終わり始めた物語

ながやん

1.プロローグ

白邪と呼ばれる者たち

 いくさの炎が燃え尽きた。

 そのくすぶりを突き抜けて、疾走する影がある。

 少年だ。

 鳥走竜ケッツァまたがり、剣を手に馳せる。手綱たづなさばきは巧みで、転がる死体の影すら踏まない。鋭い眼差まなざしは今、前だけを見詰めていた。

 名は。リュカ。

 人間が白邪はくじゃみ嫌う種族、魔族の男児である。

 彼は振り向く敵兵を見据みすえて剣を振りかぶった。

 あっと言う間に、甲冑姿の大男が迫る。


小童こわっぱめが! 我らが神征軍しんせいぐん、伝説の御子みこを得て敵はないわあ!」


 そびえるような巨漢だ。丁度今、リュカが探している伯父おじくらいの年齢である。鉄の鎧に身を固めた兵士は、両手で槍を振り上げた。

 迷わずリュカも、鋭い切っ先を繰り出す。

 。人間はリュカたちを闇の眷属けんぞく、邪悪な存在だと見ている。この大陸から、完全に消し去ろうとしているのだ。生まれた土地を追われ、暮らしそのものを奪われている、

 死の運命にあらがうように、にぶく輝く剣が歌う。

 金切り声がかぶとを断ち割り、兵士は絶叫を奏でて沈んだ。

 リュカの銀髪を掠めた槍が、あるじの死で背後へと飛び去る。


「クッ、もうこんなに押し込まれて……どこにいるんだ、伯父貴おじき! あんた、族長だろうに!」


 騎上で周囲を見渡し、リュカは舌打ちを零す。

 すでにもう、遠く背後から響く太鼓が退却を告げている。ドンドロと腹に響く、暗鬱あんうつで屈辱的なとどろきだ。その音を追ってくれてればいいが、リュカはなんでも自分の目で確かめないと気が済まない気質たちだった。

 そんな彼の横に、もう一頭の鳥走竜が駆け寄り並ぶ。

 乗り手はリュカと同世代で、よく見れば幼馴染おさななじみの少女だ。同じ十四歳で今日が初陣ういじんである。


「リュカ、退却です」

「わかってる! けど、伯父貴が戻ってないんだ」

「……少々お待ちを。今、聴き分けます」

「できるのか、ナーダ」

「やってみるだけです」


 ナーダは常に目を閉じている。まぶたを開いても光を感じぬ生まれなのだ。それでも、戦となれば参陣するのが氏族のならわしだ。そして、リュカは彼女の並外れた聴覚をとても頼りにしていた。

 見えない音の糸を探して、わずかにナーダが首を巡らせる。

 一房ひとふさに結った白い髪が揺れて、白邪の蔑称べっしょうをリュカに強く思い出させる。人間に敵対する魔族は皆、純白の髪に青白い肌だ。そして、頭部には角がある。

 ナーダも左右にうずを巻くような角が頭から伸びていた。


「この音、東へ二十騎ほどが敗走しています。先頭のガチャガチャうるさいの、多分族長ですね」

「そうか、ならいい。僕たちも引く」

「追って確認してみるのでは?」

「ナーダの耳の方が見えてるからな。それに、ここももう危ない」


 本来、ナーダのような術士は後方からの援護が務めだ。彼女たちは、魔族だけが持つ様々な術を行使する。のろいやうらないもあれば、直接人間を切り刻むものまで無数にある。

 その恐るべき力もまた、人間を一層かたくなにさせていた。

 それはリュカにも理解できるが、共感は微塵みじんも感じなかった。


「よし、本隊に合流する」

「ええ。……この戦も、私たちの負けですね」

「勝てたことなんてないだろ。また一つ、都市が喰われた」

「土地を失った者たちを思うと――ッ!?」


 不意にナーダの鳥走竜が、クェ! と小さく鳴いた。次の瞬間には、ナーダは地面へ放り出される。彼女を振り落とした鳥走竜のひたいには、矢が生えていた。

 同じ殺意の飛来する音に、見もせずリュカは剣を振るう。

 無風の曇天どんてんを切り裂くように、二の矢、三の矢が襲ってきた。


「ナーダ、伏せてろ! すぐに拾う!」


 次々と矢を切り払い、前に出てナーダをかばう。

 人間技ではないと息を飲む兵士たちが、いしゆみを構えたまま固まっていた。元より人間なんかのつもりはないが、ついまた強く意識してしまう。

 そう、リュカは族長のおい、魔族の少年だ。

 そうである以上に、そうあらねばならない者なのだ。

 銀髪に汗が混じって、緊張の連続に呼吸も忘れる。人間は以前から、強力な機械式の弩を使ってくる。友人の話では、人間の騎士が着る鋼鉄の鎧すらも貫通するらしい。

 そうこうしていると、白馬を駆って敵が突出してきた。

 素早くリュカも手綱をたぐる。

 若い男の声は、リュカとは対象的に余裕を滲ませていた。


「ほう? こんな子供が。……妙な髪の色だな。文字通り、毛色が違うか」


 兜の奥から、値踏みするような言葉が投げかけられた。酷く通りがよくて、真っ直ぐ耳に言葉が飛び込んできた。妙な清々すがすがしささえあって、血みどろの戦場に不釣り合いな軽やかさだ。

 全身を鉄で覆った騎士の剣を、リュカもまた剣で迎えて切り結ぶ。

 人間は火を使い、道具を作る。

 リュカたち魔族とて、暮らしや戦いのための発明を重ねてきた。だが、僅か数百年で人間は、魔族の文明社会を脅かすまでに発達したのである。


「言うなよ、いらつく! 僕だって好きでこんな、ッ、くっ! こいつ、強い!」


 鈍色にびいろに輝く鋼の刃が、躊躇ちゅうちょなくリュカの急所を狙ってくる。太刀筋は馬鹿正直だが、それを押し通すだけの力と技が感じられた。それは死の直感でもある。

 リュカは必死で斬撃を受け止め、刺突をさばいた。

 彼の手で、岩盤より研ぎ抜いた石剣が危うく踊る。

 生死を分かつ瞬間の連続で、徐々にリュカの剣筋が乱れていった。握る手が痺れて、感覚が薄れる中で重みだけが増してゆく。

 同時に、相手の騎士からは余裕の笑みが感じられた。

 鼻から抜けるようなそれは、嘲笑ちょうしょうにも似てリュカの神経をひりつかせる。

 だが、その刹那……不意に声が走った。


「もうやめてっ! やめてもいいですよね。えっと……とにかく、やめーっ、です!」


 女の声だ。

 それも、若い……幼いとさえいえる声音だった。

 そして、悲痛な強さが感じられる、芯の通った言葉。濁すように口ごもっても、その決意は真っ直ぐ騎士ごとリュカを貫いた。

 戦場にうごめく視線の全てが、声の主へと吸い込まれる。

 そこには、奇妙な少女が立っていた。

 不意に顔を見せた太陽の、その光の中のモノクローム……色彩をなくしたような白と黒の乙女。白い肌に黒い長髪、そして見慣れぬ着衣を着ている。その胸元に結ばれた布だけが、赤く揺れていた。

 その少女は、周囲を見渡し再度やめてと口にする。

 光を吸い込む黒い瞳が、呆然とするリュカを鏡のように映し出していた。

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