第十一話

 飛鳥が風呂から上がって自室に戻ると、メールが来ていた。美月はもう勉強を始めたらしい。飛鳥はいそいそと机に座り、共通一次試験の問題集を引っ張り出した。そして少し緊張しながら美月に通話を掛ける。

「もしもし」

「もしもし美月」

「はいはーい」

「今日は始めるの早いね」

「まあね」

 カリカリとシャーペンを走らせる音がした。飛鳥も問題集から問題を選び、問題を解いていく。そしてふと思い立ったように風呂で考えていた事を美月に訊いてみた。

「なあ、美月」

「何?」

「何で女子体操部に入んなかったの?」

「あたし、中学の最後の大会で怪我したのよ」

「え、初耳なんだけど」

「だって誰にも言ってないもん」

「どこの怪我?」

「前十字靭帯、膝。手術するまでもなかったから、そのまま。たまに痛み止め飲むよ」

「そうだったんか」

「そうそう、だからマネージャー」

「体操したいと思わない?」

「思うよ、特に飛鳥が練習してるの見ると、体操クラブに居た頃に戻りたいなあって。でも今はそうでもないかな」

「何で?」

「飛鳥たちが練習してるの間近で見られるから」

「そうかあ」

「そうそう、女子よりもダイナミックで迫力のある演技みられるんだから、こんなに嬉しい事無いよ」

「なるほどね」

 飛鳥は納得して先程母親から言われた言葉を思い出した。

「今度家に遊びに来いよ。母さんが言ってた」

「え、何か怖いんですけど」

「挨拶したいんだって」

「普通挨拶ってこっちからするもんじゃないの?」

「まあ、確かに」

「まあでも良いよ、飛鳥ママに会うのも久し振りだし」

「サンキュ」

「いえいえー」

 何事も無かったかのように美月はそのまま勉強へと向かってしまったので、飛鳥もそうする事にする。

 数時間そうして勉強していると、美月の部屋の扉がノックされた。

「なあにー」

「美月、アイスココア持って来たよ、勉強頑張ってるみたいだし、応援してるからね」

「ありがとう」

「それじゃ、遅くならない内に寝るのよ」

「はーい」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 ぱたんと閉じられた扉を見て、美月は深い溜め息を吐く。

「何溜め息吐いてんの」

 飛鳥がクスクス笑いながら美月に問いかけた。美月は何でもないよ、と言ってはぐらかす。

「俺と通話しながら勉強してるのバレてんな?」

 美月は図星を突かれたように呻くと、また深々と溜息を吐いた。

「そうよ、この間からバレてんのよ。やっぱり目聡いよね母親って」

「分かる分かる、ウチもそうだもん」

「それは飛鳥が嘘吐くの下手くそなだけでしょ」

「それは……あるな」

 美月は笑って、やっぱりと言うとまた問題を解き始める。静かになった所で飛鳥も問題を解き始めた。


 次の日の朝。飛鳥は電話で目が覚めた。誰だろうと思ってスマホを見ると和哉だったので、飛鳥は一気に覚醒した。

「もしもし和哉!?」

「うるせえな、そんな大声出すなよ」

「すまん、驚いたからさ」

「ああ。足の手術終わったよ。これからリハビリに行くところ」

「マジか!成功したんか?」

「一応はな。あとはどれだけ俺が頑張れるかにかかってる」

「そうか……気安く頑張れとか言えないけど、頑張ってくれな」

「おう、任しとけ。美月にも伝えといて」

「オッケー」

「朝の忙しい時間にすまねえな、じゃあまた」

「おう、またな」

 飛鳥の顔が緩む。飛鳥は嬉しそうにしながら学校に行く準備を整えて下階に向かった。

「飛鳥おはよう」

「おはよう母さん」

「何か嬉しそうね」

「和哉がさ……」

 飛鳥は一連の会話を智弘に聞かせる。

「あら、良かったね!これで心配事は一つ減ったかしら?」

「うん、和哉の事だからリハビリに関しては心配してない。けどやりすぎには心配してるかな」

「和哉君頑張りすぎちゃう所あるもんね」

「そうなんだよ」

 智弘はそんな様子の飛鳥を見て微笑んだ。自分よりも飛鳥の方が和哉の事を分かっている、そんな様子であった。

 飛鳥は出された朝食を口に運びながら、和哉の声を思い出す。それはいつも通りの、何も変わらない和哉の声だった。飛鳥はそれが嬉しかった。急いで朝食を摂り、智弘が作ってくれた弁当を持つ。登校する時間になったので飛鳥は智弘に、行ってきますと言って家を出た。

 バス停まで来ると、美月が歴戦の単語帳を片手に英単を唱えている所であった。飛鳥はそれを見て駆け寄って、和哉から電話が来た事を報告する。

「えー!あたしには電話来なかった!ずるい!」

「ずるくはないだろ、それは羨ましいの間違い」

「羨ましい!」

 ぎゃんと吠えるような勢いで美月はそう言った。飛鳥は苦笑してまあまあとジェスチャーする。美月は少しだけ恨めしそうに飛鳥を睨みつけてからまた英単を口にし始めた。飛鳥は古文単語帳を出して古単を覚え始める。今日は古文もミニテストがあるのでその為だ。

 いつも通りの朝。バスに揺られて学校まで着くと飛鳥は今日の部活で和哉の手術が上手く行ったことを報告しようと思った。部員も心配していただろうし、飛鳥はそう決めて今日の授業に臨むのであった。


 放課後、部員が全員部室に集まったことを確認した飛鳥は、和哉の事を皆に報告した。皆嬉しそうに歓声を上げて喜ぶ。締めに飛鳥は皆が怪我をしない様注意して練習するように伝えて、皆で体育館へと向かった。

 今日の練習メニューを決めた飛鳥は、いつもの様にアップを済ませてトランポリンへと向かう。三回ひねりを確実に決められる様に練習に励んだ。そしてその後は床へと足を向けて、床に向かって一礼し練習に入る。

 もう高体連が始まる一週間前だったので、皆の熱の篭りようが凄かった。隆二も部員の指導にあたっていよいよ本番が近付いて来る音がする。

「飛鳥!危ない!」

 隆二の声が響いた。皆の視線が隆二から床で練習していた飛鳥へと注がれる。飛鳥は後方二回宙返りの回転不足で首から床に着地したのだった。いつもならこんなミスはしない。セーフティマットの上だったので、飛鳥はほっとした。しかし隆二はそんな飛鳥に向かって行き、座り込んでいた飛鳥に声を掛ける。

「飛鳥、注意力散漫です。首は何ともありませんか?」

「すみません。首は……ちょっと痛いくらいです」

「美月に処置を頼みましょう。美月!処置用の救急セットを!」

「はい!」

 美月は急いで体育館の隅に設置してある救急セットを持って飛鳥に駆け寄った。

「スプレーで冷やして、湿布を貼りましょう」

「はい!」

「すまない、頼む」

 飛鳥は申し訳なさそうにそう言って床の隅へと移動する。

「ちょっと首下げて」

「おう」

 スプレーで患部を冷やして湿布を貼り終えると、飛鳥は美月にお礼を言った。

「これくらい何でもないよ、怪我しない様に言ってたの飛鳥なのにこんな怪我するなんて」

「すまん」

「ううん、責めてるわけじゃないの。らしくないなと思って」

「らしくないか」

「うん、主将なんだからしっかりしてよ」

「ああ、分かった」

 飛鳥の処置を終えた美月は隆二に処置が終わった事を報告する。

「飛鳥、今日は練習は控えなさい」

「分かりました」

 飛鳥は体育館の隅に移動して、皆の練習を眺めた。ああ、翔太朗はもう伸身二回宙を完璧にモノにしてるな。健太は跳馬が怖いって言ってたけど克服したみたいだ。同じ三年の長瀬恭平は前方二回宙を成功させている。それなのに俺と来たら……。

 飛鳥は自己嫌悪に陥って、深く溜息を吐いた。柔軟ならしても良いだろうと思って柔軟体操を始める。暫くそうして柔軟をしていると、部活動の時間が終わってしまった。

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