第6話 それが、はじまり?

次の営業先で使う予定だという直純が選んだ商品を何点か梱包して、伝票の用意をする。


藤木とのおしゃべりは、北村からの伝票用意してくれーの呼び声によって中断してしまった。


残念そうな藤木とは裏腹に、暮羽はほっと胸をなでおろす。


恋、とか当分は考えたくない。



商品を入れる紙袋を取りに行くために席を外した暮羽が戻ってくると、藤木が直純と話し込んでいた。


大体話の内容が想像出来て、触らぬ神に祟りなしと、横を素通りしようとすれば。


「ね、私のイチオシなのよ、この子。良い子でしょ。相良くん、どう?」


聞こえてきたセリフに、ぎょっとなって目を剥いた。


なに勝手なこと言ってるのよ!藤木さんのばか!!


「もう!冗談はやめてくださいってば!相良さん困ってますし!」


直純は、暮羽が勢いよく差し出した紙袋を受け取ってメガネの奥の目で細めて、苦笑交じりに告げる。


「良い子なのは知ってますよ」


「相良さんも!そんなフォローいいですから!」


慰めにもならない。


良い子は、どこにでもいる。


良い子はみんなに紛れてしまうから、見つけ出しては貰えない。


あたしは、あたしだけを見てほしいのに。



★★★★★★



真っ赤になって必死に言い返した暮羽を眺めながら、直純は改めて松見暮羽という事務員について考えてみた。


上司の信頼も厚く、能力は申し分ない。気も利くし、融通も利くし、いつだって穏やかな笑顔で直純を迎えてくれる。


そう思った矢先、脳裏に暮羽の泣き顔が浮かんだ。


いつも穏やかな彼女に、何があったんだろう?


ひとりで、なにか悩んでいるんだろうか?


ここ数年の彼女を知る限り、プライベートを会社に持ち込むような子じゃない。


それは、北村の暮羽に対する信頼を見てもわかる。


そんな彼女が、子供みたいにしゃがみ込んで泣きだすほど、余程辛い出来事があったのだ。


興味が大半を占めていた胸の中に、別の感情が生まれてざわめき出す。


これが、確かなものなのか、早急に確かめたくなった。


直純は、紙袋を開けて中を確認してから、こちらを見上げる暮羽の方を見て言った。


「これ、伝票足りなくないか?」


「え・・?」


慌てて中を確認しようと覗きこむ暮羽の耳元でささやく。


「お礼のコーヒーはいいから、今度夕飯食べに行こうか」


「え?」


驚いて直純を見上げる彼女の横に手を伸ばして、置きっぱなしの伝票を机から取り上げる。


「メールするよ」




★★★★★★




ノートパソコンの液晶画面に表示されたメッセンジャーが、メールが届いたことを告げる。


暮羽は驚いて、次にあたりを見回して誰もいないことを確認してからメールを開く。


もちろん、誰も覗きこんだりするはずないのだが、なんとなく、落ち着かない。


社内の恋愛事情にとにかく敏感な藤木は給湯室にお茶を入れに行っている。


よかった・・・


画面に表示されたメールの文章に視線を移す。


たった一行の短い内容。


これは・・・・アドレス・・・?メールしてきて・・・ってこと?


あの日以来、直純と会うのは初めてだった。


暮羽の酷い取り乱しようを見てしまったから、気にかけてくれたのだ。


藤木のニヤニヤ顔がふいに頭を過ったが、違う違うと否定する。


違うから、そんなんじゃない。あるわけない。


戦線離脱を決めた後の心は、凪いだり、荒ぶったりと忙しい。


瞬はあれから早速友世と連絡先を交換して、ちょくちょく部署にも顔を出しては距離を縮めているらしい。


纏まるのはきっと時間の問題だろう。


直純のメールアドレスをぼんやりと眺めながら、結局誰にもこの気持ちを打ち明けられないまま片思いが終わってしまった事に今更気づいた。


最近外食していないし、あの状況を見られた後の直純を前に、今更必死に肩肘張る必要もない。


もし食事に行ったら、良い気晴らしになるかもしれない。


改めてきちんとお礼も伝えたいし。


これが社交辞令でまた今度、でも全く構わない。


自分の中で答えが出たら、迷わなかった。


お気に入りのメモにアドレスを書きとめて席を立つ。


直純からのメッセンジャーは削除してしまったので大丈夫だ。




★★★★★★



営業先との打ち合わせを終えて、車に戻るとスマホが光っていた。


直純はシートベルトに伸ばした手の行き先を変更して助手席に放り出されたそれを取り上げる。


メールだ。


相手はすぐに分かった。


きっと、あれからすぐに送ったんだろう。


暮羽の真面目な顔を思い出す。


こういう子なんだよな・・・


メールを開くと、見慣れないアドレス。


”松見です。先日は本当にありがとうございました。逆に気を遣わせてしまって申し訳ないです”


暮羽の性格が表れたようなメールだった。


直純は、ちょっと考えてから返信メールを起動させる。


最初は、仲の良い上司のお気に入りの部下だから悩んでいるなら相談に乗ってやりたいと思った。


けれど、その気持ちはいつの間にか、彼女自身への興味に代わっていた。


どうして泣いていたのか?


何が悲しかったのか?


自分に出来ることはあるのか?


とにかく、暮羽の言葉を聞きたいと思った。


他の誰かからじゃなく、暮羽の言葉で聞きたいと思った。


そして今は、純粋にあの子に会いたいと思っている。


”話ならいくらでも聞くし、妙な追及はしないから、安心していいよ。週末までで、早めに上がれる日ある?”



★★★★★★



届いたメールに給湯室で途方にくれてしまう。


逃げ道を塞がれてしまった感じがした。


また今度、で流れる可能性が実のところ40パーセントほどあったのだが。


追及しないと言っているのに、食事を断ったら間違いなく心証に悪い。


直純とは、これからも仕事上でしょっちゅう顔を合わせるのだ。


上手く対応しなくてはいけない。


「何かあったの?言ってみなよ」


瞬なら間違いなくこう訊くだろう。


「話せるなら、いくらでも聞くよ」


そんな風に言われたのは初めてだった。


瞬ほど近い距離ではなくて、だけど、遠すぎるというわけでもない。


思えば、暮羽にとって異性の基準はいつからか全て瞬になっていた。


だから、ほかの切り口で投げられた言葉への対応が分からない。


額面通りに受け取るならば、暮羽が切り出せば直純は誠実に話を聞いてくれるだろう。


暮羽が黙ったままならば、彼はそれ以上聞き出そうとはしないだろう。


委ねられた選択肢。


選ぶのは、他でもない自分自身。




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