第十二話

 帰り際、美月に誘われて「ユーモレスク」に来た。飲み客が多い中、聖北高校の制服はよく目立つ。

「いらっしゃいませ~」

 のんびりとした那瑠の声に出迎えられて、二人はカウンター席に着いた。

「お、いらっしゃい、こんな時間に珍しいね」

 二人はぺこりとお辞儀をして、それぞれ何を飲むか那瑠に伝える。

「俺ドッピオください」

「あたしにはアイスモカ・ラテください」

「承りました~」

 那瑠がコーヒーを淹れている間に、美月は飛鳥に向き直って口を開いた。

「何考えてたのよ」

「え?」

「練習中何考えてたの」

「何も考えてなかった」

 飛鳥は首に貼られた湿布を一撫でして素直にそう答える。

「馬鹿じゃないの?器械体操は死亡率高いスポーツなのよ?何も考えずに大技やるなんてホント馬鹿」

「すまん」

「最小限の怪我で済んで良かったけど、ホント気を付けてよね」

「ハイ」

 那瑠がコーヒーを持って来た。那瑠は珍し気に二人を見て口を開く。

「何だ、喧嘩か?」

「違います、お説教です」

「やらかしたか」

「飛鳥がやらかしました」

「彼女に心配かけんなよ~」

 コトンと置かれたカップに飛鳥は目を落として頷いた。

「気を付けます」

 飛鳥はカップに口を付けて溜め息を吐く。首を下げると患部が痛むことに気が付いて、飛鳥はまた溜息を吐いた。溜息を吐きっぱなしの飛鳥を見て、美月はむっとした顔で飛鳥を見る。

「何そんなに溜息吐いてんのよ」

「いや、首が痛くて」

「当たり前じゃないの!出来るだけ真っ直ぐ向いてなさいよ」

「お、おう」

「あんまり酷い時病院行きなさいよ」

「分かってるよ」

 それから飛鳥は散々お説教を食らって、解放されたのは夜八時だった。溜息を吐きながらとぼとぼとバスを降りて歩き出す。美月が後ろから、また明日ねー!と言ったのに飛鳥は手を挙げて返事をした。

 悩みは尽きないもので、飛鳥が帰ると父、拓が帰った所だった。

「おかえり飛鳥」

「父さん、今日は早かったんだね」

 玄関を開けながら飛鳥はそう言う。拓は頭を掻きながら口を開いた。

「隆二先生から聞いたんだが、首は大丈夫なのか?」

「今ん所は大丈夫。痛いけど」

「首は痛めると暫く続くからなあ。気を付けるんだぞ」

「うん」

 実際の所を言うと、飛鳥は父親が苦手である。理由は様々で、端的に言えば口煩いのが原因であった。飛鳥はそそくさと二階に上がり着替えを済ませる。そして智弘がご飯だよと呼びに来るまで机に向かった。

「いただきます」

「召し上がれ」

 拓と智弘の話に耳を傾ける気にもなれず、飛鳥は淡々と食事を進める。

「飛鳥、もう直ぐ大会だが、コンディションの方はどうなんだ?」

「まあまあ。首の怪我さえ無ければ上出来」

「そうか。がんばれよ」

「うん」

 拓とそれだけの会話をして、飛鳥は食事を終えた。

「ご馳走様でした」

「あらもういいの?」

「那瑠さんの所でコーヒー飲んできたから」

「あらそう……那瑠ちゃん元気だった?」

「元気そうだったよ」

「それなら良かった」

 智弘のほっとした顔を見て、飛鳥は悪い事をした訳でもないのに何だか心がチクリと痛んだ。

「それじゃ、俺風呂入ってくる」

「はーい、行ってらっしゃい」

 飛鳥は早く一人になりたくてそう言うと、着替えを持って風呂場へと向かう。

 風呂に浸かり、凝り固まった筋肉をほぐすマッサージをしながら、飛鳥は大会の事を考えた。レギュラーには翔太朗が入るだろうか。きっと入るだろう。しかし和哉が開けてしまった穴は大きい。こんな時に和哉が居てくれたらどんなに心強いか、飛鳥はそれだけ和哉の事を信頼していた。主将としてどれだけのプレッシャーが掛かっているか、和哉は理解してくれていた。

「一緒に大会出たかったな」

 飛鳥はそう呟く。その呟きは風呂場で反響して消えた。

 風呂から上がる頃にはすっかり飛鳥は逆上せていて、半裸のまま冷凍庫にあるアイスを齧った。

「随分長く入ってたのね、首、湿布貼ろうか?」

 智弘の申し出を断る理由も無く、飛鳥は頷く。

「すっかり筋肉付いて、体操選手らしくなったね」

 智弘は飛鳥の体を久々に見てそう言った。

「そう?まだまだ付くと思うよ。俺大学でも体操続けるし」

「オリンピック出られるかな?」

「出るよ俺」

 飛鳥は団体でインターハイではメダルを取れなかったものの、個人では各種目一つずつメダルを取っていた。オリンピックも目前という訳である。

「湿布貼り終わったよ」

「ありがとう、父さんは?」

 苦手と言いつつ気になってしまうのが飛鳥だ。

「仕事あるからって書斎に篭ってるよ。呼んでこようか?」

「いやいい。じゃあ俺二階行くから」

 アイスを齧りながら二階に向かい、スマホをチェックする。もう美月は勉強を始めたようだ。飛鳥は美月に電話を掛けながら勉強の準備をする。

「もしもし飛鳥?」

「最近早くない?」

「え、何が?」

 飛鳥は残っていたアイスを食べ切ってハズレの棒をゴミ箱に捨てやる気を出した。

「勉強始める時間」

「ああ、やることないから」

「また美月ママ出てきたりして」

「ちょっともうからかわないでよ」

「冗談だよ」

 飛鳥も勉強を始めると暫く静かになる。

「ねえ、ちょっと英語の過去問の問三分かんないんだけど」

「課題のやつ?」

「そうそう」

「あー、これね、意訳すんのめんどかった。関係代名詞から訳さないといけない」

「なるほどね、ありがと」

「おう」

 飛鳥は意外と面倒見が良い一面も持っていて、こんな風に教える事も好きだった。将来教師にでもなろうかなと考えて、飛鳥は頭を振る。

『父さんみたいに家に帰ってこない父親にはなりたくない』

 そんな思いがあって飛鳥は父親が苦手だった。育児もせず、書斎に篭りっきりの父親。そんな拓の背中を見て育った飛鳥は、父親とはもっと違う物だと思っていた。

「やけに静かじゃない、どうしたの」

 美月の言葉でハッと我に返る。

「いや、父さんのこと考えてて」

「真波先生良い先生じゃん」

「教師としては尊敬してるけど父親としては尊敬出来ない」

「ハッキリ言い切るわね、何かあったの?」

「特に無い。昔から苦手なだけ」

「そうなんだ……」

 美月はこれ以上詮索するのはよそうと思って口を噤んだ。

 そして十二時になり、二人はベッドに横になる。このまま今日は寝落ちしたいと美月が言うので、飛鳥は通話を切らずに目を閉じた。



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