幕間 祭りのあと

 お祭りから帰った三人は、人ごみに当てられ疲れ切った体を、くっついて寝ることで癒した。

 凜が眠りから覚めると、隣で舞子が身を丸めて天使のような寝顔で寝ていた。凜はつい手を伸ばし、頬を優しく撫でる。すると、まだ寝ているはずの舞子が嬉しそうに笑い、凜の手を両手で抱きしめてきた。

「うふ、りんちゃ……すき……」

 凜は寝言に目を丸くして、クスクス笑った。

「私も好きだよ。舞子ちゃん」

 捕まってない手で頭を撫で、幸せを噛みしめていると、隣の部屋からいい香りが漂ってきた。

「凜、起きましたか?」

 いい香りとともに隣の部屋から現れたあんこが小さな声で話しかけてきた。

「うん、舞子はまだ寝ている」

 小さな声で返しながら、舞子につかまった右手をゆっくり抜き取る。舞子の寝顔がどこかさみしそうに見えた。


 凜がダイニングの机に着くと、あんこがキッチンからトーストとスクランブルエッグを持ってきた。凜はすでに置かれていたオレンジジュースを一口飲む。

「ジャムとマーガリン、どっちにしますか?」

「うーん。いちごのジャムで」

「かしこまりました」

 冷蔵庫からジャムを取り出し、スプーンと一緒にもってくる。

 向かい側にあんこも座り、二人でいただきますをして食べはじめる。

 カチャカチャと食器の音が響く。ざっざっとトーストにジャムを塗り、ざくりと一口齧った。

 スクランブルエッグを食べていたあんこが、急にスプーンを置き、パンを咥えている凜に話しかけた。

「お祭りの時、黒猫さんとはどんな話をしましたか」

 凜は咀嚼し、オレンジジュースで流し込むと、一度パンを置き、あんこのほうを見た。

「なんだか変なこと言っていた。可哀想な人間の子……みたいな」

 ふうんと鼻を鳴らし、一度空を見つめるあんこ。玄関には白狐のお面が飾られていた。

「あんこは何話したんだ。会ったんだろう?」

 もう一度、凜の目を見て、そして俯いた。

「……次の春に、私は別の人につかないといけない、みたいです」

「えっ……?」

 凜は目を見開いた。言葉を理解するより先に、何十年もの時を共に過ごした記憶がたくさん頭の中を流れた。自然と瞳が潤み、雫が零れる。

「なので、それまでに私から独立しなきゃ、ですね。巫女のついていない人間は、もうこちら側にはいられませんから」

 悲しそうな笑顔であんこは言い切った。

 あんこは小さな嘘をついた。凜はいい子で賢い子だから。本当のことを言うとまた抜け道を見つけてこの世界に残ってしまうかもしれない。

 手を伸ばし、凜の涙を拭う。

「こちらに来ればいつでも会えます。貴女は強い。貴女ならあちらでも幸せになれます」

 震えた声で涙を拭い続けるあんこの目からも雫がひたひたと落ちていた。

 二つの嗚咽が響く部屋。二人は同じことを考えていた。ずっとここで暮らしていたい。

 しっとりとした空気が部屋を包んでいた。窓から優しい秋の風が吹き込んできて二人の頬を乾かしていた。

 すっかり冷たくなってしまったパンとタマゴに手を付け、またカタカタさくりが響き始めた。

「あんこおねぇちゃん、りんちゃん、おはよう」

 てとてとと寝室から出てきた舞子が挨拶をする。

「おはようございます」

「おはよう」

 ぎこちない笑顔で迎え、あんこは舞子の分のご飯を用意し始める。

「まいこも、てつだう」

 あんこのあとに続いてキッチンに入り、あんこに渡されたオレンジジュースのコップを小さな手で大事そうに抱えて、机に運んできた。

「舞子さんはジャムとマーガリンどっちがいいですか」

「うーん、りんちゃんとおなじの」

「わかりました」

 温めなおしたトーストとスクランブルエッグを運んできて、机に並べた。

 あんこが席に着くと、それを待っていたかのように舞子が口を開いた。

「まいこ、しってるよ。まいこ、おうちにかえらなきゃいけないこと」

 あんこと凜は息をのんだ。寝ているときに聞かれていたかと焦った。子供は妙に鋭い時がある。

「まいこ、ここでくらすのすき。いつもおこるままもいないし、ぶってくるぱぱもいない。だからすき」

 二人は黙って舞子の言葉を聞いた。舞子は喉元まで来ている感情を飲み込みながら、震えた声で話し始めた。

「でも、ここに、いると、あんこ、おねぇちゃん、こまる。まいこ、ひとに、やさしくしなさいって、ままに、いわれるから」

 舞子は話しながら堪えきれなくなり、大粒の涙を流していた。凜もあんこもまた泣いてしまう。

 舞子と出会ったあの日のように三人は身を寄せ合って、あの日とは正反対に泣いた。たくさん泣いた。それだけ三人には傷が多すぎた。

 机の真ん中で黄昏色の水風船が静かに三人を見ていた。

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