第二十一話
あれから色々あった。聖北高校体操部が全国大会を制覇し、個人総合で飛鳥が優勝した。リ・ジョンソンやブレッドシュナイダーを成功させた飛鳥は全国でも期待の新人として取り上げられた。そんな飛鳥はあたり一面銀世界となった今日も美月と言い争いをしながら受験勉強に励む。
「だから、そこはこの間習ったやつを応用するんだよ」
「応用って何よ~」
「いいかー?こことここが同じ角度なんだからここの角度は簡単に求められるだろう?」
「あ、ホントだ~」
「ホントだ~じゃないよ。いつになったら覚えるんだよ」
「ごめんごめん」
クスクスと笑い声が聞こえて、飛鳥は声を潜めた。ここはユーモレスク。那瑠が笑っている。
「ホントに聖北大受かる気あんのかよ」
「あるわよ!」
「でかい声を出すな。また笑われんぞ」
「那瑠さんになら笑われても良いかな」
「そういう問題じゃない」
飛鳥は深い溜息を吐いて背もたれにどっと身を沈めた。
「疲れた」
「あたしも」
「那瑠さん、ドッピオください」
「あたしにはモカ・ラテをください」
「承りました~」
那瑠は我が子を見るような目で二人を眺めながらコーヒーを淹れる。その時、飛鳥の携帯が鳴った。
「和哉だ」
「え!」
「もしもし和哉?」
「もしもし飛鳥」
飛鳥は本当に嬉しそうな顔になって口を開く。
「元気してたか?」
「ああ、リハビリも順調でさ」
「おう、それなら良かった。で、どした」
「聞いてくれよ。聖北大学受けて一人で暮らしても良いってさ」
「お~!そりゃ良かったじゃん!」
「ホント良かったよ。あとさ、これ本題、インターハイ優勝おめでとう」
「お、サンキュー。誰から聞いた?」
「うちの母さんが美月の母さんから聞いたって」
「そっかそっか、大変だったよ」
「らしいな、でも優勝したじゃん。ホント嬉しいよ」
和哉は電話越しでも分かるくらい笑顔だった。飛鳥も嬉しそうにしているので、隣で美月が早く代わってよ!と催促する。
「はいはい」
「もしもし和哉?」
「もしもし美月、元気だったか?」
「あたしは元気!早く帰って来てよね」
「おう、そのつもり」
和哉はケラケラと笑ってふぅと溜息を吐いた。
「どした?」
「なんかさ、飛鳥がインハイ個人優勝して、手が届かなくなっちゃったなと思って」
「そんな事無いよ」
「そうかなあ」
「そうだよ、元気出して。和哉なら飛鳥よりも上手くなってインカレで優勝するんだから」
「ははっ、そりゃ心強いお言葉」
「うんうん、和哉なら大丈夫」
和哉はクスリと笑って頷くと、サンキューなと言う。
「お礼なんていいのよ、幼馴染なんだから」
「そう?でもサンキュー、元気出た」
「それなら良かった」
美月もにかっと笑った。和哉は最後に飛鳥に代わってと言って、美月から飛鳥に代わってもらう。
「あのさ」
「おう、どした」
「飛鳥に追いつけるように頑張るからさ」
「おう」
「見捨てないでくれな」
「何言ってんだ、当たり前だろう」
「当たり前って思ってくれて嬉しいよ」
「辛気臭い事言うなよ。俺とお前の仲だろう?」
「ありがとう。それじゃあ、これからリハビリだから」
「おう、電話くれて嬉しかったよ、サンキュー」
「おう、じゃあまた」
「じゃあな」
和哉との電話が終わると、タイミングよく那瑠がコーヒーを持って来た。
「ドッピオとモカ・ラテです」
「ありがとうございます」
二人はお礼を言ってそれを受け取ると、少し口を付けてまた鉛筆を握る。
「今日中に課題終わらして、明日は部活に顔出すぞ」
「ふふっ、飛鳥ったらそればっかり」
「体なまるの嫌なんだよ」
「分かる分かる、翔太朗が喜ぶね~」
「ああ」
「よしっ、やろう!」
「おう」
二人はコーヒーで気合を入れ直したのか、黙々と課題に手を付けた。それを見ていた夏生が那瑠に声を掛ける。
「今日も平和ですね」
「だな。今日も良い天気だ」
「ホント、雪も溶けそうな勢いですね」
「雪祭りになる前には共通一次試験も終わってるか」
「そうですね」
「常連が増えて私は嬉しいよ」
「ふふ、僕も賑やかで嬉しいです」
夏生はフロア見回って来ます、と言ってトレーを持ってフロアに出た。
「平和、だねえ」
那瑠の呟きは、コーヒー豆を焙煎する機械音に搔き消された。
共通一次試験を無事に終えた飛鳥は、推薦で大学入試をパスして晴れて自由の身となった。
「翔太朗、腰曲がってんぞ」
「ハイ!」
「健太、跳馬の技変えるんだって?」
「はい、ヨネクラに挑戦しようかと思ってます」
「じゃあまずはツカハラだな」
「はい!」
飛鳥は部活に顔を出して、後輩の指導に当たっている。そんな飛鳥の姿を見て隆二は微笑んだ。
「良い生徒を持ったものです」
修平や美月は二次試験の対策のために毎日学校に通い、二次試験ではいい成績を修め飛鳥と同じ様に部活に顔を出している。
「隆二先生」
「なんです美月?」
「良い生徒って、私の事も含まれてます?」
「もちろんですよ」
美月はやった!と喜んでから、憂い気に後輩達の姿を眺めた。
「卒業しちゃうんですね」
「何を言っているんですか、卒業しても、私の可愛い教え子には変わりありませんよ」
「隆二先生……」
美月はうるっと泣きそうな顔になってから頭を振る。
「今までありがとうございました」
「いえいえ、むしろこちらこそ。良い演技を沢山見る事が出来て、私は幸せでしたよ」
「私もです」
美月は持っている救急箱を揺らしながら、飛鳥達を見守った。
四月。新品のスーツを見にまとい、飛鳥と美月はバスに揺られた。同じ様なスーツ姿の学生が、バスの中ごった返している。
「毎日こんなバスに揺られなきゃなんないの?」
「取る講義にもよるだろう。大丈夫さ」
「あーあ、飛鳥と同じ学部入れて良かった」
「ギリギリな」
「言うな!」
バスが大きく揺れた。飛鳥は美月を庇いながら手摺に掴まっている。
「飛鳥今日体操部寄ってく?」
「もちろん」
「じゃああたしも」
「和哉、来るかな」
「受かったとしか来てないもんね」
「ああ」
飛鳥は不安げな顔になった。何だか今日は会えない様な気がしたのだ。
「大丈夫大丈夫、きっとそのうち顔出すよ」
「そうだな」
飛鳥は美月の笑顔を見て困った様な顔で笑うと、手摺に掴まる手に力を入れた。
「揺れるぞ」
「え、は、わあ!」
入学式後、飛鳥は器械体操部の面々から熱烈な歓迎を受けて帰宅した。結局和哉には会えなかった。気になってメールを送ってみたが返事は無い。
「何してんだろ」
隣の家の、真向いの窓は暗かった。和哉はいない。飛鳥は気を紛らわせるために筋トレをすることにした。木製のバーに倒立をし、そのまま腕立て伏せをする。その時、ピピピと携帯が鳴った。
「もしもし飛鳥?」
「なんだ、美月か」
「なんだとは何よ!」
「何でもないよ、どした?」
「今和哉のお母さんからあたしのお母さんに連絡が入ったんだけど」
何か、嫌な予感がした。
「和哉、肺炎起こして入院してるんだって」
「え」
「まだ海外の病院にいるらしいんだけど」
「マジか」
「うん。だから暫くは大学来れないって」
「そっか」
「うん……あんまり気を落とさないでね」
「ああ。サンキュー」
「じゃあ、また明日」
「おう」
飛鳥の嫌な予感は的中した。
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