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今の直巳には、空蝉がいる。晴海楼の花魁、絶世の美女、直巳の『傑作』。
始めて直巳が彼女に会ったとき、空蝉はまだ14歳の少女だった。今から10年ほど前の話である。彼女の父親から連絡を受けた直巳がわざわざ買い付けに足を運んだ、日本海に面した小さな漁村で。
一目見た感想は、12歳くらいの少年、であった。
痩せて真っ黒に日焼けした身体が彼女をやんちゃな少年に見せたのだ。
晴海楼に連れてこられた空蝉を見て、野分花魁などケラケラ笑いながら、泥つき牛蒡、などとのたまった。それくらい、どこもかしこも黒くて細かったのである。今の白くふっくらとした体つきからは想像もつかないくらいに。
物思いにふけっている間に洗濯は終わり、乾燥機に着物を放り込む。
あの男が飛び込みなどしなければ、今頃は真澄と一杯ひっかけて帰ってごろ寝しているところだと思うと、さすがに苛々してきたので、手つきはいくらか乱暴になった。
空蝉の客は今晩誰だっただろうか。時間にうるさい男でなければいいが……。
そんなことを考えながら、乾燥機に寄りかかって目を閉じ、なんとか少しでも今日の疲れを取ろうとしていると、つんつんと遠慮なく袖を引かれた。
仕方なしに目を開けると、胸と胸がぶつかりそうなほど近くに空蝉が立っている。
着物はすっかり着がえているが、髪結いは時間がかかるからだろう、長い黒髪を一纏めに結い上げて簪で留めている。そのそっけない髪型は、彼女の爽やかな美しさによく似合った。いつものつぶし島田より似合っているくらいだ。
「直さん、さっきの男の人は?」
「今、湯に入っている。」
そう、と、空蝉は安心したように肩を下げた。
「お父様はなんて?」
「さあ。野分花魁に伝言を頼んだんだが、あの息子が言うには、親父は来ないらしい。」
「……そう。」
空蝉の返事には若干の時間が空いた。父親と子どもの組み合わせには、花魁も少々の思い入れがあるのだろう。ここに売られてくるまで、彼女は漁師の父親と2人暮らしだった。
「お前こそ、客は大丈夫だったのか?」
「大丈夫よ。おなじみさんだし、渋いこと言うような人じゃないわ。」
そうこうしている内に、お急ぎモードの乾燥機がピーピーと鳴きはじめる。直巳は紺色の着物を取り出し、深緑の帯と一緒に腕にかけた。
「洗濯機で洗えるのはいいけど、安ものね。」
花魁の白い指が、着物の生地の上をなめらかに滑る。
買っていた女郎も安物だった。親子仲は、よくないのかもしれない。
直巳はそう思ったが口には出さなかった。直巳自身も、親と子の関係については、少々含みがあるのである。
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