第四話

 飛鳥と美月はバス停で古文単語長を開きながらバスを待っていた。バスがなかなか来ないので飛鳥は欠伸を噛み殺す。

「飛鳥、和哉と何話すの?」

 美月が単語帳から目を離して飛鳥を見た。飛鳥は夜空を見上げながら答える。

「何も考えてない」

「え、それで腹を割って話そうなんて言ったの?」

「うん。和哉の所に行けば和哉が話をしてくれると思う」

「なるほどねえ」

「俺はそれに答えて質問するだけだ」

 美月がうんうんと頷いて口を開いた。

「報告、よろしくね」

「報告?」

「そ!マネージャーの私にも和哉の話を聞く権利があるわ」

「それ言ったら部員全員聞く権利あるけどな、とりあえず分かった」

 バスが来た。二人はそれに乗り込んで空いている席に腰を掛ける。単語帳を開きながら、飛鳥はぼんやりと和哉の顔を思い浮かべた。屈託のない笑顔で、いつも部員の事を思いやって練習していた和哉。そんな和哉が何も言わずに転校していくなんて考えられない。

 聖東地区に着いた。大きく栄えている聖北地区とは違って静かな住宅街である。

「じゃあ、報告よろしくね」

「おう、じゃあまた」

 二人はそこで別れて、それぞれ歩いていく。時間は十九時半。とりあえず飛鳥は母親に和哉の所に行くと連絡をして、和哉の家の前まで来た。と言っても家は隣なのだが。しかし飛鳥は大きく息を吸ってインターフォンを押す。

「はい」

「真波飛鳥です、和哉に用があって来ました」

「あらあら、飛鳥ちゃん、今開けるわ」

「お願いします」

 ドアの鍵が開いて、飛鳥は和哉の母親に招き入れられて家に上がらせてもらった。

「和哉は二階に居るから、行ってあげて」

「はい」

 和哉の母親からそう言われて、見知った階段を上がり和哉の部屋の前まで。飛鳥はまた深呼吸をして和哉の部屋の扉をノックした。

「どうぞ」

「入るよ」

 和哉はベッドの端に腰掛けて飛鳥を待っていた。

「飛鳥、よ」

「よう」

 立ち尽くす飛鳥を見て和哉は笑い、座れよと言う。飛鳥は和哉の隣に座って、無言でいた。何を話せば良いか分からない。バスの中では色々と話したい事を纏めていた筈なのに、本人を目の前にして今になって離せない。そんな様子の飛鳥を見て、和哉は口を開いた。

「俺さ」

「うん」

「体操は続けたいから、手術が終わったらリハビリ頑張るよ」

「そっか」

「うん」

「片膝?」

「いや、両足」

「両足?よくそれで松葉杖で歩けたな」

「もうあっちに行ったら車椅子生活だよ。今だけ」

「そうか……手術はあっちでやんの?」

「そう。親父の知り合いの外科医。腕は良いらしい」

「そうなんか」

 そしてまた飛鳥は無言になってしまう、和哉は直球で言葉を投げた。

「怒ってるだろ」

「怒って……ないよ、今は」

「噓付け、怒った顔してるぞ」

「……」

「俺が何も言わないで居なくなるのに怒ってたんだろ?」

 飛鳥はそれに言い返せない。本当にその通りだったからだ。

「お前と何年付き合ってきたと思ってんだ、その位分かるさ」

「ごめんな、俺、信頼されてると思ってたから、裏切られた感じがしたんだ」

「悪い、なかなか言い出せなくて、結局こんな形で飛鳥に伝える事になるなんて。本当に信頼してる、信頼してるから、傷付けたくなかった」

「そうか、ありがとう」

 飛鳥の表情が少し明るくなった。和哉はほっと溜息を吐いて、背中からベッドに倒れ込む。

「俺、聖北大学受けるよ」

「え?でも海外行っちゃうんだろう?」

「大学生にもなれば一人暮らしも許してくれるさ」

「そうか、待ってるよ」

「ああ、待っててくれ」

「俺も聖北大受けるわ」

「飛鳥偏差値足りるの?」

「これでも学年のトップ争いには入ってる」

「すげえな」

 飛鳥は、そうだ渡す物があると言って鞄から一つの包みを出した。それは今年一番最初に部活のメンバーで作ったTシャツだった。

「これ、和哉の分」

「もう出来たのか」

「ああ、間に合って良かった」

「サンキュ」

 和哉はそれを広げて見て、俯く。飛鳥が心配して駆け寄ると和哉は唇をきつく噛み締めて涙を溢れさせていた。

「和哉、大丈夫か」

 飛鳥が和哉の背中を撫でる。

「俺っ、転校したくないよ、手術だってこっちで受けて毎日学校行きたいよ」

「分かるよ、離れたくないよ」

 和哉は飛鳥の腕の中でわんわんと子供の様に泣く。飛鳥は和哉を抱き締めて背中をさすってやる事しか出来ない。

「和哉、絶対に帰って来いよ」

「帰るよ、俺の居場所は此処だ」

「待ってるから」

「待っててくれ、絶対に帰る」

「おう」

 暫くして和哉が泣き止むと、腫れた目を擦って和哉は笑った。

「悪いな、カッコ悪い所見せて」

「そんな事ないよ」

 飛鳥は優しく笑ってそう言うと、じゃあ帰るよと言って立ち上がる。

「見送りはいいよ、階段降りるのも大変だろうし」

「分かった、今日はありがとな」

「こちらこそ、ありがとう、俺と話してくれて」

「ああ、電話するよ、手紙も書くよ」

「サンキュ」

「じゃあ、またな飛鳥」

「またな、和哉」

 飛鳥が下階に降りると、和哉の母親が心配そうに飛鳥を出迎えた。

「和哉、泣いてたみたいだけど、大丈夫かしら」

「大丈夫です」

「それなら良いのだけれど、来てくれてありがとうね」

「いえいえ、こちらこそ、遅い時間にすみません」

「気にしないで、これ、親戚から貰った苺なんだけど、智弘さんと食べて頂戴」

「なんかすみません」

「こういう時はありがとうって言うのよ」

「はい、ありがとうございます。それでは、お邪魔しました」

「いえいえ」

 飛鳥が家を出ると雨が降っていた。飛鳥は急いで隣の家に入る。

「ただいま」

「おかえり飛鳥」

 智弘は心配そうに飛鳥を見ていた。

「和哉くん、どうだった?」

 エナメルの鞄を置きながら、飛鳥は答える。

「大丈夫そう、ただ、やっぱり転校はしたくないって言ってた」

「そうだよね」

「これ、和哉のお母さんから」

 飛鳥は忘れない内にと鞄から苺のパックを取り出して智弘に渡した。

「あら、苺」

「食べてって貰ったよ」

「じゃあ、夕飯後のデザートにしましょうか、もうご飯出来てるから手洗ってきな」

「はーい」

「あとお父さん呼んできて」

「帰って来てるの?」

「今日は残業無しなんだって」

「了解」

 飛鳥は智弘に言われた通りに手を洗って二階に上がる。父、拓は聖北高校の数学教師でもあった。それ故にどこか近寄りがたい雰囲気を持っていて、飛鳥は少しだけ苦手意識を持っていた。他の生徒からは人気があるらしいが。

「父さん、ご飯だって」

 ドアをノックしてそう言うと、拓は分かったと言って部屋から出て来た。

「行こうか」

「うん」

 飛鳥と拓が二人でキッチンに入って来たのを見て、智弘はクスクスと笑う。

「どうかしたか?」

「いや、その仏頂面、二人ともそっくり」

「……」

 飛鳥は顔を顰めさせて、拓はそうかと言って智弘と一緒に笑った。

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