第二話

 飛鳥は帰ってからもう一度和哉に電話を掛ける事にした。帰って風呂と夕飯を済ませた飛鳥は自室に戻り意を決して和哉へと電話を掛ける。

「出ないな……」

 数コールしても電話に出ず、飛鳥は益々和哉の事が心配になった。電話を切った飛鳥はベッドへと横たわる。

「何してんなだろ」

 窓のカーテンを開けると、すぐ目の前は和哉の部屋だ。明かりがついていない。飛鳥はベッドから降りて机に向かった。ちょっとは勉強しようと思ってそうしていたが、なかなか集中出来ない。飛鳥は仕方なく明日の英語と古文の予習だけ済ませてしまうと筋トレをしようと立ち上がった。部屋の隅に置いてある鉄棒と同じ太さのバーに倒立をし、数秒間そのまま静止してみる。何回かそれを繰り返して、今度は腕立てをし始めた。規則正しく腕立てをしているとドアがノックされて、飛鳥は腕立てを止める。

「はい」

「飛鳥、今度の合宿の費用、渡しておくね」

「ありがとうございます」

 智弘が飛鳥に茶封筒を渡して、口を開いた。茶封筒を鞄に仕舞い、飛鳥は智弘と向き合う。

「筋トレ?」

「そう、何か勉強に集中出来なくて」

「そっかそっか」

 智弘は程々にね、と飛鳥に声を掛けて下階に降りていった。

 飛鳥は今度、柔軟体操をしようと思って床に座る。柔軟で固まった筋肉を解していくのは心地よい。飛鳥は暫くそうして柔軟をしていた。不意に携帯電話が鳴った。飛鳥は和哉かと思って急いで机に置いてある携帯電話を手に取る。

「何だ、美月か」

「何だとは何よ」

 電話越しに不満そうな声。飛鳥は笑ってごめんごめん、と言った。

「あのさ」

「うん」

 美月は何か躊躇うように息を吸って、口を開く。

「和哉、半月板の手術するんだって」

「半月板って、膝?」

「そう。今日お母さんが和哉のお母さんと会ったみたいで、聞いたんだって。そしたら半月板の損傷が酷くて手術しないといけないらしくって」

「マジかよ」

 半月板の怪我は体操選手なら珍しくない。飛鳥はそれを聞いて、溜め息を吐いた。

「あとね……」

 美月は言おうか言わまいか迷って、飛鳥と同じように溜め息を吐く。

「何?」

 飛鳥の催促で美月は口を開いた。

「和哉、お父さんの仕事で、海外に引っ越すらしい」

「え、じゃあ学校は?」

「今月末に転校するって」

 飛鳥は何も言えなくなって息を飲む。今月末と言ったらもうあと一週間も無い。

「マジかよ……」

 言葉がそれしか出てこなくて、飛鳥は椅子に凭れかかった。天井を仰ぎ見て何とか言葉を発しようとする。

「とりあえず、教えてくれてサンキューな」

「うん、ショックだろうけど、あたしもショックだから……」

「そうだよな……」

「うん……」

 二人とも暫く無言であった。電話越しに、美月お風呂入っちゃいなさい、と言う声が聞こえた。

「今入る!それじゃ、また明日ね」

「おう、またな」

 美月はバタバタと電話を切り、飛鳥は携帯電話を置く。

「半月板の手術に転校かよ……」

 飛鳥はそう呟いて、また天井を仰いだ。この調子だともう和哉は学校には来ないだろう。飛鳥はそれが少し寂しくて、一人静かに涙を流した。


 翌朝、飛鳥は寝坊をしてしまった。あの後眠れずに寝たのは朝方だったのだ。

「やべえ、遅刻する」

「飛鳥!車乗っちゃいなさい!」

 智弘が飛鳥にそう言って車を出してくれる。車の中でも飛鳥はぼーっとしていた。ぼーっとしていたので、飛鳥は学校に着いたのにも気が付かなかった。

「飛鳥?着いたよ」

「あ。ありがとう、行ってきます!」

「はい、行ってらっしゃい!」

 校門前で車から降りて走って昇降口に向かう。教室に入ったのは予鈴が丁度鳴った所だった。

「飛鳥おはよ」

「おはよう美月」

 美月の目の下には隈が出来ている。飛鳥同様、昨晩は眠れなかったようであった。

「昨日あたし全然眠れなかった」

「俺も」

 担任の璃音が教室に入ってくる。

「皆に報せがある。東海林和哉が転校することになった。それと怪我をしてもう学校には来られないそうだ。残念だが寄せ書きをしてやろうと思って色紙を持ってきた。休み時間に皆書いてやるように」

 教室はザワザワと騒がしくなった。璃音が静かに、と言って静かにさせる。

「騒ぐのは休み時間にしてくれ。じゃあ朝のホームルームはこれで終わりだ。皆、しっかり授業を受けてくれよ」

 璃音が教室を出て行ったのを皮切りに、教室は一気に騒がしくなった。皆どうして和哉が転校するのか、一体どんな怪我をしたのか、それが気になるようだった。全てを知っていた飛鳥と美月は授業の準備をして顔を見合わせる。

「やっぱり、皆気になるよね……」

「だろうな」

「和哉、大丈夫かな……」

「……」

 飛鳥は何も言えずに俯いた。大丈夫だろうとは言えなかった。きっと誰よりもショックを受けている事は分かり切っている。だから電話にも出ないのだ。

 予鈴が鳴り、教室は静かになる。古文の担当の先生が教室に入ってきた。授業が始まる。


 放課後、美月は部室の鍵を取りに行き、飛鳥はそれを職員室の前で待った。美月が職員室から出て来たので、飛鳥はエナメルの鞄を肩に掛け直し歩き出す。

「よし、行くか」

「うん」

 部室の前に着くと、翔太朗が既にそこで待っていた。

「あー、飛鳥先輩に美月先輩、お疲れ様です」

「お疲れ」

「早いねー、今開けるよ」

「あざす、あれ、今日も和哉先輩休みっすか?」

「その事なんだけど……」

 美月が重々しく口を開く。

「半月板の怪我して、手術するんだって。それで、お父さんの仕事で転校もするって」

「え、マジすか。こないだまで普通に部活してたじゃないすか」

「多分、隠してやってたんだろうな」

「何も隠す事ないのに」

「和哉はそういう奴だよ」

「まあ、飛鳥先輩がそう言うならそう言う人なんでしょうけど……」

「立ち話も何だし、二人とも早く着替えて体育館行こうよ」

「そうっすね」

 美月の一言で二人は部室に入った。美月は教室で着替えて来ていたので、荷物を置いてそのまま体育館へと向かう。

「和哉先輩とはもう会えないんすか?」

 翔太朗がそう言うので、飛鳥は首を縦に振った。

「もう学校には来ない」

「そうなんすね……何だかなあ」

 モヤモヤしているのは飛鳥も同じである。飛鳥は着替えを済ませると翔太朗と共に部室を出た。


 部活の終わり際、顧問から璃音と同じ様な話がされた。部員の面々は皆不安そうな顔をしている。

「やっぱり本当なんすね」

 翔太朗が悲しそうに飛鳥にそう言った。飛鳥も頷いて俯く。翔太朗は切り替えた様に顔を上げて、飛鳥に向かって口を開いた。

「でも、今生の別れじゃないんで、また会えるの楽しみにしてますよ」

「そうだな」

 自分も翔太朗の様に前向きになれたらなあと飛鳥はぼんやりと思う。

 部活の時間が終わり、飛鳥は部室で着替えを済ませ、部室の鍵を返しに美月と共に職員室へと向かった。

「ちょっと俺、合宿の費用教室に忘れたから取りに行くわ、その後職員室行く」

「オッケー、先に鍵返しに行くね。昇降口で待ってる」

「サンキュー」

 飛鳥は美月と別れ、三階の教室へ向かう。教室に誰かが居て、飛鳥は誰だろうと思いながら教室に入った。

「和哉?」

 そこに居たのは、もう学校には来ないと言われていた和哉だった。

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