2

 テーブルの上に、とん、と背の高いグラスを置く。

「ここに長めのグラスを用意します」

「はい、結衣せんせー」

「次にウイスキーを注ぎます」

 冷蔵庫から取り出してきたばかりの瓶入りウイスキーを、グラスの四分の一くらいまで注ぐ。コンビニで買える安いウイスキーだけど、まあこれで十分。

「ここにメロンソーダを注ぎます」

「ふむふむ」

 七分目までメロンソーダを注ぎ入れる。ほんのり琥珀の色が混じった、爽やかな緑の炭酸が出来た。

「そして極め付けにコレだっ!」

 ウイスキーと一緒に取り出してきたカップアイスを、どんっとテーブルに置く。

「ゆ、結衣! まさかこれは!」

「そのまさかだよ、梨々香! これを……」

 カップアイスを思いっきり掬い取り──炭酸の中にどぼんと入れる!

「こうだー!」

「うわ〜、最高〜!」

「とどめにカラフルチョコスプレーを振りかけます」

「最高〜っ!」

 完成したクリームソーダサワーを前に、梨々香はスマホでパシャパシャと写真を撮っている。こうやってはしゃぎながらお酒を作るのは楽しい。

「絶対美味しいじゃん! 結衣ってば天才!」

「映えるでしょ?」

「超映え!」

 梨々香は素早くSNSのアプリを開いて……しばらく固まったと思ったら、何もしないで閉じた。

「アップしないの? いつもすぐ投稿してるじゃん」

「うーん……そうなんだけどね」

 彼女のスマホがテーブルの片隅にコトンと置かれる。

「イイネが気になって死にたくなくなりそうだから、やめた」

 その言葉が、高まっていたテンションを少し落ち着かせた。

「……そっか、それもそうだね」

「これはね、私と結衣だけの思い出にしとくからいいの」

 にっこり微笑みかけてくる彼女に、笑い返す。

 そうか、梨々香は……本当にもう、出来てるんだ。

 今夜、ここで死ぬ覚悟が。


 きっかけは昨日のことだった。

 授業終わりに、学食でケーキを食べながら、二人で何でもないことを喋ってた。それでも、梨々香の顔色とか声音から、何か話したいことがあるんだろうなっていうのだけは、わかった。

 珍しく、周りには誰もいなかった。すっごく遠いところに、イヤホンをつけた人がパソコンをいじりながらコーヒー飲んでるくらい。話題がふと途切れた瞬間に、梨々香が真剣な顔になって、ピンク色のリュックから何かを取り出した。

「結衣、あのね。これ見て」

 差し出されたものを見てみる。茶色いガラスの瓶だった。ラベルが貼ってあった跡はあるけど剥がされていて、何だったのかわからない。瓶の中には何か透き通った液体がいっぱいに入っていた。

「これ……水、いや、薬?」

「毒」

 見つめたまま呟くと、静かな声で単語がひとつ返ってくる。

「……毒?」

「うん。飲んだら、痛くも苦しくもないまま死ねる、毒」

 普通の人なら、ここで色々突っ込むんだと思う。そんなのどこで、どうして手に入れたの、とか。なんであたしにこれを見せたかったの、とか。あたしもそういう疑問が浮かばなかったわけじゃない。けど、返せた言葉は一つだけだった。

「……最高じゃん」

「でしょ。結衣ならそう言ってくれると思った」

 満足そうに、梨々香は笑う。うん、それでいい。その笑顔が見られるだけで、他の疑問なんかどうでもいい。でも、一つだけ聞いておこう。

「これ、どうするの?」

「……一緒に、飲まない?」

 返ってきた言葉に、感じたことのない思いが湧き上がる。驚きとか、嬉しさとか、あたしでいいの? って気持ちとか、そういうのが全部混ざった感情。

「なんか……心中、ってかんじだね?」

 自分の中の気持ちに圧倒されて、少しだけ声が震えてしまった。

 心中。こんな単語を身近に思うことがあるなんてなあ。

「でしょ。よくない?」

「うん。最高だと思う」

 秘密の話をしたみたいに、二人で小さく笑い合った。

 そのとき約束したんだ。明日は最高の“人生最後の夜”にしよう、って。楽しくお酒を飲んだり、お気に入りの映画を観たりして、最後に一緒に毒を飲もう、って。


「おつまみ何にする? 甘いのもしょっぱいのもあるよ!」

 楽しそうな梨々香の声で、はっと思考が戻る。

「そーだなー……チョコとか?」

「ありまーすっ!」

「さっすが梨々香〜」

 ピロリン、と通知音がなった。梨々香のスマホだ。きらきらラメが光るピンクのスマホを持ち上げた彼女の顔が、ずんと曇っていく。

「……どしたの?」

「…………連絡。お母さんから」

 はあ、とため息をつきながら、梨々香は素早くスマホを操作していく。そして通知をオフにすると、半ば放り込むようにスマホをリュックに入れた。

「いつもはもっとよく考えて返事するんだけどね、今日はもう適当に返しちゃった」

 スマホを放り込まれたリュックは、ソファの足元でじっとしている。

「……『お友達に迷惑かけないようにね』、『明日の昼までに帰ってきなさい』、だって。明日も何も、今日死ぬのにね」

 梨々香の口元は微笑みを浮かべているけど、その目は笑っていなかった。

 彼女は、自分の家が――両親が、嫌いだ。それは今まで一緒に過ごしてきた中で、何度も聞いた。嫌いな理由はただ一つ、“私がどんなに両親を好きでも、両親のほうが私のこと嫌いだから”。対人関係とか、勉強とか、色んな面で抑圧されて育ってきたらしい。

 あたしも、その気持ちがわからないわけじゃない。あたしも自分の父親が大嫌いだから。何でも頭ごなしに否定してきて、褒めてくれたことなんて思い出せない。向こうの期待通りの返答ができないと、すぐ殴られる。だから長い休暇に入っても、何かと理由をつけて実家に帰らなかった。

 不幸のレベルをつけるってわけじゃないけど、たぶん親との問題はあたしより梨々香のほうが深刻だ。大学入学を理由に一人暮らしができたあたしと違って、梨々香は家事とか資金とかを理由にされて、実家から離してもらえなかったから。離れたくても離れられないのが、いちばん厄介だと思う。

「ねえ、私が死んだらさ。うちの親、悲しむと思う? 私、思えないの。むしろ清々したって喜ぶんじゃないかな」

 クリームソーダサワーのグラスを、水滴がゆっくり伝っていく。

「……あたしの親も、悲しまないかも。親不孝な娘だ、って怒ってる姿のほうが想像できるくらい」

 しばらく黙ったあと、梨々香は微かに笑って、キスチョコの袋を開けた。

「やっぱり、結衣に毒の話してよかった」

 アルミを剥がした雫型のチョコレートが、あたしの唇に押し当てられる。口を開けて、チョコを含む。甘い。外国のチョコって甘いんだよなあ。

「映画観よ、結衣。私、お気に入りのDVDいっぱい持ってきたの」

「……うん、いいよ。全部観よう」

「やった〜!」

 梨々香の声からは、さっきまでの虚ろな雰囲気が消えていた。

 もう余計なことは何も考えなくていい。何も。

 だって、何もかも今夜が最後なんだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る