仲間たち

 ――

 それがリュカのあだ名だ。

 見たままの呼び名で、魔族なのにリュカには角がない。

 

 そのことを、皆が知っていた。

 でも、面と向かって口にするのは、目の前の少年だけだ。彼はたくましい体躯たいくで、背に大弓を背負っている。百発百中の射手しゃしゅを自負する、リュカの古くからの友人だった。

 だから、リュカもいつもの調子でやりかえしてみる。


「やあ、御曹司おんぞうし。そうなんだ、死に損ねたというかまあ、命拾いしたよ」

「だからさあ、角ナシ。リュカよう。その、御曹司ってやめろよ」

「嫌かい? 僕と違って正式なココ族の次期族長なんだ。御曹司じゃないか」

「……お前、違うのか?」

「前も言ったろ? 伯父貴おじきは後継者に僕を指名はしないよ、ヤリク」


 彼の名は、ヤリク。

 幼馴染おさななじみの腐れ縁、悪友だ。

 彼はリュカに、全く気を遣わなかった。誰に対してもそうだが、言いたいことは言うし、濁したりぼかしたりもしない。そして、ヤリクの角ナシ呼ばわりには悪意が全く感じられなかった。

 リュカは角がないことも、一人だけ銀色の髪であることも恥じたことがない。

 たまたま母親が人間だっただけなのだ。

 二つの種族の血を持つゆえに、そのどちらにもなれない。

 それでも、どう生きるかくらいはその場その場で選んでるつもりだった。


「ヤリク、伯父貴にも話したけど……石炭の件、本当なんだろうね?」

「間違いないとみていいさ。俺の情報網に狂いはない。そうだろ?」

「そうだとしても、さ。早めに裏を取ってくれないか。確証がほしいんだ」

「なら、シム族の女の子たちともう少し仲良くしなきゃなあ」


 ヤリクは無双の狩人で、弓の名手。そして弓以上に女性の扱いが上手い。口は回るし頭もいいから、いくらでも女たちの中に割って入ることができた。

 人間もそうらしいが、女というのはお喋りが好きだ。

 秘密を抱え込むと、それを打ち明けることに特別な意味を見出そうとする。

 ヤリクの情報は、そうした場所からもたらされたものが大半だった。

 リュカはやれやれと肩をすくめつつ、少しだけ疲れを忘れた。


「あまり派手にやるなよ、ヤリク。ナーダにどやされるぞ」

「だよな。あいつ、ヤキモチ焼きだし」

「……お前それ、本気で言ってるのか?」

「だってあいつ、俺にれてるだろ? ああみえてかわいいとこあるんだよ」

「恐れ入ったね、ヤリク。口は災いのもとっていうやつじゃないかな」


 ニシシと笑ってヤリクが胸を叩いてくる。

 リュカもトンと、こぶしで小さく彼の胸板を小突いた。

 ヤリクはいつも、屈託くったくがなくて愛想がいい。その端正な表情が無邪気に笑えば、誰もが無防備になるのだった。

 だが、そんな甘やかな魔性になびかぬ娘もいる。

 突然、リュカの背後で気配がとがった。


「ちょっと! 誰が誰に惚れてるですって? なんですか、ヤキモチ焼きって!」


 やばいと思った。

 ヤリクなど、正直に「やべっ!」と口走ってしまった。

 二人でゆっくり振り返ると……そこには、両手を腰に当てたナーダの姿があった。そのまぶたはいつものように閉じられているが、怒っていることは誰の目にも明らかだ。

 むくれてほおを膨らまし、くちびるを尖らせながらナーダが歩み寄ってくる。


「酷い言い草ですね、ヤリク! 私、そんなに見る目がありませんか? めしいていても人の善し悪しには敏感なつもりです!」

「ま、待てよナーダ、待てって。……いや、ほんとに待てってば」

「だいたい、なんです? あっちでもこっちでも女の子にいい顔してばかりして」

「だから、おーい。待てよー?」


 ナーダは目が見えない。

 しかしその分、人より聴覚や嗅覚が鋭敏だった。

 そのはずだが、どうやら怒ると鈍るらしい。

 ナーダは小言をまくしたてながら、リュカとヤリクの横をすり抜けてゆく。そして、テントの脇に積まれた武具の山に説教を始めた。

 鎧兜よろいかぶとに指を突きつけ、これでもかと言葉責めにしている。


「ナーダ、僕たちこっちだよ」

「だぞー? お前、もっとよく見ろよー。って、見えてないからか」

「はっ!? こ、これは……やってくれましたね、ヤリク!」


 なにもしてない。

 むしろ、勝手にナーダが勘違いしただけである。

 そのことをやんわり伝えてやると、彼女は顔を赤らめた。

 すかさず隣にヤリクが忍び込む。

 あっという間に自分の距離で、そこからはヤリクのペースだった。

 そんな二人を見てると、リュカは少しだけ人間の気持ちがわかる気がした。共感ではなく、理解だ。いくら否定しようとも、自分の血は半分が母の血、人間の血なのだから。

 夜のとばりに白い髪が目立って、風になびけば輝いて見えた。

 ヤリクもナーダも、立派な角を生やしている。

 魔族は美しく屈強で、人間には使えぬ超常の術を行使する、だから白邪はくじゃなのだ。


「ん、どした? リュカ、そんなに面白かったのかよ」

「は、恥ずかしいです……私、興奮すると周りが見えなくなるんですよね」

「最初から見えてないだろ。って、痛ぇな! 女が男をぶつのかよ! しかも拳で!」

「男だ女だは関係ありません。見えないからこそ見えるものもあるんです」

「へーい。ま、そゆことにしとくか。で? おいリュカ、ミサネはどうした」


 そういえば、と周囲を見渡す。

 今日のいくさの立役者、一角獣いっぽんづのこと殿しんがりの女武者が見当たらない。いつも背中に二振りの戦斧バルディッシュを背負ってるので、とても目立つ筈だが。目立つもなにも、その美貌に反した数奇な生い立ちは、魔族の中でも一際異彩を放っている。

 伯父のアガンテが言うように、リュカにとっては似た者同士なのだ。

 その時、遠慮がちに小さな声が差し込まれる。


「あのう、ミサネさんなら……あっちです。子供と遊んでる、っていうか、遊ばれてるっていうか」


 現れたのは、同年代の少年だ。

 勿論もちろん顔見知りだが、向こうは一向に慣れてくれない。リュカたちとの間にいつも距離を作ってるし、縮こまってるから矮躯わいく尚更なおさら小さく見えた。

 頭部の勇ましい角は、左右から湾曲してはさみのよう。

 恐る恐るというような上目遣いが、どうにも卑屈に見えてしまう。


「やあ、ヨギ。親父おやじさんの手伝いは終わったのかい? この負け戦じゃ、大変だったろうに」

「あ、い、いえっ、リュカさんにそんな……父なら、一人の時は小躍りしてますよ。そういう人ですから、その」

「いいさ、戦が始まれば物と人とが動く。そこに金の流れが生まれるのは必然だ」

「……そうです、けど」


 ヨギの父親は商人だ。

 必定、平時には人間との取引もあるし、そちらの方面に顔がきく。そして、戦いのたびに財をなしてゆくことを悪し様に言う者は後を絶たない。

 けど、リュカたちにとっては関係のないことだった。

 戦争になったら、子供でもできることをする。

 戦い方は様々だし、戦場に出るだけが戦働いくさばたらきではないからだ。


「おう、ヨギ! また矢を売ってくれよ。今日ので全部使っちまった」

「少し値を吊り上げてもいいですよ? 高い矢ならヤリクも無駄遣いはしないでしょうし」

「ヤリクさん、ナーダさん……は、はい、あとですぐに用意しときます。それで」


 ああそうだ、とリュカは歩き出した。

 察したように、先を歩いてヨギが案内してくれる。

 こうして四人は、そぞろにキャンプ地を進んだ。どこのテントでもカンテラに閉じ込めたむしの光が、傷付いた戦士たちの影を浮かび上がらせている。

 魔族は夜目が利くからか、わずかな明かりだけの静かな夜だ。

 その血を半分だけ引くリュカにも、敗軍を包む冷たい空気がはっきりと見て取れた。

 そして、憔悴しょうすいした大人たちと違って、幼子の弾んだ声が聴こえてくる。


「リュカさん、あそこです。あれ、ミサネさん、ですよね? なんか、こう……ちょっと」

「ああ、いいんだ。彼女、いつもああなんだ。あれが、本来のミサネなのかもね」

「そ、そうですか」

「あと、ヨギ。その、リュカさんての、やめない? なんだかむずがゆいよ」

「いや、でもぉ……」


 子供たちが囲む中に、ミサネがいた。

 鬼神のごと膂力りょりょく胆力たんりょく、触れる全てを粉砕する竜巻のような娘。人間たちは一角獣の名を畏怖いふみ嫌った。白邪の中の白邪、死そのものだと。

 だが、戦場から離れたミサネはいつも、静かで影が薄かった。

 今も、周囲の子供たちと遊んでやってるが、全く覇気が感じられない。

 早速ヤリクとナーダが駆け寄った。


「うおーい、ミサネよう。お前、なにやってんだ?」

「はいはい、子供たち。もう母親の元へお帰りなさいな。このお姉さんも、こう見えて疲れてるのよ? 言うこと聞かないと……人間が教会に連れ去りに来るわ」


 恐らく人間の側でも、幼子に言い聞かせる時は同じようなことを言う筈だ。

 怖い白邪が襲いに来るぞ、くらいは言うだろう。

 人間の中でも教会と呼ばれる組織は恐ろしいのである。神と呼ばれる謎の存在を崇拝し、その名の元に神征軍しんせいぐんと称して攻めてくる。聖導騎士せいどうきしなどは虐殺機関の尖兵せんぺいそのもので、一騎当千の手練揃いなのだ。

 その聖導騎士と遭遇して、よくもまあと今になってリュカは怖くなった。

 同時に、アシュラムからリュカを救ってくれたのは、このミサネなのだが……今の彼女は、ぼんやりと眠たげな目を向けてくるだけだった。


「ミサネ、さっきはありがとう。お腹、すいてない?」

「ん。えと、凄く、腹ペコ」

「うんうん。はは、随分子供に人気があるんだな。ちょっといいかい」


 ぬぼーっと立つミサネに向かって、手を伸ばす。リュカは少し背伸びして、彼女のひたいから伸びる角に手をかけた。角は氏族ごとに様々な形があるが、ミサネのものは真っ直ぐ螺旋らせんを描いて額に一本きりだ。

 そのシルエットが、一角獣の名の由来である。

 そして、ミサネはけだものなどではなく、大事な仲間だった。

 リュカは、ミサネの角に引っかかる草花の輪を取ってやった。子供たちが面白がって、輪投げの要領で遊んでいたのだろう。あるいは珍しいから……すでにもう、ミサネの氏族は血が絶えて久しかった。


「よし、これでいい。みんなで食事にしたいけど、どうだろう。それと」

「それと?」

「光の御子みこっての、知ってるかな。ヤリクは勿論、みんなにも聞きたい。明日また多分、会うことになるだろうからね」


 そう、リュカには予感があった。

 あの少女とは、マヨルとはまた出会うことになるだろう。それも、近いうちに。早ければ明日にもだ。

 今までとは違う戦争の終わりが、異質な少女の存在によって始まる予感がある。

 それは不思議と、リュカには確信にすら思えてならないのだった。

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