第2章 激闘!!暁の決意編!

第9話 魔法の講義

「――なるほど。これが知らない天井ってやつか」


 目覚めて第一声、またお約束にそうつぶやいて。

 海斗はベッドから身を起こした。


 見慣れない高さの天井どころか、部屋自体ほとんど知らない場所だ。

 昨日、なんやかんやあった末に案内されたお城の2階の客室である。

 豪奢というほど派手な内装ではないが、きっちり掃除と整頓のされた空間は品がありながら居心地がよく、おかげで海斗も昨夜はぐっすり眠れた。

 気持ちのいい目覚め、気分はすっきりと冴え、疲労感は欠片も残っていない。


 床に降りて借り物の靴を穿くと、海斗は窓に歩み寄って外を眺めた。

 陽射しと空気の気配を見るに……今は早朝か。


 異世界の天気を勘で読むのにも慣れつつあった。

 よく晴れた洗濯日和になるだろう。

 しんと凪いだ空気、静寂の中に小さく鳥の声が混じり、空模様はグラデーションを描きながらも全体に白み始めている――


「ん?」


 その中に、わずかな違和感を覚えて、海斗は耳を澄ました。

 かすかに水の弾けるような音がする。


「…………」


 それがなにか、変わった音だったわけではないが。

 静かなお城の雰囲気からすると、みなが起き出すのはもう少し後だろう。

 朝食やらなんやらに呼ばれるにしても時間がかかりそうだった。


 一応、部屋を振り返って、自分ひとりなのを確かめた。

 開けた窓の下、周囲にも人の目はない。


 海斗はひょいと窓を乗り越え、2階の高さから宙に身を躍らせた。


「よ、っと」


 つかの間の落下感――浮遊感――を味わってから、膝をバネにして音もなく接地する。

 土と芝の地面に降り立って、また周囲を見た。


 見られて困るものでもなかったがそれでも注意しつつ、てくてく歩き出す。

 あてと言えるものではないが、なんとなく水の音がするほうに向かって。


 すると。


「――――」


 城の庭の片隅に、アトラの姿があった。

 さすがに鎧姿などではなく、とはいえ普段着でもなさそうな、薄手の白い法衣(のようなもの)といういでたちだ。

 大型の水車の脇に立って、じっとしている。


 集中しているようだ。

 海斗が抜き足で忍び歩いているとはいえ、こちらに気づく様子もない。

 近づいてみて分かったが、アトラは目も閉じているようである。


 そしてそのまますうっと、軽く舞うような仕草で両手を頭上に持ち上げると――


「――――♪」


 声のない歌、とでも言うのか。

 それがただの吐息ではないと思ったのは、その朝露あさつゆより透明に澄んだ音階のためか。

 それとも、その動きに付随した、不可思議な現象のためだったろうか。


 アトラの伸ばした両手の先に、それぞれ小さな赤い光の球が浮かんでいる。

 手のひら大の光球は温かな輝きを放っていて、陰りも揺らめきもしないそれを、海斗はしかし直感的に『火』だと感じた。


 ふたつの火球が動き出す。

 アトラがその場でくるりと回転し、踊るように手を振るのに合わせて。

 翻る法衣の裾、透明な歌声に乗せて、優雅で美麗なワルツを彩るように。


 言葉にすれば陳腐だが――

 海斗はそれを、羽ばたく妖精たちの舞いのようだと思った。


 そんな時だった。

 ぱきっと、思わず仰け反った海斗の足元で小さな音が鳴った。

 落ちていた枯れ枝を踏んだらしい。


「え?」


 アトラの動きが止まる。

 と同時に、衛星のようにくるくる回っていた火の玉もぱっと瞬いて消えてしまった。


 きょとんと目をしばたたいて、アトラがつぶやいた。


「海斗、ですか? いつからそこに?」

「ついさっきだけど……悪い。のぞき見するつもりじゃ」

「ああいえ、構いませんよ。咎めることじゃありませんから。気づかなかった私が不注意だっただけです」


 気を悪くした風もなくそう言って、アトラはくすりと笑った。

 どうやら本当に、怒っているということはないらしい。


 それでもじゃっかんの気まずさを誤魔化して、海斗は咳払いして訊ねた。


「今のは、なにをやってたんだ? あの火の玉は?」

「魔法の鍛錬ですよ。自身の魔力を小さな塊にして、ああやって意のままに操って動かす。基礎の基礎なんですが、だからこそおろそかにはしないようにしているんです」

「歌もそうなのか?」

「え?」


 再び目をぱちくりと、アトラ。

 海斗はうなずいた。


「ああ。歌ってたっていうか、拍子だけ取ってたみたいだったけど。好きなのか? 歌が」

「ええと……まあ、はい」


 なぜかそちらこそ少し恥ずかしげに、アトラが曖昧にうなずく。


 とはいえ、逡巡の気配もほとんど一時のことだった。

 すぐにすっと背筋を伸ばして、涼しい声で続ける。


「好きというより、請われるんです。騎士団のみんなに。私の歌を聞くと力がみなぎって、戦働いくさばたらきにもやる気が出るとか」

「そうなのか。でも、さっきのは戦いの歌って感じじゃなかったよな?」

「そうですね。勇ましい歌は楽しいですが、静かな歌もいいものだと思います。それを好きというなら、確かにそうなのかもしれませんね」

「へえー」


 なんの気なしに相槌を返す。

 興味がないでもなかったが、それより海斗が訊ねたのは、また少し違うことだった。


「なあ。さっきのは魔法の鍛錬だって言ってたよな? じゃあ、なんていうかさ――俺にもできるかな? 魔法。練習すれば」

「え? うーん、どうでしょう……この地上に、魔法が使えない人間はいないはずですけど。海斗は事情が事情ですし……」

「そこをなんとかっ!」

「頼まれましても」


 困ったように眉を曲げつつ、アトラがうめく。

 などと言い合っていた時だ。


 ぐぅ、と海斗の腹の虫が鳴く。

 それを聞いて、アトラがくすくすと笑った。


「こんなところで話し込むより、まずはごはんですね。ちょっと待っててください海斗。鍛錬の仕上げをしますので」

「仕上げ?」


 問いには答えないで、アトラは近くにあった空桶を拾い上げて、そこに水車の水を溜め始めた。

 中身がいっぱいになったところで海斗から少し離れる。


 なにかと思って見ていると、アトラは桶を持ち上げてひっくり返し、大量の水を頭からざばーっと勢いよく被った。

 当然、たちまち全身、長い赤毛も白い法衣も水浸しになり、それぞれ肩や腹の肌に貼りつく。

 ぼたぼたと大粒の水滴が滴り落ちて、あっという間に濡れ鼠の有り様になってしまった。


「おいおい、なにやってんだよ!?」


 慌てて声をかけようとして……が、その瞬間に海斗は息を引きつらせた。

 一瞬だがアトラの姿を見てしまったのだ。


 白い法衣はもともと生地が薄い上に、水に濡れてほとんど透けかけている。

 しかも身体のラインに沿って各所を浮き上がらせていた。

 はだけて見えた鎖骨、形の良い胸の膨らみ、しなやかな四肢、くびれた腰、スリットからのぞいた太もも、そして綺麗な足の爪先――


(見てない、見てないぞ! ……俺はなんっにも見てないからなっ!)


 ものすごく危ない光景に見入るよりも先に、反射的にギリギリで視線を逸らせたのは幸運か、自制心の賜物か。

 なんであれ、海斗が奇妙にねじれた体勢で(好きでそうなったのではないが)目を背けている内に、またあの気配を感じる。

 熱と温度、そして不意の明るさだ。


 その熱量に押されて、海斗は自然と後退っていた。

 たたらを踏みつつ距離を取って、アトラの斜め後ろの位置に落ち着くと、その現象の正体を見極める。

 熱と光の波動はアトラの足元から、いや、体内から湧き起こるように発されていて、熱風に長い髪と法衣の裾がぶわりとはためいた。


 オーラのように噴き上げる熱量の流れ。

 これも魔法なのか――海斗が今度こそ目を見開き、驚いていると。

 見る間にアトラの肌から、髪と衣服から水気が飛んでいき、やがてそれもふっと収まった。

 後には元通りの姿のアトラが、ふうと一息ついて立っているだけだ。


 見たままを言うなら、熱風で服と身体を丸ごと乾かしたのだろう――なんというか、生身で脱水乾燥機に入るような力業に思えたが。

 蒸発した水が質量を増したように、あたりにぬるい風を振り撒いている。

 そんな中で、アトラが何事もなかったように口を開いた。


「さあ、海斗。食堂に行きましょうか……どうしたんです? 妙な顔をして」

「アトラ、お前な……」


 言いたいことは色々ある。

 あるが、しかし。


「……なんでもない。ただ、誰かの近くでその鍛錬をやる時は、ひと声かけて遠ざけてからやったほうがいいと思うぞ」

「そうですね。いつもひとりでやっていたので忘れていましたが、魔法が暴発したら巻き込んでしまいますし」


 色々と分かってなさそうだったが、突っ込む気力もない。

 無防備、というか、なんというか。

 普通こういうことは、女の子のほうが気にするものじゃないのか……?


 アトラについてお城のほうに引き返していく――

 が、その間際に。


「あー。海斗。魔法の件についてなんですけど……そういえば教えるのに適任な人物がひとり、いました」

「ほんとか?」

「ええ、まあ……素直にはオススメしかねるんですけど」


 振り返って言ってくるアトラは、なぜだか微妙そうに言葉を濁していたが。




「ほう。魔法について知りたい? いいとも!」


 上機嫌に、しかし怪しさ全開の笑みを浮かべる『第二王女』の顔を見て、海斗はその意味を思い知った。


 広い食堂での朝餉あさげを終えて、向かった先の城の片隅で。

 待ち受けていたはずはないだろうが、ともかくそこにいたレムリアに声をかけた時点で、海斗は猛烈に後悔していた。


 ぐるっと振り返って、ここまで案内してくれたアトラの顔を見やる。

 さっと目を逸らされてしまったが。


 その目線の間に滑り込んできながら、レムリアが言った。


「いやいや、私も興味があったんだ。異世界からやってきたマレビトが――つまり、主神ヒュペリボレスの加護のない“鉄海斗”という存在が、魔法を使うとどうなるか。そもそも使えるのか? 制御できるのか? まさか暴発なんかして七色の泥に溶けて飛び散ったりしたらさぞやおもしろおかしいデータが取れるんだろうなあー!」

「…………」


 海斗はなんとも言い難く、早口でまくしたてるレムリアを指差す。

 アトラはすすす、ときっちり三歩遠ざかって、無言の抗議を黙殺したが。


 そんなこちらふたりの反応を気にした風もなく、レムリアは上機嫌そうに続けた。


「で、海斗。君の希望としては何色に蕩けたいんだい? イメージ的には黒か、それとも赤かな?」

「アトラぁ! これが適任か!? こーれーがー!」

「ええと……これでも妹は、国でも5本の指に入る魔法の達人なので……」


 あくまで目を合わせないまま、アトラがうめくように言う(ちなみに一度着替えに戻って、今は控えめな白ドレスといった格好だ)。


 なおも叫ぼうとする海斗を、しかしレムリアが遮った。

 ちっちっちっ、と指を振るようにしながら、


「それはだいぶ控えめな評価だね。正直、私は私以上の術者を知らないから正確には『1本指』の魔法使いだ。ついでに、以下の指30本くらいはみんな戦場に出ているか、素性も知れない素人に構っていられないくらいの要職者ではあるよ」

「…………」


 大層な自信である。

 疑わしさは増すばかりだったが。


 しかしとりあえず、海斗が突っ込んだのは別のところだった。


「……それを言うお前はなんなんだ。『第二王女』が、よそ者のはぐれ者に構ってられるほど暇人なのか?」

「はっはっは。お堅いことを言うなよ、堅苦しいのは苦手なんだ。私と君の仲じゃないか、ざっくばらんに行こう」

「どんな仲なんだよ、俺とお前は」

「エックスの腕を直しただろう? そのお礼もまだ受け取っていない。クオ君は素直に感謝してくれたけどね、海斗、君はどうだい?」

「うぐっ」


 それこそ、それを言われれば返す言葉もない。

 彼女のおかげで窮地を脱したのは事実なのだから。


 反論がないのをたっぷり見て取ってから、レムリアはぴんと人差し指を立てた。

 そして得意げに語り始める。

 というか、勝手に説明を始めた。


「さて。意地と道理をやっつけたところで、魔法についての講義レクチャーと行こう。海斗、君は魔法をどれくらい知ってる?」

「いや……まったく知らない、かな。何回か見たことがあるだけだ」

「魔素から魔力へ、魔力を魔法へっていう基礎の転換法は?」

「全然分からん」

「オーケー、じゃあ分かりやすく1から説明するよ」


 と、立てた指をくるくると回すと――

 その先に、ぽうっと小さな光の玉が浮かび上がった。

 豆粒のようなサイズの赤い光球。


 ふと、そのほのかな輝きに思い当たって、海斗はつぶやいた。


「それ……ひょっとして、さっきアトラがやってたやつか?」

「うん? あーアトラ、君はまだあの鍛錬やってたのか。らしいっちゃらしいけど、体育会系のうきんは相変わらずのようで」

「誰が脳筋ですか、誰が!」

「じゃあこれできるかい?」


 言って、レムリアは手を開いて五指を広げた。

 その指先それぞれに、小指から順番に光の点が灯っていく。

 赤に続いて青、緑、黄色と、別種の輝きを宿しながら。


 並べると、なにか信号機のようではあったが。

 それを見て、アトラがうめいた。


「……で、できませんけど」

「じゃあこれは?」


 言ってぎゅっと手を握ると、豆球も合わせてくっついて、複雑な虹色の雫に変わる。

 寄り集まったことで、今の大きさはビー玉ほどか。


 アトラが弱々しく言う。


「できないですけど……」

「じゃあまさかあんなことやこんなこと、そーんなことまでできたりするのかい?」

「わーん!」


 言う間に魔法の玉が円形に平べったく変形し、さらにそれを指の背に乗せて、手品のコインロールのようにころころくるくると遊ばせ始めるレムリアに。

 なんかもう、アトラは可哀想な泣き声を上げていたが。


 姉妹のやり取りになにを言えばいいか分からず、海斗が呆然と見ていると、レムリアがこちらに向き直ってにやりと笑った。


「それでまあ、脳筋をやっつけたところで説明の続きだけど」

「今のくだり必要だったか……?」

「続きだけど。魔法の基本形は今見せたように、四色から成り立っている。火、水、風、土の、四大属性からね」


 きっぱり無視してよどみなく、レムリアは続ける。


 彼女がさっと手を振ると、また魔力玉が球状の形に戻った。

 さらに指先で宙をなぞると、そこに光の線が軌跡のように描かれていく。


 海斗には読めないが、それはこの世界の文字のようだった。

 虚空のキャンバスに色とりどりに、言った通り四色の光の文字が浮かんでいる――つまりはまあ、それらが四大属性というのを意味する言葉なのだろう。


 ぐるりと描いたそれらの中心に、さらにレムリアはひとつの文字を付け足した。

 色は――白、いや、シャボン玉のような薄い透明色だ。


「この世界を覆う無色透明の魔素――エーテルとも言うけど、それを各々の生き物が活動する中で取り込み、扱いやすいように作り変えたものが魔力だね。そこのアトラなら赤い力、火の魔力マナだ」


 指差されても、まだアトラは半泣きでぐずったままだったが。

 やはり一切構わず、レムリアが言葉を継ぐ。


「ほとんどの場合、取り込める魔力は個人によって決まってるかな。それがイコール、放つことができる魔力だ。それからその属性に沿って、素直に力の流れを導いてあげれば――」


 そこでレムリアがぱちん、と指を鳴らすと、宙に浮かんでいた四色の文字が膨れ上がった。

 いや、赤いものは炎に、青いものは渦巻く水球に、緑と黄色はそれぞれ見えない気流と旋回する石くれへと、レムリアの合図でその姿を変えたのだ。

 つまり、これが。


「魔法の完成、ってわけだよ。威力とか範囲とか発動タイミングの調整とか、あとは色々いじくってやればいい」

「……なんだか、聞いてると簡単そうだな?」

「実際、難しいものじゃないよ。感覚的なものだから子供でもできる。この世界に生きる人間なら、ね」


 明らかに含みを持たせた言い方に、海斗は嘆息した。


「異世界人は保証の対象外、か。なんだっけ、神様の……なんとかがないから」

「主神ヒュペリボレスの加護。こればっかりは検証のしようがないからね」


 まったく無責任にそう言って、レムリアが一息つく。

 また手を一振りすると、あの宙に浮かんでいた火や水の塊が瞬きもせずにぱっと消えた。

 さっきの話しぶりだと、多分魔力だか魔素だかに戻したのだろう。


 で。


「というわけで――ほら、アトラ、出番だよ。いつまでうじうじしてるんだ、鬱陶しいから早く立ち直ってくれ」

「どうせ私は脳筋ですよー……どーせ私なんかー」


 まあ実際、かなりうじうじ気味にアトラも立ち上がったわけだが。


「拗ねてるなあ。脳筋も悪い意味ばかりじゃないよ? 考えるより感じろっていうか、私は理論一辺倒じゃなく、感覚派の意見も同じくらい大事だと思ってるんだからね」

「はいはい……それで、私はなにをすればいいんですか」

「海斗の『制御役』を頼めるかい? 私がやってもいいんだが、万一の補助輪に集中したくてね」

「制御……補助輪?」


 海斗は首をひねったが、アトラにはそれで伝わったらしい。

 海斗の後ろに立って身を寄せてくる。

 いや――


 どころか、ほとんど抱きかかえるように、後ろから手を取って密着してくる。


「うえ!? あ、ああああアトラ!?」

「じゃあ海斗、力を抜いて、身を任せてください――」

「はい、腕をこっち向けてー、呼吸は落ち着けてー、リラーックス」


 内心、かなりぎょっとしたのだが、姫姉妹はどちらも気にした風もなかった。

 言われるがまま、なすがままに姿勢を動かしていると、嫌でもアトラの肌の感触を感じてしまう。


 服越しだというのに柔らかく――そしてなにか、甘いような感触。

 息を吸うと、その甘さを吸い取ってしまうような気がして、思わず海斗は息を詰めた。


 それを眺めて、レムリアがにやりと意地悪く笑ってみせた。


「んー……? おやおや、海斗。硬派そうな態度でいて、君も案外男の子だね? これはただの練習、魔法の実験なんだよ?」

「そっ、そうは言うけど、こんなくっつかれる理由って……!」

「集中しないと危ないですよ、海斗。ほら、呼吸を集中して……意識の焦点はへその下……」

「ぐっ」


 間近で囁かれると、首に吐息がかかってなおさら集中が乱れそうだったが。

 

 しかし、油断すると危険、というのも事実だろう。

 海斗はぐっとつばを飲んで、言われた通りに意識を集中した。

 変にぐずつくより、どうやら早めに終わらせたほうがまだマシだろうと腹をくくったのもあるが。


「集中――呼吸を深めて――意識を委ねて――」

「夢を見るような感覚。夢に目覚める瞬間の記憶。それを束ねて形にする……」

「見えますか? ――見えた。刃のような、鋭い煌めき――」

「…………」


 要はトランス、催眠技法に近い類だろうとあたりをつけて、海斗はふたりの声に集中し、没入した。

 そうすると、海斗にも――やがて見えた。


 紫色の、なにかを切り裂くような激しい瞬きだ。

 ピリピリと肌が粟立つような力の予感。

 心の中でそれに手を伸ばし、掴んで、引っ張り上げると――


 掲げた手の先に、強く、力の塊が弾けて燃える!


「――――っ!」


 ばちっ、と現実の意識も瞬いた。

 驚いて目を開く。


 閃光は一瞬だった。

 部屋の内壁、その一部分に、黒く焦げ目がついている。

 しゅうう、と白煙を上げて、まるでそこに弾丸でも受け止めたような様子だ。


 同じようにそちらを見やって、レムリアがつぶやいた。


「へえ。珍しいな。スパークか」

「スパーク……って?」


 訊ねると、レムリアは肩をすくめた。


「雷属性の魔法だね。四大属性で言うと、風の系統だ。正確にはその亜種だけど」

「珍しいっていうのは、異世界人だからか?」

「どうだろうね。いるところには普通にいるし。多分、たまたまじゃないかな」

「レムリア!」


 と、アトラがぱっと海斗の背中から身体を離して、レムリアに叫ぶ。

 壁の焦げ目に指先を突きつけて、


「あなた、暴発を防ぐんじゃなかったんですか!? どうするんですかお城の壁を焦がしちゃって!」

「そうは言うけど、雷だよ? 音の何百倍も速いんだよ? 受け止めるどころか反応もできないってば、まさか四大属性から外れてくるとは予測できないし」

「だからといって……!」

「ええと。ごめんアトラ。これはどっちかっていうと、俺のせいだよな」


 横から詫びを入れると、アトラが慌てて振り返った。

 その後ろでレムリアがこっそり舌を出していたが、それには気づかず、


「あ、いいえ、海斗は悪くないです! 元はと言えば、ちゃんとした準備もせずに儀式見の魔法を始めた、私たちの不注意で……」

「壁紙一枚張り替えれば済むことで、いちいち大げさだなーアトラは」

「あなたはちゃんと反省しなさい、レムリア!」


 などと、またぎゃーすか言い合う姉妹はともかく。


(これが魔法か……)


 掴んだ感覚を握り直すように、海斗は見据える先で拳を握った。

 うまく言えないが、もう一度同じことをやろうと思えば、ひとりでも簡単にできる気がする。

 理屈ではなくそれが分かる。

 それがいわく、感覚派ということなのかもしれない。


 と、そんな様を目ざとく見つけてきたのだろう。

 レムリアが言ってきた。


「あー、海斗? 感慨にふけってるところ悪いんだけど、多分、君の魔力は使い物にならないよ」

「……え? なんで!?」


 かなり本気で驚いて、問い返す。

 レムリアは肩をすくめて、平然と言ってきた。


「見たところ、やっぱり君には太陽神の力の恵みが行き届いてないっぽいね。魔力の流れはしっかり観察させてもらったけど、どうにも損失ロスが多い、効率が悪い。興味深い結果ではあったけど――制御棒アトラ付きで力を振り絞ったのに、あんなちっぽけな火花ひとつ出せるだけの有り様じゃあ、ねえ」

「で、でも、必死で鍛えて練習すれば、ちょっとくらいは」

「まあ無理に止めはしないけどさ」


 なんだか、そのレムリアがこちらを見る目が、ひどく哀れなものに思えてしまって。


「血がにじむくらい特訓して――まあ、向こう5年くらい頑張ったとして――多分、できるのは人をビリっと・・・・させる程度じゃないかな。それでよければご自由に」

「そっ」


 絶句して。

 それから、海斗はうなだれた。

 いや、その場に膝をついてくずおれた。


「……………………そんなになのか……………………」


「あ。なんか思いのほかダメージ受けてる」

「よっぽど楽しみだったんですね、魔法……」


 同情混じりに、レムリアとアトラがつぶやくのが聞こえてきた。

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