第三章◇囚われの蒼翼竜族

第28話◇蒼翼竜族の姫


 


 モルテは感謝の言葉の後、たどたどしい口調ながら、真剣にここ一週間の話を聞かせてくれた。


 金貨の山を見てびっくりしたこと。


 『克服のブローチ』のおかげで、食べ物を見た時の吐き気や、男の人への恐怖感が低減されたこと。


 ずっと暗くてじめじめした場所にいたので、太陽がとても眩しく、客室の豪華さにそわそわしてしまうこと。


 ご飯を食べて『美味しい』と感じることができるようになったこと。


 屋敷の庭に咲いている色とりどりの花がとても綺麗で、いい匂いがしたこと。


 強い風が吹いて髪型がめちゃくちゃになったこと。


 初めてお風呂に入った時のこと。


 目に映った新鮮な出来事全てを、頬を上気させながら語る姿は、幼い子供を思わせる。


 出逢った日のことを思えば微笑ましい姿だが、彼女の年頃を考えると、やや子供っぽい。


 ……いや。


 彼女は、その能力が判明した子供時代から他者に利用されるようになったのだ。


 普通の人間が普通に暮らしていく内で得られる経験が得られなかったのなら、精神が健全に成長できずとも無理はない。

 そう考えると、実年齢よりも幼く見える振る舞いも仕方がないというもの。


「あの、あのっ、それで、えと、ご主人さま……!」


「あぁ、ちゃんと聞いてるよ」


「わたし、その、何か、お礼……お礼、できますか? わたし、出来ること、あれ、、しかないけど……お金は、ご主人さま、要らないと思うけど、他にも、その、作れると思う……ので」


「前にも言ったけど、君の嫌がることをさせるつもりはないよ」


「い、いやじゃないです! お礼、したいです……」


「とは言ってもなぁ……」


 与えられるばかりというのも、不安なのだろう。

 これまで、善意や厚意というものに触れたことがなければ、なおさら。


 悪人に利用される、ということだけがモルテの人生だったのだ。


 急に、シュノンのような優しい人達に囲まれて暮らすことになり、安らぎを覚えたとして。

 今度は、それが失われることが怖くなる、というのは理解できた。


「モルテ」


「は、はい!」


「そういえば説明してなかったが、俺はここにいる奴らを……つまり、ここで暮らしてる奴らを、仲間だと思ってる」


「なかま……」


「そう。そいつらが困ったら俺は助けるし、俺が困ったら仲間達は手を貸してくれる。だからどうだろう、モルテも仲間になってくれるか?」


「わ、わたしも……いいんですか?」


 彼女が驚いたような顔になる。


「もちろんだ。いつか仲間の誰かが困っていたら助けてやってくれ」


 モルテは再び瞳を潤ませ、力強く頷いた。


「はい……っ!」


「よし。じゃあよろしくな」


 何も返せない恐怖感など抱えなくてもいいのだが、今の彼女にそれは難しい。

 ならば、『自分はいつか何かを返すことを期待されているのだ』と思えればどうか。


 どうやら、それなりに効果はあったようだ。


「よろしくお願いします!」


 こうして、モルテが正式に仲間に加わった。

 それから、マーナルムやシュノンを交えてモルテを話していると――。


「大変だー! 大変だー!」


 というドデカイ声が廊下側から聞こえてきた。


 ドタドタという足音が近づいてきて、扉の前で止まる。


「族長様ー!」


 そして扉が勢いよく開かれた。

 モルテが「ひゃあっ」と肩を跳ね上げる。


「あいたっ」


 扉を開けた者は、そのまま部屋に入ってこようとして扉の枠に頭をぶつける。


「クエレか」


 俺はやってきた者を見て呟く。


 ――『クエレ』

 ――蒼翼竜族。人間に近しい容貌をしているが、体格の大きな個体が多い。

 ――強靭な肉体、魔法耐性、竜化能力、火炎魔法などを有する。

 ――希少度『A』


「うぅ……」


 涙目になって蹲る彼女に、声を掛ける。


「大丈夫か?」


「族長様ー!」


 彼女はバッと立ち上がると、そのまま俺の許へやってきて、俺を――抱き上げた。


「心配してくれるの? 優しい!」


 そのまま抱きしめられる。


 彼女の豊満な胸に顔を押し付けられる形になり、この世のものとは思えない柔らかい感触に包まれる。


 だがその柔らかさ、彼女の体温や匂いを堪能する――なんて余裕はなかった。

 息ができない。


「んぐんぐ」


「んっ。くすぐったいよー族長」


 俺は年相応の身長で、どちらかというと少し高いくらいだろうか。


 しかしそれでも、クエレは見上げるほどに背が高い。

 彼女に抱き上げられると、足が浮いてしまうくらいだ。


 氷を思わせる青い髪に、金の瞳。あどけない顔立ちと、それに似合う明るい振る舞い。

 彼女の両側頭部からは、一対の角が生えている。途中で枝分かれしており、どことなく鹿のそれに似ている。


 大きな体に、大きな胸。活発で好奇心旺盛。

 それがクエレという女性だ。


 人間で言うと二十代に差し掛かったくらいの見た目だが、実年齢は秘密らしい。


 クエレはとある部族の長だったが、ある事件をきっかけに部族ごと仲間に加わった。

 その際に、その集団は俺のことを族長と呼ぶようになったのだが……。


「おいクエレ貴様、あるじ殿を窒息させるつもりか?」


 マーナルムから険のある声が発せられる。


「クエレちゃん、ロウ様を下ろしてあげてください。苦しそうです」


 シュノンの声は優しげだが、困惑が滲んでいた。


「わ、そっか! 族長大丈夫!?」


 彼女は俺をそっと床に下ろしてくれた。

 素直なのはクエレのいいところだ。


「あぁ、大丈夫だ」


 マーナルムはいまだにガルル……と警戒した視線をクエレに向けている。


 俺を胸で窒息させかけたことに怒っているようだ。

 落ち着け、と頭を撫でると大人しくなった。


 もっと、という具合に頭を寄せてきたのに、何度か往復する。

 ついでに耳ももふる。相変わらず良い感触だ。


 唐突に、聖獣リアンに会いたくなった。時間を見つけて、あいつが棲家としているエリアに顔を出そう。


「マナちゃんいいなー」


 と物欲しそうに撫でられるマーナルムを眺めるクエレ。


「貴様は先程あるじ殿を抱きしめただろうがっ……!」


 キッとマーナルムが視線を鋭くしたので、再び落ち着けと撫でる。大人しくなる。


「それで、クエレ。何が大変なんだ?」


 俺の言葉に、クエレは「思い出した!」とばかりに目を見開き、こう言った。


「大変なんだよ族長! 一族うちの者が――聖騎士団に捕まっちゃったんだ!」


 本当に大変な話だった。



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