第10話 エクセルシオール・ハンガー

「結局、魔物ってなんなんだ?」


 ずっと疑問だったことを、海斗は訊ねた。

 ひとしきり落ち込んだところから立ち直り、ていうか、そういえばわりと今さらな質問だよなと思いながら。


 答えたのはふたりの姫のうち、妹のレムリアのほうだった。

 肩をすくめて軽く言ってくる。


「魔王が地上侵略のために放った手先」

「いや、それはなんとなく分かってるけど」

「魔王軍は大きく四つに別れていて、各軍団を束ねる四天王っていうのがいて」

「それも雰囲気で分かるんだが、聞きたいのはなんていうかもっと根本的なところでだな……」

「注文多いなあ」


 やれやれと首を振って、レムリアがため息をつく。

 と、それを横合いからアトラがたしなめた。


「レムリア。海斗は突然異世界からやってきて、右も左も分からずに困っているんです。大事なことなんですからちゃんと説明してあげないと」

「それはそうなんだけどさ……今後の仕事にも関わってくることだし」

「……仕事?」


 文脈が読めずに、つい口を挟む。

 が、それについての答えはなく、代わりにレムリアが言ってきたのはこんなことだった。


「こんなところじゃなんだし、場所を変えようか。ついてきたまえよ。とっておきの場所があるんだ」


 告げて、返事も聞かずにさっさと歩き出していた。


(ええー……?)


 それを追っていいものか、じゃっかん不安があったものの。


「とっておき……? なにか、嫌な、予感が……」


 海斗より先に、アトラが(疑わしげに首を傾げながら)その背についていってしまったため、反対する余地もなさそうだった。

 仕方なくというよりは単に流れで、海斗もふたりに従って歩き出す。


 どのみち、この異世界の事情が分からないのでは動きようがない。

 そして知ろうと思うなら、元の世界でもそうだったように、差し迫った危機について聞くのが手っ取り早いだろう。

 つまりは魔物や、その親玉らしい四天王と、魔王についてだ。


 妙に早足のレムリアを追って(今がそうだというより普段からせっかちなようだ)歩いていくと、向かった先は倉庫のような一角だった。

 中は暗い。というのも、外の明かりが行き届かないほど広い空間だからだ。


 そして、その中でも隠しきれない存在感――巨大な質量を感じた。

 予想するまでもなく、それは海斗の最もよく知る自身の愛機の気配だった。


『――おや、海斗。美女を二人連れでやってくるとは、いい身分になりましたね』

「エックス……それに、クオか? なんなんだここは?」


 聞き馴染んだ声が響く。

 その反響の具合からすると、この倉庫はエックスをちょうどすっぽり収納するぐらいの規模だ。

 いや、というよりも、この鉄と油のにじんだ空気には、海斗は既視感めいて覚えがあった。


「こ、これはいったい……」


 アトラも知らなかったようで、あたりを見回して戸惑いの声をこぼしている。

 それに応えるように、レムリアはぐるりと振り返ると、高々と声を張り上げた。


「さて――まだまだ急造の突貫工事だけど、お披露目といこうか! これぞ名付けて、魔導科学格納庫エクセルシオール・ハンガーッ!」


 ばっ! と大仰に両腕を広げて、大見得を切るようなポーズまで取る。

 瞬間、広大な空間にいくつものフラッシュのような照明が順番に灯り、その全体像を明らかにした。


「な――」

「これは……!」


 さすがに海斗は、隣ではアトラも息を呑んで、その光景に目をみはった。

 これ見よがしにエックスを中心に据えた、その『格納庫』の様相に。


 佇立する鋼の巨体を、不思議な白い輝きを放つ照明装置が照らし上げている。

 機体の各所に沿って組み上げられた高所通路キャット・ウォーク

 歯車めいたパーツで駆動する、クレーンに似た巨大な吊り上げ機。

 雑然と積み上げられた建材や資材の類――


「どうだい! すごいだろう、すごいよね、すごすぎて声も出ないってぐらいだね、アトラも海斗も! その顔が見たかったんだ! あーっはっはっは!」


 なんか馬鹿笑いしているレムリアにも、今は言い返すことすら思いつけない。


 ゴゥン、ゴゥン……と、正体の知れない音が地鳴りのように重く響いている。

 既視感を覚えたのは特にそれだった。

 元いた世界の研究所でも、エックスの整備収納工場はいつもこんな音に包まれていた。


 一方で、この広い場所に人の姿が見えないのが不自然でもあったが……

 驚きと呆れに開いていた大口が、徐々に平静を取り戻して閉じてくる頃になると、海斗はそれが思い違いだと気づいた。


 ここには人がいないのではなく、単に作業員とおぼしき人物がみんな、ばったりと床に倒れ込んで動かないだけだと。


 全員死んだように眠っている――

 が、その内のひとり、たまたま近くに転がっていた男が気配に気づいたのだろう。

 その視線がアトラを見つけて、床に這いつくばったまま震える手を伸ばす。


「あぁ、アトラさ、ま……工事の納期、納期は……」

「だ、大丈夫ですか!? すぐに医務室のベッドに」

「……羊が、ひつじが、ろくせんはっぴゃくきゅうじゅっぴ、き――」


 意味不明にそれだけつぶやいて、また床に沈んだ。

 そしていびきも立てずに、昏睡するように眠り出す。


 後にはなんとも言えない沈黙だけが残った。


「……レムリア?」


 その無言の間を破ったのは、やはりというかアトラだった。

 低い声で妹に呼びかける。


 ここまで来るとむしろ当たり前に、レムリアはかけらも怯んだ様子もなかった。

 何故か誇らしげに胸を張り、さらに堂々と、豪放なほど大笑しながら答える。


「お付きの侍従長以下、スタッフ一同ご苦労様だったね。サプライズは大成功だ! 三日三晩ぶっ続けの作業も甲斐があっただろう!? さあさあみんなもっと盛り上がっていこう、そうだ、とりあえずだけど竣工祝いに歌でも歌ってみたらどうかな――」

「レムリアぁぁあああ! またっ……! またあなたは、あなた、城のみんなになにをさせてるんですかーっ!」


 いよいよもってこらえきれなくなった様子で、アトラが大音声で叫んだ。

 広い格納庫にいい声がよく響く。


 さすがにうるさそうに手で耳を押さえながら、レムリアが言い返してきた。


「なにって、見ての通りエックスの整備場を用意してたんじゃないか。議会で予算を通しただろう? 見てないのかい?」

「そうだけどそうじゃなくて、なんなんですかこの死屍累々の有り様! ていうか、こんな大掛かりな設備をこの短期間で!? 過重労働にもほどがあるでしょうが!」

「なにせ急ぎの要件だったからね。海斗とエックスは魔炎竜までも倒してしまっているんだ、敵がいつまで静観を決め込んでいるかも分からないだろう? 一日でも早く最低限は戦える状態になってもらわないと」

「だーかーらー、もっとやりようはなかったのかって言ってるんですよ、この……このー!」


 もはや怒声を上げるにも言葉が尽きたのか、ともかくアトラはレムリアの肩を掴んでガクガク揺さぶるのだが、やはりまったくこたえた様子もない。

 そしてそうしていると、そのやり取りに割り込むように無機質な声が響いた。


『落ち着いてください、アトラ姫――レムリアの言うことも一理あるはずです。それに、彼女は私の大掛かりな要望オーダーを叶えてくれたのですし、ならば責めを負うなら私も連帯であるべきでは?』


 クオだった。

 一見もっともらしい理屈を並べて、アトラをなだめようとしたらしいが。


 アトラは、ぎょっとした顔で慌ててあたりを見回した。

 それからようやく、そびえ立つエックスの巨躯を見上げて、またぽかんと口を開けてつぶやく。


「……え? この巨人、しゃべるんですか?」

『正確には当機体、エックスに搭載された戦術補助AIが私です。クオと申します。はじめまして――ではないのですが、どうやら私がこのお城にやってきた騒動の折には、お気づきになられなかったようで』


 滔々と、なめらかにそこまで言ってから、一拍置いてクオは告げた。


『では改めて。はじめましてアトラ姫。仲良くしていただけると幸いです』

「えーと……は、はじめまして。こちらこそよろしく……?」


 すっかり毒気を抜かれた様子で、アトラ。

 返事のほうも気の抜けたもので、実のところちらちらと海斗のほうを見やって、とにかくなにもかもさっぱり分からないという感じではあった。


 どう説明したらいいものか、少し考えてから、海斗は告げた。


「人間じゃないけど、俺の相棒みたいなやつだ。なんだか城の人たちに世話になったみたいだな。すまない」

「い、いえ、海斗が謝ることでは……それに、こちらの都合も多分に含まれていることですし」

「私にとっては趣味だけどね。ものづくり大好き。大きなものをいじくるのは特に最高さ!」

「あなたはちゃんと反省しなさい、レムリア! このおばか!」


 なんだか相変わらず、どこか締まらない王女姉妹だったが。

 海斗のほうもいい加減、このふたりのこういう雰囲気ノリには慣れてきつつあった。


「さて――」


 カツっと靴の音を響かせて、レムリアが前に進み出た。

 エックス、あるいはクオだろうか、それを背にして腰に両手を当てる格好で。


「メイン・メンバーが揃ったところで、最初の疑問に答えようか。この世界に降りかかる脅威――魔物と、四天王、そして魔王ザハランについて」


 ここからが本番だというように、レムリアがいつになく真剣な顔を見せた。

 アトラも嘆息しながら同じように前へ並び出て、表情を引き締めてこちらに向き直る。


 対峙する形になって、海斗も空気が変わったことを察した。

 硬い面持ちのアトラと、試すような目で見やってくるレムリアと。


 先に口を開いたのはアトラだった。


「この世界――アル・アハドの大地が魔王軍の侵攻を受けたのは、200年前からだと言われています。奴らは突如として、天より舞い降りた。そして人類への憎悪と、その根絶を掲げ、今に至るまで各地への侵略を続けています」

「天……? あいつら、空からってきたのか?」


 訊ねると、アトラは静かに首肯した。

 海斗の目をじっと見返して、そのまま答える。


「はい。魔王軍の本拠地は、月の陰に浮かぶ“もうひとつの月”――アル・イスナインにあります。海斗はまだ見たことがないでしょうけれど」

「1ヶ月の内に一度だけ、満月の夜に姿を表すのさ。だから“幻の月”なんても呼ばれている」


 レムリアが言葉を引き継いだ。

 やれやれとばかりに肩をすくめて、さらに続ける。


「それだけなら幻想的な光景、で済むんだけどね。厄介なことにこの時にだけ、その月と地上との経路が繋がっちゃうんだ。魔物たちはそこを通って地上にやってくる。雪崩れを打ったように、怒涛の勢いで、大量の群れをなしてね」

「……文字通りの天災か。厄介なもんだな。ってことは、魔物は幻の月とやらに棲んでる生き物なのか?」

「残念、そいつはハズレだ。それなら話は簡単だったんだけどね」

「? じゃあ、いったいどういう?」


 かぶりを振るレムリアに、疑問符を返す。

 彼女は何度か難しげに指を絡めてから、それに答えてきた。


「単純な話、月と地上では環境が違うんだよ。人間が月で生きられないように、理論上は月の生物もアル・アハドでは活動できない。だから――嫌な話だけど、魔物は元はこの地上の動植物・・・・・・・・なんだ」

「なんだと……? ってことは、まさか」

「はい。魔王軍の地上侵攻の理由のひとつには、戦力の拡充があると考えられています。素体として地上の生物を月にさらい、魔物へと強制的に改造して――そして、またこの世界を襲わせる」


 苦々しく表情を歪めて、アトラがその事実を告げた。


 なんとも胸の悪くなる話だ……戦力の現地調達は確かに合理的だろうが、それを、元々いた地上への攻撃にけしかけるとは。

 数日前、海斗を乗せた護送馬車を襲ったあの魔物たちも、元は地上の野犬や狼だったということか。


 だが――


「じゃあ、あのドラゴンや、ゴーレムもそうだったのか? 元は地上の、なにか、別の――」

「いいや。ややこしくて悪いんだけど、そいつらはちょっと特殊な例外なんだ」


 今度はまたレムリアが告げる。

 彼女がぱちんと指を鳴らすと、その左横の空間になにかの紋様が浮かんだ。

 前に魔法の説明の時にも使った、魔力を用いた解説図のようだ。


 光が徐々に輪郭をはっきりさせていくと、それはどうやら赤い竜の顔と、黄土色の巨人を象っているようだった。

 ドラゴンとゴーレムの縮小図だろう。

 まるで元いた世界の立体映像のようだが、それを電子機器の補助なく魔力の手作業でやっているあたり、レムリアの器用さと技量の高さがうかがえる。


 宙に浮かべた光の絵の一方、まずはドラゴンのほうを指差して、レムリアが続けた。


「海斗が倒した魔炎竜は、獣将ジハードの直属の戦力だ。ドラゴンは各四天王に一匹ずつ、魔王が手ずから与えた特別な魔物――その力の象徴とも言えるもの。で、さっき海斗が言ったような、月に棲んでいる生き物はこいつらだ。過去に魔王ザハランが直接地上を襲った時は、このドラゴンたちを率いていたらしい」

「おいおい、ちょっと待てよレムリア。月の生き物だかってのは地上じゃまともに生きられないんだろ? だったら、俺が倒した赤トカゲは」

「全力じゃなかったってことだね。ああいや、ケチをつけたいわけじゃないよ? 下手をすればこの国は滅んでたんだから、その点はちゃんと感謝してるさ」


 あの強さで本調子ではなかった……?

 さすがにげんなりして、海斗はうめいた。


「マジかよ……ってことは、敵の本拠地の月で戦う時は、あれよりもっと手強いやつがうじゃうじゃ湧いてくるのか。そいつはさすがに骨が折れるな」

「えっ?」


 と、声を揃えて、アトラとレムリアが同時に目を瞬かせる。

 なにか、予想もしていなかった言葉を聞いたように。


 こちらこそ意外な心持ちになって、海斗は言った。


「な、なんだよ。そりゃ相手のホームグラウンドでやり合うってなったら、不利なのは当たり前だろ? なにかおかしなこと言ったか、俺?」

「いえ、おかしいというか、なんというか。それ以前に……」

「ぷっくっく。まあ、でも、なるほど、確かに。考えないわけにはいかない問題だったね。いつか幻の月、アル・イスナインに攻め込むっていうなら」


 ふたりしてよく分からないことを言い合う姉妹に、海斗はただ首を傾げるしかなかったが。


「まあいいさ。話を戻そう。ゴーレムについてだけど」


 そんなこちらの様子に構わず、レムリアがマイペースに続けた。

 じゃっかん釈然としないところはあったが、ともかく海斗も話を聞くほうに集中する。


 レムリアがさっと手を振ると、赤いドラゴンの図柄にばつ印がついた。

 これについては退治済み、ということだろう。

 そして残ったもう一方、ゴーレムの絵様が大きく前に出てきた。


「まあこいつは簡単に行こう。四天王の一角、沈黙の巨将ゾハルの魔物。こいつは他の魔物と違って、生物じゃなく言葉通り『土』から作られている。ゾハルが食べた、地上の土でね」

「……とんでもない悪食だな、そいつ」

「まあね。200年にわたる戦いの中でも、いまだに正体が掴めていない謎の存在でもある。ただ、このゴーレムを生み出すっていう能力については――」

『途轍もなく厄介で、危険ということですね。レムリア』


 と、口を挟んできたのは、クオだった。

 格納庫全体に響く電子音声――ではなく、特定の指向性を持ったパラメトリックスピーカーで、


『なるほど、魔物の形態とその成り立ち、運用方法については興味深い。そしてゾハルとゴーレムの関係は、その縮図と言っていいでしょう。ゾハルは単体で軍と兵站を持ち、そして事実上、無限にそれを増やせるのですね』

「鋭いね、クオ君。まあそういうことさ。ただ、この四天王の中で、地上侵攻に最も消極的なのもゾハルなんだよ。もちろん、だからって仲良しなわけがないんだけど」


 レムリアが受け答えしながら、適当に手を振って魔力の図形をかき消す。

 説明が済んだのでもう図説は用済みということだろう。


 その間に、アトラが言葉を継いだ。


「記録上、ゾハルが侵略の矢面に立ったことは数えるほどしかありません。それでもいくつもの国や土地が滅ぼされています」

「一番おとなしいやつでそれだけ、ってことか……」


 それと同等か、より以上の脅威が、まだ他にも存在する。

 つまりはそれが――


「四天王――炎の獣将ジハード。水底の艷将ズィリウス。華麗なる虐将ゼファー。沈黙の巨将ゾハル」

「そして、それらを束ねる人類の大敵、天墜の魔王ザハラン。それが私たちの戦う相手であり、その打倒こそが、為して成されるべき私たちの使命です」


 その名前を挙げていく時の、ふたりの王女の目には、渾然とした感情が浮かんでいた。

 怒りと、敵愾心、やりきれない悲しみに、そして、恐怖と畏怖の念。

 彼女らの表情を見るだけで、その200年に及ぶ戦いの凄惨さが海斗にも伝わってくるようだった。


 吸う息が重い。

 苦いつばと一緒に、それを呑み込む。


 魔王ザハランとその軍勢――恐るべき大敵に、それでも怯まず立ち向かう、挑み続けてきた彼らと彼女らの覚悟と気概、その勇気。

 それが彼女らの、守るべき意地と道理なのだ。


 ……今の海斗には、その目と直接向かい合うことはできなかった。

 あまりに眩しくまばゆい、その壮烈なまでの決意の眼差しには。


 あたりを見回す。

 なんと言ったか、エクセル……なんとか格納庫。実際これは大したものだ。

 これだけの設備を用意する技術力があれば、エックスを継続的に運用することもできるだろう。

 それだけ彼女らも、ハイペリオン王国も、海斗の協力を必要としているのだ。


 それを思えば、その頼みをただ無下にするようなことはしたくない。

 なおも悩みながら、次に口から出た言葉は、少し冗談めかした誤魔化しだった。


「……なるほどな。魔王ザハランにジハード、ズィリウス、ゼファーにゾハルで、『ザ行軍団』ってわけか。Dr.ゼロのジジイもそうだったけど、悪党ってやつはどこの世界でも、やたらと濁音が好きなのは変わらねえな」

「? 海斗、あなたはなにを言っているんですか?」

「は? いや、だから、敵幹部の名前はザジズゼゾで覚えやすいなって……」

「あーあーなるほどなるほど。『言語の門』問題があったか。ちょくちょく話が噛み合わないわけだ」


 不思議そうに訊ね返してくるアトラと違って、レムリアはひとり訳知り顔だ。

 そちらに向き直って視線で訊ねると、あっさり肩をすくめて答えてくる。


「ここ数日、クオ君と話したりデータを見せてもらっている内に、興味深い事例に行き当たってね。なんだっけ、そう、そっちの世界での言い方だと――」

『“バベルの塔”ですね、レムリア。創世記の第11章。海斗も名前ぐらいは知っているでしょう?』

「あー。あの、めっちゃ高い塔を作ろうとしたら神様の怒りに触れて、お互いの言葉が分からなくされたっていう……あれか?」


 うろ覚えだが、確かそんな話だったはずだ。

 もっとも、それは元の世界ではただの伝説で、なんなら与太話の類のはずだが。


 と、内心の疑わしさが顔に出ていたのだろう。

 レムリアが肩をすくめた。


「こっちの世界だと、どちらかと言うと逆の逸話があってね。かつて人々の間では言葉が通じず、争いも絶えなかった。けれどそんな中でも協力、団結して、共通の信仰を形にしようと考えた人々がいたのさ。太陽を崇める神殿を」

「ジグラートの永遠の門、ですか? その姿を喜んだヒュペリボレス神が太陽の加護と、天使ジェノスたちの恩寵を人々に分け与えたという伝説の」

「そう、それ」


 訊ねるように言うアトラに、レムリアが首肯を返す。


 固有名詞の部分については、海斗はさっぱり分からなかったが……

 とっ散らかった考えを頭の中でまとめて、海斗は口を開いた。


「つまり、なにか? その加護――だか天使の恩寵だか――があるおかげで、俺とそっちの言葉は通じ合ってるって? 自動で翻訳されてるみたいに」

「はっきりした確証があるわけじゃないけど、多分ね。でも、言葉は分かっても文字は読めないんだろう? あまり細かい表現や言い回しだと、さっきみたいに齟齬が生まれることもあるみたいだし」

「…………」


 なんだか、いかにもファンタジー然とした話になってきた。

 今さらではあるが、本当にここは異世界なのか。

 漠然とした実感、とでも言うような奇妙な感覚が、海斗の胸中を過ぎっていった。


 ついでに、とレムリアが付け足した。


「魔王ザハランと四天王たちの魔名なまえには、極めて強力な呪言が込められている。言霊ことだまって言ってもいいかな。それを聞く者にとって、忌むべき響き、恐ろしい概念の象徴として伝わるとされている。もしかしたら、海斗と私たちでは違う名前に聞こえているのかもしれないね」

「……確かに、全員いかにも邪悪って感じだとは思ったな。どこかで聞いたような、どいつもいかつくてヤバそうな名前だ」

「地上のモノではない魔王と四天王には、本当の名前などないんです。その意味を失った虚ろな破壊者たち。絶対に相容れない存在です。だから」


 改めてこちらに向き直り、アトラが表情を引き締める。

 真剣に、透き通った金の瞳で海斗を見据え、その心の芯を真っ直ぐに射抜くようにしながら。


「その脅威を退け、この地上に生けるすべての者に平和をもたらすために――力を貸してくれませんか。鉄海斗、あなたと、あなたの駆るエックスの力を」

「俺は……」


 海斗は、即答はできなかった。

 その真摯な祈りのような言葉に、嘘偽りなどないと分かっていても。

 それを受け止めきれる覚悟、命を賭すだけの価値と、筋道を見出だせずにいたから。


 だから、今の心境をそのまま伝えるしかなかった。


「……できるならそうしたいけどな。だけど、俺には帰らなきゃいけない場所がある。戻りたいんだよ。俺が元いたあの世界に」

「もちろん、そのための協力は惜しみません。海斗が力を貸してくれるなら、私もレムリアも、八方手を尽くしてあなたが元の世界に帰れる手段を探してみせます」

「絶対の保証はできないけどね。なにせ、異世界転移、だっけ? そんな事象は見たことも聞いたこともない。でもまあ」


 レムリアが軽く肩をすくめ、言った。

 すっと指を一本立て、天を指差すようにしながら。


「見込みは十分あると思うよ。お互いにね。海斗、君とエックスはこの世界に転移した時、空から突然現れた――魔物たちと同じように・・・・・・・・・・ね。それが魔王軍が月から侵攻してくるのと似た原理だとすれば」

「……奴らと戦う中で、俺が帰るための方法も見つかるかもしれない、のか?」

「仮説だけど、一応の筋は通ってるはずだよ」


 あるいは、敵の本拠地までたどり着ければ、なおさらその可能性は高まるだろう。

 それは確かに海斗、ハイペリオン王国の双方にとって、互いに利のある交換条件だった。


 ――結局、ハラを据えるしかないということだろう。

 ここまで関わってしまった以上、このまま放っておくような寝覚めの悪いことだってしたくない。

 個人的な恩義もある。


 海斗はアトラと、レムリア、ふたりの向ける目をしっかり見返して、大きくうなずいた。


「分かった。乗らせてもらうぜ、その話。まあ任せろよ、なにせ俺は一度は世界を救った救世主プロだからな。この世界もきっちり守ってやるさ」

「え?」

「なんでもない。こっちの話だ。クオもそれでいいな?」

『あなたの決めたことなら、異存ありません。海斗マスター


 相棒の二つ返事を受けて、海斗はぐっと拳を握った。

 話は決まった……なら、あとは突き進むだけだ。

 まだこの世界での身の置きどころも、意地の通し方も、はっきりしないままでも。


 それを見つけるためにも、海斗も強く覚悟を固めた。


「ありがとうございます。私たちハイペリオン王国はあなたを、鉄海斗とエックスを歓迎します」

「あとクオ君もね。ようこそ」


 安堵の息をついて述べるアトラと、付け足すように言うレムリア。


 それに対して、海斗はおうと応えようとして――


「じゃあ契約成立っていうことで、まずニアリングの町並みと近隣の山林被害の賠償、それとエックスの保修繕費と、この格納庫の建造負担額の請求をさせてもらおうかな」

「……え?」


 話がまとまりかけたところで、出し抜けに言われたレムリアの言葉に。


 海斗はぴたりと硬直した。

 なにを言われたのか、一瞬ならず分からずに。

 だがしかし、はっきりと嫌な予感を覚えたのは事実だった。


 そして次第に、その意味するところを理解するに至って、海斗は全身からぞわっと怖気が走るのを感じた。

 慌てて叫ぶ。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺とエックスが空から落ちてきたのも、町の中で戦ったのも、言ってみれば不可抗力だろ!? ていうか、機体の修理費はともかく、格納庫の件は俺は関係ないんじゃあ――」

「それはそれ、これはこれ、私たちも無い袖は振れないんでね。気の毒だけど海斗、君には莫大な借金がある。建前やお題目はともかく、エックスが町と資源に甚大な損害を与えたのはどうしようもない事実だ」

「いや、だからそれはともかく、この格納庫はお前が勝手に作ったんだろうが!」

「むー。仕方ないじゃないか、王族だからって無限に国のお金を使うわけにはいかないんだ。だったら当事者に責任取ってもらうのが一番いいに決まってるだろ。ぷい」

「知るかー! なんなんだそりゃ、どういうむくれ方だよ!」


 叫びながら、無茶な仕打ちに耐えかねて、擁護を求めてアトラのほうを見やる。


 しかし、彼女はその視線からさっと目を逸らした。

 さらにぽつりとつぶやくように、言う。


「ええと……その、私も頑張ったんですよ? でも、議会の反対意見と予算の問題に折り合いをつけるには、これしかなくて」

「な、な……」


 裏切りの衝撃に、わなわなと震える。


 さらに追い打ちをかけるように、レムリアが告げてきた。

 海斗の肩を気軽にぽんと叩いて。


「というわけで海斗。およそ金貨100万枚、国家予算規模の借金返済を目指して、これからは『魔王軍討伐』が君のお仕事だ! 存分に気張ってくれたまえよ! ――あと、エックスの整備費用は別途請求するから、そのつもりでよろしく」

『ちなみにこの世界では金貨1枚=1万円くらいの価値のようです』


 ついでにクオが余計なことを付け足してくる。

 頭の痛くなるような余計な情報を。


 それを聞いて、海斗は。

 海斗は――


「借金が、ひゃ、ひゃくおく……ひゃくおくまんえんんんんん!?」


 意味不明に叫んで、思い切り頭を抱えた。

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