一日後。


 女はまだ目覚めていなかった。


 医師によると極度の疲労……睡眠不足だの栄養不足だのが重なって倒れたのじゃないかとのこと。もしかしたらそこに精神的ストレスも加わるかもと言っていた。


 どんな生活を送ってきたのか知らないが、少なくともどっかに根を張って堅実にその日を過ごしているというわけでもなさそうだ。


 その女だがどこの誰であるのかは全く分からない。数少ない所持品としてはわずかな金銭となんだかよく分からない小さなすり鉢?とすりこ木棒?と、悪魔のようにまずい栄養剤。


 こんなろくでもないものしか食べられないのならそりゃあ不健康にもなるよなという一品だった。ただし、栄養価は満天かつ満点らしい。


 あとは、そんな貧乏な奴が持つには不似合いにでかい石。銀の鎖に繋がれてペンダントトップにはめ込まれた黒い石。


 ただの石じゃない。この現代社会を支える必要不可欠な煌素をふんだんに含んだ五煌石クウィンティアの一つである黒煌石グレティアだった。


 俺は宝石の目利きなんか出来はしないが、もし売りに出せば結構な値がつきそうに思える。


 宝石としての側面もあるこれ目当ての強盗に襲われても仕方がないとも言える。


 この女が襲われたのはこいつ自身にあるのかそれともこっちの宝石の方にあるのか。はたまたぜんぜん別な点にあるのか答えは出ないけれども。


 石をはめ込む枠に小さな文字が刻まれていた。


 十数秒ほど解読に費やしたが結局無駄だった。なんて書いてあるかは分からんかった。古代文字の一種なのかもしれん。少なくとも現代語ではない。


 で、その女が寝てる間の俺はと言えば、警察への情報共有だの報告書の作成だの色々と雑事をこなしていたわけだ。


 襲ってきたやつらに関しては捕まえられなかった。女を支部に置いてディオスに探してきたもらったものの姿はなかったようだ。そのことで警察のお偉いさんからは嫌味を言われたが俺みたいな下っ端さんからは申し訳なさそうに頭を下げられた。立場が弱いとやっぱり面倒だよな、色々。


 そんな諸々が終わって俺は盛大に疲れていた。


 超人的な体力を持つ星の落とし子。煌素を纏い活劇冒険の主人公を務めるヒーロー的な人間も疲労からは逃れられない。


「あー疲れたー」


 既視感である。


 なんか言いたげに口元をもにょもにょさせるディオスを後目に肉汁たっぷりダブルパティのハンバーガーをひとかじりすると実に体に悪そうな味の濃いソースと肉汁が体に染み渡る。


 あーこれこれ生きてるわー俺。


「若さに任せてた暴飲暴食が退職後の生活に与える健康についてという題名で小話を作ろうか」


「肉がまずくなる様なこと言うな。短くてもいい野太く生きていきたい年頃なの」


 俺とは反対に旬の生野菜がたっぷり挟まったサンドイッチを摘まみながら、こちらも珍しく疲れたへらへら顔をしたディオスである。


「もっとしゃんとしろ若人ども。いいかー俺が若い頃の協会も人手不足だったが文句ひとつ言わなかったもんさ。黙々と依頼をこなし続けて実績と経験を積んで血肉とし、信頼を勝ち取っていったもんさ」


「あー、言いたいことは分かるっすけど先輩それはやんないっすよー」


「そうですよー。今どきの若人は根性なくて性根も基本的に腐ってるんで楽してなんぼの精神なんですよー」


 出先から戻ってきた地域密着型敏腕煌士であるマッツ先輩。二十九歳独身。粘り強さと根気強さで依頼を堅実にこなすと評判のお人である。


 三十路を前にして自らの私生活の空疎さに気づき、最近は婚活パーティー会場にも顔を出しているともっぱらの評判でもある。その粘り強さと根気強さで是非とも生涯のパートナーを勝ち得てほしいものである。でも怪しい壺を売りつけられて騒動起こすのだけは勘弁な。


「うっせぇわ。全部口に出して言ってんじゃない。生意気な小僧っこめらが」


「すいません。わざとです」


「くっそ生意気すぎて開いた口が塞がらないわこれー。あと壺のことは言うな」


 壺に何かしらのトラウマを抱えてしまっている模様。


「まあいいさ。俺は言い続けよう。お前たち若人が性根を入れ替えるその日まで」


 俺らのテーブルにがちゃんと音を立て、雑に盛り付けられた皿を置いて飯を食いだす先輩である。


「で、あの嬢ちゃんについてお前どう思う」


「やりあったのが例の人さらいの本命っていうんであれば、何かしらの理由があって狙われてたんだと思うんで、あの女がそれを知っていてくれればってところですかね」


「ばっかちっげえよ。かなりの美人ちゃんじゃないか。そういうところでどう思うか聞いてんの俺は」


「おい三十路」


「三十路じゃない! ……まだ」


 そこは譲れないらしい。


「俺らと同じぐらいの年っすよ、多分。犯罪じゃないすけど十以上は離れてるじゃないっすか。流石にがっつきすぎじゃないですか」


「ばっか。俺がどうこうじゃなくてお前がどうこうって話だよ」


「あ、僕は半ズボンの似合う小さな」


「お前には聞いてない」


 ディオスの言葉はだいたいぶった切られる。


「この仕事続けてると普通の女性との出会いなんぞ皆無だからな。仕事仕事で埋め尽くされて気が付けばいつの間にか婚期が過ぎてる。そんな殺風景な青春を送ると俺みたいになるぞ。知り合いの女性と言えばいつのまにか二十も折り返しを過ぎていつの間にか婚期も過ぎ去りそうで焦りまくった」


「焦りまくった?」


「野に咲く花のように美しく、俺たちのようなどうしようもない雑草に囲まれてもめげずに凛と陽に向かう麗しい我らがマリーダ嬢のような高嶺の花しかいなくなってしまいますよ、はっはっは」


 その素敵な送り言葉に対する返礼は野に咲く花のように美しく力強いパーだった。凛としていらっしゃる。


 惜しい人を亡くしてしまった。マッツ先輩の祝福があるかどうか分からない婚活に向けて、俺とディオスは一緒に敬礼するのである。


「マッツ君じゃないけど、君たちも青春は大切にね。青春時代が協会の仕事で埋め尽くされるなんてやっぱり寂しいと思うし、そんなのは私やマッツ君を見ればわかるように年をとっても出来ることだだからね」


「マリーダさんはお嬢様学校の出じゃなかったですか。聖グレア女学院」


「ふふふ……。過ぎ去った時は戻らないのよ。青春の輝きも、肌の張りも潤いも」


 何とも言えない沈黙が漂う。


 お前なんか話せいやいやここは君が率先してと無言の攻防が若人の間で繰り広げられる。


 ひらひらと手を振ってマリーダ嬢はマッツ先輩を引きずりながら行く。


「善き星の導き出会いがあらんことを……」


 導きが出会いと聞こえたのは間違いだろうか。


「それはそれとして、あの子についてはカナタ君が預かることになったから手を出しちゃダメよ」


 去り際にそんな発言をマリーダ嬢が残した。


 いやいやちょっと待ってよと。あいつ女だよ。一応、俺も健全な十七歳男子なわけで、なんかの折に血迷って襲い掛からない保証はどこにもないのだ。


 思春期真っ只中の男子の理性ほど危うく脆く危険な野性を秘めたものはそうそうないと思うのだ。その手の付けられない獣性は古今東西を見渡してみても疑う余地はない。一たび解放されれば見境はないのは明らかだ。


 危険。若さの暴走。


「受け入れることだね。レイちゃんの保護者として節度ある態度で任務に臨むように」


 なんだてめぇ小馬鹿にしたようなむかつく顔しやがって。喧嘩売ってんなら買うぞすぐ買うぞ。むしろ捨て値で売ってやっても構わんぞこら。


 ガキの面倒も見ないといけないからすっごい嫌なんだぞこら。


「あー疲れるー」


 テーブルに突っ伏すと忍び笑いが聞こえてくる。人間はきっとこんな時に殺意を覚えるのだろう。今まさに俺がそうだもん。だから憎しみによる戦争はなくならないのだ。


 決まってしまったことにあーだこーだーと文句言ってもお通じが良くなったりするわけでもない。任されてしまったものはしょうがない。下っ端身分のつらいとこ。人情は紙風船。唯々諾々と受け入れるしかない。


 と、ままならない現実に折り合いをつけて自室まで引き上げる。


 そこには件の女がベッドの上で静かに寝息を立てている。傍らには女からぴくりとも目を離さないレーヤダーナがいる


 なんか全体的に淀んでるわこれ。


 当たり前の話。病人と言っても差し支えのない不健康そうな寝ている女と、病人にしか見えない不健康なガキんちょが薄暗い部屋で沈黙を守り続けているのだから。


 これはダメだ。このままだと俺まで薄暗がりのかび臭い浸食を受けてしまう。


 全部の窓を全開にすると春先の冷たい風が部屋を取ってドアから出ていく。そして陽の光と温かさが入ってくる。


 なんかの花の匂いが運ばれてくると気重になった胸がちょいと軽くなった。やっぱり人間、適度に太陽の下に出ないと性根もなにもかも薄暗くなっていくもんだわ。


 空は高く、空気はほどよく冷たく、雲は自儘に流れ、太陽はこちらなど気に掛けることなく天を歩いていく。世間は薄暗い話題で溢れているのに子どもには関係ないらしく、どこからはしゃぎまわって遊ぶ声が聞こえてくる。


 被害が出てくるのは街から離れた郊外だからそんな空気も許されている。少なくとも、街の中にいれば安全だと人は考えているのだ。そんな保障はどこにもないのだけど。


 それは超人的な力を持つ星の落とし子アスタルも例外じゃなく。


 特に殺人の方は。主な被害者は地方軍の巡邏兵や警察の警務隊。多くが落とし子だ。殺害方法は圧倒的な膂力による殴殺に格殺に撲殺。犬型の魔獣のような爪による斬殺。


 考え込んでると頭が痛くなってきた。


 こんなにいい天気なのだ。ちょっと寝て英気を養ったところで罰は当たらん。そう、次の依頼に向けて体調を整えなくてはならない。それにお天道様も昼寝をするべきだと主張しているではないか。


 そう都合よく俺は解釈し、流石に自室では寝られないので俺の安眠の地となっている階下のソファへとうきうき気分で戻ろうとした時、女が目覚めやがった。


 なんでだよ畜生。もうちょっと劇的な前触れとか出来ないのかこの女。

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