一章 ことの顛末(1)

(1)


 京都の冬は寒い。


 それは京都人にとって自明の理である。ついでに、京都の夏は外出を忌避するレベルで暑いことも付け加えておく。


 八坂神社まで至る四条通の歩道をのろのろ歩きながら、俺はたったいま人ごみの中ですれ違った標準語を話す大学生のカップルも、京都に越してきてはじめての夏は苦労をしたのだろうなとぽんやり考えた。京都は大学が多いので府外出身の学生も多い。彼らが慎ましい交際を重ねるなかで、元旦は八坂神社へ初詣に行こうよ、なんて約束を交わしたことも想像ができる。   

 ところがどっこい、一月一日には京都のあらゆる寺社仏閣はどこから人が湧いてきたんだ、と疑うほど混みあうことも京都人にとっては常識だ。プロの京都人なら三が日は家で箱根駅伝を見る。


 それを知ってわざわざ元旦の朝一に外出している生粋の京都人である俺・清水和也はこのままだと酔狂な奴になってしまうのだが、俺は俺で崇高で明確な理由があって今ここに立っている。その理由は後で話そう。


 四季によって寒暖差が大きいのは京都が比叡山含む山々に囲まれた盆地であるからだ、と京都の人間は皆知っているが、その実なぜ盆地だと寒暖差が大きくなるのかは理解していない。もちろん俺も例外ではない。毎年冬になれば「寒いなあ」とただ思う。修学旅行で訪れたことがあるくらいの余所者には京都の四季の謎は知る由もない。封建的だと揶揄される京の街の性質は、案外こうしたちっぽけな常識が蓄積して、それを知る者同士がしたり顔で目配せしあうような仲間意識を宿すことで生まれているのではないだろうか。


 あまりにも人の流れが前へ進まないので、大柄な他人の影で北風をやり過ごしている俺は退屈にそんなことを考え始めていた。ダウンジャケットにマフラーとしっかり防寒をしたつもりであったが、手袋を忘れていたため手が冷えている。周りにいるのは先ほどすれ違ったような男女のカップルか、府外から旅行で訪れたであろう大きなカメラを首から下げた男性、家族連れの団体とさまざまである。俺のような、まだ高校生でしかも一人ぼっちの人間は見当たらない。

 

 俺の通っている高校は京都の街の北の方にある。文武両道を掲げる進学校であり、運動部の他連中は練習をおさめてやっとの冬休みだ。きっと出くわすことはないだろう。

 そう考えていると、俺の肩を誰かがポンとたたいた。


 「やっぱり、和ちゃんやった。一人で来たん」

 「……あけましておめでとう、理久」


 「あ、ほんまやあけおめっ。今年もよろしくぅ」と笑った相手は同級生の東理久だった。

 お茶で有名な宇治市からわざわざ京都市のわが高校へ一時間かけて通う酔狂な男である。部活は卓球部だ。卓球部と俺の所属している剣道部は練習場を分け合っていることもあり顔を合わせることが多い。長身を折り曲げてピンポン玉をサーブする部活中の彼はその俊敏な動きも合わさって少し滑稽なのだが、その様子を知らないクラスメイトからは気さくな性格が好まれなかなかモテていた。


 彼も生まれ育ちともに京都である。学校に来ているときと変わらない、長めのダッフルコートを着ている。足元はマーチンのブーツだ。高校生のくせに洒落たやつである。


 「君も八坂さん行くん、初詣。やっぱりなかなか混んどるな」

 「お前こそ、一人か。卓球部も30日まで練習あったやろ」

 「昨日まであったよ。朝一で部内試合して、お昼まで大掃除しとった。剣道部の分  

 までしっかりやったで。先生もいはったから手抜けんかった」

 「それは申し訳なかったな」


 全然いいよ、そんなん、と理久は言う。彼のボストンタイプの眼鏡のフレームが、高くなり出した太陽に照らされた。寝ぐせのようにうねる髪の毛も光に透けて茶色に見える。

 俺たちはやっと鴨川に架かる四条大橋を渡りきり信号待ちの群衆に混ざることができていた。前方に八坂神社の入り口がぼんやり見えるが、まだ400メートルほど先である。


 「俺は……稽古始め後すぐに公式試合があるから、願掛けで」

 「え?でも下賀茂神社の方が君んちから近いやん。なんでわざわざ八坂さんなん」

 「八坂神社に祀られているらしい青龍は出世の神なんやって。俺、今回の試合で勝

 って、次の団体戦では大将やりたいから……」


 それらしいことを言いながら俺は内心冷や汗をかいていた。京の都には東西南北それぞれ中国の五行思想に対応した四神が祀られているらしいということは、万が一ひとりで初詣に来た理由を尋ねられた時に答えるため先ほど用意したそれらしい文言である。


 ちなみに、京都では東の八坂神社に青龍、西の松尾大社に白虎、南の城南宮に朱雀、北の上賀茂神社に玄武がいるとされる。玄武は亀と蛇が絡まりあった姿をしているらしい。ここまで用意周到に言い訳を準備している俺という人間に自分自身引いてしまう。


 そして、ここで小さな京都人あるあるなのだが、世界的に有名な寺社仏閣が身近にありすぎて逆に有名どころへ行ったことのない人が周りにはびっくりするほど多い。生まれ故郷である京都にこのまま骨を埋めるつもりだと豪語するわが父も金閣寺には行ったことがない。


「えーそうなんや。さすが秀才は違うな。詳しい。

 僕はな、百合子ちゃんの巫女姿を見るため来てんっ。来年は八坂神社、改修工事するらしいし、見るなら今年しかないやろ?」

 「ん……そうか」


 信号が青になった。車道を挟んだ対岸の歩道からも人が放射状にあふれ出す。歩車分離信号であるため、交差点をあちこちから自由に横切る人々に俺たちは揉まれる。人と人の間を縫うように歩き、八坂神社の入口へ続く屋根付きの歩道へ入ろうと足を進める俺に、口をつぐんだ理久が続く気配を感じる。


 巫女姿の百合子ちゃん。俺が元旦の朝っぱらから人波にどんぶら流されるための崇高で明確な真の理由は彼女にあった。


 百合子ちゃんは俺たちのクラスのマドンナだ。高校入学初日にあらゆる運動部からマネージャーにならないかと勧誘された伝説を持つ彼女は、誘いをすべて断りわが校の弱小吹奏楽部に入部した。放課後に中庭でかわゆく体を揺らしてフルートを吹く彼女は全運動部員の癒しになっているらしい。俺たち室内運動部組は一年近くたった今もその恩恵にあずかっていない。 

 彼女が従妹に誘われて冬休みに巫女のアルバイトをするらしいという噂は冬休み前のわずかな期間にまことしやかに囁かれていた。しかし、八坂神社というバイト先まで明らかに知るものは少ない。俺はたまたま部活終わりに本人が友人に話す場面に出くわしたためこの情報を掴んでいた。


 しかしながら、実は同じ目的で初詣に来ていると気づかれたくない俺は、人をかき分けやっとのことで俺の隣に並んだ理久に素知らぬ顔で尋ねた。


 「宮田さん、アルバイトしてはるん」

 「あ、秘密やでこれ。僕の兄さんが八坂神社の初詣の短期アルバイトで働いとって、研修中にすごい別嬪さんがいはったって言ってたんよ。それが百合子ちゃんやったってわけ」

 「巫女姿の宮田さん見たさにわざわざ宇治から来たんか、お前」

 「うん、そうやけど。だって巫女姿やし」


 思わず俺は理久の顔を仰ぎ見た。目線は少し上にある。俺は身長が170と少ししかない。対して理久はひょろりとした体躯だ。人混みの中でも文字通り頭一つ抜き出ている。眼鏡のつるがちょんとかかった鼻梁はすっと通っていて、浮かべる笑みも嫌味がない。


 俺の崇高で明確な動機を同じく抱え、元旦から一時間かけて京都市内へやってきた目の前の存在、それも己の下心を全く隠す様子のない相手に、すでに俺は心が負け始めていたのである。

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