【結:誤算】

 「あーちきしょー、だりぃ」


 改札を出た途端、容赦なく照りつけてくる8月の日差しに、少年は呻く。

 咲良学院の男子の夏服は半袖のワイシャツに薄手のスラックスというありふれた意匠だが、この少年は、ズボンの裾をニッカーボッカーズの如くふくらはぎ辺りまで折り返し、ワイシャツの襟をマオカラー風にプチ改造しているので、あまり学生服という気がしない。


 「あれ、折原じゃんか。ちぃーす!」

 「んん~、更科か。おぃーっす」


 学院への途上で友人と出会ったので、駄弁りながら向かうことにする。


 「折原が休暇中の部活に出るのって珍しいな」

 「あ! 漫研の活動日、今日だっけか? やっべ、忘れてた~」


 高等部に進級した少年は、美術部から目の前の友人・更科寛治も所属する漫画研究会へと籍を移し、そちらで主にイラストや掌編マンガを書くことを主な活動内容にしている。

 とは言え、あまり真面目な部員とは言い難かったが。


 「ヲイヲイ、忘れてたのかよ──って、じゃあ何で夏休みの真っ最中に登校してんだ?」

 「はっはっはっ、数学の相沢女史にプライベートレッスンに呼ばれててな。手取り足取りいろいろ教えてくれるそうだ」

 「つまりは──補習か」

 「…………はい」


 少年はがっくりと肩を落とす。


 「うわぁ、ご愁傷さま。それにしても、2年前は学年で五本の指に入る成績だったお前が、まさか補習を受けるようになるなんてなぁ」

 「ぅぅ~、コレは何かの陰謀じゃよー!」


 ダバダバと滝のような涙を流す少年──折原邦樹[偽]。


 (こんな事になるなんて……)


 大げさにジョークっぽいリアクションを返してはいるものの、実は本人もそれなりにショックを受けてはいるのだ。


 あの時、“彼女”だった彼は、学力を本物の邦樹と交換しようとして、それは確かに実現されたのだが──ここに落とし穴があった。

 その時点の「学力」が入れ替わったとしても、その後、キチンと継続的に勉強しなければ、徐々に成績が下がるのは自明の理であろう。


 逆に、“彼”だった彼女──東雲市歌[偽]の方は真面目な性格も相まって、地道な努力を続けた結果、高校一年の一学期末の試験では、何とか中の上と言える域まで盛り返している。今では、下手したら邦樹の方が低いかもしれない。


 一方、部活に関しては、邦樹は確かに絵を描く技術や技巧はあったものの、美術部のクソ真面目な絵を描く活動が性に合わず、前述の通り高等部に入った際、漫研に鞍替えしている。


 対して、市歌の方は……。


 「ん? グランドの方が騒がしいな」


 寛治の言葉に釣られて目を向けると、そこではどうやら野球部が他校と練習試合をしているようだった。


 「お、アレ、大鳳じゃね?」

 「ホントだ!」


 咲良学院高等部の野球部はこの学校の運動部の中では比較的強い方だが、それでも地区大会ではベスト16~8が定位置だ。

 しかし、一年生に有望な新人がふたり入ったため今後3年間はベスト4、もしかした優勝も狙えるのでは、と噂されている。


 そのうちのひとりは高等部からの編入組で、中学時代に某有名野球高からのスカウトも来たという噂の有名人、星崎 空。

 そして、もうひとりが、中等部からの内部進学組で、彼らふたりの友人である大鳳鈴太郎だった。


 俊足巧打で出塁率・盗塁率が非常に高い空と、長打力とここ一番の勝負強さが持ち味の鈴太郎、ふたりがいれば得点源には困ることがないだろうと言われている。無論、投手陣がヘボで打たれまくれば意味はないのだが……。


 ともあれ、そんなワケでこのふたりは一年のうちから例外的にレギュラー入りしており、今ちょうど鈴太郎が打席に立っているところだった。


 「あ~、いいなぁ、アレ」


 寛治が羨ましそうに見ている視線の先には、紅のノースリーブと白いプリーツミニスカートに身を包んだ一団──チアリーディング部の姿があった。


 黄色いポンポンを手に息の合った演技うごきで、野球部を応援している。

 普段は公式試合でもない練習試合に出張ることはないのだが、たまたま自校で試合があったので部活も兼ねて応援しているのだろう。


 その中のひとり、セミロングの髪をカチューシャでまとめた少女に邦樹の視線は吸い寄せられる。

 身長165センチ強と女子にしてはやや長身で、見惚れるほどの美人というわけではないが、均整のとれた健康的な肢体と屈託のない明るい笑顔が魅力的だ。


 さらにいえば……。


 (何だよ、あの胸、オレが“アタシ”だった頃と大違いじゃんか)


 彼女の胸は16歳にしてはなかなか豊満で、チアの演技で跳ね回るたびにブルンブルン揺れているのがわかるくらいだ。


 「邦樹ク~ン、いけないなぁ、友達の彼女のオッパイに見とれてちゃあ。ま、同じ男として気持ちはわかるけど」


 そう、東雲市歌は、大鳳鈴太郎とつき合っているのだ。


 「そ、そんなんじゃねーよ! 誰があんなガサツな体育会系男女に」

 「ああ、そう言えば、中等部の頃、お前らいつもケンカしてたよな。でも、それは言い過ぎだろ。東雲さん、確かに中等部ではバレー部所属だったけど、礼儀正しいし、成績も悪くないし、身だしなみにも気を使ってるじゃん」


 寛治の言う通りだった。


 “あの日”、「東雲市歌」の名前と立場を押し付けられた彼女は、しばらくは教室で見た時も精彩がなかったが、一週間もすると吹っ切れたのか、積極的に市歌としての暮らしに馴染むよう努力を始めた。


 しかも、元の市歌が客観的に見て「ガサツ」、「脳筋」と言われても仕方ない娘だったのに対して、市歌[偽]は良識的で、部活以外のことにもそれなりに力を入れるようになっていたのだ。

 それは、勉学しかり、年頃の女の子としてのたしなみ然りで、また元の邦樹だった頃はコミュ障気味だったのが嘘のように、対人関係にも気を使うようになっていたため、男女どちらの受けも悪くはなかった。


 そういう意味では、市歌[真]の「邦樹アイツにもガサツな体育会系男女の気持ちを味わせてやりたい」という願いは、十全に叶ったとは言えないのかもしれない。


 そして中等部のうちは女子バレー部で特に可もなく不可もない一部員として過ごした市歌は、高等部に進んだ後、クラスメイトになった外部生の友人に誘われてチアリーディング部に入部し、今に至る──というワケだ。

 これは、バレー部時代に、対戦相手と勝敗を争う競技が性格上自分にあまり向いていないことを、彼女が痛感したからでもあるのだが。


 そんな市歌だが、もともとの折原邦樹時代に鈴太郎と親しかった影響か、クラスメイトである彼と親しく言葉を交わすようになり、やがて中学三年の秋頃には正式に交際するようになっていた。

 同時にその頃から、精神面ばかりでなく身体面も女らしく──ブッちゃけて言うと胸とお尻が大きくなり、顔つきもより柔和で可愛らしくなっていったのだ。


 「──オレ、そろそろ補習に行くよ」


 今の「女の子として輝いている東雲市歌」を見ていると、なんとも言えない気分になる邦樹は、無理やり視線を逸らし、寛治にそう告げた。


 「? あ、ああ、まぁ、ボチボチがんばれ。あと、終わったら部室に顔出せよ」

 「らじゃー」


 重い足取りを引きずりつつ、少年は教室へと向かう。


 (どうしてこうなった……)


 心の中で自問自答している邦樹には、『兎と亀』あるいは『アリとキリギリス』の逸話を教えてやるのが最適解だろうか。


 「あっれ~、折原くん、どしたの?」

 「──夏休みの教室に来る用事が補習以外に普通あるか?」

 「それもそっか」


 ケラケラと笑う(かつての親友のひとりである)有方瀬理の様子に、少しだけ毒気を抜かれる。


 「怒んないでよ。あたしも補習組なんだし、一緒にがんばろ」


 間近でニコッと微笑みかけれられてドキリとする邦樹。


 「あ、ああ、よろしくな」

 (ちょ、なんで、セリ相手にこんな気分に……)


 まぁ、それだけ“彼”が男としての立場に心身共に馴染んだということなのだろう。


 この補習をキッカケに、邦樹は(本人の心情としては再び)瀬理と親しくなり、夏休みが終わるころにはつきあい始める。


 そして秋の学院祭を迎える頃には、鈴太郎&市歌と並ぶ立派(?)な“イチャイチャかっぷる”として、周囲に羨望半分腹立ち半分の溜息をつかせる存在になるのだった。


 当初の──「アイツにガサツな体育会系男女の気持ちを味わせてやりたい」という──目論見は成功したとは言えないものの、折原邦樹は(そして東雲市歌も)それなりに満足のいく学生生活を送り、卒業後はそのまま伴侶と結ばれてごくごく普通の幸せを手に入れたという。


-おしまい?-

(次回はオマケ)

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