第7話◇もふもふ?

 


 聖獣を見る。


 改めて、近くで眺めると惚れ惚れとする威容だ。

 毛の一本一本が美しく、陽光を吸収して身に纏っているかのように輝いている。

 青い瞳も、鋭く鋭利で巨大な牙も爪も、ぶわりと揺れる尻尾も、息を呑むほど素晴らしい。


 なによりも、これほどの存在が、生きているというのが凄い。


 この世で最も神々しく勇猛な獣を、芸術家が想像して描いたとして。

 それが現実になってしまったかのような。


 心臓が高鳴る興奮と、信じられないという気持ちが同居する。

 どうやら俺は、だいぶ【蒐集家】の感覚にやられているらしい。


 しかし、目の前の存在を美しいと感じるのは、俺も同じ。

 聖獣が、俺の剣を見た。


「できれば、争いたくはないな」


 本音だが、今はまだ剣を収めることもできない。


『――承知した』


 俺も、俺の許に駆けつけようとしていた騎士とシュノンも、同時に驚いた。


 それは音というより、頭の中に直接語りかけられるような感じだった。

 とにかく、聖獣が何を言おうとしているのかが理解できたのだ。


「俺たちは、ここを通り抜けたいだけだ」


 血を振るい落し、剣を鞘に収める。


『邪魔はしない』


 目の前の存在から敵意は感じない。


 ――どうしたものか……。


「一つ、気になることがある」


『聞こう』


「近くに住んでる人間は、この森から追い出された獣達の被害に困ってる」


『森に秩序を齎すべく、戦っている最中だった』


 この森は広い。聖獣といえど、逃げる魔獣全てにとどめを刺して回ることはできなかったのか。


 長期的に見れば、この聖獣が森の支配者についた方が、安全性は高くなる。

 その途中である今現在、周辺住民が困っているわけだが。


「森の外を守る立場の人間は、そうは思っていない。あんたたちを敵だと考え、討伐しようとしている」


『そうか』


「ロウ様!」


 老練な騎士が、制するように叫んだ。

 兄を危険に晒す行為だと思われたのだろう。


 こいつが聖獣だと完全に理解しているのは、真贋審美眼を持つ俺だけなのだから、当然の懸念と言えた。

 俺は片手を向けて『大丈夫だ』と示し、話を続ける。


「今俺に話してくれたことを、この森に入った青い髪の騎士にも伝えてくれるだろうか。『ロウが問題ないと確認した』と伝えてくれたらいい」


 聡明な兄のことだ、これで気づいてくれるだろう。

 兄や妹の生活を脅かす魔獣なら、俺が見逃せなどと頼むわけがない。


 魔獣ではなく凄まじい力を持った存在となれば、聖獣の類だ。

 聖獣の住み着いた土地は浄化され、悪しき魔獣が生じなくなり、豊かな自然に恵まれるようになる。


 今回の件は凶兆ではなく吉兆。

 しばらく森周辺の警戒が大変になるかもしれないが、それを乗り越えれば利点の方が多い。


 聖獣と目が合う。

 しばらくの沈黙のあと、巨狼は頷いた。


『承知した』


 巨狼がそのままこの場を去ろうとしたところで――。


「お待ちくださいっ!」


 シュノンがシュタタタッと近づいてくる。


 そして背嚢を下ろし、「これじゃない、これでもなくて、これはまた後で」なんて具合に中身を漁り「見つけましたっ!」何かを取り出した。


 瓶に入った、青色の液体だった。


「ポーションか」


 液状の薬だ。効果はものに寄って様々だが、今取り出すならば怪我の治療用だろう。

 俺も持っているが、巨狼が負った傷を治せるほどのものではない。


「だがシュノン、並のポーションじゃあこの傷は――」


「ふふんっ! これは、万が一ロウ様が大怪我をされた時のためにと用意していたとっておきなのです!」


 俺は驚く。


「……高かっただろう」


「お給金半年分もしました……」


 シュノンがメイドとして働いたのは三年。働いた期間にもらった給料の六分の一もの金額を、いつか俺が怪我した時のためにと使ったのか。


「お前は……とんでもなく良いやつだな」


「シュノンはメイドの鑑なので。いつかメイド長にしてくださいね」


 複数のメイドを雇えるくらいの人物になると信じてくれているらしい。


「お前がそう言うなら、そうしよう」


 シュノンは迷わず高位のポーションを巨狼の傷口に振りかけた。

 しゅうう、と湯気を立てながら、急速に傷が癒えていく。


『――――これは』


「助けてくれてありがとうございますっ」


 シュノンは状況をそう認識しているらしい。


『感謝する』


 今度こそ、聖獣は去って行った。

 それを見送った俺は、天を仰いだ。


「……あー、くそ」


「どうしたんです? ロウ様」


「そんな状況じゃなかったから言えなかったが……触りたかった」


「! わかります! もふもふしたい毛並みでした!」


 シュノンは同意したが、思ったよりも俺が落ち込んでいるからか、スススッと近づいてきた。


 上目遣いに俺を見て、言う。


「代わりにシュノンをモフッて我慢してください」


 彼女の栗色の髪が目の前にある。

 俺はそれをそっと撫でた。


「ふっふっふ」


 シュノンは嬉しそうだ。

 どうしてここまで俺のことを考えてくれるのか、なんて聞くのは無粋だろう。


 シュノンはシュノンだ。

 苦楽を共にした幼馴染であり、メイドであり、未来のメイド長。


「そろそろ行くか」


「モフモフ欲は満たされましたか?」


「ほどほどに」


「むっ、この忠臣の頭を撫でて、ほどほどとは……!」


 シュノンが頬をぷくりと膨らませた。


 俺とシュノンがそんなやりとりをしている間に、若い騎士が俺の馬を見つけてきてくれた。


 大猿の胸叩きに怯えたあと、逃げ出してしまっていたのだ。



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