第2話 悲劇と幸運

高校時代からの親友である葵と、長年交際していた彼の結婚が決まった。


2人には長い長い春だった。


16歳で出会ってから、8年後にプロポーズ。


25歳で葵は、和田葵になる。


ひまわりの季節に結婚しようという彼の言葉は葵をとても喜ばせた。


彼いわく、バスケ仲間だった先輩カップルのゲンを担いだプロポーズらしい。



定例の女子会で報告を受けた時には、三人組のもう一人、佳苗とまるで自分の事のように泣きながら喜んだものだ。


ずっと二人の事を見て来たので、気持ちは母親のような姉のようなものである。


それと同時に、ずっと一緒に居た友達が、一足先に新しい人生の幕開けを迎えた事がほんのちょっと羨ましい。


結婚どころか、無謀な片思いを続けている暮羽には、当分叶えられそうにない未来だ。



8月に決まった挙式に向けて、暮羽と、新郎の親友である瞬は準備に明け暮れることになった。


共通の友人である佳苗はニ次会の司会を買って出てたので、その他の細々した準備は必然的にふたりの仕事になったのだ。




「ちょうどおんなじ会社だし、昼休みとかに打ち合わせ出来て便利よね」


暮羽の気持ちを知らない佳苗はあっさり言って笑っていたが。


嬉しい反面、複雑でもあった。


葵と同じく、学生時代に年上の先輩と付き合い始めた佳苗は、現在も円満な交際を続けており、そんな彼女や、葵には、自分の本心は打ち明ける事が出来なかった。


学生時代から、女性関係が華やかだった瞬の交際遍歴はなかなかのもので、お世辞にも真剣なお付き合いをするに相応しい相手ではなかったので。


それでも、好きになれば、一緒にいる時間が増えれば増えるだけ気持ちは増長していく。


望むと望まざるとに拘わらず。


少しも自分が映らない相手の前で、平静を装うのはなかなか大変なのだ。


気持ちをおくびにも出さず、ただの友達の顔でこの2年間過ごしてきた。


報われないことを知ってても。


終われなくても結べなくても。


片思いでも構わなかった。



高校の時はただの友達だった。


葵を追いかけていた男の子のバスケの相方で。


単純に、話しやすい子だな。


それだけだったのに。


いつの間にか、好きになっていた。



本社で行われる、月一回の月次会議で偶然再会して。


けれど、その時も懐かしかっただけで。


「暮羽ちゃん」


数年ぶりに呼ばれた名前にいつからドキドキするようになったのか?



思い出そうとしても分からない。


けれど、再会してから1年後の春には。


この気持ちは”友達”じゃなくなっていた。



そして、それと同時に、決して届かないことも


ちゃんと、分かっていた。





好きになったら、好きになって貰えるわけじゃない。


好きになって貰えなくて、それでも、好きになる意味はある。


会えるだけで嬉しくなったり、内線が鳴るたびドキドキしたり。


そんな些細なことでさえ、一喜一憂した。


そして、彼に決して気付かれないように。


でも、2年経って思う。


見込みがないなら、いい加減にあきらめなきゃ。


彼が付き合う女性と別れるたびに、心配する素振りを見せながら、心のどこかでほっとする自分が居た。




このまま、ずっと彼を好きでいたら届くかもしれない。


けれど、同時に思う。


このまま、ずっと好きでいても決して届かない。


彼の中で明確に線引きされた友達のボーダーラインは、暮羽を向こう側へは絶対に通してはくれない。


諦めた方がいい。


まだ好きでいていいよ。



どんなに悩んでも答えは出ない。


会えば、嬉しくて、不安も薄れていく。


でも、消えはしない。


いつも心に引っかかる。


彼が、いつか本当の恋に落ちたら?


心から欲しいと思える素敵な人に出会ったら?


そうしたら、この無謀とも言える2年の片思いを終わらせることができるんだろうか?



★★★★★★




「松見さーん、2番電話よー」


先輩社員の声に、伝票を打ち込む手を止める。


残り数行打ち込んでからのタイミングが嬉しかったが仕方ない。


梱包した商品を社内便に乗せるまでの残り時間を考えながら、ランプの光る番号を押すと、聞きなれた声がした。


「お疲れー」


「瞬君・・・どうしたの?」


ニ次会のお店を何店舗か選んだという彼からの報告に、お礼を言って、早々にお店の企画カタログを見ながら打ち合わせをすることにした。


とはいえ、高校生の頃のように、今日の今日というわけにはいかない。


まだ本日中に処理しなくてはいけない伝票も沢山あるし、在庫集計もしなくてはいけない。


終業時間が読めなかった。


「確実に残業なの。申し訳ないけど、資料だけ預かる形でもいい?確認して、またこっちから連絡するから」


「ああ、いいよ。ちょうどコーヒー買いに上に上がる予定だったから、ついでに部室に置いて行く」


「ありがとう。カギ掛かってたら格子の隙間から放り込んでおいてくれたらいいから」


茶道部の部室の入り口は格子引き戸になっており、ちょっとした荷物ならその隙間から中に入れられるようになっていた。


「了解。忙しそうだね」


「週末にかけていつもこうだから仕方ないわ」


「そっか、ほどほどに頑張れ。こないだの、先輩みたいに倒れるなよ?」


瞬の言葉に、つい先日貧血を起こして倒れた茶道部の先輩を思い出す。


連絡を受けて迎えにやってきた優しい旦那様に抱えられるようにして帰宅して行った彼女は、終始謝罪とお礼を繰り返していた。


具合の悪い舞を大事そうに支える夫の姿は誠実さと慈愛に満ちていて、うっとりしてしまったのは内緒だ。


「倒れたって迎えに来てくれる人はいないし。ちゃんと自分で帰りますー」


「だーいじょうぶ、何かあったら送ってやるって」


いつものように気のいい返事が返ってきた。


こういう所が憎めないし、モテる理由でもある。


瞬は基本的に人に優しい。知り合いには特に。


「はいはい、ありがとう。その時は遠慮なくお願いしますね」


「同級生のよしみで助けるからさ。・・じゃあ、資料見たらまた連絡して。俺もバタバタしてるから、来週アタマには決めたいんだ」


「うん。なるべく早く連絡するね」



こうして、いつも通りの定期連絡を終えて暮羽は受話器を置いた。


こんな事務連絡のような電話ですら嬉しくなって、その後のタイピングスピードが上がってしまうのだから恋心というのは凄い。


予定通り1時間程の残業になり、部室に行った時には当然部屋は空っぽ。


格子引き戸入ってすぐのタイルの床に放り出されているかと思っていた資料は何故か和室の畳の上にきちんと置かれていた。


誰かにことづけてくれたのかな?


疑問に思いながらも、届けて貰った資料をカバンに入れて、外に出て合鍵を使って鍵を掛ける。


瞬目当ての女の子と、彼が鉢合わせしていないとも限らない。


また、余計な女の子が骨抜きにされてないといいけど・・・・


チラリと後輩の顔が浮かんだが、すぐに打ち消す。


あの子はきっとここにはもう来ていないはずだ。


瞬目当てで入部した社員は、見込み無しと分かればあっという間に消えていく。


いつものことだったから。



だから、彼が恋に落ちるなんて思いもしなかったのだ。


それも、たった数分間で。

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