異邦人、光の御子

 それは、とても不思議な少女だった。

 年の頃はリュカと同じくらいか、やや上のように見えた。

 だが、胸元に結んだ赤い布以外、全くいろどりがない。

 まるで喪服もふくの花嫁というおもむきの着衣に、白い肌、黒い髪。そして、どこまでも冷たくうるんだ。黒い瞳に目を奪われた。

 思わず見惚みとれていると、先程の騎士がかぶとを外す。

 人間特有の金髪が揺れて、端正な横顔は引き締まって見えた。

 その男は剣を構えたリュカの前で、後ろを振り返ったのだ。


「我らが光の御子みこ、マヨル。止めないで頂きたい」


 マヨル、それが少女の名らしい。

 マヨルは毅然きぜんとした声に静かに応じる。

 先程同様に、どこか怯えてすくむような、それでいて迷いだけはない言の葉だった。

 歯切れがよくて、耳に心地よい。

 敵なのに、耳朶じだへ吸い付くようだ。


「ダメですっ! ダメダメ、絶対ダメッ!」

何故なぜです? 白邪は古来より我ら人間をおびやかしてきた存在。それに、これは戦争ですので」

「何故ですもなにもありませんっ! 戦争なら、終わったってわかるでしょう? アシュラムさん、教会の聖導騎士せいどうきしなんだもの!」

「そう、ゆえ白邪はくじゃ殲滅せんめつせねばなりません。御子マヨル、伝説通りに我らを導いて頂きたい!」

「ヤですっ! 負けて逃げる相手なんですよ? いい大人が」

「やれやれ、まだまだ御子は無垢な子供であらせられる」


 リュカは咄嗟とっさに、視線を走らせナーダの無事を確認する。

 同時に、またが鳥走竜ケッツァに一蹴りくれて突進した。

 その手に握られた石剣せきけんが、風を切って振りかぶられる。

 思わず気迫が口をついて出た。


「僕はまだ、負けてないっ!」


 そう、魔族はまだ負けてなどいない。

 幾度いくどとなく繰り返される武力衝突の末に、また一つ都市を失った。それでも、奪還のためにまた戦いは始まるし、その先に勝利を掴まなければ戦争は終わらない。

 光の御子とかいう少女の言葉では、リュカだって刃を収められなかった。

 そして、騎士アシュラムもまた同じのようだ。


「名を聞こう、白邪の少年! 我が名はアシュラム、聖導騎士アシュラム」

十二氏族じゅうにしぞくが一つ、ワコ族のリュカ!」


 簡潔な言葉への返答は、刃だった。

 鋭い刺突しとつがアシュラムから繰り出される。

 危うい一撃が何度も、防戦一方のリュカを擦過した。受けるのが精一杯で、振るう石剣がどんどん重くなってゆく。

 焦りに誘われ、踊らされるままにリュカは熱くなっていった。


「くそっ、聖導騎士! 教会とかいう、皆殺し集団の手先!」

「神を持たぬ白邪らしい言い草だな、少年!」

「神様って誰かの所有物なのかよ!」


 言葉を発する両者の熱量差が開いてゆく。

 リュカの声はかすれて、出入りする呼気が痛むように熱い。

 あっという間に体力が削がれてゆく中で、それでもリュカは必死に戦った。だが、アシュラムは涼しげに微笑を浮かべたまま、さらに切っ先を加速させてゆく。

 技量の差は歴然だった。

 鋭く凍るような殺意に攻め立てられ、リュカは黙って活路を探す。

 悔しいことに、せめて一太刀と思うことさえ絶望的だった。

 そんな中で、駆け寄るマヨルの声が走る。


「アシュラムさんっ、後ろです! 後ろっ!」


 その言葉に、アシュラムは即座に反応した。

 なにが起こったか理解が及ばず、リュカは敵が馬をひるがえした意味を求めた。

 答えは、金切り声と火花。

 ようやくリュカは、何者かが一騎討ちに割って入ったことを理解した。

 修羅か羅刹か、その両方か。

 白い蓬髪ほうはつを振り乱す少女が、アシュラムを背後から襲っていた。


「邪魔しないでくれ! って言って聞くお前じゃないよな、クソッ!」


 リュカの戦いは奪われた。

 獰猛どうもうなる美貌の戦士は、幼馴染おさななじみである。

 長身痩躯ちょうしんそうくの肉体は、少女の輪郭に無駄のない筋肉を凝縮させている。両手にそれぞれ握った雌雄一対しゆういっついの武器は、長柄の戦斧バルディッシュだ。恐らく、リュカはその片方ですら持ち上げるのに難儀するだろう。

 防具のたぐいもろくに身につけていない、しなやかな戦意が激昂げきこうに叫ぶ。


「教会の、騎士! リュカは、やらせないぞっ!」

「待て、ミサネッ! 僕はまだやれるんだ、まだ……まだ戦ってるんだ!」


 彼女の名は、ミサネ。

 ナーダと同様、同い年の腐れ縁だ。

 だが、彼女には別の名がある。

 ワコ族の戦士、人間たちが恐れる白邪の象徴。

 アシュラムの顔色が一変した。

 そこには、彼が言う邪悪な悪魔の狂気が感じられた。


「来たかっ、一角獣いっぽんづの! おぞましき狂戦士バーサーカー、我らが仇敵きゅうてきよ!」

「人間は、殺すぞ……リュカたちを、みんなを守るっ!」


 そこはもはや、リュカの割って入れる領域ではなくなっていた。人知を超えたスピードで、双方の刃が入り乱れて飛び交う嵐。その暴風の中で、アシュラムとミサネは際限なく敵意を加速させてゆく。

 達人同士の戦いは、リュカにはっきりと弱さを自覚させた。

 魔族を白邪とさげすみ恐れる人間。

 その中でも、最も恐ろしい戦士を彼らは一角獣と呼んだ。

 白い髪を振り乱して暴れる、怪力無双の女戦士……それがミサネだった。

 苛烈かれつな技の応酬を見やりつつ、リュカは渋々鳥走竜を歩かせる。


「ナーダ、無事か? 立てるならこっちに……って、おい! 人間っ!」


 目の前に今、少女の手を借り立ち上がるナーダの姿があった。

 彼女を支えているのは、あのマヨルだった。

 こうしてみると、アシュラムたちと同じ人間とも思えない。肌は透き通るように白くて、魔族のように青白くもない。髪は漆黒で、大きな瞳も同じ色だった。

 マヨルは驚くナーダに肩を貸しながらリュカを見上げてきた。


きみ、この子の仲間でしょう? 助けてあげて、目が見えないみたいなの」

「言われなくても! ……お前、何者だ」

「わたし? わたしは、真夜マヨル藤崎真夜フジサキマヨル

「フジサキマヨル……さっきの、光の御子ってのはなんだ」


 アシュラムは先程、確かにそう言っていた。

 その言葉には、奇妙な崇拝の念があった。

 人間とは思えぬ風貌の少女は、考え込むように視線を上へと外す。そして、一度大きくうなずいた。


「わたしもよく、わからないの。でもっ、多分、こぉ……平和の使者? みたいな!」

「平和、だと……?」

「そうっ、平和! ねえ、どうして戦争なんかするの?」

「先に攻めてきたのは人間の方だ!」

「アシュラムさんたちも同じこと言ってた……もう、ずっと大昔から、なんだよね?」

「そうだ。僕たちは戦う……一族が代々守ってきた土地を取り返すんだ」


 じっと見詰めてくるマヨルの目が、宵闇よいやみに満ちていた。

 こちらを見ているのに、なにも見てはいないように澱んでいる。

 それでも彼女は、そっとナーダを立たせると、その着衣を軽くはたいてほこりを落とした。

 おずおずとナーダが礼を言うと、マヨルは屈託くったくなくはにかむ。


「あ、ありが、とう……えっと、人間の人? なんだか匂いが、全然違う」

「ううん、気にしないで。ほら、えっと、君! リュカ君、だっけ? 男の子なんだから、しっかりね? このを連れて早く逃げて……もうすぐ騎士団の本隊が来る」


 マヨルの言葉は本当だった。

 すでに陥落した都市からは、幾重いくえにも黒煙が立ち上っている。その奥から、無数の騎馬がひづめを鳴らす揺れが近付いていた。百や二百の軍勢ではない。

 すぐにリュカは、身を乗り出して手を差し伸べた。

 マヨルがナーダの手を握って、そこへと導く。

 片腕で鳥走竜の上に引っ張り上げると、改めて疲労が重くのしかかってきた。


「掴まってろ、ナーダ。よし、ミサネッ! 退くぞ、もういい!」


 手綱たづなを握って風になる。

 その背後に、激闘が遠ざかりつつあった。

 そして、ミサネはアシュラムの一閃を避けた反動で大きく地を蹴る。一足飛びに距離をとった彼女は、そのまま振り向くなり全力疾走で走り出した。

 鳥走竜に乗ったリュカたちに、すぐにミサネが追いついてくる。

 魔族の中でも、彼女の身体能力は突出していた。


「リュカ、無事? 無事だな?」

「ああ、お陰様でな。ナーダも大丈夫だ」

「無茶、駄目。リュカ、危なかったぞ」

「無茶くらいするさ、そりゃ。無理とは思ってないし」

「みんな、心配する。族長も、ナーダも。……あたし、も」

伯父貴おじきが? いや、どうだろうな」


 いつもそうだが、ミサネの声は小さくて、抑揚よくように欠く平坦なものだ。それでも、ボソボソ喋る彼女は全く息を乱していない。

 そういうミサネを人間は勿論もちろん、魔族の大人たちも恐れた。

 そして、リュカやナーダ同様に忌み嫌っている。

 リュカは、ワコ族の族長である伯父が自分を嫌っていることは、毎日身にみて思い知っていた。

 それでも、このあとで報告のために顔を合わせなければいけないだろう。


「光の御子、マヨル……か。最近、やけに人間たちが盛り上がってるのは、あいつが原因なのかもな」


 こうして、後の世に第七次ワスペル戦役と呼ばれる戦いは終わった。

 そして、リュカと仲間たちの奇妙な冒険は、この瞬間からもう始まっているのだった。

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