10
女郎たちがするように、夜明け前に正面玄関から柳沢を送り出し、一番の座敷に戻ると野分がいた。乱れた布団や二人分の精の匂いにも動じず、脇息にもたれて直巳を待っていた。
直巳は驚かなかった。きっといるだろうと思っていた。だってまた直巳は手落ちをした。
「好いた男に抱かれるなんて、女郎の最高の幸せだわね。」
歌うように野分が言う。その声も、肌も、仕草も、早朝とは思えないほど透きとおるようにうつくしい。
直巳は黙ったまま、汚れた懐紙やらなにやらを布団の中に突っ込んで隠した。親に情事の後を見られたような気分だった。
「あんた、真澄ともなにかあったでしょう。」
冴えた美貌の花魁は、からかうような調子の底に、冷たい棘を潜ませていた。
直巳はたまらなくなって、一つ年上の女郎の膝元に座り込んだ。
なんで知ってるんですか、とか、俺はどうしたらいいんですか、とか、俺のなにが真澄を傷つけたんですか、とか、いろんな問いがぐるぐる頭を廻ったけれど、出てきたのは自分でも思ってもいなかった台詞だった。
「俺、親不孝なんですよ。」
意味の分からぬ唐突な台詞にも、場数を踏んだベテランの花魁は動じた様子を見せなかった。ただ、膝先で小さくなる女衒の肩を宥めるように叩いてやり、そう、とだけ呟く。その声の冷たさと理性に、溺れる人も同然の直巳は縋る。
「母親がいるんです。母親しか、いない。今は、いるかどうかも分からない。その母親から逃げ出して、俺、ここにいるんです。」
わずかばかりの沈黙の後、野分はふわりと、ほとんど重さを感じさせないトーンで問うた。
「……なんで逃げたの。」
「苦しかった。父親が頸を括って死んで以来。ずうっとうつ病だったんですよ、母は。毎日毎日、殺してくれって言われてた。」
直巳の声には涙の色が徐々に混じり始めていた。少しでも野分の声に重さを感じていたら、多分先を続けることはできなかった。その重さにも押しつぶされるくらいに、直巳は心身ともに随分と弱っていた。
「いつか本当に、殺してしまうんじゃないかって、怖かった。」
そう、と、また野分はそれだけ言った。その声音にもやはり重さはない。そして両腕を静かに伸ばし、冷たい胸の中に直巳の頭をすっかり抱き込んだ。
こんなふうに花魁に触れられるのははじめてだった。直巳は驚くより先になんだか深く安堵して、彼女の気が変わらないようにじっと身体の動きを止める。
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