屈辱の会談
リュカの予感は的中した。
その夜遅く、魔族の陣を人間側の使者が訪れたのだ。
要件は
怪我人と避難民だらけのキャンプに、人間たちが来られても困る。
こちらから
「クソッ、なんてことだ! このような形で訪れたくはなかったものだな!」
城壁の門をくぐったときから、ワコ族の族長アガンテは不機嫌だった。
その補佐として同行したリュカにも、同じ思いはある。顔にも態度にも出さないことにしているが、人間の身勝手さには
それでも、話し合いが持たれるというのならそれもいい。
対等な立場など望めないが、勝者側にも対話せざるを得ない理由があるらしい。
その中心には、あのマヨルがいるとリュカは考えていた。
「
「他に選択の余地がないからな。それに……十二氏族といっても、
魔族の滅びは、既に始まっていた。
かつて、大いなる導きの元に十二の魔獣がこの地に集った。混迷の動乱期、大陸中が荒れに荒れていた時代である。詳しい伝承は失われているが、数百年前に魔族は一つの民族として生き始めたのである。
始原の十二匹から生まれたのが、十二氏族だ。
しかし、人間の台頭によって、その数は徐々に減り続けている。
このままでは本当に、大陸の全ては人間の手に落ちるのだ。
「それにしても……なんということだ、まあ。見ろ、リュカ……そこかしこに人間がいるわい」
「そりゃ、敵地ですから。でも、ぱっと見た感じでは市街地の被害は少なそうですね」
リュカも伯父の
山間の土地に広がる城塞都市で、街の半分は山の斜面に広がっている。そこかしこに坑道が入り組んでいて、男も女も忙しく働いていた。
活気があった街並みは今、不気味な静けさに満ちている。
暗く雲の垂れ込めた空には、人間たちの掲げる教会の旗がなびいていた。
アガンテに言われるまでもなく、
「リュカ、悪ガキたちはどうした。どこでなにをしてる?」
「ミサネはキャンプに残してきました。人間を刺激し過ぎますから」
「
「ヤリクはヨギと一緒に捕虜交換に立ち会ってます。
「……妙なことを示し合わせてるんじゃないだろうな? ええ?」
「僕はなにも。それより伯父貴、あれを」
街の中央、交易所が集会の場に選ばれたようだ。
そして、その入口を両側から
教会の騎士たちだ。
その手には、鉄製の槍が握られている。
全く表情の読めぬ兜の向こう側から、刺すような視線を感じた。
「ふん、
「違いますよ、伯父貴。上です、上。二階のテラスを見てください」
「ん? ……なんじゃ、あの小娘は。黒い髪に、黒い瞳……どこぞの姫君だ?」
「伯父貴、光の
「光の、御子……ふむ、その名……長老から昔、確か……ううむ、思い出せん!」
「聞き覚えだけはある、と」
見上げれば、長い髪を風に遊ばせる少女が手すりに腰掛けている。
リュカを見て身を乗り出し、マヨルが満面の笑みで手を振ってくる。
そこには敵意や害意は勿論、
「やれやれ。あんなに無邪気に笑えるものかな」
「むう……リュカ、あの娘と知り合いか? 髪も肌も、瞳の色も……あれも人間なのか」
「伯父貴、あれが光の御子マヨルです。昨日、僕も初めて知りました」
「光の御子……よし、すぐに年寄りたちに調べさせる。失われた歴史の中に、その名があったやもしれん。それと、人間の歴史、教会のことに詳しい者がほしい」
「ヤリクに当たらせましょう」
リュカは、自分に冷たい伯父を嫌ってはいなかった。
嫌だといえばそれまでだが、族長の
それに、人間との混血児を作った兄に対して、正直に嫌がるアガンテは信頼できる。この時代、人間にとっても魔族にとっても混血の私生児など厄介ごとの種でしかない。
そんなことを考えながら、リュカは伯父と共に交易所の中へ入った。
普段は鉱石や宝石がやり取りされてる場では、
「今すぐに都市の返還を要求するっ! ここは、このワスペルと山は、我々シム族のものだ!」
「よかろう、ならば一戦
「なにを
「我らには光の御子がおわす! 正義は我にあり、魔族の衰退は時代の必然よな!」
論理と合理はそこにはなかった。
身を乗り出して術を
これが魔族の持つ異能の力、
魔族が
例えば、ナーダは水の象精を持ち、対となる氷の力をも行使できる。
シム族の族長が使っているのは、風の対素である雷だった。
アガンテが声をあげると同時に、リュカは飛び出していた。
「リュカ、止めてさしあげろ! この場で人間を殺すのはまずい!」
「ですね。では……シム族の長よ、
リュカは腰の
それでも抜かずに、いがみ合う両者の間に割って入った。
魔族といえど、象術を浴びればただでは済まない。雷の象精は、容赦なくリュカを消し炭に変えるだろう。その瞬間は、純血の魔族だろうが混血児だろうが、関係ないのだ。
怖くないといえば嘘になるが、思っている程に恐怖を感じない。
納得して行動する時、後悔はずっとあとになることをリュカは体験で知っていた。
そして、十二氏族の中でも有名な
「……フン、ワコ族の小僧か。よけいなことをしおって」
「自重を、族長。ここで短気を起こせば、シム族は長を亡くします」
「じゃが、どうする! 人間が
「前例がなくとも事実は形成できます。その芽を自ら摘むような行為は、
人間たちの方でも、熱くなっていた老人を何人かが
だが、率直にいって空気は最悪だった。
魔族と人間の間には、目に見えぬ溝がある。
たとえ見えたとしても、厳然たる亀裂の底は闇に
そんな中、一触即発の空気が不意に霧散した。
あまりにも軽やかな声が、振り向く誰をも優しく撫でてゆく。
「はーい、ちょっとごめんなさーい! 注目、ちゅーもくっ! えっと、これで全員なのかな?」
この場に不釣り合いな声が弾んでいる。
まるで、濁る闇に差し込んだ真っ直ぐな光だ。
その根源は、笑顔で周囲を見渡す乙女だった。
マヨルだ。
昨日とは違って、この世界の人間たちが着るような服を着ている。リュカにはそれがすぐにわかった。厳密にいえば、教会の人間が身につける僧衣というか、やけに
その隣には、先日やりあった長身の
「アシュラムさん、じゃあ始めましょうか」
「
「もー、そういう言い方も駄目ですっ! わたし、多分こうするために呼ばれたんだなーって思ったの。お母さんも昔、話してくれたし……意外とよくあることなのかもだよっ」
「そ、それは、また、その……ゴホン! 皆の者、控えよ! 我らが光の御子の御前である!」
同時に、強気で無敵なマヨルの
リュカは剣から手を離すと、まだまだ興奮状態の族長を背に
魔族でも人間でも、目上のものに対する礼儀の尽くし方は似ていた。
元は同じだったと言われてもおかしくない、それくいらいに近い。
それでも、儀礼的な定形のやり取り以外で互いが礼を尽くすことはない。今この瞬間も同じで、魔族の皆は下げなくてもいい頭を敗者
そんな中でも、リュカはちらりとマヨルを伺い盗み見る。
アガンテが、作った声で過不足ない挨拶の言葉を並べた。
「この
「はいっ! わたしこそごめんなさい、わがままを言って……無茶を通しました。でも、おじさま、来てくださって本当にありがとうございますっ!」
「お、おじっ……!?」
「それと、えっと、リュカ君? だったよね? お互い無事でよかった!」
なんの警戒心もなく、リュカの目前にマヨルが駆け寄ってくる。
先日の不思議なドレスと違って、教会の
手を取り握って、さらに手を重ねてくる。
それは柔らかくて小さくて、とても白い手だった。
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