第3話 運命ならきっと
「こないだ、橘さんだっけ?が倒れた時に側に居た人って川上さん?」
どうにかスケジュールが合わせられた木曜日の定時後。
待ち合わせたカフェにやってくるなり、いきなり瞬に尋ねられた。
飛び出した名前は確かに暮羽の茶道部の先輩のもので。
とても、よく知っている名前ではあったけれど。
貧血を起こした茶道部の先輩、橘舞に付き添っていたのは、舞の同期である川上友世と、暮羽の二人だった。
「なんで?」
「こないだ、ニ次会の資料持って行ったらその人が居て受け取ってくれたから」
いつもと違う瞬の雰囲気に、暮羽の脳裏を嫌な予感が過ぎった。
「・・・感じいい人でしょ?すごくお世話になってる先輩なの。川上友世(かわかみともよ)さん」
「ああ・・うん。向こうも暮羽ちゃん可愛がってる感じだったよ」
鷹揚に頷いてブレンドコーヒーを口に運ぶ笑みは、気になる相手を見つけた時のそれ。
気づいてしまった自分が悔しい。
彼の視線が向かう先ばかりを追いかけていたからこんな事になったのだ。
違う、そんなこと訊きたいんじゃ無いでしょ?
こちらの出方を窺うような眼で、暮羽を見つめる瞬。
訊きたいことは大体わかったが、それをあっさりと口にしてやるのは悔しくて、無言のままカフェオレを飲んだ。
友世のプライベートな情報は大体は知っている。
当然、彼氏の有無も含めて。
黙り込んだ暮羽の表情を確かめるように頬杖をついた瞬がポツリと言った。
「・・・今度、抹茶飲みに行こうかな」
その言葉に暮羽は目を見張る。
やっぱり。
突きつけられた決定打にぎゅっと胸が苦しくなる。
こみあげて来たのはやるせなさと、憤り。
「やめてよ。また騒がしくなったら友世さんにも迷惑かかるから」
「俺が、あの人に近づくと、まずいの?」
「・・・まずいわよ。瞬君が茶道部に来るってだけで、一気に部員が増えて、来ないって分かったらみんな辞めていくの。友世さんと、舞さんは、ずっと茶道を好きで続けてきた人なの。瞬君のせいで、台無しにされたくない」
「何か怒ってる?」
「え?」
「部活のこともだけど、それ以外でなんか怒ってるんじゃないの?」
心臓が跳ねた。
嫉妬心に気づかれたのかと思った。
友世さんに近づかないでほしいのは、もっと別の理由があるから。
お願い、気付かないで。
祈るような気持で慎重に唇を開く。
「こないだも、瞬君目当ての子が部活に来なくなったのよ」
「・・・それだけ?」
「そうよ。おかげでうちは万年部員不足。お抹茶飲みたいなら、啓君の新居に行った時にでも嫌ってほど飲ませてあげるわ」
話はこれでお終いと、と本題の資料に視線を落とす。
即座に話題を切り替えた暮羽に、それ以上瞬が言及することは無かった。
ホームページを見ていた時から気になっていた店を第一候補に決定して、実際にお店を見に行く事にする。
営業と商品部は、展示会準備が始まるとそれぞれ時期がずれて忙しくなる。
その前に何とか都合を付けようと話し合い、本日の打ち合わせは終了。
随分日が長くなったものの、午後8時過ぎの街はすっかり夜の顔だ。
並んで駅まで歩きながら、たわいもない会話の合間に、瞬がちらりと暮羽を見下ろして笑った。
「暮羽ちゃん・・・・俺が唯一、啓と似てるとこってどこか知ってる?」
唐突に尋ねられて怪訝な表情で黙りこむ。
答えを求めていたわけではなかったようで、瞬はまっすぐに暮羽の目を見て答えを口にした。
★★★★★★
「暮ちゃん!お疲れ様ぁ」
定時間際のガラガラの休憩室で声をかけられて、暮羽は飛び上らんばかりに驚いた。
振り向いた先に居たのは、総務部の高嶺の花と謳われている美人社員。
総務部を取り仕切るお局様に大事に大事に育てられた彼女は、志堂の女守護神の一人と呼ばれている辻佳織の鉄壁の守護によって、まだ誰のものにもなっていない。
今のところは、だが。
「とっ・・・友世さ・・・」
よりによって、今一番会いたくない人に・・・
苦みが走った表情をすぐさましまい込んで、どうにか笑顔を浮かべる。
福利厚生に力を入れている志堂は、自社ビル内のそこかしこに休憩スペースを設けている。
仮眠が取れる個室や、ミーティングにも使えるフリースペース。
そして、ジュースやカップ麺の自販機がずらりと並んだ食堂横の休憩室。
これだけ沢山の休憩場所があるのに、よりによってここで顔を合わせるなんて。
瞬の反応を受けて、自分の気持ちの整理をまだ付けられていなかった。
「どうしたの?具合悪い?」
心配そうな顔でこちらを覗き込んでくる友世に必死で笑みを深くする。
不信感を抱かせてはいけない。
「大丈夫です!ちょっと、出荷多くて疲れちゃって・・」
「そう?あんまり無理しないでね・・・・今週先生お見えになるけど、体調悪いならお休みしていいから」
優しく暮羽の肩に触れる細い手首に巻かれたブレスレットがきらりと光る。
小首を傾げるその姿は、まるでモデルさながらで思わず魅入ってしまいそうになる。
すらりと伸びた足で街を闊歩すれば振り向かない人はいないのではないだろうか?
けれど、そんな見た目と裏腹に、気さくで少し抜けたところのある彼女だから暮羽も気遅れすることなく付き合えるのだ。
人柄も、見た目も何もかも完璧。
彼女が瞬の隣に並ぶ未来が容易に想像出来た。
間違いない。きっと悔しいくらいにお似合いのカップルだろう。
笑顔でお礼を口にしようとした暮羽の言葉よりも先に、別の男の声が割って入った。
「暮羽ちゃんが不参加なら、俺がお邪魔しますよ」
図ったかのようなタイミングで現れた瞬に、友世と暮羽が揃って目を丸くする。
「瞬君!」
「あ、あなた・・・」
「こないだはどうも・・・営業1課の大久保です」
暮羽の咎める視線をするりと避けて、一歩前に出て自己紹介をする瞬。
彼が部室に来る目的は、暮羽と会うためだけだったので、友世とまともに会話するのは今回が初めてのようだ。
「暮羽ちゃんから話は聞いてたけど、やっぱり噂通りの人なのね」
「噂ってなんです?気になるな。悪い噂じゃないといいんだけど」
「志堂の女の子は、みんな一度はあなたの事好きになるみたいよ」
「へえ・・例外なく?」
「多分ね・・だからいっつも暮ちゃんが迷惑そうにしてるもの、ね?」
友世が困り顔で暮羽を見つめて来た。
その横顔をつぶさに見つめる瞬込みで認識してしまい、胸が軋んだ。
一度たりとて暮羽に向けられたことのない熱視線。
覚悟はしていた。
やっぱり、本気だったんだ。
遊びなんかじゃない。
今度こそ、本気なんだ。
『欲しいと思ったものは、絶対手に入れる。俺も、実は啓並みにしぶといよ?』
あの時の言葉は嘘じゃなかった。
瞬が決めてしまった以上、自分に出来ることは何もない。
宣戦布告さえしないままで、あまりにもあっけなく。
2年間の片思いは終わってしまった。
話し始めたふたりを残して、仕事を理由にその場を抜けた暮羽は到着したばかりのエレベーターに乗り込んだ。
背中でドアが閉まる音と共に、瞼を下ろす。
堪えていた涙がこぼれてきた。
もう、立っていられなかった。
言葉に出来なくても、失恋って痛いもんだ。
伝えれば良かったのか、それともこれでよかったのか。
ただ分かることは、どうしようもなく悲しいこと。
「・・・っ・・・」
誰もいなくて良かった。
しゃがみ込むと同時に誰もいないはずの空間から声がした。
「大丈夫?」
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