第8話 レムリア
王都への道行きはつつがなく進んだ。
馬車なのだから徒歩よりはずっと早く、かといって数十台の大所帯なので行軍よりは遅いくらいか。
当たり前だが海斗は旅の経験などろくになく、そのあたりの時間と距離感覚は正直よく分からないが、目立ったトラブルはあの魔物の襲撃くらいだったと思う。
一夜の野営、それと馬の足を休める何度かの休憩を挟んで、翌日の昼下がりには騎士団は王都の門前までたどり着いた。
なのだが――
「……? なんか、手間取ってないか?」
これだけの大集団でも、正当な騎士団の帰還である。
それが入城するどころか、城下町へ入るというだけで、こうして待ちぼうけで足止め状態だ。
城塞都市というのか、町を取り囲む高い門と城壁を見上げて、30分近くも経てば首も痛くなってくる。
当然、不自然に思ったのは海斗だけではないようだ。
同乗している副騎士長、マンフレートがつぶやくように言った。
「市街で混乱が起きているのだろう。無理もないが」
「分かるのか?」
「……騒ぎの種の元凶であろう人物と相乗りしていれば、な」
「あー。そうか。そうだな」
じろりと睨まれて、海斗は頭をかいた。
手枷で両手を縛られたままだが、なんとか誤魔化すように。
そのタイミングで馬車の列が動き出した。
交通の整理がついたか、確認の作業に認証が降りるかしたのだろう。
分厚い巨大な門扉が開放され、馬車と騎士たちがゆっくりとそこをくぐっていく。
市中に入って――
まず海斗が感じたのは、ざわめきの気配だった。
栄光の聖極騎士団の凱旋、となれば歓迎のファンファーレのひとつも鳴り響きそうなものだが、民衆はやや遠巻きにしながらひそひそ話をするばかりだ。
馬の足取りと車輪が石畳を噛む音の隙間から、それとなしに海斗はいくつかの声を耳に拾い上げた。
「あれが――騎士団の捕まえた――」
「ドラゴンを倒したって――本当なの」
「馬鹿げてる――騎士団が、アトラ様が
「なんのためにそんな――」
「黒い巨人を見たって噂も――父は隣町から帰ってきたばかりで」
聞こえよがしにではないが、それでも漏れ聞こえてくるのはそんな内容だ。
どれもマンフレートが言ったように、不安と混乱を囁くような声だった。
嘆息する。
「なんか、前の町と違って俺のイメージ、悪いなぁ」
「それはそうだろう。四天王のドラゴンを倒したなどと、あまりに突拍子がない話だ。我々ですらいまだ信じられんのだから」
「でもなんか聞いてると、俺は騎士団の敗走を誤魔化すための生け贄だとか、俺自身が山よりでかく巨大化して鼻息でドラゴンを吹き飛ばしたとか、もっと信じられないこと言ってる人もいるぞ」
「噂とはそういうもので……いや待て、貴公、どんな耳をしているのだ? 揺れる馬車の中から人の噂話を聞き分けるなんて」
とかなんとか言っていると、不意に馬車の動きが止まる。
お城に着いたのか――と思ったが、外を見てもその様子はない。
だいぶ近づいてきてはいたが。
で、なにかと思っていると。
「――わせて! 会わせてください。巨人の人に!」
声が聞こえてきた。
切実さのこもった、真剣な叫びが。
馬車の進んでいた先、先頭のほうからである。
窓からこっそり様子をうかがうと、どうやら馬車の隊列の正面に人だかりができているらしい。
というより立ち塞がってきたのか。
馬車隊の歩みが止まったところに、さらに声は続いた。
「いるんでしょう? ドラゴンを倒したっていう人が、そこに。連れて帰ってきたって。騎士様、お願いします!」
「ふ、不敬だぞ、君たち。騎士団の歩みを止めさせるなんて。我々はいまだ帰還の途上なんだ、すぐに退去しなければ処罰の対象に――」
「でも、確かめなきゃいけないんです!」
おかしな言い方だが、静かな叫びだった。
感情の猛るまま声を荒げるのではなく、ただ、絶対に引き下がれないという不退転の決意。
言うなれば、
答えた騎士もそれを感じ取っていたのだろう。
立場上は押しとどめなければいけないが、いかに力のある立場でも、それを恐れない相手を押し返すのは容易ではない。
しかも相手は集団であり、半ば勢いに押されて返答に窮している様子が伝わってきた。
海斗は、マンフレートのほうに視線を向けた。
馬車の中からでは騒ぎは直接見えないし、他になにを見ればいいのか分からなかったからだが。
副騎士長は首を横に振った。
「行かせんぞ。それを止めるのが私の役割だ。なにが起こるか分からないだろう」
「けど、向こうが引き下がらなかったら? 力ずくで退かすつもりか?」
「そうする必要があるならな。貴公、馬鹿なことは」
言いかけた時だった。
「――海斗」
馬車の外から、呼びかけてくる声があった。
座ったままだが、位置的には目線より下から届く声。
そちらへ視線を向けると、姫騎士――アトラが、歩み寄って馬車の荷台の端に手を触れてくるところだった。
騒ぎを聞きつけて、下車してこちらへ向かってきたらしい。
目をむいたのはマンフレートだ。
青年騎士は慌てて立ち上がり、声を上げた。
「あ、アトラ様! いったいなにを!?」
「海斗。あなたは、どうしますか?」
「…………」
アトラは、ちらとだけマンフレートのほうを見たが。
すぐに視線を移して、静かに海斗を見据えて訊ねてくる。
まるでなにかを試すように、だ。
しばし見合って――とはいえ、考えるほどのことでもないのだが。
海斗はふっと笑って、手枷に繋がれた両手を上げた。
混乱する事態にすっかり固まっている、もうひとり同乗していた騎士に告げる(手枷の鍵を持っているのは彼だった)。
「これ、外してもらえるか?」
「え? いや、し、しかし」
「アトラ様!」
なおも食い下がるマンフレートに、しかし、アトラは静かに。
「副騎士長」
ただ静かに、落ち着いた声で言うだけだった。
「いいのです。民衆の声を聞くのも騎士の務めですよ、マンフレート副騎士長」
「ぬ……」
そんな声で言われては、彼ももはやなにも言えなかっただろう。
ただ深く嘆息して、鍵を持った騎士に告げる。
「……外してやれ」
「は、はあ」
気の抜けたような声を漏らして、その騎士が手枷の錠を外してくれた。
ぱかりと開いたそれを騎士の手に乗せて返すと、海斗は立ち上がった。
肩を回して首を鳴らし、馬車から降りる。
石畳に足をつけて、前に向かって早足で歩き出した。
アトラが後ろをついてくる気配があったが――
先を急いで、いちいち振り返らない。
そのアトラの姿を見て、だろう。
周囲の町人らのざわめきが大きくなった。
「……姫、様?」
「アトラ様だ……」
「じゃあ、あの少年が、本当に――」
ともあれ海斗はすたすた歩いて前へ進み、馬車の連なりの先頭までやってきた。
アトラは、少し離れたところで立ち止まって、事の成り行きを見守ることにしたらしい。
それは別にいい。当て込んでいたわけでもない。
「? あなたは――」
進み出ると、騒動の中心に立って声を上げていたのは二十歳ほどの小綺麗な身なりの女性だった。
小柄で細い身体つきで、騎士の一軍と見比べるとなおさら小さく見える。
後ろに並んでいる人だかりはまた様々だが、とりあえずその女が代表らしい。
その彼女の見つめてくる先で、海斗はひとつうなずいて口を開いた。
「俺に、なにか用があるのか?」
「え……じゃあ、あなたが?」
「ああ。『巨人の人』だ」
ざわっ――と、集団がざわめく。
みなが目を見開いて、海斗に意識と注目が集まるのを感じた。
舌の根に乾いたものを感じながら、それを受け止める。
そして、続く女性の声を聞いた。
「あなたが……」
「だから、そうだって言ってるだろ。言っても見ても信じないなら、証拠の見せようってのもねえもんだけどな」
「あ、いえ、違うんです! そのっ!」
と、彼女は慌てたように手を振って、大きく息を吸って、
「――あの! ニアリングの町を、私の夫を助けてくれて、本当にありがとうございましたっ!」
「いや俺もな、町を壊したのはマジに悪かったと思って……なに?」
先に用意していた謝罪と言い訳を、しかし海斗は遮って。
目をしばたたかせた。
今、目の前の女性はなにを言った?
ありがとう……?
深々と大きく、女性が身体を折り曲げて礼をする。
それに
戸惑う海斗をよそに、その人らが口々に言ってきた。
「うちの息子も。騎士団の一員だったが、あなたに救われた」
「商売に行っていた旦那とふたりの子供が――」
「俺のところもだ。離れて暮らしていた娘夫婦を、あんたは守ってくれた」
「逃げ遅れて離れていた妻と娘から、無事だっていう手紙が届いたよ!」
我も、我もと、彼ら彼女らが次々に礼を述べてくる。
中には涙を流して、何度も何度も感謝の言葉を繰り返す人もいるほどだ。
と、目の前に立っていた女性が頭を上げた。
それこそ、涙をこらえて表情を緩ませながら、訊ねてくる。
「――あなたの名前を、聞かせてくれませんか?」
「いや、えっと……別にそんな、俺は名乗るほどの者じゃ」
「海斗」
腰が引けて遠慮しかけていた、そんな時だった。
後ろから静かに、アトラが語りかけてくる。
「こういう時、あなたはどうしますか?」
「――――」
それはほとんど、さっき言われたことの繰り返しだったが。
それで海斗は、改めて
ぐっと拳を握り、つばを飲んで、前に向き直る。
先頭の女性に、そして後ろの人々全員に向けて、告げる。
「――鉄海斗だ。よろしくな」
「海斗さん。本当にありがとう!」
「ああ、どういたしまして」
すっと右手を差し出すと、彼女は両手でそれを握り返してきた。
そしてその後ろで、どっと歓声が沸き上がる。
その声を聞いて、その光景を見て、だろう。
周囲からぱちぱちと、拍手の音が聞こえてきた。
さっきまで半ば不審げにしていた市民たちだが――
やがてその場の空気、和らいだ雰囲気が伝播したのか、手を叩く音が段々と増えていく。
そしてやがては、万雷とまで行かずとも、見回す限りの人々全員が。
「――なあ?」
「ああ」
「そうね――」
その両手を打ち鳴らして、海斗と、そして礼を言って頭を下げた人たちを讃えていった。
そしてその音は、まるで、海斗のことを受け入れて歓迎してくれているようにも思えて――
どうにもむず痒い心地で苦笑しながら、海斗も手を挙げてそれに応えた。
拍手の音がまた少し、大きくなる。
――なんとはなしに振り向くと、アトラも、後ろで見守りながら小さく手を叩いていた。
そして、馬車隊を率いる騎士たちも。
町の全員ではないが、かなりの人数が、そうして海斗を迎え入れてくれた。
と、そんな時だった。
静かに賑わい、和んでいた空気の中に。
轟音が響いて閃光が突き刺さり、どわっと場がひっくり返った。
「なっ、なんだぁ!?」
通りにいた誰かが罵声を上げる。
というか、誰もが抱いたであろう同じ疑問だったろうが。
一転して大通りは大騒ぎに逆戻りした。
民衆は困惑してどよめき、騎士団員たちは身構えて警戒態勢に入る。
パニックこそ起きていないが、なんの拍子に火がつくか分からない有り様だ。
そんな中で、ほとんど唯一だろう。
海斗だけがはっきりと嫌な予感を覚えて、空から地上へ飛来した光の行く先を睨んでいた。
(あの光は――いや。どう考えても間違いない。見間違えるはずないだろ!)
というより、予感した次の瞬間には確信して、その方向へ駆け出していた。
騎士団の拘束を振り切った形だが、気にしている暇もない。
閃光が突き立ったのはこの町で一番大きな建物、つまり王城だった。
走り出して間もなく、その隅の一角へと海斗はたどり着く――
そして。
嫌な予感と確信は、ある意味で最悪な現実としてそこに待ち受けていた。
「はーっはっはっは! うわー凄い、これは驚いた、まさか本当に光になって一瞬で飛んでくるなんてねえ!」
出迎えたのは
両手を上げて高く掲げて、目の前の威容を称えるように、というよりただはしゃいでいる青い服の女。
変わった形の作業服の、明らかに変わり者の少女だ。
言うまでもなく見覚えがある。
あの隣町の牢で訪れた、そしてゴーレムと戦っている時に観た記録映像の、あの眼鏡の少女に相違ない。
城の壁のテラスに、というか、3階の高さあたりに明らかに急造した出庭に立って大笑いしている。
そして、王城の壁をごっそり何フロア分もぶち抜いて、そのスペースに収まっている見慣れた黒い巨影――
愛機、エックスが、あの隣町に置いてきたはずの機体が、今まさにこの王都に
たまらず海斗は叫んだ。
「な、に、を――なにやってんだー、お前ぇぇえええ!?」
というか、かなり悲痛に絶叫していた。
そう。見間違えるはずがないのだ。
エックスが
そしてこの機能を扱えるのは、登録パイロットである海斗自身をのぞけば、あとは――
「クオー! お前、まさかその女に、
『そうは言いますが海斗。彼女は実際、優秀ですよ』
「そうその通り! とても優秀なこの私だよ!」
「うるせえよ不審人物、この、ばかばかばーか!」
会話に割り込んでくる少女はめちゃくちゃに罵っておいて。
クオの返答を聞いた。
『そう言われましても。交換条件を持ちかけられたのです。といっても、選択の余地もなさそうでしたが』
「どんな!」
『
「その挙げ句がこれかよ! いきなり飛んできやがって、町中もう大騒ぎだぞ!」
『それは本当に申し訳ないのですが。しかし、私は転移先の状況は分かりませんので――』
と、クオは(AIのくせに器用に)気配だけで青服の少女を示した。
促されて、彼女が肩をすくめた。
「善は急げ、と言うだろう? とりあえず城の壁と床をぶち抜いて、整備工場――格納庫を造ったんでね。調整のために早速クオ君に来てもらったというわけさ。分かったかい、海斗?」
「なんで俺の名前を――いや、クオに聞いたんだろ、それはいい! お前、マジで分別とか常識とかないのか!? 城の壁を崩しただと!?」
信じられない所業、いや蛮行だ。
彼女が誰だか知らないが、こんな無体な真似をしてまともに済むはずがない。
どう控え目に言っても有罪確定の、いやこれはもはやそんな次元でなく、その場で打ち首にされても文句ひとつ言えないだろう。
もうなにに対して怒ればいいのかも分からない。
海斗が呆れを通り越して、いっそめまいすら覚えていると。
「――
背後から響いた声に、海斗は振り返った。
アトラだ。海斗を追いかけて――というより、同じように爆心地(?)に向かってきていたらしい。
着込んだ鎧の分だけ走って疲れたのか、息が乱れていたが。
それを無理やり呑み込んで、さらにアトラは叫んだ。
「あなたは……っ! なにをやってるんですか、馬鹿ですか馬鹿なんですか馬鹿ですねあなた! 神聖なる王城に怪しげな
「おいおい、会うなり馬鹿の三連打はないだろう、アトラ? 無事に王城で再会できたのだって奇跡なんだ、今はその喜びを分かち合ったって――」
「不肖の妹のあまりの不肖さに、怒りが溢れてそれどころじゃないんですよっ!」
なにに対してというでもなく、ぶんぶか拳を振っていきり立つアトラ。
呼ばれた青服の少女――レムリアとやらは、3階の高みでふんぞり返って、けたけたと楽しそうに笑っていたが。
と、ふと気づいて、海斗はアトラに訊ねた。
「ちょっと――待ってくれ。今、妹って言ったか?」
「うう……恥ずかしながら。その通りです」
指摘されて、今度は逆に恥じ入るように顔を伏せて、アトラ。
深くため息をこぼしてから、ぴっと指先でレムリアを指差して、
「レムリアン・シード・ヒューペリオーン……この国の、その、第二王女で……私の、双子の妹です」
「双子?」
訊ね返すと、こくんと小さくうなずくアトラ。
そして。
「はっはっはー! 以後、お見知りおきを頼むよ、鉄海斗! エックスとクオ君ともども、ね!」
そしてまた哄笑。
アトラも、再び届きもしない説教を遠くから張り飛ばし始めていた。
クオが時折受け答えしながら、エックスは当然無言で、海斗は――
海斗は。
「……ええー」
他にどうしようもなく、それだけうめいた。
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