第7話 もどかしいほどの想い
待ち合わせた乗り継ぎ駅の駅前から、歩いてすぐの場所にある石窯で焼くピザで有名なイタリアンレストランで食事をした。
週半ばの木曜日。
週末を前に、店は仕事帰りの会社員やカップルで大いに賑わっていた。
喧噪を避けるように、半個室のスペースでゆっくりと焼きたてのピザを味わう。
暮羽には、白ワインとフルーツワインを勧めた。
少しアルコールが入った方が口が軽くなるし、気も楽になる。
口コミを信じて予約した店だが、本格的なピザは暮羽を笑顔にさせた。
とろとろのチーズを頬張りながら、久しぶりの穏やかな笑顔が見られてホッとする。
「打ち合わせとかで使うお店なんですか?」
「いや・・会社関係で使ったことは無いなぁ。接待なんかに使うにはカジュアルすぎるし。あ、和食とかの方が良かった?」
空になった暮羽のグラスにボトルのワインを注ぎながら尋ねる。
実はここともう一件迷った店があったのだ。
静かな和食よりも、賑やかな店の方が話しやすいかと思って選んだ店だった。
もっと率直に言えば、女性を口説くにはあまり向かない店だ。
「ピザ大好きなんで嬉しいです。あ、和食も好きですよ」
「じゃあ、次は和食にしようか」
「え・・・催促してるみたいですか?」
困ったような顔で暮羽が言ってきて、思わず飲みかけたワインを吹き出しそうになるのを直純は必死にこらえる。
気安い誘い文句のつもりだったのだが、生真面目な彼女は斜め上に受け取ったらしい。
「そんなことないよ。ただ、食べさせてあげたいなと思っただけ」
「・・・・気・・・使わせてます?」
「・・・気は使ってないよ。気にはしたけど・・・何かあった?」
この流れならいけそうかな?と踏んで投げた問いかけに、早急すぎたかなと慌てて付け加える。
「もちろん、言える範囲で」
★★★★★★
暮羽は一口飲んだワイングラスをテーブルに戻して視線を少し彷徨わせた。
落ち着かせるように、髪を耳に掛け直す。
間接照明の下で見るその仕草が、不思議なくらい色っぽくて目が離せない。
ぶら下がりの小さなピアスが耳元で揺れた。
同じようにこちらの心の振り子も揺れる。
ああ、惹かれているんだなと、そんなところで自分の感情を再確認して、やっぱり和食にするべきだったのかもしれないと、少しだけ後悔した。
「・・・ちょうど、相良さんとエレベーターで鉢合わせする直前に・・2年間の片思いが終わったんです」
テーブルに視線を落としたままの告白に、なるほどと腑に落ちると同時に、やっぱりこの店で良かったと思った。
失恋直後にずかずかとその心に踏み込めるほどの無神経さは持ち合わせていない。
「告白したの?」
決定的な失恋だったのか知りたくて、質問した。
「する前に、ふられちゃいました。絶対敵わないって断言できる、素敵な人を見つけて一目散に走って行っちゃったから・・あたしの事なんて、見向きもしないで」
「・・・それで・・」
「結構前から覚悟は出来てたんです。グズグズして、終わりを先延ばしにしてただけで・・・でも・・やっぱり決定打はきつくって。場所もわきまえず、泣いちゃいました。すいません」
暮羽は唇を持ち上げて笑った。
聞きたいのは謝罪の言葉ではなかった。
かといって、お礼でもなかった。
「なんで謝るかなぁ・・・そういう状況なら・・色々納得した」
恋焦がれた相手に思いが届かない事に傷ついて、あんなに泣けるくらい好きだったのだ。
その男が心底羨ましくて恨めしい。
「え・・・だって一番迷惑を被った人が目の前にいるのに・・・当然謝りますよ・・」
「確かに驚いたけど・・・・で、もう泣きつくした?そっちの方が心配だな。あの感じだと結構引きずるような気がするけど・・?」
「大丈夫です。仕事とプライベートはきちんと分けなきゃ」
「ほんとに?」
「はい」
これ以上の問答はしたくないと、きっぱり言い切ったその声が告げている。
背もたれから身を起こして覗き込んだ暮羽の目は、やっぱり赤い。
「北村さんが、よく言ってたよ。松見は無理そうなことほど、すぐに返事をするって。そうでもないことには、何かと文句言うのにって」
社内便締め切り時間のギリギリに飛び込んできた出荷依頼を投げても、二つ返事でやります!と返ってくる。
北村の機微をしっかり把握して、その上で無理を飲んで対応するだけの度量もある。
彼女があからさまに文句を言う時は、北村が暮羽を揶揄い過ぎた場合のみだ。
「え!もう課長失礼すぎ!」
「でも、言われたことはきちんとこなすって。めちゃくちゃ褒めてたよ。あの人が、手放しで褒めるのなんて松見位のもんだよ」
確かに仕事に対しては厳しい面もある男だが、部下を見る目にはいつも愛情が溢れている。
そして、北村は適当な軽口は叩いても、決して嘘は言わない。
「・・・課長は・・・持ち上げるのうまいですから。本気にしないで下さいねー」
★★★★★★
大丈夫だと思って口にしたのに、やっぱり話の途中で潤んできた視界。
暮羽は膝の上で握り締めていた手を解いて、手汗をハンカチでそっと拭った。
しっかりして、こんなとこで泣いたらだめ。
今日はお礼とお詫びの目的でここまで来たのだ。
これ以上彼に甘えるわけにはいかない。
虚しさも寂しさも、どうにかすると自分で決めたんだから。
「適当に人を褒めたりしない人だよ。育ててもらった俺が一番知ってる」
「慰めですか?」
「事実だよ」
「・・・・・じゃあ素直に受け取っておきます」
「それがいいよ。・・・それに・・・ひとりで泣かない方がいい」
「もう泣きませんってば」
こちらの心を読んだかのような直純の言葉に、また涙腺が潤んでくる。
もうこの人わざと泣かせようとしてるのかしら。
さすがに今日も慰めて貰うわけにはいかない。
唇を引き結んだ暮羽を前に、直純は呆れたように溜息をついた。
「松見って結構、強情だなぁ」
意外そうな顔で告げられた感想に、どうしようか迷って苦笑いを零した。
強情じゃありません!とこの場で憤っても無駄だろうし。
「強情ですいません・・・・」
「対処方法は分かったから、遠慮なく泣いていいよ」
「・・・・・」
向けられた一言は、慰めでも、励ましでもなくて。
思わずぽかんと口を開けて、目の前の直純を見つめ返す。
なんでそんなこと言われるのか分からない。
本当は、言いたいことがいっぱいあった。
励ましたいんですか?
けなしたいんですか?
優しいんですか?
そうじゃないんですか?
もう、自分の気持ちだけでも抱えきれなくて誰かの気持ちを組む余裕なんてこれっぽっちも無い。
必死に平気な顔をして、いつもより高めのヒールで、いつもよりタイトな服装で、この気持ちが綺麗に流されて遠くへ行くまでどうにか堪えようとしているのに。
もっと、もっと、強くならなきゃ。
失恋なんて、傷じゃないの。
こんなことで泣いたりしない。
そう・・・泣いたりしない。
零れるな、涙。
それなのに、直純はあっさり暮羽の心を肯定してしまった。
ここで泣いてもいいよとか言わないで。
あたしのことどうしたいんですか?
喉元までせりあがって来た質問は、涙の渦に飲み込まれてすぐに消えてなくなってしまった。
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