第4話 ブチ込まれて牢屋

「俺、またなんかやっちゃいました?」


 石造りの牢屋でひとり、ぽつんとたたずんで。

 海斗はつぶやいた。


 誰に向けて言ったのでもない。

 まあ気分的には、そろそろ丸1日の付き合いになる大きな四角の手枷と、硬い鉄格子にだろうか。


 そんな独り言に、しかし牢の向かい部屋から応える声があった。


「なんだ兄ちゃん。あんた新入りだろ? またってことは、前科持ちなのかい?」

「いや――そうじゃないけど。異世界に来たらこれを言うのがお約束だから」

「異世界……? お約束って、なんだ?」

「……なんでもないです」


 なんでもなくそうつぶやいて、無益なやり取りを打ち切った。


 実際、なんでもないことではあるのだ。

 元いた世界での戦いの日々を思えば、なんということは。


 気がついたらいきなり異世界の大空。

 愛機のロボットごと山に墜落し、ボロボロになりながら転げ落ちた先で、バカでかい赤トカゲドラゴンに喧嘩を売られ。

 炎のブレスとの鍔迫り合いを制し、なんとか退治したかと思えば、物々しい鎧騎士の軍隊に逮捕されて、拘束されて。


 戦闘のとばっちりでボロボロになった町並みと、家や建物の残骸を脇目に見ながら、無事だった区画の地下牢まで連行されて、そこで力尽きて一晩中爆睡かまして――


「――正直、結構やっちまった感はあるんだよなぁ」


 ぐったりとうめく。

 酒場で酔っ払って乱闘し、ここにぶち込まれたというお向かいさんも、今度は突っ込んでこなかった。


 牢といっても、監獄のような大げさなものではない。

 せいぜいが留置場だろうか。


 4畳半程度のスペースに、簡素な硬いベッドと、一応トイレ。

 格子窓に鉄格子の扉。

 そこに錠前がついていて出られないわけだが、材質は鉄ではなく、見たこともない金属だった。

 青みがかった銀色の輝きを放つそれもだが、もっと不思議なのは、そこに鍵穴がないことだ。


 ここに入れられた時のことをぼんやり思い出す。

 疲労困憊、疲れと眠気で気にしている余裕もなかったが、確か牢番らしき中年男性が、錠をいじりながら何事か唱えていた気がする。

 番号式の暗証鍵とかなのだろうか……


 と、海斗がじっとそれを見下ろしていると。


「やめときな、兄ちゃん。魔導錠は術者が決めた暗号以外は受け付けねえ。キーワードとそれに対応した魔法属性が分かれば開けられるが、下手に触るとやかましい警報がきっかり3分間鳴り続ける。そうなると俺も迷惑なんだ」

「別に脱獄なんて考えてないけど――待った。魔法?」

「意外か? まあ確かに、わざわざ鍵だけ付け替えたのってなんでなんだろうな。鉄の錠前のままだって別に誰も破れやしねえのに」

「そうじゃなくて」


 酔いはとっくに醒めているのか、向かい部屋の禿頭の男はよどみなく語る。

 遮って海斗は聞き返した。


「今、魔法って言ったよな? この世界ってそんなものがあるのか?」

「おいおい、頭でも打ったのか兄ちゃん。魔法を知らないわけないだろ? ないよな? ないわな。魔法だ、魔法。読み・書き・魔法、の魔法だよ」


 聞き違えたと思ったのか、男は丁寧に何度も繰り返してくれる。

 全身ゴツくて傷だらけで、いかにもあらくれ者といった風貌なのだが、実は気のいい人物なのかもしれない。


 海斗はつぶやいた。


「マジか……そろばんレベルで常識なのか、魔法。凄いな異世界」

「ほほう、そろばんなんて田舎の計算器を知ってるのかい兄ちゃん。なかなか物知りだな」

「いや、あるのかよそろばん。中国発祥だけど日本語だぞそろばん。ていうか読み書きそろばん的な言い回しが異世界で通るのがなんでだそろばん」


 ひとしきり言ってから。

 ふと、思いついて今度はこちらから訊ねた。


「……なあおっちゃん、日本っていう国知ってるか? ハリウッドでもエッフェル塔でもダヴィンチでも、なんでもいいんだけど」

「? いいや? なんだいそれ、それが兄ちゃんの国、だか異世界だか、の常識なのかね」

「1セント硬貨に描かれてる人物も知らない?」

「通貨のことなら、ここらじゃ普通に金・銀・銅貨だが。1セントってのは銅貨何枚分なんだ?」

「…………」


 言葉もなく、海斗はうなだれた。

 すごすごとベッドの上に戻って、あぐらをかく。


 分かったのは。


「さっぱり分からん……」


 ということだけだった。




 変化があったのは1時間ほど経った頃だった。

 格子窓からのぞく太陽の傾き具合からすると、昼下がりに差し掛かる時間帯。


 物音と気配を感じて、海斗はぱちりと目を開けた。

 寝転がっていたベッドの上で身を起こし、静かに身構える。

 といっても、拘束された身体のままでなにができるわけでもないが。


 そのまましばし待つ。

 と。


「――おや。目はすっかり覚めたようだね。牢部屋へ着くなりばったり倒れ込んで、ぐうすか寝入ってしまったと聞いていたけれど」

「…………」


 ひとまずはなにも言わずに、海斗は鉄格子の向こうに現れた人物を見やった。


 眼鏡をかけた少女だ。

 のみならず、頭にはまた別に、もうひとつ作業用っぽいゴーグルを乗せている。

 変な子だな――と海斗は直感した。


 身綺麗にしているが、どことなくローブやワンピースっぽく見える青い作業着は、明らかに油や火花の匂いを染み込ませている。

 なにかの職人、技術者だろうと海斗はあたりをつけた。

 小脇には辞書のような分厚い本を抱えている。

 というか、よく見ると作業着のベルトがブックホルダーになっていて、そこにも文庫サイズの本がいくつも挟まっていた。


 ひょっとして学者なのか……? と、さっきの見当の自信が早速揺らぐ。

 おかしな人物だという直感はほぼ確信に変わったが。


 髪はピンク。としか言いようがない。

 染めた様子もなく、ただ自然な色合いでそれである。

 違和感を覚えそうなものだが、青い作業服と合わせて調和が取れていて、不思議と馴染んで落ち着いて見える。

 その髪も、長く伸ばしているというより単にほったらかしのようで、先っぽでだけ雑に括っていた。


 慎重に値踏みを終えてから、海斗は口を開いた。


「君は? 尋問官……って風じゃない、よな」

「それを私に問う君こそ誰だ?」

「は?」


 いきなり切り返しに訊ね返されて、目を丸くする。

 少女はにやりと笑って続けた。


「昨日、町の西側でドラゴンを撃退した黒いゴーレム――あれ、君のなんだろう? 謎の度合いならそっちのほうがずっと大きいんじゃあないかい?」

「……それ、自己紹介を渋る理由になるのか?」

「名乗るほどの者じゃないからね。私はしがない技術屋で、ただのちょっと可愛い女の子だよ」

「牢番と見張りの人がいたはずだけど、どうやって入ってきたんだ?」


 訊ねかけると、少女はくすくすと、狐のように笑みを深めた。


「せいぜいが酔漢ややからが入れられるだけの牢屋で、面会理由なんかいちいち聞かれないよ。そういうものさ」

「兄ちゃん、誰と話してるんだ――」


 と、向かいの牢屋で寝ていた男が身を起こして、こちらへ振り向く。

 そして少女の姿を見て、びしりと表情を固まらせた。


「あ、あんたまさか……」


 が、その先の言葉は続かなかった。

 少女が口元に指先一本を立てて、ジェスチャーで制止していた。

 それだけで、あのゴツいあらくれが口をつぐんでいる。


 海斗からは横顔半分しか見えなかったが――

 なんとなく雰囲気で、『内緒にしておいてくれたまえよ?』とでも言っているように思えた。


 あらくれの驚き顔を残して、少女がまたこちらに向き直る。


「で、どうなんだい? あのゴーレム、ちょっと調べたんだけど、うんともすんとも言ってくれない。君はどうやってあれを操っていたんだ?」

「……エックスに乗りたいなら、やめとけ。あいつは俺以外には無理だ」

「エックスっていうのか。いいねえ! いかにもな響き、いかにも未知の存在だ。知的好奇心がそそられるよ――」


 なにやら盛り上がり始める少女を、海斗は手を上げて制した。

 そのまま続ける。


「真面目な話だ! 危険なんだよ。あいつは、エックスは乗り手を選ぶ――というより試してる。システムごと落ちている今はともかく、クオの修復が済んだら、絶対に誰もシートに座らせるなよ」

「ほう? 乗り込んだら、どうなるのかな?」

「並のやつなら、よくて廃人だ。並以上でも内臓がぐしゃぐしゃで、並外れててもまず病院送り。そのせいで半身不随になって、まともな生活なんかできなくなった人もいるんだからな」

「それは単純に身体への負担の話? それとも、そういう呪いでもあるのかな?」

「両方だよ。人間を喰い物にして動く最悪のマシン。諸刃もろはの剣どころじゃない、言ってみれば、エックスは皆殺しエクスターミネイトの剣なんだ」


 自分で言ってて、だんだん嫌になってくるが。


 海斗がげんなりしている間に、青服の少女は思慮深げに考え込んでいた。

 といっても、あんなあからさまに怪しいであろう代物に興味を持っている時点で、まともな思慮や考えがあるはずもない。


 それでもまあ、次に訊ねてきたのは、至極真っ当な疑問ではあった。


「……だったら、どうして君は平気なんだ? そんな物騒な代物でドラゴンを、魔王軍の四天王配下でも最強の、魔炎竜を倒してしまった君は」

「分からないのはそれなんだよな。俺も博士にスカウトされて、成り行きで戦ってるうちに乗りこなせるようになっただけなんだ。元の世界の研究所でもデータは取ってたけど、結局、そのあたりは最後までブラックボックスのままで」

「世界?」


 うっかり口を滑らせてから、しまったと気づく。

 隠したところでどうなるものでもないが。

 というか、実際にエックスであの魔炎竜とやらを倒してしまっている以上、隠そうとすれば余計に怪しまれるのは目に見えている。


 それでもせめてもの抵抗に、誤魔化すように海斗は咳払いした。


「と、とにかく。パイロットの俺でも仕組みなんか全然分かってないんだ。下手に手を出しても大怪我の元なんだから、絶対に、乗るな」

「手を出すな、ねえ――君、自分の立場は分かってるのかい?」

「そういうお前こそ、尋問係じゃないんだろ。憲法では――あ、いや、この国の法律が詳しくどうなってるか知らないけど、正式な取り調べじゃないなら強制力は」

「うーん? ……あ、なるほど。そういう風に解釈してるのか。真面目だなあ」


 抗弁している最中に、その少女は勝手に納得してしまったらしい。

 ひとりでうんうんうなずいて、そして言ってくる。


「心配しなくても、もう何日もせずに君は解放されるさ。外に出たら面食らうよ。くっくく、想像すると面白い顔だ」

「……なんの話をしてるんだ?」

「すぐに分かるよ。いや、なに。あの『エックス』の情報が手に入るなら、私がここから出してあげてもよかったんだが。こんな風に」


 と、少女が鉄格子の――いや、その扉の錠前に手をかざすと。

 パキン、という軽い音を立てて、青白い金属錠があっさり開いた。


「――は?」


 例の、勝手に触ると警報が鳴るという魔法の錠前である。

 無論というか、音は鳴らない。


 向かいの牢で、あの禿頭の大男が口をパクパクさせている。

 それはまあそうだろう。

 見ず知らずの女がいきなりやってきて、大胆にも目の前で脱獄の手引きをしているのだ。


 細く小柄な、ただの(いわく、ちょっと可愛いだけの)少女のやることではない。

 並の胆力ではない……どころか、どう擁護しようもない犯罪行為だ。


 海斗もさすがに面食らって、目を見開いて眼鏡の少女の顔を見ていると。


「来るかい? どっちでもいいよ」


 それこそ、なんでもないような口調とともに、海斗に手を差し出してくる。

 あまりにも自然に、学祭のダンスマイム・マイムにでも誘うような気軽さで。


 しばし呆然として――

 が、まあさすがに考える余地もなく、海斗は首を横に振った。


「いや……出るわけないだろ。俺はこれが正しいと思うからここにいるんだ。どこの誰とも知らない女に手招きされて、それでほいほいついて行くかよ。そんなのは意地も道理も通らないだろうが」

「ふうん? 面白いことを言うね、君は。意地と道理か――なんともまあ、男の子らしいというか。アトラ・・・が聞いたら大層気に入りそうなポリシーだ」


 言いながら、もう一度少女が魔導錠に指先を向けると、カシャンと鍵がかかって元に戻る。

 つまりはまた閉じ込められたわけだが。


 海斗はどっかりベッドに腰を下ろしたまま、告げた。


「見なかったことにしてやるから、もう行けよ。いいか、エックスには乗るなよ。フリじゃないぞ? うっかり死んでも知らないからな、俺は」

「はいはい、分かった。分かったとも」


 未練もなさそうに後ろ手を振って、少女は訪れた時と同じ気軽さで牢を出ていった。

 なにをしに来たのかも分からないままだったが――


「……なんだったんだ?」


 逆に拍子抜けしてつぶやくと、声をかけられた。

 あの向かいの牢の男だ。


「に、兄ちゃん。今のが誰だか、分かって言ってたのかい? それともまさか知らずに――」

「いや、まあ。普通に知らない子だったけど」


 当たり前に答えると、大男は禿げた頭をばちんと叩いた。

 いい音を鳴らして、嘆息する。


「知らないってのは怖いねえ……ああ、なるほど。異世界がどうとか言ってたの、あれ、本当だったんだな。とんでもねえ小僧っ子と同席しちまったもんだ」


 それはまあ、それだけのことだったのだが。

 実は海斗がこの世界に来て、初めて異世界の存在を信じたのは、彼だったりする。




 それからまた1時間後。

 今度こそ本当の意味で、事態を前へ進める人物が現れた。


「――こんにちは。それと、すみません。町の恩人にこんな場所で、窮屈な思いをさせてしまって」


 昨日、海斗をこの牢へ連れてきた、白金色の鎧の少女だった。

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