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「親父なら、来ないよ。」
直巳が戻るとすぐに、茶屋の息子はどうでもよさそうにそれだけ言った。
「……お伝えはしましたよ。ここにいらっしゃると。」
「来ないよ。」
そう断言されてしまうと、直巳にはもう継ぐ言葉がない。なぜ、と問うのは深入りのしすぎだろうし、たかが安女郎のために身投げをする跡取り息子など、できそこないもいいところなのは確かだ。
「……湯でも、使いますか?」
だから直巳は話題を逸らし、脱がせたまま布団の側に放置してある茶屋の息子の衣類をちらりと見やる。
「その間に、私が服を洗っておきましょう。乾燥機もありますから、すぐ着てお帰りいただけますよ。」
男には今、手代の浴衣を着せてはいるのだが、線が細くとも背が高い男だ、袖や裾が短すぎる。貸してやるからそのまま帰れというのも酷だし、何より太い客のご子息である。
男はちょっと笑って、そうするよ、と言った。
直巳はなぜだか妙に安心しながら、部屋風呂の襖を開ける。襖を開けた先はすぐに脱衣所で、もう一つ曇り硝子が嵌ったスチールのドアを開けると風呂場だ。風呂場は一応純和風を模した造りになっているのだが、ドアの素材と湯沸かし器だけはご愛嬌である。
直巳は男を風呂場に送り出すと短い息をつき、雑に畳んであった衣類を広げる。紺地の着物はびしょ濡れではあるが、目立つ汚れはない。洗濯機で洗えないタイプの着物だったら面倒だな、と思ったが、内側についているタグを見たところ、丸洗いも乾燥機も問題はなさそうだった。
部屋を出て、一階奥の厨房の隣、従業員用の洗濯機に着物と洗剤をぶち込む。
そして直巳は苦笑とともに、野分花魁の『傑作』という言葉を思い出していた。
野分花魁は、直巳の女衒稼業上の師にあたる男の『傑作』である。彼女が存在する限り、師は一流の女衒で通るし、彼女の稼ぎから入るマージンで食ってもいける。そういう女が、女衒にとっての『傑作』だ。師には何人かそのような女がいたが、直巳にはまだ一人だけ、空蝉がいるだけである。
女衒稼業に足を突っ込んだとき、直巳はまだ十代だった。師から晴海楼の野分花魁を最高傑作として紹介されたとき、直巳は自分にこんな稼業は務まらないと確信した。
『初めまして。野分です。』
花魁は当たり障りのない挨拶をして、簪も重たげに会釈をしただけだった。しかし直巳は、その女の美しさに圧倒され、会釈を返すことさえままならなかった。こんな女をどこから見つけてくればいいのだ、と混乱したのだ。
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