一章 1
「ユキトさん、そろそろ起きてください。もう少しで出発しますから。」
僕の名前を呼ぶ声。透き通る水のように無機質な声色。全く聞き馴染みがない。
僕は薄っすらと目を開けた。
どうやらここは広い部屋のようだ。室内は薄暗く、辺りはよく見えない。出入り口付近には小さな明かりがあり、そこに数人の人影が見える。
何故僕はこんなところに――
そこで僕は大変なことを思い出した。
「試合はどうなった!?」
「棄権という扱いになりました」
隣にいる少女は淡々とそう答える。
「棄権だって!?」
何でこんなことになったんだ?準決勝が終わって控室に向かった。そこまでは覚えている。でもそのあとの記憶は――
現実を受け入れられそうにない。やっとここまで来たのにそう簡単に諦められるはずもないだろう。
「そろそろ出発の準備をしますよ」
全く状況が飲み込めず頭が真っ白になっている僕を、その少女はどこかに連れて行こうとしているようだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
僕はそれを慌てて制止する。
「はい?」
「そんなこと、受け入れられるわけがないだろう。だって僕は親友と約束したんだ、星導大会の決勝戦で戦うって――」
「そうですか、それは残念ですね。でももう終わったことなので」
そもそもどうしてこんなことになったんだ?そもそもあんなに大きな大会の決勝戦が僕の棄権で終わるなんてそんなことで観客は納得できたのか?
いろいろ聞き出さなければならないみたいだ。
「いくつか質問して良いか?」
「どうぞ」
「まず、君は誰だ?」
「ミィシュです」
「そうか」
「で、ミィシュ、ここはどこだ?」
「ここは王宮です」
「……王宮?」
僕はとっさに聞き返した。
「はい、王宮です」
僕はぐるりと辺りを見渡す。
壁には絵画が飾られており、その横には白や金を基調とした絢爛たる卓子などの調度品が置かれている。
「王宮ってカンティラの王都、カントにあるシーンジナタ宮殿のことか?」
「はい」
どうやら聞き違いではないらしい。でもどうして僕がこんな場所に連れてこられないといけないんだ?一度だって来たことがない上に知り合いだっていない。だが今はそんなことよりも他に気になることがたくさんある。
「さっきどこかに行くって言ってたけど……いったいどこに?」
「鬼人を殺しに行きます」
「は?鬼人って……隣国の?」
「はい、そうです」
おいおい流石にそれは冗談ではすまないぞ。こいつはさっきと変わらない調子で言っているがどうしてこう平然としていられるんだ!?
「聞いたことがありませんか?」
ミィシュは首をかしげながらこちらを覗き込んでくる。
「……いや、もちろん知ってるよ」
隣国の鬼人……この国カンティラでその名を知らない者はいない。彼は汚れ一つないシルバーの鎧に身を包み、各地の戦場に現れた。そしてたった一人で戦況を塗り替えていく。戦う姿はまさしく鬼そのもので同じ人間であるとはとても思えなかった。だがそれも二年も前の話だ。今では鬼人のいるニルヴァス国内でもその姿すら目撃されていない。そもそも白金色の兜の下は誰も見たことがないらしいのだが……
「ミィシュは鬼人を見たことあるのか?」
「ありません」
ないのかよ!?まあそうだろうとは思っていたけど。
っと、そんなことを考えている場合ではない。一刻も早く、マシューの元へ向かわなければ――
「質問は以上ですか?では早く行きましょう」
「だからそうやって急かすなって!」
僕はミィシュと向かい合ったまま腕を引かれた。不意に彼女との距離が詰まる。
彼女の青い瞳がこちらを見つめる。ゆったりした瞬きで眠たそうな目をしているが、元の大きさのせいかそれほど瞼が下がっているようには見えない。よくよく見るととても小柄な少女だ。鼻や口は小さいながら存在感があり、肌は球体関節の付いた陶器の人形を彷彿とさせるほどに透き通っていて淡い。そして長く腰まで伸びた白みがかった薄墨色の髪は肩の辺りで二つに結ばれていた。
そして、すっと目元に視線を返すと一瞬、しんと辺りが静まり返ったように感じた。
「どうかしましたか?」
「いやっ、べ、別に何も」
「でしたら早く行きましょう」
「そういう意味で言ったわけでは……」
しまった、どうやらじっと見つめてしまっていたようだ。決して見惚れていたなんてことはない。あくまでもどんな人物か見極めるためであって――
まあこんな無用の言い訳は後でいくらでもできる。もちろん後にだってする予定はないのだが。
「とにかく、鬼人はどうやって殺すつもりなのか教えてくれ」
「それはですね――」
「それには私が答えようか」
突然謎の男が会話に割り込んできた。
「誰だ――」
そこまで言いかけた僕は思いがけない人物を目にした。
「私が誰だかわからないか?」
「い、いえ!存じ上げております」
ルギウス・ヴィルヘッド国王。わからないはずがない。この国でその姿を知らない者はいない。まさかそんな人物と話す機会が来るとは。
「そうですね、ではお願いしましょう」
またもや表情一つ変える様子のないミィシュを見て、もう何も言えなかった。
「ではまず鬼人の殺し方から説明するとしようか」
「お、お願いします」
とりあえずミィシュには、なぜ国王の勅命であることを今まで黙っていたんだ、と訴えかけるような視線を送っておいた。が、案の定無視された。まあ、答えが返ってきたとしても「聞かれていませんから」なんて言われるのがオチだろう。
「ユキト君は願いの樹というものを知っているか?」
「はい、一応は」
なるほど、そういうことか。僕は今から下されるであろう命令の内容をある程度予測できた。
確かそれは古くから存在する伝承のはずだ。大昔に飛来してきた隕石、やがてそれは人々にとっての心の拠り所のような存在になっていった。隕石は徐々に人々の願いを集めて木の芽を芽吹かせる。そしてそれからも木の芽は願いを集め続け、大樹となった。つまりはそれも人々の願いによって作られた星造具であるということだ。
その樹はかつて実際にこの国とニルヴァスを結んだ地点から東に進んだところに存在していた。
そしてそれには特別な力が宿っている。その能力は――
「二者択一の贈り物を使えば良いのですね」
「ほう、話が早くて助かるな」
全ての星造具には固有の能力が備わっている。二者択一の贈り物とはその名の通り、ある力を授けてくれる能力だ。それは不老。寿命という言わばリミットを解除できるものと考えて良いだろう。これには多くの人々が一種の憧れのようなものを抱き、それを求めた。しかし、皮肉なことにその樹を守る守護者によってそのほとんどは返り討ちに遭い命を落としている。まさに本末転倒だ。
今回僕が手に入れる能力はもう一つの必殺。一人の人間を必ず殺せる力。これは離れていて、さらに一度も会ったことがない人物でも殺すことができる。その上不死者にすら効果がある。今回のような目標にはぴったりの能力だ。
星造具は多くの場合、宿った星の欠片の元となった天体や込められた願いに関連する能力を発現する。そのことから一昔前に、あの隕石は生命が存在した星から来たものだとか、人は真っ先に生き死にを願うだの様々な噂があったと聞いたことがある。おそらくはデマだろうが。
「ではさっそくお願いできるか」
「その……お言葉ですが私にはしなければならないことがあるのです」
「ほう、それは大会の決勝戦前の出来事が関係しているのか?」
「はい、それもありますが――」
「対戦相手のマシューのことか」
「はいそうです」
彼は僅かな間を空けて口を開いた。
「彼は行方不明だ」
「は……今なんと?」
マシューがどこかに行ってしまった?なぜこのタイミングで、今回の騒動に何か関係しているのか?
一瞬とてつとない不安感に襲われたがその後、彼なら大丈夫だろうという考えがよぎり、落ち着きを取り戻した。
「私は彼が鬼人に関係していると疑っている」
鬼人が?彼が関係しているなら理由はなんだ?
「とにかく君には鬼人をどうにかしてもらいたい。そうすれば彼の行方も分かるだろう」
「……」
彼の言葉の真偽はわからない。わざわざ決勝戦を控えた選手が招集されたことの他にもいくつか疑問はある。しかしここは素直に従っておくほかないだろう。
それにしても戦争が終わって時間が経った今になってなぜ鬼人の名前が挙がったんだ?
おそらくこの国には何らかの思惑が存在する。そして前回の戦いで唯一の障害だった鬼人が再び何らかの形で妨害してくることを警戒している。これは予想の域を出ないが、そんなところだろう。
「それと、道中に魔王城があるのは知っておるか」
「はい、存じております」
もちろん忘れるはずがない。
世界にはいる三体の魔王、その中でも一番大きな力を持つ不死の魔王。それが願いの樹の道中にある城の主。そいつは不老の力とは異なり、ただ長寿であるというわけではない。文字通り“不死”だ。つまり殺すことはかなわない。
その城の影響で今では願いの樹の姿を見ることさえできなくなっていると聞いたことがあるが。
「策はあるか?」
「いえ、今はまだ何とも……」
殺せないのなら拘束や封印という手段をとることになるのだろうがなにせ相手が魔王だ。人間と違い、彼らは星造具を使わずに驚異的な能力を使う。並みの方法では城を抜けることもできそうにない。それに加えて樹を捜索するのにも難儀するだろう。
「まあ、そうだろうな」
国王が一瞬の間を空け、続ける。
「それならミィシュが役に立つだろう」
彼女には魔王を相手できるほどの力があるのか?もしくは樹の場所を知っている?
一応、国王に確認してみたが後でミィシュに聞けと一蹴されてしまった。こっちとしては大会を棄権させられ、無理やり仕事を押し付けられているのだ。もう少し待遇を改善してもらいたいものだ。
「わかりました。ところで一つだけ質問してもよろしいでしょうか?」
国王は無言で頷いた。
「何故私なのですか」
部屋の外から微かに話声が聞こえてくる。僕は黙って国王を見つめた。
「お前がこの国一番の星導師だからだ」
国王は断言したが僕には納得がいかなかった。確かに今回の大会では順調に勝ち進んでいたがこれまでの対戦相手の中にも僕より優れた星導師はたくさんいたはずだ。それに次の対戦相手だったマシューだって――
やはり僕の夢の舞台は知らない間に終わってしまっていたのか。
「そろそろ行きましょうか」
ミィシュはまるで遊ぶために早く外に出て行きたい子供のように見えた。
「わかった、わかった。じゃあ行こうか」
これ以上気になることがあればミィシュに聞けば良い。そう考え、王宮を後にすることにした。
門を出ると、汚れた作業服を着た人たちの集団が前を横切った。
カントは発展しており、綺麗な街だがその郊外はまだ開発途中だ。王都には年々、多くの人が移り住んできていて、最近は居住区にも住めない人がいると聞いた。だからこの街に住む多くは周辺地域の開発に携わっているようだ。
僕たちはその集団が過ぎると再び歩き始めた。
そしてさっきの会話を思い返そうとした時、確認しなければならないことを思い出した。
「そういえばミィシュ」
「なんですか?」
「なんで国王陛下が直接話をしてくれるって教えてくれなかったんだ?」
聞いていたらもう少し心の準備ができただろうに。
「聞かれなかったので」
どうやらミィシュとは会話がなくとも分かり合えそうだ。
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