【始まりは水曜日】

 その日は、家に帰っても気がとがめて勉強もロクに手につかず、早めにベッドに入ったものの、何か嫌な夢を見てあまり熟睡できなかった。


 翌朝、登校して教室に入るとクラスの女の子たちが僕を見てヒソヒソと何かささやいている──ような気がする。


 (やっぱり昨日のことは知られてるのか)


 仏頂面の下に憂鬱な気分を押し隠して、僕は自分の席に座ろうとしたんだけど……。


 「ちょっと、折原くん! なんでそこにアンタが座るのよ!」

 「え?」


 いきなり、隣席のクラスメイトの女子にとがめられて、僕は目を白黒させる。


 「えっと……ここは僕の席」


 「だよね?」と続ける前に、激しく否定される。


 「んなワケないでしょ! そこは市歌の席よ!」

 「え? え?」


 ワケがわからない。

 僕は、本の読み過ぎのせいか目が悪い。

 と言っても、0.5と0.3だから某野比家の長男みたく裸眼だとロクに見えないという程じゃないけど、学校ではメガネをかけてることが多いから、担任の先生が配慮して一番前のこの席にしてくれたはずなんだけど。


 「──何騒いでんの?」


 と、その時、僕が今一番会いたくない人物が姿を見せた。


 「あ、市歌! ちょっと聞いてよ。折原くんが市歌の席にさぁ……」


 これ幸いとばかりに、彼女の友人である山田さんが状況を説明する。


 「ふーん……もしかして、折原、昨日のこと謝ろうと思って待ってたの?」


 東雲さんは、ちょっと顔色が悪かったけど、すでに平静は取り戻しているみたいだった。


 ──その時、僕が彼女の言葉を肯定して素直に謝罪すれば、もしかしてその後“こんなこと”にはならなかったのだろうか?


 「え、いや、その、えっと……」


 口ごもる僕の様子を見て、東雲さんは落胆したように視線を逸らした。


 「別にいいよ、謝んなくて。アタシなんかが付け焼刃で可愛いカッコしたって似合わないのは事実だしね」


 意外に理性的な東雲さんの言葉に、僕はほんの少し救われたような気がしたけど、その言葉には続きがあった。


 「──でも、アンタのことは許さない」


 いつも明るく威勢のいい東雲さんとは思えないほど、彼女の瞳は昏く、その声にも怨念のようなものが籠っていた。


 「!」

 「それだけ。さ、もうどっか行って。ここは“アタシの席”なんだから」


 その後、ほかのクラスメイトにも確認したんだけど、誰もが口を揃えて、僕の席だったはずの場所を“東雲さんの席”だと言うので、僕は残った席──昨日までは東雲さんがいたはずの席へと座るしかなかった。


 教室の窓際の一番後ろというこの席は、人によっては絶好の居眠りスペースとして歓迎するみたいだけど、僕みたいに目が悪く、真面目に授業を受けたい人間にとっては最悪の場所だ。


 「おはよー、早速だけど出席をとるよ~!」


 そうこうしているうちに、担任の斉藤菜月先生が教室に入ってきてHRを始めた。

 斉藤先生は英語の担当で、まだ若くて美人でしかも優しいという、ある意味理想的な教師なんだけど、反面ちょっとドジで頼りないところもあるんだよね。


 HR後、教室から出ようとする斉藤先生をつかまえて、席のことを聞いてみたんだけど、案の定、先生も僕の席は教室の一番後ろだと認識していた。

 しかもそれだけでなく、先生の持っている座席表にも、中央最前列が東雲さんで、窓際最後尾が僕だと書き込まれていたんだ。


 「折原くんは目が悪いみたいだから何とかしてあげたいとも思うけど、あまり特定の生徒だけヒイキもできないから……ごめんね」

 「──いえ、大丈夫です」


 僕はスゴスゴと“自分の席”に戻るしかなかった。

 その途中で、なぜか東雲さんが後ろを向いて僕の方を見ていたような気がした。

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