6
女は寝起き直後の不細工な面に構わず辺りを見渡した。
窓の外、俺、レイ、いつの間にかいたディオスを通過してまた窓の外を見た。
「ここ、どこですか?」
「導きの星協会ブルーノ支部だ」
返事してやるとぼんやりとした視線が焦点を結び、俺をようやっと捉えたっぽい。
「あなたは」
「名乗ったはずだが忘れてるんならもう一回名乗ってやろう。カナタ・ランシア。四等煌士だ」
「ああ、そうでしたね」
随分と落ち着いた所作でサイドテーブルに置いていたペンダントを手に取って首から下げる。黒い宝石は女の胸の上で居場所を確保したようだった。自然に似合っていた。
改めて女を観察する。
年齢はやっぱり俺とそう変わらんだろうと思う。少しこけた頬に血色の悪い肌。紅茶色の肩まで伸ばした髪と同じ色の瞳。
視線は俺の安眠の地を奪ったおかげか初めて見つけた時よりかは強いものになっている。
「落ち着いてからでいい。あんたがどこの誰で、あそこで何をしていて、どうして襲われていたのか話してくれると助かるな」
「……」
だんまりである。
まあいいや。目覚めたところでいきなりよく知らないやつにそんなん尋ねられてもぺらぺら返事する方がどうかしてるもんな。
「あんたがどこの誰だかぐらいは教えてくれてもいいんじゃね。あんたとかこのクソ女とかじゃ不便極まりないだろ。それに俺は名乗ったぞ」
女は口を開け閉めした。何を言い出すのか不謹慎ながら楽しんでいた。
「まずは……ありがとうございました。助けてくれて」
「あ? ああ、まあ。一応、これでも煌士だからな」
「それと、私は……ハルです」
ハルねぇ。俺は外の景色を見た。春ですねぇ。こういう場合、なんか偽名っぽいとか思ってしまうのか俺の心が狭いのか職業病なのか。願わくは後者でありますように。
「で、あんたはなんであいつらに襲われていた」
「それは、この石が価値のあるものに見えたから、襲われたのではないでしょうか」
女は、あーもういいや。ハルは俯きながら黒煌石を弄ぶ。
「あんな白づくめした変な格好の連中がただの強盗やら野盗みたいに金目当てだったとしたらそっちの方が驚くね。しかも凶星混じりだった」
「そういうこともあるのではないでしょうか」
そりゃまあなくもないかもしれないが、単純に金目当てならあんな目立つ服装する必要はない。あれじゃ警察なんかに見つかった時なんの言い訳もできねぇよ。
「それとあいつらはあんたのことを魔女の末裔だとかなんとか言ってたな。そいつはなんの意味だ」
魔女なんて言葉は昔ならともかく現代じゃそうそう出てこない言葉で、そいつを現実で耳にするなんてちょいと引っかかる。
冗談で例えるにしても魔女なんて言葉はそうそう出てこないだろうし、本気で言っているのならなおさら質が悪いに決まってる。
「救い主ってなにか分かるか。あの手の思い込みの激しそうな連中が吐き出す救世主とか女神って言葉にいい意味があった覚えはない」
魔女。救い主。復活。関わりたくない単語の三連発。だけど放置しておくには不穏な単語の三連発でもある。色々とはっきりさせておく必要があるだろう。
「聞き間違いではないでしょうか」
「お前なぁ」
語気が荒くなったのが自分でも分かる。
「はい、そこまで」
のしっとディオスが伸し掛かってきた。男に伸し掛かられて喜ぶ趣味はないので当たり前に気持ち悪い。どけ、このボケが。
投げ飛ばしたらむかつくことに宙でひらりと回って着地した。舌打ちを禁じ得ない。
「カナタは熱くなりすぎ。あんな詰問口調じゃ答えられるものも答えられないよ。ハルさんにしてもまだ目が覚めたばかりでぜんぜん状況が把握出来ていないだろうし、なにより彼女が目覚めたってことをお医者さんたちに知らせておかないといけないよ」
む。確かにその通りなのだが。
あーいかんいかん。いついかなる時も心に余裕をもって物事には対処せよ。守れるかどうかは怪しいが煌士の鉄則である。
肺の奥にたまった淀んだ空気を吐き出して頭を切り替える。
「……悪かった」
「いえ、助けてもらったのにこっちもすいませんでした」
やってしまった。若さの暴走だ。
外から吹き込む風も気まずい空気を散らすほどの効果もなく、さてどうしようと悩んでいるとレイが鼻を蠢かせながらハルに近づく。
「ちょっと、あの、あなたは一体」
ハルがレイを押しとどめると息を呑んで目を見開いた。
そうだろうそうだろう。包帯だらけの不気味なガキんちょでしかもちょー細くて軽くてほんとに人間かって気味悪く思うぐらいだもんな。
「あの、この子は」
「ちょっとした事情で俺が預かってる。名前はレーヤダーナ・エリス」
「エリス……」
レイはなおも鼻を蠢かしてハルの手、指先辺りで首を傾げた。
「もしかしてお前、臭いのか」
「は?」
乙女にあるまじき極低温の極低音だった。やだ、怖い。
「野草の匂いのせいかもしれません。私、薬師なので」
あー、だからすり鉢とすりこ木棒なんて持ってたのか。
人間が生きる上で病気はなくならないし怪我もそう。特に危険な依頼に従事する煌士は怪我との縁は切っても切れない。怪我した個所を治す煌術もあるとはいえ、非常に希少でかつ多忙なもんでまだお世話になったことはない。
その反面、医者や薬師といった方々は身近な存在なのでよくお世話になる。その方々は膨大な知識とたゆまぬ研鑽で医療の発展に貢献している。
いやほんと、いつも助かってます。
「俺とたいして変わりそうにないのにたいしたもんだ」
素直にそう言うとハルの態度がちょっとだけ軟化した。
「改めまして、私の名前はハル・リメルト。十七歳になります。僻村を巡り歩きながら薬師をしています。この石は母の形見で価値はよく分かっていませんが大切なものです。この度は助けていただき、ありがとうございました」
「ああいや。まあ、うん」
「それと……この子をどうにかしてくれませんか」
ハルが戸惑いながら言うこの子とはもちろんレイで、ぬろーんと液体めいた動きでハルに纏わりついている。俺もやられたことあるけど非常に鬱陶しいのは間違いない。
ディオスがハンカチを噛みしめながら悔し泣きしているがそこは本当に心底どうでもよかった。
ひょいとレイを抱え上げると手をうろうろさせている。なんか石に向かって手を伸ばしてるっぽい。
外の世界への興味、大変結構。なにがトリガーになったのか。やっぱり臭かったからか。臭フェチってやつなのか。お前その年であんまりニッチすぎる癖を開花させんなよ。
「その包帯は外傷ですか?」
そういった面もなくはないが、大部分の理由は素顔を隠すためにある。道行く人すべてに気味悪がられるなんてのは流石に俺も見たくない。
石、投げつけられたりするのもな。
「お礼というわけではないですが見せていただければなにか出来るかもしれません」
うーん、怪我の方はそうでもないんだが、まあ、見てもらって損になるもんでもない、か。
レーヤダーナの包帯を取っ払っていく。現れるのは人間の造作から外れた異質な貌だ。ハルは表情を変えずに顔をぺたりと触れていくがそのうち眉をひそめた。
「これって……」
目元に瞼。そして唇。這わせる指が僅かに震える。
「これって……!」
もう一度、同じ言葉。だけど言葉に込められた意味は全く違っていた。非難がましく俺を見るけれど俺はなんもしてないのでなんも言えねえ。
「そこはいいんだ。終わったことだから。説明させんな気分悪くなるだけだから。それよりも見てほしいのは喉の方だ」
言われるがまま、レイの口を開けさせて喉の奥をハルは見て口元をとても不機嫌そうに引き結んだ。
怒りを目に宿して、赤子に触れるような手つきでレイの喉元を撫でている。
それで分かった。背景がどうあれこいつは善良なやつだ。本気でレーヤダーナの為に怒っている。
レーヤダーナ・エリスの喉は焼け、爛れ、潰され、もはや機能を喪失しているも同然だった。だからこいつは喋れない。喋れるかどうかも分からん。
「この子は
「普通じゃないのは確かだが、星の子ってわけじゃない。だから自然治癒力なんかも俺らとは比べもんにならんほど低いから勝手に治るとかありえないぞ」
どこにでもいる町医者レベルではどうにもならんし、どこかの立派な大学病院でなんとかするにしても気が遠くなる時間が掛かって、それでも治るか分からんらしい。
「……」
ハルは空中を睨みつけていたがやがて肩を落とした。
「すいません。私の手には負えません」
「気にするな。今はどうにもならんがこの先どうにかなることだってあるかもしれないだろ」
いずれ医学は発展するし。それに本人が特に何も思っていないのだ。それを今、どうにかしようって考えてる俺が勝手なだけで。
「この子も、こんなことになる前に時間を戻せたらいいと、考えたりするんでしょうか」
「あん?」
なんだって、時間を戻す?
「いえ、時間を戻して、つらいことに出会う前の自分になれれば何とかできるかもしれないじゃないですか。この子にもこんな怪我を負わない道があったかもしれないじゃないですか」
何を言うかと思えば。
「馬鹿かお前」
やべ、直截的に言い過ぎたか。
「ごほんおほん。えへんおほん。んんっ。時間を戻してどうすんだ。やりなおすってか。自分が良いように作り替えた、自分にとって都合のいい現在に作り替えて気持ち良くなりたいってか」
ちょっと迂遠に言い換えてみたがどうだろう。
「言い方はとても頭に来ますが、端的に言うとそうですね」
「ふーん」
「なんですか。何か含むところがありそうですけど」
「突っかかんなよ。ただの相槌じゃねぇか」
ただまあ、言わせてもらうなら、だ。
「俺はそういう考え方が好きじゃないってだけだ。自分に都合が悪くなったら過去に戻ってやり直す。今まで積み上げてきた自分を投げ出して逃げ出すまるでダメな男の在り方だろ。そんな生き方は恥ずかしくて人様に顔向け出来なくなりそうだって思うね」
「それは、強い人だけに許される在り方ですよ。世の中、そんな人ばかりじゃありません」
「だからって、出来もしない妄想に縋ってもなんにもならん」
なんだかまた雲行きが怪しくなってきたな。
俺は、そういった自分に都合の良い妄想で自分を慰めるという行為が、そうだ、はっきり言ってしまえば、反吐が出るほどに嫌いだ。憎悪すらしていると言い切ってもいい。
「別に過去に戻ったりなんなりを否定はしねえよ。ふとした拍子に誰だって思うだろうし。ただな、そんな叶いもしない妄想で自慰に耽って絶頂したとしても自分一人で完結してろって思うだけだよ。汚い汁をまき散らすなって話だ。巻き散らかされる方は堪ったもんじゃないだろ」
俺にしては結構、ソフトな感じに言葉で形に出来たのだがなんだかハルはご機嫌斜めだ。
「人間にとって命は一個しかない。人生は一回こっきりだ。死んだらそこまで。失えば取り戻せない。やり直しも誤魔化しも効かない不文律だ。だからこそ、必死こいて守らないとならんわけだ」
「寒々しいほど綺麗な言葉ですね。それで、それは大切な人を目の前で亡くしても、まだ言える様な主張ですか」
「あーん?」
なんなのこいつ。なんでこんな突っかかってくんの。あの日か。ブルーデイなのか。不安定か。
いや、俺もご機嫌斜めなのかもしれない。なんだかんだでまだ頭に血が上ってる気がするし。それもこれも時間を戻すとか下らない妄言を聞かされたからだ。
過去に戻ったり未来を弄ったりなんてのは女神様の領分のお話で、人間が手を出してもろくなことにならんに決まってる。
いつの世も身の程を知らない人間に降り注ぐ神さまの審判ってのは苛烈で過酷なものだから。気が付いた時には取り返しのつかない罪やら業やらを背負うことになる。
だからこそ、俺らみたいなどこにでもいる人間は。
「レイちゃんパンチ」
ぽこりと叩かれた。うっそりとした目玉が俺を見ている。
ディオスがレイを操り人形よろしく振り回して俺を殴ってきたのだ。所詮、レイの手なんで全く痛くないが。
「そこまでだってレイちゃんが仰っている。双方ともに黙らっしゃい」
黙るのはやぶさかではない。だって無意味だ。
お付き合い編では誰かの自慢話に武勇伝に夢物語を黙って聞くこと。お仕事編ではお役所仕事でまったく進まない書類確認と回数だけは重ねて進展のない会議など。これと同じぐらいに不毛だからな。
顔を突き合わせてあわやにらみ合い寸前。開戦間近って雰囲気は払しょくされた。俺とハルがふすーと荒い鼻息をつく。
「僕個人の意見としては、時間を戻して好き勝手に振舞うってのも一つの浪漫だと思うけど。そもそも出来ないのだからどうしようもないねって所かな」
ディオスはそうまとめた。
くそう。レーヤダーナを調停役として駆り出したのが小狡い。ガキんちょの前でみっともない言い合いを晒すのはどう足掻いて取り繕ったとしてもみっともないものなのだ。
「お? お? お? レイちゃんが力強いよ。そんなに僕に抱きあげられるの嫌かな⁉」
そりゃ嫌だろう。こんな変態に抱きあげられるのなんて。レイが嫌々するようにディオスの手から抜け出したがってもぞもぞしてた。
所詮レイなので力強いっつってももぞもぞ辺りが関の山だろう。なんにしてもあれだな。こいつが自発的に抜け出そうとするなんて相当嫌に思ってるのかもしれない。いいぞ。もっとやってやれ。
ただ、レイはディオスを別に嫌っているわけではない。そんな上等な情動はまだないだろう。だから、こいつが自発的に何かをするということは、こいつ自身が興味を持った何かがあるということだ。臭い指然り。
その興味の行き先は、ハルが首から下げている黒い石にあった。
俺はなんとはなしに、ディオスは微笑まし気に、ハルは戸惑い気味に、レイが黒煌石に手を伸ばすのを見ていた。
レイの指先が、石に触れる。
どこかで、時計の針が、進む音。
はるか遠く、幽明の狭間から、呪い歌う女の声。
世界が色を失くした。
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