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テーブルの上に、とん、と背の高いグラスを置く。
「ここに長めのグラスを用意します」
「はい、結衣せんせー」
「次にウイスキーを注ぎます」
冷蔵庫から取り出してきたばかりの瓶入りウイスキーを、グラスの四分の一くらいまで注ぐ。コンビニで買える安いウイスキーだけど、まあこれで十分。
「ここにメロンソーダを注ぎます」
「ふむふむ」
七分目までメロンソーダを注ぎ入れる。ほんのり琥珀の色が混じった、爽やかな緑の炭酸が出来た。
「そして極め付けにコレだっ!」
ウイスキーと一緒に取り出してきたカップアイスを、どんっとテーブルに置く。
「ゆ、結衣! まさかこれは!」
「そのまさかだよ、梨々香! これを……」
カップアイスを思いっきり掬い取り──炭酸の中にどぼんと入れる!
「こうだー!」
「うわ〜、最高〜!」
「とどめにカラフルチョコスプレーを振りかけます」
「最高〜っ!」
完成したクリームソーダサワーを前に、梨々香はスマホでパシャパシャと写真を撮っている。こうやってはしゃぎながらお酒を作るのは楽しい。
「絶対美味しいじゃん! 結衣ってば天才!」
「映えるでしょ?」
「超映え!」
梨々香は素早くSNSのアプリを開いて……しばらく固まったと思ったら、何もしないで閉じた。
「アップしないの? いつもすぐ投稿してるじゃん」
「うーん……そうなんだけどね」
彼女のスマホがテーブルの片隅にコトンと置かれる。
「イイネが気になって死にたくなくなりそうだから、やめた」
その言葉が、高まっていたテンションを少し落ち着かせた。
「……そっか、それもそうだね」
「これはね、私と結衣だけの思い出にしとくからいいの」
にっこり微笑みかけてくる彼女に、笑い返す。
そうか、梨々香は……本当にもう、出来てるんだ。
今夜、ここで死ぬ覚悟が。
きっかけは昨日のことだった。
授業終わりに、学食でケーキを食べながら、二人で何でもないことを喋ってた。それでも、梨々香の顔色とか声音から、何か話したいことがあるんだろうなっていうのだけは、わかった。
珍しく、周りには誰もいなかった。すっごく遠いところに、イヤホンをつけた人がパソコンをいじりながらコーヒー飲んでるくらい。話題がふと途切れた瞬間に、梨々香が真剣な顔になって、ピンク色のリュックから何かを取り出した。
「結衣、あのね。これ見て」
差し出されたものを見てみる。茶色いガラスの瓶だった。ラベルが貼ってあった跡はあるけど剥がされていて、何だったのかわからない。瓶の中には何か透き通った液体がいっぱいに入っていた。
「これ……水、いや、薬?」
「毒」
見つめたまま呟くと、静かな声で単語がひとつ返ってくる。
「……毒?」
「うん。飲んだら、痛くも苦しくもないまま死ねる、毒」
普通の人なら、ここで色々突っ込むんだと思う。そんなのどこで、どうして手に入れたの、とか。なんであたしにこれを見せたかったの、とか。あたしもそういう疑問が浮かばなかったわけじゃない。けど、返せた言葉は一つだけだった。
「……最高じゃん」
「でしょ。結衣ならそう言ってくれると思った」
満足そうに、梨々香は笑う。うん、それでいい。その笑顔が見られるだけで、他の疑問なんかどうでもいい。でも、一つだけ聞いておこう。
「これ、どうするの?」
「……一緒に、飲まない?」
返ってきた言葉に、感じたことのない思いが湧き上がる。驚きとか、嬉しさとか、あたしでいいの? って気持ちとか、そういうのが全部混ざった感情。
「なんか……心中、ってかんじだね?」
自分の中の気持ちに圧倒されて、少しだけ声が震えてしまった。
心中。こんな単語を身近に思うことがあるなんてなあ。
「でしょ。よくない?」
「うん。最高だと思う」
秘密の話をしたみたいに、二人で小さく笑い合った。
そのとき約束したんだ。明日は最高の“人生最後の夜”にしよう、って。楽しくお酒を飲んだり、お気に入りの映画を観たりして、最後に一緒に毒を飲もう、って。
「おつまみ何にする? 甘いのもしょっぱいのもあるよ!」
楽しそうな梨々香の声で、はっと思考が戻る。
「そーだなー……チョコとか?」
「ありまーすっ!」
「さっすが梨々香〜」
ピロリン、と通知音がなった。梨々香のスマホだ。きらきらラメが光るピンクのスマホを持ち上げた彼女の顔が、ずんと曇っていく。
「……どしたの?」
「…………連絡。お母さんから」
はあ、とため息をつきながら、梨々香は素早くスマホを操作していく。そして通知をオフにすると、半ば放り込むようにスマホをリュックに入れた。
「いつもはもっとよく考えて返事するんだけどね、今日はもう適当に返しちゃった」
スマホを放り込まれたリュックは、ソファの足元でじっとしている。
「……『お友達に迷惑かけないようにね』、『明日の昼までに帰ってきなさい』、だって。明日も何も、今日死ぬのにね」
梨々香の口元は微笑みを浮かべているけど、その目は笑っていなかった。
彼女は、自分の家が――両親が、嫌いだ。それは今まで一緒に過ごしてきた中で、何度も聞いた。嫌いな理由はただ一つ、“私がどんなに両親を好きでも、両親のほうが私のこと嫌いだから”。対人関係とか、勉強とか、色んな面で抑圧されて育ってきたらしい。
あたしも、その気持ちがわからないわけじゃない。あたしも自分の父親が大嫌いだから。何でも頭ごなしに否定してきて、褒めてくれたことなんて思い出せない。向こうの期待通りの返答ができないと、すぐ殴られる。だから長い休暇に入っても、何かと理由をつけて実家に帰らなかった。
不幸のレベルをつけるってわけじゃないけど、たぶん親との問題はあたしより梨々香のほうが深刻だ。大学入学を理由に一人暮らしができたあたしと違って、梨々香は家事とか資金とかを理由にされて、実家から離してもらえなかったから。離れたくても離れられないのが、いちばん厄介だと思う。
「ねえ、私が死んだらさ。うちの親、悲しむと思う? 私、思えないの。むしろ清々したって喜ぶんじゃないかな」
クリームソーダサワーのグラスを、水滴がゆっくり伝っていく。
「……あたしの親も、悲しまないかも。親不孝な娘だ、って怒ってる姿のほうが想像できるくらい」
しばらく黙ったあと、梨々香は微かに笑って、キスチョコの袋を開けた。
「やっぱり、結衣に毒の話してよかった」
アルミを剥がした雫型のチョコレートが、あたしの唇に押し当てられる。口を開けて、チョコを含む。甘い。外国のチョコって甘いんだよなあ。
「映画観よ、結衣。私、お気に入りのDVDいっぱい持ってきたの」
「……うん、いいよ。全部観よう」
「やった〜!」
梨々香の声からは、さっきまでの虚ろな雰囲気が消えていた。
もう余計なことは何も考えなくていい。何も。
だって、何もかも今夜が最後なんだから。
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