【仕着せの土曜日】

 その日の夜、奇妙な夢を見た……気がする。


 ──ねぇ、どうしてこんなコトを?


 「わからないの?」


 それは……。


 「ふぅん、答えられないんだ。だったら続けるしかないよね」


 続けるって──いったい何をする気?


 「もちろん、アンタに実感してもらうのよ。アタシの──“ガサツで可愛くない体育会系女子”の立場と気持ちを」


 !!


 * * * 


 「──それはっ!?」


 翌朝目が覚めた時、僕はベッドの上にガバッと半身を起こして何かを言おうとしていた。

 してたんだけど──言いかけた言葉は目が覚めると同時に脳裏からスルリとこぼれ落ちてしまった。


 「はぁ、はぁ……何だったんだろ?」


 何か不思議な夢を見たような気がするんだけど。


 「まぁ、くよくよしてても仕方ないよね。そろそろ起きなきゃ」


 のかかった布団から出て、──太腿の半ばくらいまでの長さの上着(チュニック)の下にふくらはぎまでの七分丈ズボンを着た格好のまま、軽く伸びをする。


 「ん~、ヘンな夢を見たけど、身体は快調かな。あ、でも、寝汗でベトベト。シャワー浴びなくちゃ」


 (もちろん本物じゃないけど)から、替えの下着──を取り出して、お風呂場に向かう。


 「お母さん、ちょっと寝汗かいたから、シャワー浴びるね」

 「そう。でもそろそろ、ご飯ができるから、なるべく早くしなさい」

 「はーい」


 台所で朝食の支度をしている母さんとそんなやり取りしてから、脱衣場に入り、ナイティを脱ごう──として、はたと気づいた。


 「え!? なんで、こんな格好してんの?」


 鏡の中には、どこかで見たような女の子──じゃなく、女物の寝間着を着た、自分の姿が映っている。

 元々あまり体格のいい方じゃないのと、いつの間にか襟が完全に隠れるくらいの長さに髪が伸びているせいで「ショートカットのボーイッシュな女の子」に見えないこともないけど……。


 「ね、寝てる間に、悪戯で誰かにこんな寝間着に着替えさせられたのかな?」


 念のため、昨晩寝る前のことを思い出してみる。


 (えーと、昨日は──急ぎの宿題とかなかったから10時までテレビ見てて、それからお風呂に入って、ダッツのアイス食べたあと、ベッドの上でマンガ読んでて……11時半過ぎに眠くなってそのまま寝ちゃったんだっけ)


 風呂から出た時に、寝間着に着替えたはずで。


 「その時、このお気に入りのナイティに着替えたんだから──うん、何も問題はない……わけないじゃない!」


 絶対におかしい。

 そもそも、僕は普段、家ではTシャツとショートパンツを部屋着にしてて、寝るときもその格好で布団に入ってた──はずだ。なぜか、その辺りの記憶があやふやであまり自信はないけど。


 「ともきーー、何騒いでるの? シャワー浴びるならさっさとしなさい」

 「! は、はーい」


 母さんから、そんな風に急かされたので、とりあえずパパッと寝間着を脱いで風呂場に飛び込む。


 「良かった……ちゃんと“ある”」


 下着まで女物だったから、もしやと危惧してたんだけど、裸になってみると股間ソコにキチンと長年の“相棒”が鎮座ましましていてくれたのは不幸中の幸いと言うべきか。


 ただ、風呂場の鏡に映る自分は、髪の毛が幾分長くなっただけじゃなく、肌の色もなんだか白くなってるような気がする──まぁ、元々インドア派だから、そんなに日焼けとかはしてなかったんだけど。


 「オッパイは──うん、全然ないな」


 シャワーを浴びながらペタペタと自分の胸に触ってみたところ、こちらは特にいつもと変わりなく真っ平らなままだった──腹立たしいことに。 


 (中学2年生になったんだし、そろそろちょっとくらいは膨らんできても──って、なんでだよ!)


 下手な小学生以下の、貧乳を通り越して無乳なことに、落胆を覚え……かけて、慌ててブンブンッと首を振る。


 (しっかりしろ! 何歳になったって、僕の胸が膨らむはずがないじゃないか)

 「だいたい、私は女の子なのよ……って、えっ!?」


 自分では「僕は男の子なんだから」って言ったつもりなのに、なぜか口からはそんな言葉が飛び出していた。


 「私(僕)は、女の子(男の子)、だよね?」


 何度か試してみても、やはりそうなってしまう。思った通りの言葉が口に出せないというのは地味に恐ろしく、背筋に震えがくる。


──ガチャ!


 「ともき、いつまでもグズグスしてると遅刻するわよ。制服もここに置いておくから、早く上がってご飯食べなさい!」


 けれど、ちょうどその時、風呂場の向こうの脱衣場に母さんが入って来て、声をかけてくれたので、何とか立ち直ることができた。


 「あ、うん、わかったー」


 とりあえず考えるのはあとにしよう。


 手早くシャワーを浴びて汗を流し、タオルで身体を丁寧に拭いてから、脱衣籠に用意された(というか自分で持ってきた)ショーツとブラを手に取る。


 心の戸惑いとは別に身体は自然に動き、形状的にブリーフと大差ないショーツはともかく、これまで一度も着たことはおろか手にしたことすらないはずのブラジャーも、ごく自然に身に着けることができた。


 綺麗にアイロン掛けされた制服のブラウスを羽織り、男物とは逆についたボタンも手間取ることなく上からはめていく。ネクタイとは異なるリボンタイの結び方も指が覚えているようだ。


 ワインレッドのフレアスカートと学校指定の白いスクールハイソックスを履き、スカートと同じ色の上着ボレロを着れば、少なくとも見かけだけは立派に私立咲良学院に通う“女生徒”ができあがった。


 (こんなの、おかしい、はずなのに……)


 鏡に映る自分の姿を見て、僕は困惑する。

 違和感があるからじゃない──逆に違和感がなさ過ぎるのが問題だった。

 女装、それも女子の制服を着るなんて、生まれて初めての経験のはずなのに、なぜか鏡の中の姿を当たり前のように感じてしまうんだ。


 そして、それは自分だけの話じゃなかった。


 リビングにいた母さんも父さんも、女子の制服を着た僕の姿を見ても何も言わなかった。通学カバンを手に玄関から出た時、偶然顔を合わせた隣家のオバさんもそうだ。


 学校に着いても、クラスメイトのみんなも、女装してる僕を見ても囃子立てたりしない──それどころか、周囲は皆、僕のことをナチュラルに女子生徒として扱ってるみたいだった。


 そのおかげか、最近僕を敵視していたはずの山田さんや有方さん(どちらも東雲さんと親しい女子生徒だ)達の態度が、普通の反応に戻ったのは有り難かったけど、逆に大鳳くんや更科くんとは微妙に距離が空いちゃった気がする。


 そして、問題の東雲さんだけど……。


 東雲さん──昨日までは“東雲市歌”という女生徒だったはずの存在は、当たり前のように男子制服のブレザーを着て、教室の一番前の席に座っていた。

 クラスの男子とも、ごく自然に“男子中学生らしく”会話をしてる。


 「(ニヤッ)」


 ほんの一瞬だけこちらの方を見て、東雲さん(それとも東雲くん?)が笑ったような気がした。それも、「明るく笑いかけた」とかじゃなくて、「馬鹿にしたように嘲笑う」って感じで。


 (嗚呼、やっぱり……)


 それを見た時、僕は確信したんだ。

 この奇妙な現象には、間違いなく彼女(彼?)が関わっているのだと。


 * * * 


 その日は土曜日だから授業は午前中で終わりだったけど、午後からの半休をとても素直に喜べるような心境じゃなかった。

 心ここにあらずという状況なのが自分でもわかるけど、頭でわかっていてもこればかりは、どうにもならない。


 「なぁ、なんか調子悪そうだけど、大丈夫か?」


 そんな僕のことを心配して、わざわざ声をかけてくれる大鳳くんは、とてもいい人なんだなと思う。


 「今日は部活休みなんだろ? 更科と駅前のカカロットシティに行くつもりなんだけど、よかったら気分転換に折原もどうだ?」

 「えっと……」


 本当は家に帰ってじっくり考えたかったけど、こんな状態で帰ったら、母さんたちを心配させるかもしれない。それなら……。


 「うん、ありがと。じゃあ、私もご一緒するね(僕も一緒に行くよ)」


 口から出る言葉が自動的に女の子っぽいものに変換されるのは、この半日でもうあきらめた。


 「おりょりょ、鈴太郎くぅ~ん、もしかして俺ってばお邪魔かな?」


 更科くんがニヤニヤしながら大鳳くんの肩に手を回して何かを囁いている。


 「ば、バカ、そんなんじゃないって、寛治。俺は、ただ小学校時代からの友人としてだな……」

 「HAHAHA! わかってるって、イッツ・ジョーク、イタリアン・ジョークあるネ!」


 そんな他愛もない彼らのやりとりを見てると、沈んでいた僕の気持ちも「クスッ」と笑うくらいの余裕は取り戻せたんだ。


 その日の午後は、ホントに楽しかった。

 ファーストフード店でランチを摂ってから、ゲームセンターで対戦ゲームやメダルゲームに興じて、そのあとはCD&DVDショップで試聴したり、大画面で流れる映画のPVを見ながらあーだこーだ言ってみたり……。


 これって、大半の中学生にとっては、ごくありふれた日常なんだと思う。

 それでも、親しい友達が数えるほどしてかいない僕は、放課後こんな風に誰かと遊びに行くなんてことは殆どなかったから、とても新鮮でワクワクする時間を過ごせた。

 たぶん、大鳳くんと更科くんのふたりが気を使ってくれてたおかげってのもあるんだろうけど、それでも、ここ数日で久しぶりに嫌なことを忘れてリラックスできたんだ。


 けれど、5時ごろふたりと別れて家に帰ると、僕は嫌でも今の“現実”を認識させられることになった。


 「ともき! 連絡も寄越さずにどこ行ってたのよ!」


 まずはいきなり母さんから叱られてしまう。


 (え、なんで? まだこんな時間だよ!?)


 確かに僕は土曜日は家に帰ってお昼を食べることが多いけど、外食したり寄り道したりすることもたまにはあったし、これまでは別に何も言われなかったのに……。


 母さんのお小言の内容を聞く限り、どうやら僕が「女の子」だから、そのあたりの基準が厳しくなってるみたい。


 「ごめんなさい、お母さん(ごめん、母さん)」


 内心「今どきはウチのクラスの女子だって6時ごろまでは平気で遊んでるけど」と思いつつも、反論すると自分がその“女子”の範疇であることを認めるみたいな気がしたから、僕は素直に謝った。


 せっかくの楽しい気分に水を差されたような心境で、自分の部屋に戻った僕は──だけど、そこでもあまり楽しくない“現実”を突き付けられることになる。


 今朝は急いでたから気づかなかったけど、ベッドカバーやタンスに加えて、壁紙やカーテンも、昨日までの僕の部屋とは全然違っていて、なんだか落ち着かない。


 制服を脱いで着替えようと思っても、洋服ダンスの中には(予想はしてたけど)女の子向けの服しか入ってないし。

 それでも、何とか無難にシンプルなトレーナーとジーンズを捜し出して着替えられたから、ようやくひと心地ついたかと思ったんだけど……。


 「あ、あれ? 本棚の中身が全然違う」


 本棚そのものは昨日までと同じ木目調のシンプルなデザインの代物だったけど、並べられているのは、『華と梅』や『マルガリータ』といった少女マンガ系コミックが7割で、『ウラン文庫』なんかの少女小説系が2割。

 残る1割はティーンの女の子向けの雑誌類で、参考書なんかの類いはどこにもなかった。


 「もしかして、これが東雲さんの本棚の傾向なの?」


 勉強が苦手そうな東雲さんらしいって言えば言えるけど──いや、今はそれが僕のものになってることが問題だよね。


 ほかにも部屋の中を色々探ってみたんだけど、ゲーム機は携帯用の3BSだけで、ソフトも4、5本しか見つからない。

 ケータイがjPhoneなのは変わってないけど、ダウンロードされてるアプリは女の子が喜びそうな恋愛系ゲームばっかりだ。


 「(困ったなぁ、これじゃあ、暇がつぶせそうにないや……)仕方ない。宿題でもやろっと」


 皮肉なことに、気を取られる娯楽になりそうなモノがないおかげか、忘れかけていた“学校の宿題をする”という選択肢が僕の脳裏に浮かんできたので、悪戦苦闘しつつプリントの空欄を埋める作業に専念する。


 「──で、できた!」


 普段なら軽く1時間程度で終わる量なのに、晩ご飯を食べたあともしばらく終わらず、結局宿題は夜10時くらいまでかかってしまった。


 「ともきーー、お風呂入りなさい!」

 「はーい」


 タイミングよく、階下から母さんが声をかけてきたので、僕は替えの下着とパジャマを持って、お風呂場に急いだ。


 「はぁ、気持ちい~」


 いつもはカラスの行水で済ますんだけど、今日は色々あって精神的に疲れてるせいか、湯船につかるのが妙に心地よく感じる。

 おかげで、次に入る番の母さんに急かされるまで、お風呂でのんびりしちゃった。


 で、お風呂から上がったあとは、アイス食べて居間でテレビ見てたら、あっと言う間に寝る時間になったので、そのまま歯を磨いて寝る準備をする。


 (ふぅ……このまま寝たら、また何かが変化してるのかな?)


 これまでの数日間の状況から考えると、その線が濃厚だろう。


 (でも──どうしたらいいかわかんないし、仕方ないよね)


 どの道、寝ないという選択肢はない。もしかしたら睡眠ではなく、日付が変わることを契機に“変化”が起こるという可能性もある以上、仮に徹夜しても無駄骨に終わるかもしれないからね。

 東雲さんがアヤしいとは言え、まさかこかんな時間に押しかけて行って問い詰めるわけにもいかないし。


 (それに……なんだか、すごく眠い、んだ……)


 精神的なアップダウンに翻弄されたのに加えて、昼間、大鳳くんたちとはしゃいだ反動か、どうにも睡魔の誘いに抗えない。

 結局、僕は、ベッドに入ってすぐに、思い悩む間もなく眠りに落ちていくことになったんだ。

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