例えばこんな至上恋愛
宇月朋花
本編
第1話 突然、決定打
株式会社 志堂。
神戸の老舗宝飾品メーカーとして名が知られている優良企業は、福利厚生が手厚いことでも有名だ。
堅実な経営と、社員を大切にする企業理念は、離職率の低さに如実に現れている。
家族休暇や、定期的なアクティビティのほかに、野球部、フットサル部、テニス部等の運動部、茶道、華道、手芸部等の文化部もあり、社員同士の交流会も盛んな今時珍しい企業である。
毎週水曜日は所属している茶道クラブ活動の日と決まっている。
月に一度の定例茶会には、きちんとした先生をお招きして。それ以外の3日には部員同士で集まってお抹茶を頂く。
仕事の悩み、恋の悩み、いろんな相談事を抱えている女性社員にとってこの週に一度の活動日は、女同士で心おきなく過ごせる大切な日でもあった。
真珠製品の管理、出荷が主な業務となる商品部に籍を置いて5年目になる、松見暮羽にとってもそれは例外ではない。
仕事の愚痴を先輩社員に聞いてもらったり、後輩社員からの相談に乗ったりと、活動日はお茶を愉しむ以外にも色々と忙しい。
業務ではあまり関わりのない社員ともコミュニケーションが取れる事がクラブ活動の醍醐味でもある。
寿退社した先輩社員が、入社間もない暮羽を誘ってくれた時には、本当に軽い気持ちで入部したけれど、今では会社に来る楽しみの一つになっている。
学生時代、茶道部の部員だった暮羽にとって、茶室は何より馴染みが深い。
高校の頃のように和室で雑魚寝をしたり、ゲームをしたりすることはもうないけれど。
それでも、この部屋に来るたびにほっと安心出来る。
場所は変わっても、茶道部の部室は大切な場所なのだ。
残業を終えて、部室に顔を見せるとすでに後輩がお茶を準備していた。
持ち回りで買いに行く事になっているお茶請けのお菓子。
畳に載せられた袋を見ると、かりんとうのようだ。
「お疲れ様ー」
靴を脱いで和室に入ると、和紙の上にかりんとうを広げていた後輩がこちらを向いた。
「あ!暮羽さん!」
「今日のおやつはかりんとうなんだー。嬉しい、あたし大好きなの」
備え付けの洗面台で手を洗って、お抹茶より先にお菓子を摘まむ。
先生を迎える日以外は、くだけたものだ。
抹茶すら点てない日もある。
好きな時に来て、お茶を飲んだりのんびりすることがメインの部活動は、茶道というよりおしゃべりクラブのようだが、その気安さが良い。
「良かったー。黒と白迷ったんですけど・・あたし黒糖が好きなんでこっちにしたんです」
「趣味あうかも・・ほんと美味しい」
後輩と笑いあってお菓子を摘んでいると、彼女が暮羽の向こうにあるドアに視線を送った。
誰か待ってるのかな?
そう思ってみれば、さっきからそわそわと落ち着かない。
疑問に思ったのでそれとなく尋ねてみる。
「誰か待ってたりする?」
「え・・あ・・・・」
言葉に詰まるとこを見ると図星らしい。
暮羽は気を遣わせてしまったのかと思い、慌てて続けた。
「今週は、先生お見えにならないから、用事があるなら無理に出席しないでも大丈夫よ?」
現に名前だけ幽霊部員合わせて11名いる茶道部員も毎週のように顔を出すのは4人程度だ。
会社の行事なんかの時だけ参加する者もいる。
必須出席日というものが存在しないゆるい部活動なのだ。
暮羽の言葉に、後輩は視線を逡巡させて消え入りそうな声で言った。
「あの・・・・大久保さんって・・今日は来ないんですか?」
彼が入社してからもう何十回と聞いたセリフ。
暮羽はため息をつきたい気持ちをぐっと堪えた。
「大久保君と付き合ってるの?」
「大久保君て彼女いるの?」
そのたびに同じ説明を繰り返す。
「彼とは高校の同級生なんです」
「彼女がいるかどうかはまでは知りません」
暮羽は高校卒業後、短大に入ってそのまま今の会社に就職した。
その2年後に、同級生だった大久保瞬が偶然にも同じ企業に入ってきたのだ。
ただ、それだけの話。だったハズなのに・・・・
いつの間にか、昔のようにちょくちょく暮羽のいる茶道部に顔を出すようになった。
けれど、そもそもの原因は暮羽にある。
瞬の母親が現役の料理研究家だった頃からしょっちゅうレシピを伝授して貰っていたので、彼が入社して何度か顔を合わせるたびに、和風菓子の相談に乗って貰っていたのだ。
ただの元同級生のはずが、まわりが放っておかなかった。
瞬の人目を引く容姿のせいだ。
大学までバスケをしていた引き締まった長身と整った鼻筋に切れ長の目。
学生時代小遣い稼ぎにモデルのバイトをしたこともある完璧なルックスは女性社員の注目の的になった。
そんな彼と親しげに話す暮羽は、あっという間に瞬に近づきたい女性社員の格好の餌食となった。
イジメとかではない。
むしろその方が楽だったと思う。
彼女たちは、こぞって暮羽に取り入ろうとしたのだ。
合コンに誘って、それとなく瞬を呼ぶように頼んだりなんとか彼の連絡先を聞き出そうとしたり。
あの手この手で瞬とお近づきになろうとする。
その対応に辟易した暮羽は、極力社内で二人きりにならないようにと心がけた。
どうしても連絡を取らなくてはいけない時はこの、部室で待ち合わせる。
口の堅い部員にのみ、彼がここに来る事を伝えているので、情報が漏れることも無い。
というわけだ。
・・・・予想外だったわ・・・
まさか、今年の新入社員の彼女まで瞬に一目ぼれしてしまうなんて。
がっくり肩を落としたいのを必死にこらえて、暮羽は目の前の後輩に向かって、出来るだけ穏やかに伝えることにした。
「こないだは、たまたま、来ただけで・・・今日は来ないと思うよ?」
みるみる萎んでいく笑顔。
あーあー・・・罪悪感・・・
「暮羽さんと、大久保さんって・・・」
「付き合ってないから」
はっきり伝えてやると、少しだけ表情が明るくなった。
「でも・・・あんなカッコイイ人だから、きっと美人の彼女とか・・・いますよね」
「さー?あたしもそこまでは・・・」
本当は、知っている。
3か月前に、向こうから積極的に言い寄って来て付き合うことにした年上の綺麗な彼女と別れたことも、誰と付き合っても、結局長続きしないことも。
けれど、自分の口から言っていいことではない。いくら可愛い後輩の質問でも。
なんとなく気まずい雰囲気のまま、とりあえず点てたお濃い茶を頂いて、すぐに後輩は帰って行った。
・・・たぶん、あの子来週から来ない・・
お疲れ様です、と告げて部屋を出る背中を見送って1人残った暮羽は今度こそ深々とため息をついた。
何にも言う権利なんてない。
あたしは、何も違わない。
あの子たちとおんなじだ。
友達、という枠の中には入れても彼女、というもう一歩内側にある枠の中には入れない。
望んでも、入れてくれない。
それは、2年前から変わらず、ずっと。
そして、彼は昔と同じように人気者で、いまも、いつだって優しい。
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