2.改めて、新しく、旅立ち
戦禍を呼ぶもの
ワスペルの街が陥落した。
古くからの
長らく魔族の勢力下にあったが、今はもうそれは過去形で語られねばならない。
溢れ出た避難民と怪我人で、キャンプ地は地獄のような有様だった。
そんな中で、リュカは
大きな天幕の中で、
アガンテは、直立不動のリュカを
「フン、悪運は父親譲りというわけか。まあ、よう生きとったわい」
「
「心にもないことを言うんじゃない! で……味方の軍勢はどうなった」
「敗走、潰走、散り散りになって逃げました。もう、組織的な抵抗は無理でしょうね」
人間と魔族の戦争は、有史以来絶えなく続いている。
その
だが、今回の人間側の侵攻は、あまりにも性急だった。戦争にも手続きや儀礼があるのだが、そうした一切合財を省略して行われたようにも思える。
アガンテもその点は気になっているらしく、周囲の女たちに包帯を巻かれながら鼻息を荒らげていた。
「物事には順序というものがある。戦争にもな! それがどうだ、今回は」
「種蒔きの季節を前に、これだけの侵攻って珍しいですよね」
「そうよ、それよ! ……人間の考えることが、ますますわからんわい! イッ、イチチ! おいっ、もっと優しくせんか!」
見れば、アガンテも
しかし、人間に比べて魔族は屈強で、強い生命力を持っている。肉体的には、あらゆる面で勝っている種族だし、中身もそうだと思っている魔族は多い。
リュカからすれば、どうでもいい話だ。
ただ、包帯に滲む血の色は魔族だって赤いのだ。
肌や髪の色が違ったとて、傷つけ合えば大地は真っ赤に染まる。
そのことをわかっていて
「しかし、教会の
「ミサネに助けられました」
「ン、まあ、よかったではないか。そういうことにしか役立たぬ娘ゆえな、少しは優しくしてやるといい」
「はあ。似た者同士で、ってことですか」
「そういうことだ。さ、もう行っていいぞ」
もう一度深い溜め息を吐き出し、アガンテは床に置かれた
傷に
天幕の外は騒がしく、負傷兵たちの唸り声が連鎖していた。
この場所も安全ではなく、皆を元の氏族が住む土地に戻してやらなければいけない。
そのことで恐らく、すぐにでも族長同士の話し合いが始まる
だから、義理立てもあってリュカは思いの一端を打ち明ける。
「伯父貴、これは僕の小耳に挟んだ話というか、
「なんだ、まだいたのか。お前の顔も今は見たくないわい。いつも以上に
「それはどうも、でしたら後ろを向きますが……話は聞いてくださいよ」
いつものことで、それも無理はないと思った。
周囲の女たちも、多分同じ思いではないだろうか。
リュカは氏族の中では、鼻つまみ者だ。生まれと育ちを考えれば当然で、そのことについては亡き両親を恨むしかない。
左右一対の角を揺らすアガンテから一歩下がると、出口へ向かって歩く。
そうして背を向けつつ、天幕の外を覗き見ながら言葉を続けた。
「先月のことです。まだ雪が山に見えたんで、先月の第一週か第二週ですね。ワスペルの坑道で新しい鉱脈が見つかりました」
「……なぬ? 聞いとらんぞ、ワジは」
「あそこは代々、シム族の土地です。採掘の詳細は、次の祭の集いにでも話に上げる予定だったんでしょうね」
ワスペルには無数の鉱脈があり、採掘と加工で栄えていた。
珍重されるのは太古の地層から掘り出される鉱石だ。それだは磨いて
平時は、鉄鉱石などは人間の商人が買い取りに来ることもあった。
宝石や水晶の
だが、長らく昔より続くワスペルのバランスが、不意に崩れた。
「石炭ですよ。伯父貴。巨大な石炭の鉱脈です」
「……どれくらいの埋蔵量か」
「ざっと調べてもわからない程度には大規模です。調査中だったんですが……恐らく出入りする商人を通じて人間に知れ渡ったのでしょう」
石炭は魔族にとっては、価値の低いものである。
火を使うことが極端に少ないからだ。
火は魔族にとって、神聖にして
だが、人間は違う。
火を使って、鉄を鋼に変えるのが人間だ。
そして、石炭の採掘は
「リュカ、お前さん……その話をどこから?」
「僕にだって仲間くらいいますよ。友達だって」
「フン、類は友を呼ぶ、というやつかの。その話、どこまで確証がもてるんだね」
「ワスペルを奪還したら、証明されますよ。石炭なんて、僕らには無価値なんだ。掘り出す手間賃を回収できるなら、捨て値で売ってやればよかったんです」
「神とやらの敵である
「もしくは、手間賃さえ払うのが惜しいとか」
あるいは、その両方か。
ともあれ、リュカたちからすると気分が悪い。鉱山を管理するシム族も、とんだ厄介者を掘り出してくれたものだ。お陰で、再び戦端は開かれた。
人間たちは、少数である時は対等な対話、取引に応じるし話が通じる。
だが、群れて大勢になると過激な戦いばかり起こしてきた。
そういう略奪と簒奪の徒が、口を揃えて言うのだ。
呪われし白邪、邪悪な
「じゃ、僕は下がりますけど……あってもシム族の族長を責めないでくださいよ。伯父貴はすぐカッとなるし、口より手が先に出るから」
「わかっておる! まったく、一言も二言も多い! はよう行け!」
「では」
外に出ると、とっぷり日が暮れていた。
遠くの稜線が紫色に縁取られ、その中にもうワスペルの城壁は見えない。
空は真っ赤に染まって、まるで煮立った血のようだ。
この光景の向こう側で、同じ空を見上げて人間もそう思うに違いない。
あの、マヨルとかいう不思議な少女だって、きっと同じだと思える。
もうすぐ、寒い夜の闇が訪れる。
「……とりあえず、なにか腹に入れておこう」
頭も身体も疲れて重いが、不思議と空腹は律儀に食欲を呼びさます。
さてと、
聞き慣れた声が響いたのは、そんな時だった。
「よう、角ナシ! 死に損ねたらしいなあ?」
――角ナシ。
親しい者の中でも、歯に衣着せぬ連中はリュカをそうよぶ。
振り返るリュカの銀髪には、確かに……魔族の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます