7
声が届いた。憎しみを忘れぬなんて、呪うような声が。
そうして強烈な黒い光が俺を飲み込んだ。
俺は今、どこにいて、何をしているのか。それらを完全に忘却させられてしまいそうな失調感。
何も変わってはいない。俺以外は。
石に触れたレイも、そのレイをどうしようかと戸惑うハルも、二人を笑いながら見ているディオスも。何一つ変わらない。
指先一つたりとも動きはしないし、瞬き一つもしはしない。
窓から見える風景にも変わりはない。太陽が昇って鳥が飛んでいて風がカーテンを揺らしている様も。
風は吹きこんでいない。だけどカーテンは揺れていた。揺れているのに微動だにしない。目に見える全部が何もかも、止まっていた。
俺だけが世界から切り離されたように死んだように動いている。死んだのは俺以外だ。もしくは俺だけが死んだのか。
世界は色づいているのに灰色になったように見えてしまう。光が降り注いでいるのに枯れたように冷たくて、さっきまで聞こえていたはずの遠くからの喧騒は軒並み消えた。
「は?」
耳に届くのは俺の心臓の音と、普段は小さすぎて聞こえないはずの古ぼけた懐中時計が正確に針を刻む音だった。
そう、時計。慌てて時計を取り出すとそれはぼんやりとした白い光を発していた。
なんだ。何が起こっている。そんなものは分かりっこない。普通なら。
「覚えてるぞ」
おぞましすぎて吐き気がする。
そうして見てしまった。見つけてしまった。
ハルの背に、光が当たらない薄暗がりの向こう側に蠢く何かの姿。霧か靄か。しっかりとした形を持っているわけじゃない。存在感があるわけでもない。だけど見つけずにはいられない。
弱々しくて今にも消えてしまいそうなそれはゆっくりと、だけど確実にハルとレイに近づいていく。
それに、危険以外のどんな感情を抱けと言うのか。レイとハルを引き寄せてそれを睨み付ける。
「どうかしたのかい? セクハラ? モラハラ?」
此岸から俺を呼ぶ声に、正気を取り戻す。
右脇にレイを左脇にハルを抱えてなんにもない場所を俺は強く睨み付けている。
ディオスは不思議そうだ。ハルはじっと俺を見て、レイは相変わらず石に手を伸ばそうとしているようだった。
どうかしたじゃねーだろ、なんて聞き返しはしなかった。俺に何が起きたのかをしかめっつらして説明するつもりもなかった。そんなことを聞かれることそのものが少なくともディオスはなにも見てないって証明している。
「ハル」
「……なんですか」
俺を押しのけたハルからはバリバリに警戒されているが問わなくてはならない。
「お前、白の魔女って知ってるか」
訝しげに俺を見てくるハル。その目を見る。どんな欺瞞も見逃さないし嘘だって許しはしない。
無感情な紅茶色の瞳が俺を推し量る。それは前の言い合いよりも静かだったがよほど空気がひりついている。
「……どこでその言葉を?」
それは何よりの返答だった。
「ガキの時分にちっと聞いた。忌々しい言葉さ」
「ちっとって、普通は聞けるような言葉じゃないと思うんですけど」
ハルの目にあった警戒色は薄れないが、そこに若干、同調だか同情だか共感だか、えらく複雑怪奇で一言で言い表せない何かだ。
俺みたいな根本的に大人になりきれない馬鹿野郎には分からんもんでもある。敵意や害意ではないのならそれでいい。
どれぐらい牽制しあっていたのか。ハルがふっと息を吐くと俺らの間の緊張は和らいだ。
「とりあえず、その子を離しましょう。苦しそうですよ」
ひょいっと俺からレイを取り上げた。ガキんちょの顔色は常になくほんのり紅潮していた。元気そうに見えるのは良いはずなのにヤバそうにしか思えなかった。
「お話しします。私の素性や私を捕まえようとしていた人たちのこと。私が知っているだけになりますけど」
「気が変わってくれて何よりだ」
ちょいとほっとした。
あれが関わっていて、それでもだんまりを決め込むと言うのなら、煌士ってやつを廃業せざるを得ない真似を仕出かすまであったから。
「あの人たちは。白の魔女を崇拝する『白の祈り』と呼ばれる教団。その一派です」
「魔女に崇拝に教団ね。面倒くさい単語の三連続じゃねーか。あんま聞きたくなかった」
「ほんとうにそうですね」
ハルはしみじみと呟いていた。
あいつらが言っていたことを色々と思い出してみる。中でもとりわけ聞き逃せない言葉を覚えている。
そいつが復活。どうにも手垢まみれの子ども向け小説にでも出てくるもんで、言葉に出すのも恥ずかしいぐらいだ。
まともな神経の持ち主なら鼻で笑って切って捨てるだろう。ただ俺は以前に同じような言葉を聞いたことがある。その言葉が一つの村を地図上から未来永劫消した。見逃すにはちょいと臭すぎた。
「彼らはこの石、黒煌石が白の魔女を封印する要なのだと思っているようです」
ハルの首から下げられた黒い石は一見するとどこにでもありそうな黒煌石と変わりない。そして俺の時計も今は平時と同じで特段変わった様子もない。
「あいつらが言ってた魔女の末裔ってのはどういう意味だ。お前たちは同じ魔女同士で嫌いあってんのか」
「魔女というのは星の落とし子の名称が広がる前に私たちのような異能体の忌み名みたいなものでしたから単純にそういう風に言うと悪者のように思えるから使っているんだと思います」
ああ、やっぱりこいつも星の落とし子だったか。
「抱えた時、重たい女だったもんな」
「何か言いました?」
「俺は余計な口を挟まないと定評のある男だ」
「協会じゃ減らず口で知られている男だけどね」
うるさい黙れ。お前は壁染みになってろディオスこの野郎。
星の落とし子は基本的に頑丈に出来ている。骨然り、筋肉然り。密度が違う。だから普通の人よりも重いのだ。そうでないとあの尋常でない出力に体が耐えきれないらしい。仮に普通の人が同じ動きをしようとすると基本骨格が何倍もでかくないと無理だとかなんだとか。
「ハルさんの話を補足すると、今ほど落とし子の存在が認知されていなかった昔は男は悪魔、女は魔女と呼ばれて迫害を受けていたんだ。魔女狩りってやつだね」
「続けますけど、まぜっかえさないでくださいね」
「俺はまじめな話をしている時は茶化したり揚げ足とったりからかったりなんて絶対しないぞ」
「もう既にまぜっかえしてるよ。まぜまぜだよ」
うるさい黙れ。
ハルの目線は色を失くして耳元でぷ~んと音を立てては逃げ去る姿の見えない羽虫にいら立ってるみたいなものになっていた。生ごみじゃないだけまだマシかもしれないな。
すごいため息をつかれた。
「魔女の知識というわけではありませんが、私の母から色々なことを教わりました。不思議なおまじないや皇国各地に残る伝承。薬草学の基本や調合の方法。そしてまだ私がとても幼い頃に教えられたことがあります。私の血筋は白の魔女を封印した一族だったと。裏付ける証拠は何もありませんが」
「母ちゃん?」
「病気で亡くなってしまいました。もっと大きくなってから白の魔女に関する話をするつもりだったのかもしれませんが聞けずじまいでした。なので、白の魔女の存在と実在について、信じているわけではありません」
「対して彼ら白の祈りの連中はそれを信じているということだね」
「この石を奪い、自らの目的のために白の魔女を復活させ、願いを叶えるということらしいのですが……」
語尾が怪しくなる。
「この石でどうやって白の魔女を復活させ、どうやって、どんな願いを叶えるのかは分かりません。あの人たちと向き合うのは嫌ですし、面と向かって話をしたのもほとんどありませんし、街中にいても襲ってきますし、おかげで人の多いところにはいけませんし、だから収入も安定しなくなりますし、まともに休むことも出来なくなりますし、あれ、私なんで我慢なんてしてるんでしょう。ぎゅんぎゅんしてきました」
ぎゅんぎゅんしてるのは乙女の怒りゲージか。ハルは暗い微笑を浮かべた。やだ怖いわ。
「そんなんなってるなら、なんで警察なり協会なりに保護を求めなかったんだ」
そうしていれば今吐き出した愚痴の何割かは軽減されただろうに。
それは……と濁して目線をあらぬ方向へ向けるハル。レイの髪をいじいじしだした。
ふん。
人様が言いたくない裏側にずかずかと踏み込む。そんな真似は紳士で知られているところの俺には出来ない。出来ないがしかし、今は紳士の仮面を脱ぎ捨てでもしなくてもならないことがあると信じる次第である。
「カナタはゲス顔が似合うなぁ」
「失敬な。人は俺を紳士の鏡と呼ぶぞ」
「その鏡、ゲスで落書きされてるよ」
うるさい黙れ。ゲスで落書きってどんなだ。
「ハルお前、落とし子の申請してねぇだろ」
「……」
落とし子ってのは危険な存在だからたいていの国では管理する団体やらなにやらがあり、そこで自分は落とし子ですよと身元の申請をする規則がある。多少の自由がなくなって、いざという時にはその力を使ってお国の役に立つようと義務付けがされる。
ま、その見返りに申請しておけば職業斡旋なり生活保障なり、優先奨学制度なり保険なりと結構な便宜を図ってもらえるのだ。
俺は協会で申請してるからお国のために働くとかそんな義務はない。協会の大義に従って大手を振って力を使える分、人様の視線も常に気にしないといけないし、保障とかも実はそんなに厚くない。
依頼によっては命を落とす危険もあるし、出来高制で収入も安定しないので、一見、華やかに見える煌士のなり手は意外と多くない。
閑話休題。
皇国ではこれをしとかないと力を使ってはいけない法がある。
しかしながら、自分の力を自由に使って気ままに振舞いたいという輩は絶対に出てくる。そういうった連中が俺がやりあった
力を使って悪事を働けば監獄に強制収容の後、強制労働と性格矯正が待ち受けているらしい。俺も実態はよく知らないが極悪人面したやつが娑婆に出てきて聖人面でお国のために働くことの尊さを語りだしたりなんてこともあったらしい。
そいつらの他にも他人の目線を気にして自分が落とし子である事実を隠したりしたりなんなりってやつらも一定数いる。
ハルは凶星とは違うと思いたいがさて。
「別に悪さはしてないですよ。人様に迷惑をかけた覚えはまったくありませんから」
怪しいぜ。
「つけ狙われてた君の不自由さを考えると保護を願い出ない不利益の方が多いように感じるけど」
そうだよな。確かに色々と行動制限なんかも付くだろうけど満足に飯も食えない寝られもしない便所にも行けないとか俺だったら発狂するね。ベッドの床下に隠してある年頃のあれとかそれとかであれしてるところ見られたらもう生きていけない。
「まあそのあたりは悪さしてないってんならいいさ。連中の話から外れてるからな」
当然ながら、ちゃんと後でハルの身元を確認するしな。
「それよっか連中が本当に拉致被害者と関係があるのかどうかが大事だろうよ」
「まあそうだね」
「あの、拉致って、なんですか?」
こいつ何言ってんだと。派手な殺人事件の影に隠れがちだがこっちも新聞だのラジオだので報道されてただろうにと俺とディオスは顔を見合した。
……あ、あ、あ~。そうかこいつ。
「お前、この一ヶ月で新聞とか雑誌とか見たか」
「襲われてからこっち、そんな余裕はありませんでしたよ。ええ、お陰様で」
薄暗い笑みを浮かべながらレイの髪を編み出していた。
「考えたくないんですが、あの人たちとその拉致に関係が?」
「お前を襲った奴らは他の人間、ただの一般人もさらってる可能性がある。女と子ども。ちょうど一ヶ月前ぐらいからだ」
「……私が最初に襲われたのも一ヶ月前ぐらいからですね」
自分の顔面に縦線が入ったのに気付く。めっちゃ渋面になってるはずだ。
確信はない。けれど疑わしい要素があり、凶星を抱えていて、そして手を出してくることに躊躇がない。そんな集団が野放しである事実。危険なことに間違いはない。
「ディオス。こいつらの情報まとめとくからすぐ手配出来るようマリーダさんに伝えといてくれ」
「それは分かった。分かったよ。分かったけれど、一つ、いいかな」
なんだこいつ。何シリアス面で決めてんだ。急いでんだ早くしろよ。
「白の魔女って何?」
今度は俺とハルが顔を見合わせる番だった。ぼんやりと抱きかかえられたままのレイもなんとなーく不思議そうにハルを見上げて、次いで俺を見た。
そりゃあ知る由もないだろうよ。俺だってよく知らねぇもん。実際には調べても何にも分からなかったってのが事実なのだが。
「そいつが原因でろくでもないことになるかもしれないってだけで十分じゃね」
「私もあまり。母が詳しく話してくれる前に亡くなっているので本当に断片的にしか」
ディオスはいつものへら顔に戻っていたがなんとなく、呆れているような風情もあるような気がしないでもない。
「この際、断片的でもなんでもいいんじゃないかな。『白い祈り』さんたちの行動の意味や意図を知るためにも少しでも情報が欲しいところだし。カナタは無知だし」
そう言って、ディオスは腰を上げた。
「どこ行くんだ?」
「やりたいことが出来たからちょっと外に出てくるよ」
ディオスは大げさに手を振って部屋から出て行く。多分、言ったことをやってくれんだろう。その間際にいらんこと言い残しやがったが。
「カナタ。若さを暴走させちゃっても責任は取るように。種を蒔くだけ蒔いて放置する男は死ねばいいとだけ言っておくよ」
何だと馬鹿野郎。
責任感の塊と言えばカナタ・ランシアって格言を知らんのか。なにより、そんな下手踏む真似だけは絶対にしねえよ馬鹿野郎。
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