一章 2

「ユキトさん、おはようございます」

「んー……」

 ミィシュはいきなり、僕が頭まで被っている毛布をがばっと奪い取った。部屋は暗いが辺りが見えないほど影が差しているわけではない。

僕は窓際のベッドから少しだけ体を起こし、外の様子を確認する。丁度日が昇り始めたようだった。

 普段であればこんな時間に起きることはまずない。僕が活動を開始するのは基本的に昼以降でそれまではのんびりと朝食を摂ったり、本を読んでいたりすることが多い。だからこんなに慌ただしい朝は久しぶりだ。

「さ、寒いぃ」

「もう朝ですよ。朝になれば出発すると言ったのはユキトさんです」

「そうだけどさ~」

 昨日、僕たちが王宮を出た時にはすでに日が沈みかけていた。わざわざそんな時間に出発する必要もないので郊外の宿に泊まることにしたのだった。

 こんな押し問答を繰り広げたところでどうせミィシュは僕の言い分に耳を貸すことはないだろう。こんな調子なら僕はこの先彼女の尻に敷かれ続ける羽目になりそうだ。

 そんなことを考えながらとりあえず鏡の前に立つ。そこにはいかにも眠そうな顔が映った。面倒くさいのでとりあえず耳を隠してしまっている茶色の髪の左側だけを前からかき上げて耳にかけた。そして右側も耳だけは出るように整える。

「寝起きは可愛い顔をしているんですね」

「それどういう意味だよ」

「言葉通りの意味ですよ。起きているときはもっとしゃきっとしていました」

「そうか。なら眠気覚ましに何か食べにでも行こうか」

 僕はカーキ色のジャケットを羽織りながら言った。

「そうですね……近くに良い食事処があると聞いたのですが」

 そんな他愛のない会話をしていると突如として部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。

「誰か来るって話を聞いてるか?」

 僕はミィシュに目線を移動させて話しかけた。

「いいえ」

「そうか、わかった」

 僕は宿の従業員が来たのかと思い、ドアを開けようとした。しかしそこでふと違和感を覚えた。今はまだ日も登り切っていない時刻。果たしてこんな早朝に部屋を訪ねることがあるのだろうか?

 そんなことを思案している最中もノックの音は繰り返し部屋中に響いていた。

「どなたですか~」

「お、おい!」

 ミィシュは僕の横にやってくると扉の施錠を解除し、軽快に扉を開け放った。

「いたっ!」

 目の前には誰もいない。しかし、ミィシュがドアを開けた時に甲高く、短い悲鳴のようなものが聞こえた気がした。

 僕とミィシュは顔だけを出して扉の裏を確認した後、お互いに顔を見合わせる。そこには眉間の付近を手でさすっている少女が泣きそうな表情で立っていた。

 これ、僕のせいじゃないよね?

「あの、痛かったんですけど」

 彼女の目はなぜか僕の方向をじっと見つめていた。

「あ、ああ、ごめん」

 昨日から損な役回りが多い気がする……

「せっかく来てあげたのに!何なのよ!」

「だから、ごめんってばぁー」

 この子は怒らせると怖いタイプだろう。僕の経験と勘に基づいて反応する神経がそう叫んでいた。正直僕と相性が良いとはいえない。用件だけ聞いて早急にお帰りいただこう。

 僕は彼女を部屋の中に招き入れてそそくさとカップに紅茶を注いだ。

「それで一体どんなご用件でしょうか?」

「あれ?聞いてないの?おかしいなぁ。私は国王にあなたたちに協力するよう言われてるんだけど」

「いや、聞いていませんけど」

 そう言うと彼女はまた怒りだした。散々僕たちと国王への文句を並べ連ねたあと、強引に部屋に押し入ってきた。

「じゃあもういい!あなたもこれ出しなさいよ」

 そういって彼女が取り出したのは薄い板状の星造具らしきもの。

「ええっと、それは一体なんでしょうか?」

「はー……何も聞いていないのね」

 彼女は目を軽く瞑り、呆れたような溜息を吐いた。

「それなら持っていますよ」

 ミィシュが言った。

 なんだあるのか。それなら僕は呆れられ損じゃないか。

「で、それがどうかしたのか?」

「これは国から支給されているものです」

「そうよ。つまり私があなたたちを支援することは国が了解してるってわけ」

 そういうことか。全てに納得をしたわけではないのだがそれを彼女に言ったところでまた冷たいそしりを受けるのが関の山だ。黙っているのが得策だろう。

「じゃあ今からこれが本物か確認しましょうか」

 お互いの板を交換する。これは印字録板という星造具らしく、見た目はどれも同じだがそれぞれを識別する方法が存在する。また、遠隔地における情報のやり取りも文章のみであれば行える便利なものである、という説明を受けたことを思い出した。

「ところでどうやって判別するんだ?」

「しばらく星導力を流し続けるだけよ」

 星造具から供給される力。それが星導力。星造具さえ持っていれば扱いは容易なので多くの人が日常的にその力を使っている。

「それなら簡単そうだな」

 星造具はものによって操作の難易度が変わるらしい。といっても、本来であれば他人の星造具は使用できない。この印字録板は人工星造具らしく、誰もが使えるように改良が施されているようだ。

「ちなみにあとどのくらいかかる?」

「んー、数十秒かしら?」

 案外優しく教えてくれるので安心した。最初の事故がなければもっとすんなり話し合えたかもしれない。次に会うときは笑いながら話せるだろうか。

 僕はそんなことを考えながら横を見た。

「じゃあ始めようか」

 彼女が板に星導力を込め始めた。僕も続いて意識を集中させる。

「そういえば自己紹介がまだだったわね。私はリィナ・アイビッシュ、よろしくね」

 家名があるなんて珍しいな。この辺りでそれがあるのは王族か歴史のある家系、もしくは国王に認められた者くらいだ。少なくともこの国と隣国のニルヴァスにはそのような文化がある。

「僕はユキトで、こっちはミィシュ」

 差し出された手を取り、握手を交わす。いきなりやってきた来客には少し驚いた。だが、伝わってくるぬくもりを感じると新たな出会いを実感でき、喜々たる感情が湧き上がる。

「王宮から支援を派遣するという連絡が届きました」

 ミィシュも同じものを持っているようでそれを操作している。

「国王からか?」

「いえ、ベイルという私たちの仲間からです」

「ふぅーん……で、ミィシュはなんて文章を送ったんだ?」

「私は送っていません。それに星導力が流れたことは向こうで把握できるのでそのタイミングに合わせたんだと思います」

 遠隔地で情報のやり取りができるだけでも驚きなのだがこれはそんなことまでできるのか。

 この印字録版のように今はまだ普及していないようなものが王宮にはいくつもあるのだろう。それなら是非ともお目にかかりたいものだ。

 そんなことを考えてながらふと横を見ると、リィナがこちらを覗き込んでいることに気付いた。

「どう?そろそろ模様が浮かんでくると思うんだけど」

 リィナに渡された板を見ると薄っすら紋様が現れていた。

「出てきたよ」

「こっちも出てるわ。これで私のことも信頼してくれてもいいわよね?」

 僕の顔を覗き込むようにして笑ったリィナはさっきまでの印象からは想像がつかないほど可憐だった。よくよく見ると可愛い女の子だ。

 彼女の背丈は僕と変わらないくらいに見えるが、底の厚い靴を履いている分、実際にはもう少し低いようだ。目はくりくりとしていて大きく、眉や鼻、口の位置などはバランスが良く、整った面立ちをしている。ウェーブのかかったボブヘアは日の光に照らされて薄い山吹色に輝いている。灰色っぽいジャケットはボタンがきっちりと留めていて胸のあたりが何とも窮屈そうだ。そして膝より少し上くらいの丈の光沢のある純白のプリーツスカートからは白い柔肌を露にした脚部がすらりと伸びていた。

「わかったよ。ところで僕たちに協力してくれるって言ったけどその話、出発する前に詳しく聞かせてもらってもいい?」

「出発してからじゃだめなの?」

 リィナはぽかんとした表情で言った。

「え?ついてくるの?」

「え?ついていくわよ?」

「……まじで?」

 どうやら僕たちはしばらくこの子と行動を共にしなくてはならないようだ……

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