独り立ちの祝いに何か欲しいものはあるかと訊いた直巳を、真澄は躊躇うことなく押し倒してきた。狭い真澄の居室だったので、後頭部が壁にかすってひやりとした。

 多分、本気で抵抗すれば拒むことはできた。真澄にも、無理強いまでする気はなかったはずだ、彼の性格なら、直巳はよく知っている。

 それでも拒まなかったのは、はじめてではなかったからだろう。数年前にもう、男を知っていたから。

 諦めと呆れを半々くらいに浮かべる直巳の顔を、真澄はじっと見つめていた。師弟みたいな関係になってもう長いが、はじめて見るこの男の真剣な表情だった。

 「俺、柳沢雪保じゃないですよ。」

 確かに真澄はそう言った。確認するみたいに、直巳の耳元で。

 なんで知ってるんだ、と、直巳は呻いた。押し倒された時の100倍動揺していた。

 その問いに、真澄は答えなかった。

 答えないまま、俺、柳沢雪保じゃないですよ、と繰り返した。直巳が明確な返答をするまで許す気はないようだった。彼の顔つきも、押し倒した時の100倍思いつめていた、

 だから直巳は返事ができなかった。分かっている、と答えたらそれはもう、この男の全てを受け入れるという意味に等しくなるのではないかと思って。

 「いいんですか?」

 「いいわけないだろう。」

 「いいんですね。」

 全然言葉が通じていなかった。

 もとより何事にもやる気を感じさせず、そもそもやる気どころか日常生活でも覇気を感じさせない、人間というよりは日陰にひょろりと育つ植物みたいな男の呼気が熱いことが、なんだか不思議だった。この男にも性欲はあったのか、と、半ば感心してしまった。

 感心している内に、着物を剥かれた。

 焦っているみたいな手つきで、両襟をつかんで無理やりぐいと広げら、焦れたように帯を解かれた。

 「止めろとか、言わなくていいんですか。」

 「言ったら止めんのかお前。」

 「そうじゃないですけど。」

 そうじゃないけど、寂しい、と、確かに真澄はそう言った。

 「俺のことなんてどうでもいいみたいで、寂しい。」

 この常に飄々とした男にそんな感情があったのかと、また驚きながら直巳は、なんだか申し訳なくなってきてしまった。

 真澄が真剣なら真剣なほど、申し訳なさは増していった。

 「柳沢雪保のとこに、直巳さんだけ置いて帰ったこと、ずっと後悔してました。」

 その言葉が、多分とどめだった。直巳は抵抗せず、着物の袖から腕を抜いた。申し訳なさだけが理由だぞ、と、それは行為の後に伝えればいいだろう、と頭の片隅で考えながら。

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