11
空は晴れ渡っている。そこだけを切り取ってみればの腹で弁当でも広げて酒かっくらって昼寝でもしていいほどにご機嫌な天気だった。
けれど振り返れば遠くになったブルーノの街から白煙が上がっているのが見えてしまう。
その落差。奇妙に失せた現実感の無さの中、俺はレイを抱え、ハルの手を引き街道から少し逸れた場所にある協会が管理している小さな拠点までたどり着いていた。
俺もハルも言葉を吐くことはなかった。心も体も疲れているし、街の人間も協会の連中も、白の祈りの奴らもどうなったのか分からない不安があったからだ。
悪い想像を言葉にしてしまえば本当になってしまうかもしれない。そんな怖さがあった。
「とりあえず、その怪我をなんとかしましょう」
ハルが常備されてると包帯やらなんやらを取り出してきた。
怪我……。
ああ、そういえば腕の皮破けたり肉削げたりしたっけ。俺の落とし子としての方向性はどちらかというと身体強化の方面に向かってるから単純な怪我の回復もかなり速い。まだ血は流れているが傷口の浅い部分には薄い皮膜が張りつつある。
「……すみませんでした」
何言ってんだこいつ。
「私があの街にいたから」
「ちげえよ。何酔っ払ってんだ。お前を連れて行ったのは俺で、連れて行くと決めたのも俺だ。そして、それなりに安穏としていたあの街を襲うと決めたのはあいつらだ。お前の謝罪は筋が違うし見当違いだ」
「酔っ払うって」
「そうだろうが。あいつらの為にお前が謝るとか意味分からん。あのクソどもの代わりに謝るなんざ俺なら金貰ったって出来ねぇよ」
本当に意味が分からない。
「そこはよくも女の
「ぶっ殺してやる、ですか。ぶっ殺す。ぶっころす。ぶっころ……痛い」
ハルも落とし子だが俺とは違う資質をしてるらしい。痣は消えておらず触れると痛みが残っているようだった。基本、腕力自慢の落とし子は怪我や病気なんかに驚くほど強い。極まった奴は秒で再生するとか都市伝説みたいなのがあるけどそこまで行くともう人間と呼べんわな。
痣になった部分に冷やした布を当てるだけで痛がるんだからハルにその方面の資質はあまりないんだろう。
「ディオスさん。大丈夫でしょうか」
「あいつなら大丈夫だ。あれで俺より容赦がない。変態だけど」
ディオスはいつもへらへらしていてかなりの変態でとてつもない変態だがやろうと思えはどこまでも冷徹になれる。そのあたりは割と頭に血が上りやすい俺とは違う。
「街は」
「マッツ先輩たちがいる。白の祈りの連中がどれほどの物か分からんが協会相手に上等こいたんだ。それにあの街の住人たちもたいがいタフだ。街が壊れたって生きてりゃ建て直す気概ぐらいある」
「本当にそうであってくれたらいいんですけど」
暗い。なんだこいつ。こんな暗い奴だったのか。
「前にも同じようなことがあったんです。小さな村でしたけど。少しの間、そこに滞在していました。いい村でしたよ。豊かではありませんがみんな陽気で朗らかで親切で。僻村でお医者さまもいませんでしたので、私も薬師として私なりに、色々な薬や香料、食べることが出来る野草や栽培の仕方。私に出来る限りの全部で向き合ってきました。その甲斐もあってか、名前で呼び合えるようになったり相談を受けられるようになりました。嬉しかったですよ。ですけど……」
彼らが現れた、と。
ハルは感情を顔に表さないようにしているように見えた。巻き付けられていく包帯の縛り加減。触れる指先の固さからそうなのかもしれないと勝手に思った。
「そうして村の女性が一人、いなくなりました。彼らがやった証拠はありません。ですが、あの人たちと諍いを起こす私を見られました。その後、どうなったと思いますか」
「まあ、あまり愉快な展開は思いつかないな」
「私に向けられていた笑顔も明るい声も触れてくれた手も、全部なくなっちゃいました。しょうがないです。当たり前の話です」
吐かれていた溜息が震えていた。
はっきりと言葉にしたわけじゃないが、ハルがどんな目に遭ったのかは俺程度の想像力しかなくてもなんとなく思い浮かべることは出来る。
それまで信頼、は言い過ぎかもしれないが少なくとも信用出来て、信用していた相手から冷たくあしらわれて罵られて、背を向けて去って行く。
それはきっと痛い。
俺らは体は頑丈だけどその中身、心とかそういうものまで丈夫に出来ているわけじゃない。むしろ、外側が頑丈だからこそ脆い奴も多い。
俺はこいつの責任じゃないと言った。それ以外ないと思ってるし翻すつもりもないが、それでこいつがどう思うかが変わるわけでもない。
「私がいなければそんなことにはならなかったと後ろを向いて、なかったことになればいいのにと埒もなく考えたりするんです」
こうと思い定めたやつの感情を変えるのはとても難しい。他人からあーだこーだ言われようがそいつの中で答えは決まっているのだ。それが出会って間もない赤の他人からあーだこーだの言葉なら尚更。
「以前からずっとずっとそうです。だから私は誰かとかかわるべきじゃ」
「だー! うっさい! お前よぉそうしてぐちぐち言っててなんかいいことでもあったか! なんもないだろ! お前はないのかなんかこう、あれしたいこれしたいとか若いだろうがよ。暗かった私がグラビアデビューで肉食系男児に言い寄られても私いまさらあんた達なんてお呼びじゃないのよさとかさ! 今言えすぐ言えなくても言え!」
暗い、実は暗いよ、こいつ!
ただでさえ逃げ出して気分が盛り下がってるところに追加のお冷をぶっこんでくんじゃねぇよ。誰も頼んでませんからそんなもん!
「ないです」
ちょっとは悩めよ馬鹿野郎。
そんな回答は夢も希望もありはしないと時間と金を持て余したご老人にのみ許される特権だ。俺ら若人にそんな贅沢は許されていない。
あんまりにもイラっとしたもんだから無言でハルの頭を掴んで揺らしてみた。
「おら、なんかだせよ。持ってんだろうが本当はよ」
「い、いじめの現場を子どもに見せるのは良くないかと」
「可愛がりだおら。吐け」
「吐瀉物は流石に」
案外余裕があるのでより速くより強く振ってみた。
「あああああります! やってみたいことあります! 自分のお店持ってみたいです! 小さくてもいいのでどこかの街の片隅で、誰かのお役に立ってみたいです!」
頭をふらふらさせていた。それが今までのハルの態度と同じみたいに見えたから今度は両手で挟み込んで固定してやった。紅茶色の目もまだ回っていたがやがて俺の姿をしっかりと捉えた。
「立派なやつ持ってんじゃねぇか。起きたことを思い返して自分のクソさ加減に首くくりたくなるかもしれんがそいつをなんとしてもやり遂げる。やり遂げた先にあるこう、なんてーか、充実とか幸せとかなんとかそういうもんを見失わなきゃ、まあ、それなりになんとかやってけんじゃないのか、多分」
「……カナタさんのやりたいことはなんですか」
そう聞かれて傍らで包帯をくるくる巻き巻きと子ども特有の謎の遊びに興じているレイを見た。痛み止めの鎮痛剤を馬鹿食いしようとしてたのでぺしっと叩いて止めた。
せめてもうちょい常識と判断能力と好悪を育んでおくれ。目を離すと不安になるから真面目に。
「なんでもいいだろ。今日の飯をちょいと豪華にすること。風呂上がりに冷えた一本を飲むこと。お天道さんの匂いがするベッドで気分よく寝ること。そんな程度で十分だ」
「カナタさんて意外と大人びてますよね」
意外とは余計だとは言えなかった。
俺は基本的にクソガキだから。嫌なことは見たくない。したくないことはしたくない。そんな現実なんて認めない。これがクソガキでなくてなんだってんだ。
一人立ちしているから、自分で金を稼いでいるから、仕事についているから。そんなもんはより人生経験を積んでる同い年ための奴の前では鍍金にすぎん。大人びてるわけじゃない。大人びてるように見えるとしたらガキんちょが俺を見てるからだ。
「……ハル。お前、殺し合いしたことあるか」
だから、俺は俺が望む現実を迎える為に最善を尽くさなければならない。
「そんなわけがないでしょう」
「そうか。なら、俺に何かあっても無理も無茶も厳禁だ。レイを連れて逃げろ、いいな」
そうして立ち上がり、なんか使えそうな物はないかと見渡した。誰かが残していった使い古した剣や杖に服やら保存食やらがあるが、俺には扱えそうにない。
「何を言って…………ッ!」
ハルの疑問は強制的に封じられた。
この小屋へとまっすぐ伸びる道。その線状には白い服を着たイカれた奴らこそいなかったが強烈な害意を漲らせた痩身の男がタバコを咥えながら歩いて近づいていた。目線はまっすぐ俺を見据えている。
見覚えがある。廃教会で、俺に襲撃について教えてきた男。
「よぉ、ちっとぶりだな小僧。その様子だとあの馬鹿野郎ども撒けたみたいじゃあねーかよ」
「その節はお世話になりました。ありがとう。さようなら。もう二度と会うことはないでしょう」
「つれねぇこと言うなよ。あの連中を邪魔した者同士じゃねぇか」
肌がピリピリするどころじゃない。でかい獣に丸のみにされそうな威圧感に冷汗が止まらない。今すぐ回れ右して逃げ出したい。逃げ出したいが逃げ出せば即座に背中から真っ二つに引き裂かれる俺の幻が見える。
きついのタバコの匂い。それに混ざってもなお消え去らない別種の臭い。
「血の、臭い」
ハルが言った。あいつとすれ違った時にも感じた血の臭い。やっぱり俺の勘違いじゃなかったみたいだが、勘違いであって欲しかった。
さらに嫌になることに、あいつの服の裾に真新しい赤い血がべったりとしみ込んでいた。
「ああ。ちょいと別件でごたごたしてな。身だしなみを整える時間がなかった」
その別件が何を意味しているのか。
「お前の立ち位置はどこだよ。俺に街が襲われるとか伝えたりしたかと思えば、こうしてわざわざ探しに来たりもしてる。あいつらの仲間じゃないのか」
「あいつらとお仲間なんざ冗談でも嫌だね。何が楽しくて過去しか見ねぇ虚しい奴らに同調せにゃならん。ただの仕事だ仕事。安心しろや。お前らの側ってわけじゃあねえ」
それで何を安心しろと言うのか。
仕事っつーと、白の祈りの連中に雇われた猟兵崩れってところか。他に仲間がいそうにないところを見ると殺し屋、潰し屋、壊し屋あたりってのが妥当か。
なんにせよ、良い予感は全くしない。なぜって、ここ最近、世間を騒がす殺人鬼がいるからだ。
男は深くタバコを吸うと長く白い煙を吐き出した。お行儀の良いことに携帯灰皿で火をもみ消している。意外すぎるだろ。チャラいチンピラみたいな見た目してるくせに。
「結局お前、何がしたいんだ」
「単純な嫌がらせと好奇心さ。あいつらの思うようにことが運ぶのも癪だが、奴らがご執心の白の魔女、女神を地に引きずり落とす業には興味がある。なもんで、そこの嬢ちゃんが掻っ攫われる前に話を聞いておきたかったのさ」
「肝心なのはその先だ。お前、話を聞いた後はどうするつもりだ」
「仕事だっつったろうが。女と石を引き渡して契約満了お役御免。俺は面白そうな舞台を見るついでに金を手に入れて奴らは望みを叶えて万歳ってなもんだ」
「残念だが、白の魔女について、こいつはたいしたこと知らないらしいぞ」
「あ~ん。そうなんかい嬢ちゃんよぉ」
いつの間にかレイを抱えたハルが無言のままゆっくりと頷いた。
「あとはそっちのガキだ」
思いもよらない言葉が出てきた。なんでこいつがレイに興味がある。
「エリスなんだろ。星から生まれたものではなく、人の手で作り上げられた偽の神。なるほど、連中が涎垂らしまくって欲しがるのも頷ける」
ディオスが言ってた噂話の一つが頭をよぎった。エリスは星の子を自らの手で作り上げる。あの時は適当に流したが当たらずとも遠からず。少なくともレイに関しては。神さまになれなかった子ども。
だけど引っかかる。なんでこいつがエリスだって知られているのか。それに、連中が欲しがるってどういう意味だ。子どもならなんでもいいわけじゃないのか。
「だから小僧。女とガキ置いて消えな。俺は狂暴で暴力が好きで他人を踏みにじって後悔しない質の人間で、要するに人間を壊すのも羽虫を壊すのも同じようにしか感じねぇんだ」
「そんな奴がお優しい忠告するもんかね」
「羽虫を潰すのは気持ち悪いだろう」
「羽虫にだって魂もあれば意地だってあらあな」
「二十秒やる。逃げて死ぬか戦って死ぬか決めな」
そうして男はカウントを始めた。なんだよそれ。結局死ぬんじゃないか。
「……カナタさん。レイちゃんを連れて逃げてください」
「逃げられるもんならとうに逃げてるわ」
あんな危ないやつと真正面から殴り合うとかやりたくない。俺だってまともに打ちあえるか確証もないのにハルが一人残ったところで時間稼ぎすら出来んだろう。
ただ、ハルのそれは単純な自己犠牲ってわけでもないようだった。
「私とこの子が一緒に捕まった時が終わりなんです」
「どういう意味だよ」
「この子はエリスの神さまにはなれなかったかもしれません。だけど、彼らが望む神さまにはなれるかもしれないってことです」
「は?」
「女神を降ろす業。白の魔女は時女神のようでだったとも言われていました。あの人たちが最も必要としているのは、無垢で穢れなく我欲もなく、それでいて人としてあり白の魔女を、女神さまの神性を受け入れられる素養を持つ女の子なんです!」
多発する殺人。それによってばらける俺たち。誘拐される女と子ども。ハルとレイ。白の魔女と時女神。神さまとレーヤダーナ・エリス。
女神をレイに降ろす。
そんなの成功するわけがないだろう。
だってこいつはそもそも――。
頭ん中が混線した。何かを掴めそうなのに何にも掴めない。
そうしてそれは、残された時間を食い潰すだけの結果になった。
「残念。時間切れだ。死んじまいな小僧」
男が酷薄に言い捨てた。
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