第27話◇充分な報酬




 寝室を出ると、マーナルムがピシッと背を伸ばして待っていた。


「おはようございます、あるじ殿」


 彼女の凛とした声を聞くと、青空を駆ける清風をその身に受けたような、爽やかな気持ちになる。


「おはよう、マーナルム」


「さっきぶりです、マーナルムちゃん」


「……そうですね、シュノン殿」


 マーナルムは不服そうに応えた。


「二人、何かあったのか?」


「い、いえ、特にそういうわけでは……」


 マーナルムはもごもごと言っているが、シュノンは明るい調子で口を開く。


「最初はマーナルムちゃんもついて来ようとしてたんです。でも先日の『お風呂抜け駆け事件』があるので、ここはシュノン一人で! と押し切り、見事ロウ様との二人っきりを実現した、というわけなのです」


 シュノンはえっへんとばかりに胸を張った。

 彼女の大げさな動きに連動して、大きな胸がばいんっと揺れる。


 マーナルムは、綺麗な顔でむすっとした表情を作っている。


 二人は旅の初期メンバーという縁もあり、普段はとても親しいのだが……。

 俺のこととなるとたまに意見が対立するようだ。


 しかし二人ともさっぱりした性格だからか、長く引きずらないことも分かっている。

 こういう時は、俺はどちらか片方に肩入れするべきではない、ということも。


「あー、まぁいいじゃないか。それよりモルテのところに……」


 と言いかけたところで、マーナルムの腹がぐぅと鳴った。


 彼女の顔が羞恥に赤く染まる。


 俺は一つ頷く。


「モルテのところに行く前に、朝食だな」


「も、申し訳ございません……」


 消え入りそうな声で呟きながら、縮こまるマーナルム。


「いや、俺が順番を間違えた。モルテも朝食の途中で俺が現れては緊張するだろう、食後がちょうどいいよ」


 ちなみにだが、男が苦手なモルテだけでなく、他の仲間達に関しても必ず食卓を共にしているわけではない。


 種族によって食事の内容やルールが違うし、一人で食べたいというものもいる。

 そのあたりは自由だ。


 その分、料理人達は大忙しだが……。


「ふふふ」


 シュノンがくすぐったそうに笑ったので、俺は首を傾げる。


「なんだ?」


「ロウ様は、一城の主になっても、昔と変わらず優しいロウ様のままだなぁ、って」


「今の話のどこに優しさを感じたんだ、お前は……」


 朝食を先に済ませようと言っただけではないか。


「いえ、シュノン殿の言う通り、あるじ殿は出逢った当初からお優しいです!」


 マーナルムまでそんなことを言い出す。


「わかったわかった」


 あんまり褒められると、むず痒い。


 俺は二人を置いて、食堂へ向かって歩き出す。


 ◇


 朝食を済ませたあと。 

 食後の紅茶までしっかり楽しんでから、モルテの許を訪ねることに。


 その細身に似合わぬ量の肉をぺろりと平らげたマーナルムは、どこか満足げだ。


 屋敷の廊下を進み、幾つも用意されている客室の一つへ向かう。

 先導していたシュノンが扉をノックすると「は、はいっ!」という声が室内から聞こえてきた。


「シュノンですよ、モルテちゃん。マーナルムちゃんとロウ様をお連れしました」


「シュノンさんっ。ど、どうぞ……!」


 という返事を聞いてから、シュノンが扉を開ける。


 モルテの声は、俺が聞いたことがないくらいに弾んでいた。

 この一週間でシュノンに心を開くことが出来たのだろう。


 部屋に入り、俺は一週間ぶりにモルテの姿を確認する。


 そしてその変わりぶりに、内心驚いた。


 金色の髪は太陽の光をたっぷりと蓄えたみたいに輝いており、低い位置で二つに結ばれている。


 シュノンに向ける笑顔は年相応の可憐なもので、保護当初の怯えた様子が嘘のよう。


 まだまだ痩せすぎではあるが、肌は健康的な色合いを取り戻している。血色がいい、とでも言えばいいのだろうか。


 衣装の違いも大きいかもしれない。


 モルテの細すぎる身体を隠すためか、ゆったりした長袖のワンピース姿。胸にはリボンタイプの『克服のブローチ』が着けられている。


「おはようござまーす、モルテちゃん!」


 シュノンがモルテに駆け寄り、彼女を抱きしめる。


「おはよ…ございます」


 モルテは恥ずかしそうに頬を染めながら、控えめにシュノンを抱きしめ返した。


 ……さすがはシュノン、もうそこまで仲良くなるとは。


「今日も可愛いですね~」


 シュノンが頬ずりすると、モルテは「あうあう」と声を上げながらも、嫌そうではない。


 ひとしきりモルテを可愛がって満足したのか、シュノンが少し離れてこちらを見た。


「昨日言っていたでしょう? ロウ様に会いたいって」


 モルテがこくりと頷く。


 その表情にはまだまだ緊張が滲んでいる。

 それもそうだ、シュノンと違って俺はまだ彼女とほとんど交流がない状態なのだから。


 彼女と視線を合わせるように、俺は屈んだ。


「元気そうでよかった」


 そう微笑み掛けると、彼女の目に――じわりと涙が浮かぶ。


 何かやってしまったかと一瞬焦るが、すぐに「ごめんなさい、違うんです……」との声が。


 シュノンが「大丈夫ですよ」と彼女の背中を撫でる。


 マーナルムも気遣わしげな視線をモルテに向けていた。


 どうやら二人には、モルテの今の感情が分かるようだ。


「わたし、その、ご主人さまに、言わないとって……」


「あ、あぁ。なんでも言ってくれ」


「わたし、あの、わからなくて。ずっと、金貨作らなきゃって、それをしないと怒られるって、思ってて……」


 彼女の瞳からポロポロと透明の滴がこぼれ落ちていく。


「……そうか。でも大丈夫、うちではそんなことしなくていいんだ」


 ようやく、理解する。

 彼女は怖くて泣き出したのではない。


 ようやく実感出来たから、安堵の涙が溢れ出たのだ。

 もう安全だと、ようやく現実を信じることが出来た。


「はい……。ここは、みなさん、優しくて……。あの、それで、わたし、言ってなかったから……ご主人さまに、言わないとって」


「あぁ、聞くよ」


 モルテは袖で涙を拭い、瞳を潤ませながらも、にっこりと微笑んだ。


「たすけてくれて、ありがとうございます……っ!」


 モルテの能力に興味がないと言えば嘘になる。

 だが、今後彼女が二度と力を使わないとしても、構うまい。


 喜びに満ちたこの笑顔を見ては、それ以上を望もうとは思えない。


「どういたしまして」


 俺は自然と、微笑んでいた。



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