なにもない、ただ四角いだけの部屋だ。戸口のいかめしい錠だけがまがまがしいが、それ以外は本当になにもない、女郎を2、3人寝かせたらいっぱいになってしまうような、狭い部屋。

 どことなく、血膿の臭いが漂っている気がした。床や壁に貼られた黒い板に、古い臭いがまだしみついているような。

 直巳は戸口の錠をしっかりとおろすと部屋の真ん中に座り込み、不安になるほど軽い少女の身体を膝に乗せた。そして軽く首を傾け、慎重に唇を重ねる。少しでも力加減を間違えたら壊れてしまいそうな、ごく薄い皮膚をしていた。

 「親不孝って、なんで?」

 帯を解きながら、何気なさを装って問うと、切なげに喉を喘がせながら彼女は、もっと早く売られればよかったの、とうわ言じみた言葉を紡ぐ。

 「お金がなかったの。ずっとなかった。もっと早く売られていればお母さんは死ななかったかもしれない。」

 まだろくに膨らんでもいない乳房に手を這わせながら、こすずを買いに行った日のことを思い出す。

 母子二人の家庭だった。母親は病身で、どうにも借金がかさんで娘を売るしかなくなった、と、目にいっぱいの涙を湛えていた。素人目にも分かるほど黄疸が出た身体を引きずるように淹れてくれたお茶は、ひどく薄かった。

 そうか、あの蜉蝣のように痩せていた女は死んだのか、と、直巳は少女の肩に顔を埋めた。

 この小屋よりまだ狭い居室で直巳と向かい合う母親の傍らで、この少女は真っ青な顔をしてじっと俯いていた。

 「……お前のせいじゃないよ。」

 直巳にはそれしか言えなかった。彼女を買ったのは、直巳自身なのだから。

 その直巳がこうしてこすずを抱いているのは、なにか悪い冗談みたいだった。なぜ彼女が自分に抱かれることを望んだのかが分からなかった。恨まれるならまだしも、なぜ。

 「直巳さんも、同じ気がしたの、なんとなく。」

 問うたわけでもないのに、常なら口数の少ない少女はさらに言を重ねた。

 「親不孝同士な気がしたの。……違う?」

 違わないよ、と、直巳は声には出さずに口だけ動かす。彼女の肩に触れた乾いた唇から、多分彼女は直巳の返事を聞きとっていた。けれど、知らないふりをしてくれた。

 勘のいい女だな、と思う。水揚げさえ無事にすめば、きっといい遊女になる。

 そこからは黙って、直巳はか細いこすずの身体を抱いた。水揚げ代と引き換えになる処女膜だけは傷付けないように。

 それから数か月後、こすずは初音と名を変えて水揚げされ、2年も経たない内に晴海楼を代表する花魁になった。

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