【そして再びの火曜日】

 僕が東雲さんとケンカ(というか一方的に罵倒)した日から1週間が過ぎ、再び火曜日が巡ってきた。


 その日の朝から、僕はヒドく憂鬱だった。


 (今日はいったい何が起こるんだろう)


 普通なら不思議な未知なる現象に遭遇するという経験は、大なり小なりワクワクするものなのかもしれないけど、この件に限っては僕はまったくそんな気になれなかった。


 (次は何を奪われるのか……)


 正確には、“奪われ”ているわけじゃなく、“交換”されているんだろう。

 でも、僕の意思も都合もお構いなしに一方的に実行されるそれは、まさに略奪されているとしか思えなかった。


 正直、無遅刻無欠席のポリシーを曲げて学校をズル休みしようかとも考えたんだけど、昨日の“交友関係”みたく学校に行かないと気づかないことがあって、それを知らないままでいるというのも、それはそれでイヤだった。


 そんな状態だから、当然ながら学校に着いてもテンションは低いままで、真綾や瀬理の話相手をするのも億劫だったけど、昨日の不調が長引いてると解釈してくれたのか、彼女達はむしろ同情的な目で見てくれてるようだった。


 「もしかしてトモキ、“アレ”?」

 「そういえばアンタ、そろそろだったよね」

 「う、うん、まぁ……」


 よくわからないけど曖昧に頷いておく。


 「そっか~。じゃあ、今日の部活の練習は休んだ方がいいよね」

 「部長にはわたしたちの方から言っといてあげるよ」

 「あ、ありがと」


 短く感謝の言葉を伝えつつも、頭の中で今のやりとりを検証する。


 (確か、真綾や瀬理は東雲くんと同じ女子バレー部だったから──もしかすると、今の私もバレー部に所属してることになってる?)


 コレが今日の“異変”なのだろうか?

 いや、月曜は部活がなかったから発覚しなかったけど、僕の交友関係が変化している以上、昨日の時点ですでに僕はバレー部員ということになっていたのかもしれない。

 だからこそ、隣のクラスだけど同じバレー部員である乃愛が親しげに話しかけてきたのだろうし……。


 無意識にチラッと前の方の席の東雲さんを見ると、“彼”は眼鏡をかけて何か文庫本らしきものを読んでいるようだった。


 (! そういえば、私、いつの間にか眼鏡をかけなくなってる)


 いったいいつからだろう?

 少なくとも、日曜に部屋でゴロゴロしている時には、裸眼でも問題なく本やマンガを読めたのは確かだ。


 (そりゃ、この席からでも黒板がよく見えるのは、一応メリットだけどさぁ)


 でも、たとえ視力が悪いままでもいいから、できれば元の状態に戻りたい。

 僕は切実にそう願わずにはいられなかった。


 * * * 


 僕たち──僕と東雲さんに起きた“異変”を除いて、今日も退屈なくらい平穏に授業時間は過ぎていく。


 真綾たちにああ答えた手前、さすがに今日明日くらいはおとなしくしているべきだろうし、第一はしゃぐ気には到底なれなかったけど、それでもありふれた“日常”に流されている間は、自分の“現状”を意識せせずに済む。


 授業中、僕は──ややもすると居眠りしたくなる春の陽の誘惑に抵抗しつつ──懸命にノートをとっていた。書いてる字が、いつの間にか丸っこい女の子文字になってるのは、気にしたら負けだと割り切る。


 あいかわらず先生の言うことは難しく感じたたけど、それでも先週の木曜日のようにチンプンカンプンってことはなく、落ち着いて考えれば半分以上はちゃんと理解できる。


 (つまり、東雲くんの学力だって、真面目に勉強してれば十分ついていけるってことよね)


 コレは数少ない朗報(?)と言えるかもしれない。


 そして迎えた放課後、部活に行く真綾と瀬理を見送ったあと、スケッチブックと画材の入ったバッグを持って教室を出ようとしている(たぶん美術部の部活に行くのだろう)東雲さんに、勇気を出して声をかける。


 「待って、東雲くん!」


 ピタリと足を止めて振り返る東雲さん。

 僕とほとんど変わらない背丈や肩幅で、短めの髪もメンズモデルっぽいヘアスタイルにまとめているせいか、男子のブレザーを着た東雲さんは、まるっきり普通の(あるいはちょっとカッコいい)男子生徒に見えた。


 「──何か用、折原さん?」


 身長的にはほぼ対等なはずなのに、なぜか見下ろされているような気になって落ち着かない。それでも、再度勇気を奮い起こして、僕は“彼”に言った。


 「その──相談したいことがあるの。少しだけでいいから、時間もらえないかな?」

 「相談──相談ねぇ。ま、部活が終わったあとならいいぜ」


 少なからず含みのありそうな視線を僕に向ける東雲さんだったけど、意外にあっさり了解の返事をくれた。


 「美術部は5時半頃に終わるから、その時間、この教室で落ち合うってのでいいか?」

 「う、うん、それでいいわ。ありがとう」


 お礼を言う僕を面食らったような目で見つめる東雲さんだったけど、フイと視線を逸らして、そのまま教室を出て行った。


 (これで第一段階はなんとかクリアーかな。あとは何とかして東雲くんを説得しなきゃ)


 そう心の中で堅く決意した僕だったんだけど……。


 * * * 


 そして、ここで物語は冒頭の時間へと巻き戻る。


 最後のアイデンティティの砦ともいえる“名前”さえも奪われ(交換され)てしまった“少女”は、力なく肩を落としつつ校舎の昇降口へと向かい、「東雲」と書かれた下駄箱からスクールローファーを取り出して履き替えた。


 そのまま、無意識に校舎の裏手にある自転車置き場へと向かいかけて、ハッと気が付いて足を止める。


 「え? 私、自転車通学だったっけ?」


 そんなはずはない。折原邦樹の家は、ここから電車で数駅離れた場所にあるため、「女の子の足で」自転車通学するのはかなり難しいはず……。


 (──でも、“東雲市歌”の家ならば?)


 唐突に沸き上がってきた疑問に、心の中の誰かが答えた。


 (問題ないよね。自転車で10分弱、歩いたって20分くらいしかかからない距離なんだから)


 「そんな、そんなことって……」


 懸命に、隣の区にあるはずの折原家の場所を思い出そうとしても、具体的なビジョンが何も浮かんでこない。それどころか、どの駅で降りるのかさえ、わからなくなっていた。


 「まさか──私、これからは東雲家に帰るしかないの!?」


 試しに自転車置き場を覗いて見れば、“自分がいつも通学に使っている自転車”がどれなのかすぐし、スカートのポケットから取り出した鍵であっさりロックを外すこともできた。


 おそるおそるまたがると、サドルの高さもハンドルの位置もあつらえたように自分にピッタリだ。


 意を決し、ペダルに足をかけて漕ぎ出そう──としてみたものの、それでもやはり少なからぬ迷いはあった。

 このまま“東雲市歌”の自転車で漕ぎ出せば、今の自分が“市歌”だと自分で認めることになるのではないか。そんな気がしたのだ。


 しかし……。


 「おーい、そろそろ下校時刻だぞー、寄り道せずに気をつけて帰れよ~」

 「は、はいっ」


 下校見回りの教師にそう声をかけられ、返事をした“少女”は、反射的にそのままペダルを踏み込んでしまう。


 あっけないほど軽快に自転車は動き出し、ほとんど意識していないのに、そのまま“少女”は“初めてのはずなのになぜか見慣れた街並み”を通って、ほどなく東雲家に着いて──いや、“帰って来て”しまった。


 駅からは少し離れた住宅街の外れ近くに祖父の代に建てられ、何度かの細かい改装を経た、やや古めの日本家屋。それが東雲家だった。

 建売ながらモダンな洋風建築の折原家とはまるで趣きが異なるが、それでもなぜか「ここが自分の家だ」という安堵感が“彼女”の中に湧き上がってくる。


 庭の隅のガレージの一角に自転車を押し込むと、意を決して“彼女”──東雲市歌となった“少女”は、玄関のドアを開けて中へと入っていく。

 このままでいいのかという躊躇いも、他人の家に勝手に入るという罪悪感も等分にあったが、“少女”はそれに気付かないフリをする。


 (だって、ここが私の家なんだもん! ここに帰るしかないんだもん──私は東雲市歌だから)


 ツツーッとひと筋の涙がこぼれたが、それを見られないようこっそりハンカチでぬぐうと、“市歌”はワザと明るい声で台所にいる“母親”に挨拶をする。


 「ただいま~、ママ、今日の晩ご飯はなーに? 私、お腹ペコペコだよ~!」

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