、あの娘と知り合いか? 髪も肌も、瞳の色も……あれも人間なのか」

「伯父貴、あれが光の御子マヨルです。昨日、僕も初めて知りました」

「光の御子……よし、すぐに年寄りたちに調べさせる。失われた歴史の中に、その名があったやもしれん。それと、人間の歴史、教会のことに詳しい者がほしい」

「ヤリクに当たらせましょう」


 リュカは、自分に冷たい伯父を嫌ってはいなかった。

 嫌だといえばそれまでだが、族長のうつわにふさわしいとも思っている。亡き父こそがふさわしいというのがアガンテの口癖だったが、死者を頼ってはいけない。死んだ者を死んだまま眠らせてやるのもまた、生き残った者の使命だからだ。

 それに、人間との混血児を作った兄に対して、正直に嫌がるアガンテは信頼できる。この時代、人間にとっても魔族にとっても混血の私生児など厄介ごとの種でしかない。

 そんなことを考えながら、リュカは伯父と共に交易所の中へ入った。

 普段は鉱石や宝石がやり取りされてる場では、すでに論戦が沸騰していた。


「今すぐに都市の返還を要求するっ! ここは、このワスペルと山は、我々シム族のものだ!」

「よかろう、ならば一戦まじえるまで! 貴公らシム族を六番目の滅びた氏族にしてくれようぞ!」

「なにを小癪こしゃくな! 人間風情が思い上がりおって!」

「我らには光の御子がおわす! 正義は我にあり、魔族の衰退は時代の必然よな!」


 論理と合理はそこにはなかった。

 身を乗り出して術を励起れいきさせるのは、シム族の族長だ。御老体ごろうたいは今、かざした杖の先に稲妻をまたたかせている。それを見た人間たちは、怯みながらも強がりを発揮していた。

 これが魔族の持つ異能の力、象術しょうじゅつだ。

 魔族があがめる自然の力、世界を支える原初の力を操る術である。地、水、風、そして禁忌きんきの火……四大元素と内三種の対素ついそ、合計七種類の象術を使いこなすことができる。魔族は皆、基本的に生まれながらに地水火風のうち、一つの象精アーズを宿しているのだ。

 例えば、ナーダは水の象精を持ち、対となる氷の力をも行使できる。

 シム族の族長が使っているのは、風の対素である雷だった。

 アガンテが声をあげると同時に、リュカは飛び出していた。


「リュカ、止めてさしあげろ! この場で人間を殺すのはまずい!」

「ですね。では……シム族の長よ、しずまりたまえ! どうか、どうか術をおきください!」


 リュカは腰の石剣せきけんに手をかける。

 それでも抜かずに、いがみ合う両者の間に割って入った。

 魔族といえど、象術を浴びればただでは済まない。雷の象精は、容赦なくリュカを消し炭に変えるだろう。その瞬間は、純血の魔族だろうが混血児だろうが、関係ないのだ。

 怖くないといえば嘘になるが、思っている程に恐怖を感じない。

 納得して行動する時、後悔はずっとあとになることをリュカは体験で知っていた。

 そして、十二氏族の中でも有名なみ子を見やり、族長は術を収めた。


「……フン、ワコ族の小僧か。よけいなことをしおって」

「自重を、族長。ここで短気を起こせば、シム族は長を亡くします」

「じゃが、どうする! 人間が跳梁ちょうりょうして既に百年! 奪われた後に戻ってきた土地があったか!」

「前例がなくとも事実は形成できます。その芽を自ら摘むような行為は、つつしむべきかと」


 人間たちの方でも、熱くなっていた老人を何人かがいさめてくれている。

 だが、率直にいって空気は最悪だった。

 魔族と人間の間には、目に見えぬ溝がある。

 たとえ見えたとしても、厳然たる亀裂の底は闇によどんでうかがいしれないのだ。

 そんな中、一触即発の空気が不意に霧散した。

 あまりにも軽やかな声が、振り向く誰をも優しく撫でてゆく。


「はーい、ちょっとごめんなさーい! 注目、ちゅーもくっ! えっと、これで全員なのかな?」


 この場に不釣り合いな声が弾んでいる。

 まるで、濁る闇に差し込んだ真っ直ぐな光だ。

 その根源は、笑顔で周囲を見渡す乙女だった。

 マヨルだ。

 昨日とは違って、この世界の人間たちが着るような服を着ている。リュカにはそれがすぐにわかった。厳密にいえば、教会の人間が身につける僧衣というか、やけに豪奢ごうしゃなローブだった。

 その隣には、先日やりあった長身の美丈夫びじょうぶが立っている。


「アシュラムさん、じゃあ始めましょうか」

御意ぎょい。我らが御子、いやしき白邪を導いてください」

「もー、そういう言い方も駄目ですっ! わたし、多分こうするために呼ばれたんだなーって思ったの。お母さんも昔、話してくれたし……意外とよくあることなのかもだよっ」

「そ、それは、また、その……ゴホン! 皆の者、控えよ! 我らが光の御子の御前である!」


 聖導騎士せいどうきしアシュラムの声も、少し引きつって聴こえた。

 同時に、強気で無敵なマヨルの溌剌はつらつさが眩しい。

 リュカは剣から手を離すと、まだまだ興奮状態の族長を背にかばいつつこうべを垂れる。

 魔族でも人間でも、目上のものに対する礼儀の尽くし方は似ていた。

 元は同じだったと言われてもおかしくない、それくいらいに近い。

 それでも、儀礼的な定形のやり取り以外で互いが礼を尽くすことはない。今この瞬間も同じで、魔族の皆は下げなくてもいい頭を敗者ゆえに下げているのだ。

 そんな中でも、リュカはちらりとマヨルを伺い盗み見る。

 アガンテが、作った声で過不足ない挨拶の言葉を並べた。


「このたびはお招きいただき、まことにかたじけない。先日のいくさ、見事なものであったと感服しております。今日は互いの民のため、よき話を交わせればと」

「はいっ! わたしこそごめんなさい、わがままを言って……無茶を通しました。でも、おじさま、来てくださって本当にありがとうございますっ!」

「お、おじっ……!?」

「それと、えっと、リュカ君? だったよね? お互い無事でよかった!」


 なんの警戒心もなく、リュカの目前にマヨルが駆け寄ってくる。

 先日の不思議なドレスと違って、教会の装束しょうぞくを身に着けた今は以前より大人びて見えた。それでいて、無邪気な笑顔は酷くあどけない。

 手を取り握って、さらに手を重ねてくる。

 それは柔らかくて小さくて、とても白い手だった。

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