第18話 ポルクからの誘い

 朝からずっと動いているけれど、昨晩疲れていた兄様は大丈夫なのだろうか。

 隣を歩く横顔を見上げると、時折唇を噛みしめているのに気がついた。

 がさがさに荒れた皮膚はすぐに出血を起こすけれど、血の気が少ないせいかすぐ止まる。

 痛々しさだけが重なる口元を見て、思わず手を引いてしまった。


「兄様、少し休みましょう」


「うん? ああ……そうだね。お前も疲れただろう」


 はっとしたように立ち止まった兄様は、私の頭をぽんと撫でる。

 そうじゃないのに……。

 いや、私も疲れていないとは言えないけれど。

 理由はどうあれ、少しでも休んでもらえればいいのだ。

 ちょうどいいことに食堂の前まで来ていたようで、お茶くらいもらえるかと中に入った。


「おや、そこにいるのはクリシュナ氏にフィオナ氏じゃないか!」


 ガランとした食堂に響き渡ったのは、騒々しいポルクの声だった。

 目の前のテーブルには所狭しと皿が並び、午後のティータイムと洒落込んでいるらしい。

 ポルクは貴族の出身だというから、その習慣が抜けないのかもしれない。

 招かれるままに向かい合って座ると、手ずから紅茶を注いでくれた。


「これは隣国の茶園から直接取り寄せている一級品なんだ!

 ここの連中は味が分からなくていけないが、二人も上流階級だろう?

 いやいや、言わなくても分かる、同類はね、所作で分かるのだよ!」


 自慢気に言うポルクだが、生憎所作が伴っていない。

 クリームのたっぷり載ったスコーンを鷲掴んだと思ったら、割らずにそのまま口へ放り込んだ。

 見ているだけで満腹になりそうな食べっぷりに、私たちはカップに口をつけるしか出来ない。

 こちらは自慢通りに香り高いもので、疲れた身体に染み渡った。


「それで? 調査のほうは順調なんだろう?」


「それなり、ですね」


 苦笑を浮かべる兄様の前で、ポルクはバターの染み込んだ指を舐める。

 かと思えば揚げたパンに砂糖をまぶしたお菓子を取り、指し棒のように振り回した。

 

「死んだ人間を悪く言うのはあれだがね、彼はひどい輩だったよ」


 動かすたびに砂糖が舞い散るけれど、今はそれよりポルクの言葉だ。

 呆れきったような表情を浮かべながら、声も食欲も勢いを増していった。


「騎士団で人権があるのは騎士のみだと、堂々と言い放っていたからね。

 僕のように頭脳を使う人間を認めないだなんて、馬鹿なものだよ。

 そうそう、僕が食事をしているのを見て、貴様に食べる資格などないなんて言われたこともあったな。

 人間は食べるために生まれ食べるために生きるというのに!

 万人に認められた崇高な行為を否定するなんて、よくあれで上に立てたものだ」


 言葉は途切れないのにお茶とお菓子は消えていく。

 まるで魔法のような光景の中、ふとその声が低くなった。

 ポルクは砂糖と油で汚れた口を歪め、つぶらな瞳で私たちを見た。


「彼、口に矢を打ち込まれていたんだって?」


 一匹狼なイグナスと違い、ポルクは詳細な情報を掴んでいたらしい。

 けれど恐れる気配もなく、むしろ嬉々としているように見えた。


「ようやく食のありがたみが分かったことだろう。

 これでようやく気兼ねせずお茶を楽しめるというものだ!」


 明るい声に忌避はない。

 レオーネが殺されたことは、ポルクにとってなんの影響も与えていないのだ。

 騎士団に所属しながらここまで無関係でいられるのか。

 その神経の強さに関してだけは、尊敬の念を抱いてしまうかもしれない。


「ポルク記録官は、天気の研究をしているんでしたね?」


 紅茶で口を湿らせた兄様が、ふと問いかける。

 そういえば、天気予測士などと名乗っていたか。

 ポルクは興味を見せた兄様に満面の笑みを返した。


「ああ、優秀な頭脳を持つクリシュナ氏なら分かってくれると思ったよ!

 天気に関わる言い伝えは多岐にわたるが、伝承というものは価値があるから語り継がれるんだ。

 それを体系化するために、僕は記録官という立場にいるのだよ!」


 眉唾ものの言い伝えを検証するのは、ポルクにとっては楽しいものらしい。

 明快な口調で様々な昔話を語り続け、気づけばポットのお茶が空になっていた。

 ようやく喋りすぎたことに気付いたのだろう。

 ポルクは残念そうにポットを戻すと、短い腕を大きく広げた。


「よければクリシュナ氏の考えを聞かせてくれないかな?

 ああ、もちろん質問はなんでも受け付けよう!」


 満面の笑みに対して、兄様はふと考える仕草をする。

 温かな食堂にいたからか、黒々しさすらあった顔色ももとに戻ったようだ。

 薄い笑みを浮かべると、意気揚々とかまるポルクに隠れた視線を向ける。


「そうですね……事件のあった日、記録はいかがでしたか?」


 兄様の質問に、ポルクの笑みが固まった。

 何かおかしなものだっただろうか?

 自慢気に語る事柄について聞くのは、ご機嫌伺いのようなものだと思うのだけれど。

 ポルクは食べかけのお菓子をお皿に戻すと、カップの紅茶を一息に呷った。


「あの日は……記録をしていなかったんだ。

 ほら、遠征で人がいなかっただろう? ここで優雅に食を楽しんでいたのさ!」


「そうですか。でしたら、天気はどうでした?

 このあたりは寒さの厳しい乾燥地帯ですし、いつもと変わらなかったですかね」


「あ、ああ、そうだな。特に目立ったことはなかったんじゃないかな。

 そうだ、そろそろ記録を取りに行かないと。夕方は空模様が変化しやすいからね!」


 そう言うが早いか、ポルクは大きすぎる身体を揺らしながら席を立ってしまった。

 よたよたと歩く様は不安を感じてしまうけれど、今はそれより気になることがある。


「これ……どうするつもりでしょうね」


 まだまだ残ったお菓子を前に、私たちは何も出来なかった。

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