第3話◇意外な別れかた




 三日後、俺の準備は全部無駄に終わる。

 驚いたことに、良い意味でだ。


 思えば出発前から違和感はあった。


 早朝、屋敷の前。

 妹はともかく、次男のダグまで見送りに来た。


 戦い帰りで疲れているだろうに、いつも通りの偉そうな態度で声を掛けてくる。


「ふんっ、【蒐集家】とはな。お前程度では、それが限界か」


 青の短髪、鋭い目つき。鍛えているのは分かるが、体はまだ細い。


「ダグおにいさま!」


 俺に抱かれたリュシーが頬を膨らませて怒った。

 妹を宥めながら、次男に向かって微笑む。


「至らない魂を恥じるばかりです」


「……以前から貴様のことは気に食わなかった。何もかもがどうでもいいという顔をしやがって」


 それは、ちょっと違う。

 何もかもがどうでもいいのではなく、自分の人生に期待していなかっただけだ。


 母といる時は極貧生活を送り、母を亡くした途端貴族として暮らすことになった。

 自分から何か働きかけたわけではなくとも、周囲の思惑で環境が変わってしまう。


 過去生に目覚め、今度は魔獣の住まう森で怪物級の魔狼を倒す手伝いをしろと命じられた。

 その命令に裏があるのかないのか、まだ分かっていない。


 どんな顔で生きていればいいというのか。


「私は――」


「貴様のような、力を持ちながら何事にも本気を出さない輩が、俺は不愉快でならん!」


 おや、と思う。

 意外と、ダグからの評価が高かった。


「だが半分とはいえ俺と同じ血が流れる者だからな。……餞別だ、持っていけ」


 妹のいる前で餞別とか言わないでほしい。

 リュシーは俺が帰ってくると信じているのだ。


 投げられたそれを受け取る。

 宝石のついた、首飾りのようだった。

 女性が着飾るためのものというより、服の内側に垂らしておくものなのか、紐が長い。


 真贋審美眼で、見る。


 ――『竜の涙』。

 ――竜種が、心を許した者のために流した涙が結晶化したもの。

 ――宝石としての価値も高いが、所持しているだけで遭遇した竜種からの敵意を軽減する効果がある。

 ――希少度『A』


 希少度に関しては『S』が最も高く、以降は『A』『B』『C』『D』といくにつれ下がっていくようだ。

 ちなみに、真贋審美眼ではありふれた品には希少度がつかない。

 仮に『D』であっても、一般的には充分珍しい存在である、ということになる。


 ダグにもらったこの『竜の涙』は、【竜騎士】ならではの宝物ほうもつだ。

 こんなものを俺に渡していいのかという疑問もあるが――。


 これではまるで、旅に出る弟への餞別ではないか。

 金に困ったら換金出来るし、持っていれば道中でドラゴンに遭遇しても生存率が上がる。


 ダグは、父の命令をどう思っているのだろう。


「ありがたく頂戴します」


 とりあえず、感謝だ。


「ふんっ。俺は寝る! 兄上、ご武運を!」


 後半をニコラスに言って、ダグは屋敷に戻っていく。


 屋敷で暮らしていた頃はやけにつっかかってきて面倒だなぁと思っていたものだが、こうして別れの時となると寂し――くはないが、悪いやつではなかったなぁなどと思う。


「もうっ、ダグおにいさまったらやっぱり意地悪だわっ」


 リュシーは頬をぷくっと膨らませて怒っている。


「私のために怒ってくれてありがとう、リュシー。けれど私は気にしていないよ」


「……ねぇ、おにいさま?」


 ふと、妹が不安そうな顔をする。


「どうしたんだい?」


「……かえって、きますよね?」


 幼いなりに何かを感じ取っているのか。

 俺はそれに、すぐに応えることが出来なかった。


 安心させる言葉を吐けば、自分を信じるこの子に嘘をつくことになりそうで。


「また君に逢えるよう、力を尽くすよ」


 だから、ギリギリ嘘にならない言葉を口にした。

 これからの展開で死ぬつもりはない。


 そして、自分に懐いてくれたこの子にまた逢えたらと思うのも、事実。

 妹は俺の真意に気づいたのかどうか。


 俺を抱きしめる腕にぎゅうっと力を込め、しばらくしたあと、名残惜しそうに手を離した。


 彼女をそっと地面に下ろす。

 リュシーはそれからニコラスにも抱きつき、武運を祈り、そして「ロウおにいさまをまもってくださいね!」とお願いしていた。


 ニコラスは複雑そうに微笑み、彼女の頭を撫でたが、明確な答えは返さなかった。


「ロウ、そろそろ行こうか」


「はい、兄上」


 馬に乗り、怪狼討伐隊に任命された他の騎士たちと共に出発する。

 既に領民から絶大な支持を得ているニコラスは、道を通るだけで大きな声援をもらっていた。


 この長兄に任せておけば、この領も安泰であろう。

 他人事のようにそう思う。


 街壁の外に出てしばらく進むと、後方からなにやら声が聞こえてきた。


「ロウさま~~~~っ!」


 その声は、こちらを追いかけてきている。


 俺は馬上で額を押さえた。

 ニコラスは苦笑している。

 他の騎士たちは無反応だ。


 俺は馬を止め、声の主が追いついてくるのを待つ。

 やってきたのは、小柄な少女だ。


 亜麻色の髪は二つにわけられ、それぞれ低い位置で編んでいる。

 体格の割に胸が大きく、メイド服の上部はパツパツだ。

 走っている最中もぽよんぽよんっと揺れて存在を主張している。


 十五歳の俺よりも年下であるとは思うのだが、正確なところはわからない。

 彼女は俺付きのメイドであるシュノン。


 母は俺を身籠ったあとで父の許を離れた。

 俺が生まれてからは貧しい暮らしが続いていて、シュノンは当時近所に住んでいた少女だ。


 あのあたりに住んでいた人間とは思えぬほど心優しく、病床に臥せる母を看病してくれていた。

 母亡きあと、俺を迎えにやってきた家の者に、俺はシュノンと一緒ならば行くと条件を出したのだ。


 辺境伯家のメイド教育は中々のもので、たった三年で貧民窟の少女が立派なメイドに変貌。

 読み書きや簡単な計算はもちろん、基本的な礼儀作法なども身につけることに成功。


 これならば、いずれ俺がいなくなってもなんとかやっていけるだろう。

 と、母が世話になった恩返しになればと思ったのだが……。


 ――ここでついて来られると、話がややこしくなってしまうだろうが。


「ふぅ、やっと追いつきました!」


 立ち止まったシュノンは大きな胸を一揺らししながら、額の汗を拭った。


 彼女は背嚢リュックを背負っているのだが、そのサイズは彼女三人分ほどと特大だ。


 何が詰まっているにせよ、想定している外出の日程は数日どころではないのだろう。

 彼女が力持ちなのは知っているので驚かないが、それだけの荷物が必要になると判断したことには驚く。


 単に追いかけてきたのではなく、戻れない、、、、ことも承知の上だということだから。


「シュノン、お前……」


 彼女の前では、貴族の仮面も剥がれる。

 シュノンはぷくりと頬を膨らませた。


「ロウさま、ひどいですよ! わたしに黙って出発されるなんて!」


「だからって追いかけて来るか普通……」


 ここからの展開がどうなるにせよ、俺はあの家には戻れない。

 逃げることができたとしても、追手が放たれないとも限らないのだ。

 そんな旅にシュノンを巻き込むまいと思っていたのだが、シュノンとしては不服だったらしい。


「シュノンはロウさまのメイドです。それ以外になるつもりはありませんので!」


 主人に対する態度としては失格だが、それだけに彼女の強い決意が伝わってくる。


「魔獣討伐についてくるメイドなどは聞いたことがないんだが」


「ではわたしが初ですね。こう見えてシュノンは武闘派ですよ」


 しゅっしゅっと虚空に拳を繰り出すシュノン。

 その腕は細く柔らかいが、本人はやる気のようだ。


 ちなみに、シュノンの一人称はメイド教育で『わたし』に矯正されたが、俺と喋る時は以前の『シュノン』を使うこともある。


「ロウは、主人思いのメイドを持ったな」


 兄のニコラスが言った。


「さすがはニコラス様ですね。よくご存知のようです」


 シュノンは満足げだ。


 ――ん?


 俺は今のニコラスの態度に違和感を覚えた。


 ――そうだ。もし俺を殺すつもりなら、無関係なシュノンを巻き込みたくないはず。


 貴族というしがらみからは逃れられないものの、ニコラスはその範囲内で許される限りの善良さを持った男だ。

 俺の死が避けられないものだと思っているなら、ここでシュノンを追い返そうとするはず。


 なのにこの態度。


 ――まさか、俺の考えすぎだっていうのか?


 父に俺をどうこうする思惑なんてない?

 さすがにそこまで能天気にはなれないが、ニコラスと戦わずに済むならばそれはありがたい。


 とにかく、兄の許しが出たのでシュノンが同行することになった。



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