2.改めて、新しく、旅立ち

戦禍を呼ぶもの

 ワスペルの街が陥落した。

 古くからの城塞都市じょうさいとしで、いくつもの鉱山を内包した炭鉱街だった。

 長らく魔族の勢力下にあったが、今はもうそれは過去形で語られねばならない。

 溢れ出た避難民と怪我人で、キャンプ地は地獄のような有様だった。

 そんな中で、リュカは伯父おじに面会していた。

 大きな天幕の中で、恰幅かっぷくのいい小男が怪我の手当を受けている。それがリュカの父親の弟、現在のワコ族の族長アガンテだった。

 アガンテは、直立不動のリュカをめつけ大きく溜息を零した。


「フン、悪運は父親譲りというわけか。まあ、よう生きとったわい」

伯父貴おじきもご無事でなによりです」

「心にもないことを言うんじゃない! で……味方の軍勢はどうなった」

「敗走、潰走、散り散りになって逃げました。もう、組織的な抵抗は無理でしょうね」


 人間と魔族の戦争は、有史以来絶えなく続いている。

 その狭間はざまに平和があり、それはうたかたの夢のよう。

 だが、今回の人間側の侵攻は、あまりにも性急だった。戦争にも手続きや儀礼があるのだが、そうした一切合財を省略して行われたようにも思える。

 アガンテもその点は気になっているらしく、周囲の女たちに包帯を巻かれながら鼻息を荒らげていた。


「物事には順序というものがある。戦争にもな! それがどうだ、今回は」

「種蒔きの季節を前に、これだけの侵攻って珍しいですよね」

「そうよ、それよ! ……人間の考えることが、ますますわからんわい! イッ、イチチ! おいっ、もっと優しくせんか!」


 見れば、アガンテも満身創痍まんしんそういである。

 しかし、人間に比べて魔族は屈強で、強い生命力を持っている。肉体的には、あらゆる面で勝っている種族だし、中身もそうだと思っている魔族は多い。

 リュカからすれば、どうでもいい話だ。

 ただ、包帯に滲む血の色は魔族だって赤いのだ。

 肌や髪の色が違ったとて、傷つけ合えば大地は真っ赤に染まる。

 そのことをわかっていてなお、両種族はいがみ合って争い続けるのだ。


「しかし、教会の聖導騎士せいどうきし……こりゃまた、大物が出おったわい」

「ミサネに助けられました」

「ン、まあ、よかったではないか。そういうことにしか役立たぬ娘ゆえな、少しは優しくしてやるといい」

「はあ。で、ってことですか」

「そういうことだ。さ、もう行っていいぞ」


 もう一度深い溜め息を吐き出し、アガンテは床に置かれたさかずきを手に取る。女たちの一人がとがめたが、彼は構わずびんから酒を注いだ。

 傷にさわると思ったが、リュカも黙って飲酒を見守る。

 天幕の外は騒がしく、負傷兵たちの唸り声が連鎖していた。

 この場所も安全ではなく、皆を元の氏族が住む土地に戻してやらなければいけない。

 そのことで恐らく、すぐにでも族長同士の話し合いが始まるはずだった。

 だから、義理立てもあってリュカは思いの一端を打ち明ける。


「伯父貴、これは僕の小耳に挟んだ話というか、うわさなんですが」

「なんだ、まだいたのか。お前の顔も今は見たくないわい。いつも以上に忌々いまいましい!」

「それはどうも、でしたら後ろを向きますが……話は聞いてくださいよ」


 いつものことで、それも無理はないと思った。

 周囲の女たちも、多分同じ思いではないだろうか。

 リュカは氏族の中では、鼻つまみ者だ。生まれと育ちを考えれば当然で、そのことについては亡き両親を恨むしかない。

 左右一対の角を揺らすアガンテから一歩下がると、出口へ向かって歩く。

 そうして背を向けつつ、天幕の外を覗き見ながら言葉を続けた。


「先月のことです。まだ雪が山に見えたんで、先月の第一週か第二週ですね。ワスペルの坑道で新しい鉱脈が見つかりました」

「……なぬ? 聞いとらんぞ、ワジは」

「あそこは代々、シム族の土地です。採掘の詳細は、次の祭の集いにでも話に上げる予定だったんでしょうね」


 ワスペルには無数の鉱脈があり、採掘と加工で栄えていた。

 珍重されるのは太古の地層から掘り出される鉱石だ。それだは磨いてがれれば武具にもなるし、生活を営むための道具も色々と作られる。

 平時は、鉄鉱石などは人間の商人が買い取りに来ることもあった。

 宝石や水晶のたぐいまれに掘り出され、職人は腕をふるって装飾品を作ったものである。

 だが、長らく昔より続くワスペルのバランスが、不意に崩れた。


「石炭ですよ。伯父貴。巨大な石炭の鉱脈です」

「……どれくらいの埋蔵量か」

「ざっと調べてもわからない程度には大規模です。調査中だったんですが……恐らく出入りする商人を通じて人間に知れ渡ったのでしょう」


 石炭は魔族にとっては、価値の低いものである。

 火を使うことが極端に少ないからだ。

 火は魔族にとって、神聖にしてけがれたものだ。一生のうちでも、火のぬくもりに触れることは数度しかない。特別な祭事や祝いの日、そして死者を弔う時にしか使わないのである。

 だが、人間は違う。

 火を使って、鉄を鋼に変えるのが人間だ。

 そして、石炭の採掘はまきを集めて回るよりも効率的なのである。


「リュカ、お前さん……その話をどこから?」

「僕にだって仲間くらいいますよ。友達だって」

「フン、類は友を呼ぶ、というやつかの。その話、どこまで確証がもてるんだね」

「ワスペルを奪還したら、証明されますよ。石炭なんて、僕らには無価値なんだ。掘り出す手間賃を回収できるなら、捨て値で売ってやればよかったんです」

「神とやらの敵である白邪はくじゃが掘った石炭なんぞ、欲しくはないんだろうよ、人間様は」

「もしくは、手間賃さえ払うのが惜しいとか」


 あるいは、その両方か。

 ともあれ、リュカたちからすると気分が悪い。鉱山を管理するシム族も、とんだ厄介者を掘り出してくれたものだ。お陰で、再び戦端は開かれた。

 人間たちは、少数である時は対等な対話、取引に応じるし話が通じる。

 だが、群れて大勢になると過激な戦いばかり起こしてきた。

 そういう略奪と簒奪の徒が、口を揃えて言うのだ。

 呪われし白邪、邪悪な眷属けんぞく末裔まつえいと。


「じゃ、僕は下がりますけど……あってもシム族の族長を責めないでくださいよ。伯父貴はすぐカッとなるし、口より手が先に出るから」

「わかっておる! まったく、一言も二言も多い! はよう行け!」

「では」


 外に出ると、とっぷり日が暮れていた。

 遠くの稜線が紫色に縁取られ、その中にもうワスペルの城壁は見えない。

 空は真っ赤に染まって、まるで煮立った血のようだ。

 この光景の向こう側で、同じ空を見上げて人間もそう思うに違いない。

 あの、マヨルとかいう不思議な少女だって、きっと同じだと思える。

 暗鬱あんうつとした気持ちに、リュカも胸の奥が重くなった。

 もうすぐ、寒い夜の闇が訪れる。


「……とりあえず、なにか腹に入れておこう」


 頭も身体も疲れて重いが、不思議と空腹は律儀に食欲を呼びさます。のども乾いていたし、既にそこかしこに酒が配られていた。行軍中に連れ歩く家畜も、最後の群れが捌かれている頃だろう。

 さてと、ほおを自分で叩く。

 聞き慣れた声が響いたのは、そんな時だった。


「よう、角ナシ! 死に損ねたらしいなあ?」


 ――角ナシ。

 親しい者の中でも、歯に衣着せぬ連中はリュカをそうよぶ。

 振り返るリュカの銀髪には、確かに……魔族のあかしたる角が一本もなかった。

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