第19話 二日目の儀式

 日が暮れてから、私と兄様は与えられた貴賓室に戻った。

 容疑者たちから聞けることはもうないと判断したのだろうか。

 今日も贅を凝らした食事が運ばれてきたけれど、兄様はやっぱり食べる気はないらしい。

 戻ってからというもの、兄様は持参した羊皮紙に延々とペンを走らせている。

 何かできればと思っているのだけれど、鬼気迫る様子に声をかけることが出来ない。

 パンを千切り、スープに浸す。

 寒い地方だからか、帝都と違ってとろみのあるものが多いようだ。

 なかなか染み込まないパンをそのままに、頭の中で思考を巡らせる。

 どうやらレオーネは、私が思っていたような人物ではなかったらしい。

 誉れ高い武勲があり、民の人気が高い騎士団長と聞いていたのに。

 話を聞けば聞くほど印象が悪くなっていくのはなぜだろう。

 高潔な騎士かと思いきや、やはり人間は人間でしかないのだ。

 気づけば真っ白なパンは水分を飲み込み、茶色く染まっていった。

 指を離し、思考は進む。

 例えば、イグナス。

 レオーネのえこひいきやいじめを痛感していた。

 次に、ゾロ。

 王宮への士官を妨害されていた。

 それと、タレイア。

 終わったはずの愛人関係を強要されていた。

 あとは、ブルアン。

 立場の逆転だけでなく、陰湿な嫌がらせを受けていた。

 最後に、ポルク。

 騎士ではないからと貶められていた。

 ついでに、ルーヴ……は、特にないか。

 容疑者六人の中で、五人が何かしらの因縁を持っている。

 それは恨みと言っても過言ではなく、殺害動機に繋がるものだ。

 ということは、動機の面から事件を解決することはできない。

 犯行方法を暴かなければ、犯人は見つけられないのだ。

 もはや溶け込んでしまったパンを、スープと一緒に流し込む。

 作法に反する食事だけれど、今の私は監視官なのだ。

 すぐに食事を終わらせ、兄様がペンを置いたタイミングで声をかけた。


「兄様、事件についてお話しませんか」


「うん? ああ、そうだね」


 私の声がけにハッとした様子で顔を上げる兄様は、昨日よりも疲労がにじみ出ている。

 調査官の兄様一人に挑ませてはいけない。

 調査官と監視官は二人で一つの調査団なのだから。

 水を入れたコップを二つ並べ、暖炉の炎に照らされる青白い顔を見上げた。


「今日の調査で、犯行時刻は二十二時から零時に限定されましたね」


「そうだね。タレイア医師の言い分も分かるけど、僕の見立てでもその時間が妥当だ」


 ということは、その時間に現場不在証明があるかないかの問題になる。

 そして、死亡推定時刻が四時間狭まったことにより、容疑者から外れた人間がいる。


「遠征で国境に居たブルアン副団長と、同僚と酒盛りをしていたイグナス正騎士。

 この二人は殺害に関しては不可能だ」


「殺害に関しては、ですか?」


「鐘について何も分かっていないからね。少なくともブルアン副団長はどちらも不可能だけど。

 まぁ、それは今は置いておこうか」


 朝四時の鐘に関しては、兄様の言う通りブルアン以外の誰でも可能だ。

 ということは、殺害と鐘つきは別人によるものなのだろうか。

 考え込んでしまいそうになったけれど、その前に兄様が話を進めた。


「他の容疑者は、今の時点では殺害も鐘つきも、決定的に否定できる要素はないね」


 深夜や早朝の事件ならば現場不在証明がないのも無理はない。

 確実に除外されるブルアンが特別なのだから。

 でもそうなると、どこから犯人を絞り込むべきなのか。


「レオーネを呼び出せる人から探すのはどうですか?」


「残念ながら、そこからは特定できないよ」


 どうしてそんなにはっきり言えるのだろう。

 断定的な言葉に首を傾げると、兄様はゆったりと笑みを浮かべた。


「呼び出した方法は、もう分かっているんだ」


「そうなのですかっ? え、それは、どうやって……」


「分かったところで容疑者を狭めることは出来ないからね。それより、犯行方法について考えてみようか」


 とても気になるけれど、そう言われれば追求することは出来ない。

 犯行方法を考えるためには、あの赤色に塗れた事件現場を思い出さなければならない。

 僅かな吐き気を堪えつつ、凄惨な遺体を頭に浮かべた。


「遺体を磔にした方法は……控え室で燃やされていた木槌、なのですよね」


「うん。だから女性とか非力とかの理由では容疑は晴れないね」


 理屈は分かるのだけれど、本当にそうなのだろうか。

 そもそも、騎士団長であるレオーネを一撃で殺害できるのだろうか。

 タレイアは武器の刺さっていた六箇所以外に傷はないと言っていたし……。

 壁から外されていた武具だって、女性では手を伸ばさなければ届かない高さのものだった。

 もし咄嗟に戦ったのだとしたら、普通は手近な場所から取るものではないだろうか。

 そしてそれよりも……。


「犯人は、どうして遺体を磔にしたのでしょう……」


 口から出た声は、妙に強張ってしまった。

 だって、自分にあれができるかと聞かれたら無理だ。

 ゾロは確実に死んでいることを確かめるためと言っていたけれど、行動と釣り合っていない。

 あんなことをするくらいなら、木槌で頭でも砕けばいいのだ。

 自分で思いついたことだけれど、我ながら残虐な行為に目眩がしてしまった。


「その理由も想像はついているよ」


「ええっ!?」


 あっさりと言われて思わず声を上げてしまった。

 兄様と同じ情報を持っているはずの私には、まるで見当がつかないのに。

 これが歴代で一番長く調査官を努めている兄様の実力なのか。

 心の底から尊敬してしまうけれど、兄様は私の視線に気づいていないらしい。

 それに教えてくれるつもりもないようで、なんだか少し寂しく感じてしまう。


「ただ、鐘をついたことについてはまだ何も分かっていないんだ。

 これが分かれば、一気に解決に近づきそうな気がするのに……」


 そう言うと、兄様は椅子の背もたれに体重を預け、長い前髪の隙間から暖炉を眺めた。

 灰色の髪に隠された瞳は、今はきれいな赤色に燃えているのだろう。

 私も炎に目をやれば、青い瞳は赤色に染まっているに違いない。

 朝四時に、鍵のかかった部屋の鐘をついたこと。

 方法だけならば、レオーネの鍵を奪った犯人が、その時間に侵入してついただけのことだ。

 けれど、それはなんのために?

 ゾロの言うように、自己顕示欲のため?

 それとも、確実に事件を発覚させるため?

 どちらにしても、わざわざあんな時間に鍵を開けてまで行う必要があるとは思えない。

 横から見た兄様は、乾いた唇を小さく噛んでいた。

 その姿はどこか焦っているように見える。

 私たちは三日で事件を解決しなければいけない。

 とはいえ、こんな難事件なのだ。

 解決が多少伸びることくらい、王宮側も許してくれるだろう。

 だから、少しでも休んでもらわないと。

 そう声をかけようとした瞬間……二十一時の鐘の音が聞こえた。


「ああ……もうこんな時間か」


 考え込んでいた様子の兄様は、緩慢に顔を上げた。

 時報は一日に何度も鳴るけれど、兄様にとって意味があるのはこの時間だけなのかもしれない。

 黒いローブを引きずるように立ち上がると、その場で静かに膝をついた。


「兄様、少し休みませんか」


 炎の赤色に紛れているけれど、顔色はどんどん悪くなっている。

 けれど兄様はしっかりと首を振り、胸元から小さな瓶を取り出した。


「儀式の時間だ」


 骨と皮だけの指で、力強く握られた瓶。

 しっかり栓がされたものの中身は、黒く濁っている。

 昨日の緑色とは段違いの異様さに、受け取る手が伸ばせなかった。


「儀式を行うことが、監視官であるお前の義務だ」


 調査官は、三日で事件を解決しなければならない。

 それを身を以て意識するために、調査に挑む三日間、毎日二十一時に儀式をする。

 その儀式を執り行うのが、監視官である私の役目だ。

 分かってはいるけれど、どうしても気が進まない。

 兄様はこの儀式に対して、私とはまるで違う挑み方をするのだ。

 ただの形式的なものだろうに。

 けれど、ここで問答を続けることは無意味だろう。

 こんなもの、さっさと終わらせて兄様には休んでもらわなければ。


「これが終わったら休んでくださいね。約束ですよ?」


 私の強い言葉に、兄様は僅かに苦笑を浮かべた。

 小瓶を受け取り蓋を開けると、やっぱり刺激的な臭いが溢れてきた。

 昨日は酸っぱさと苦さを混ぜたものだったけれど、今日は油のような生臭さが加わっている。

 絶対に身体にいいものではない。

 いくら少量とはいえ、こんなものを飲んでは身体に毒だろう。

 疲れやつれた兄様の口に注ぎたいものではない。


「フィオナ。早くするんだ」


 低く掠れた声に、片膝をつく兄様の前に渋々と立つ。

 古代の儀式をなぞることになんの意味があるのか。

 伝統よりも今を生きる私たちを優先してくれればいいのに。

 そんな愚痴を頭の中で続けながら、教え込まれた言葉を口にした。


「紅玉を託されし調査官クリシュナは、二日目にして解決に至らなかった。

 これは重大な罪である。罪には罰を。罰の雫を」


 黒い液体の入った小瓶を、恭しく受け取る兄様。

 僅かに触れた指先が震えていたのは気のせいだろうか。

 一息に飲み干した兄様は小瓶を床に叩きつけ、呻くように文言を口にした。

 

「……必ず、後一日で解決することを、誓います」


 その言葉とほとんど同時に。

 兄様の口から、一筋の赤色が落ちてきた。


「兄様っ!?」


 黒かったはずの液体はどこへ行ってしまったのか。

 溢れた液体は血液以外の何者でもなかった。

 

「大丈夫ですかっ!? どうして……っ」


 堪えきれないように床に崩れ落ちた兄様は、声を押し殺しながらもがき苦しんでいる。

 これは一体どういうことか。

 口から滴る赤色は兄様の手を染め、床を染め。

 儀礼室と同じ臭いを振りまきながらどんどん広がっていく。


「兄様ぁっ!!」


 乱れた髪の合間から僅かに瞳が見え、テーブルを向いていることに気付いた。

 そうだ。

 異物を飲んだ場合の対処法など、とっくの昔に教わっていたのに。

 水の入ったコップを慌てて掴むと、もう一つを倒してしまった。

 そんなことにかまって居られない。

 肉付きの悪い硬い身体を抱き起こし、震える唇に水を注ぎ込んだ。


「しっかりしてくださいっ、兄様、お願いです……っ」


 何がなんだか分からない。

 けれど、兄様に危機が訪れていることだけは分かる。

 そしてそれは、私にとっての危機でもあるのだ。

 水を飲ませ、吐き出させ、赤と黒の液体を追い出す。

 それを何度も繰り返すと、兄様の身体から苦しみの色が僅かに薄れた。


「お前を……汚してしまったね」


 兄様の言葉に、白いローブに赤い点々がついていることに気付いた。

 黒いローブにはもっと多くの血が染み込んでいるだろうに。

 どこまでも私を気遣う言葉に、思わず涙が溢れてしまった。


「どうして……どうしてこんなことになったのですかっ?」


 儀式の一環で飲んだ、黒い液体。

 どう考えてもそれが原因だけれど、王宮から支給されたものでどうしてこんな目に遭うのか。

 何かが紛れてしまったのか。

 どこかですり替えられたのか。

 あらゆる可能性を考えていると、静かな答えが返ってきた。


「これが儀式だからだよ」


 混乱の治まらない頭は、その一言で真っ白に染まった。

 儀式が、兄様をこんなにも苦しめていると?

 調査官と監視官に課せられた、この儀式が?

 そんな馬鹿な。

 監視官に任命された時、私はこの儀式を誰に教わったか。

 それは私たち調査団を管理する、王宮に士官する者で……。


「小瓶の中には、三種類の液体が入っているんだ」


 絨毯に横たわる兄様が、静かな声で私に告げる。


「一日目は見せしめのため、ただの刺激物が。

 二日目は急かすため、即効性のある軽度な毒物が」


 信じられない。

 信じたくない。

 どうしてこんなことに。

 まるで働かない頭に、兄様の声だけが響いていく。


「僕がさっき書いていたものを、読んでごらん」


 考えることもできずに従うと、そこには緻密な文字が延々と書き連ねてあった。

 報告書、のようなものなのか。

 被害者の情報。

 事件の所見。

 調査の経緯。

 けれど、読み進めていくにつれ、信じられない結論が導き出された。


「犯人は……兄様?」


 まるで自白のような文章は、最後にこう書かれていた。

 自らの罪を明らかにし、死を持って罰とする、と。

 思わず出てきた言葉に、兄様はほんの少しだけ口角を上げた。


「ありえませんっ!」


 考える暇すらなく口から飛び出していた。

 なんて馬鹿馬鹿しい。

 兄様にレオーネを殺す動機なんてないし、事件当日は別の事件に関わっていたはずだ。

 第一、騎士団の団員たちは兄様と初対面だ。

 もしも記述のとおり犯行が行われていたら、今まで出会った誰かが指摘している。

 だというのに、兄様は胸元のブローチをそっと指差した。


「すべての証言は”紅玉を持つ者による口止め”で処理される。

 この報告書と辻褄が合うように、誰がなんと言おうと脅迫による偽証とされるんだ」


 そのために自分たちは紅玉を持たされているのだと。

 兄様の言葉に、自分の胸元へ視線を下ろす。

 嫌味なほどに豪華な、真紅の宝石をはめ込んだブローチ。

 紅玉の大きさは権力と比例し、今の私たちは皇帝に次ぐ権力を持つことになる。

 だからこそ、兄様の告白はすべての証言に勝ってしまうのだ。


「儀式の説明が途中だったね」


 そう言うと、兄様は胸元から残る小瓶を取り出した。

 私たちを染めているのと同じ色が持つ意味が、穏当なはずもない。

 聞きたくない。

 けれど、知らないままではいられない。

 真っ黒なローブを握りしめ、湧き上がりそうな震えを押さえつける。


「三日目は……事件を解決に導くための、死に至る秘薬が入っている。

 花のように芳しい香りで、最上の苦痛を与える薬が」


 毒々しいほどの赤色は、皇帝陛下が持つ色。

 この国の誰よりも優先される人物の意思が、小瓶に宿っているのだ。

 私たちの身に赤色を授けた、大いなる皇帝の意思が。


「僕たちは、三日で事件を解決しなければならない。

 もし解決できなかったら……調査官はすべての罪を被り自害する。

 それが、調査団の本当の役割だ」


「どうして、そんな……」


「僕たちは、それだけのことをされる生い立ちをしているだろう?」


 自虐的な言葉に、瞳を隠した眼帯に触れた。

 そうか。

 これは、遠回しな殺処分なのだ。

 出来損ないと言われた人間を間引くための。

 自分の身に流れる血と、その血に見合わない能力は、このように使われるしかないのだ。

 絶望に似た感覚は、背筋を瞬時に凍らせた。


「逃げられない、のですか……?」


「僕たちのような者が外に出るんだから、見張りがないわけがない。

 一挙手一投足、すべて監視されていると思いなさい」


 その言葉に、思わず窓へと目を向けた。

 カーテンはかかっている。

 けれど、本当に視界は遮られているのだろうか。

 分からない。

 どこに目があるか、耳があるか、分からないから。

 だから兄様は必ず儀式を行ったのだ。

 昨日の自分は、なんて能天気だったのだろう。

 兄様一人に重責を背負わせて、のうのうと過ごしていただなんて。

 過去の自分を恥じていると、兄様は躊躇いがちに言葉を続けた。


「お前は明日……僕を殺さなければいけない」


 想像すらしていなかった言葉に、五感のすべてが消えたように感じた。

 私が、兄様を、殺す。

 大切で、大事で、特別で、大好きな、兄様を。

 儀式において、小瓶は監視官から手渡される。

 それはつまり、私の手で、死ぬための毒を、授与するのだ。

 そんなの無理だ。

 けれど、そんな意思が通るのならば、兄様はここまで苦しんでいないのだから。


「調査官が処分されたら、監視官が繰り上がる。そう、決められているんだ」


 重々しい、苦しい声。

 きっと、兄様は経験してしまったのだ。

 三日で事件を解決できず、罪を被って死ぬための儀式を。

 理不尽に落とし込まれた調査官に、苦しみを与える儀式を。

 だから、それからずっと、一人で事件に挑んできたのだ。

 一日ずつ、自分に毒を与えながら、たった一人で。

 それはどれほど絶望的な日々だっただろう。

 想像もできないほどの重責と、自分に授与する罪の雫と。

 それらは兄様の身体を着実に蝕んできたのだろう。

 骨と皮だけの身体。

 ひび割れた皮膚。

 曲がった爪。

 そして……長い前髪に隠された、濁った瞳。

 それらはすべて、儀式の代償なのだ。


「……すまない」


 弱々しい声は、毒の苦しみだけなのだろうか。

 兄様は力なく落ちていた腕を持ち上げ、隠れている目元をさらに隠す。

 見えるのは荒れた唇だけで、赤と黒がこびりついたままだった。


「掟など破って、最初に言えばよかった」


 監視官になるために学んでいる時、儀式の話など一切でなかった。

 初めて聞いたのは、この事件のために閉じられた場所から出た時。

 きっと、今までの監視官も……兄様もそうだったに違いない。

 おそらく、儀式の時に初めて聞かされるものなのだろう。

 そうでもなければ、他に逃げ道が残されているのにここに立つはずがない。

 何を言えばいいのか分からない。

 小さく唇を噛みしめていると、兄様は、でも、と唇を歪めながら続けた。


「遺体を目にする前……儀礼室の手前で。

 僕から離れることのほうが後悔だと、お前がそう言ってくれて……嬉しかったんだ」


 震える声に、胸の奥から言いようのない感覚がこみ上げる。

 これは後悔か、怒りか、それとも喜びか。

 どれでもある感情に、私はどうしようもない愛おしさを感じてしまった。

 だから兄様は、私に修道院に行くよう勧めたのだ。

 私に兄様を殺させないように。

 誰かに私を殺させないように。

 それを知らずに縋り付いた私を見て、嬉しいと感じてくれた。

 それがどれほど価値のあることか、兄様は分からないだろう。

 でも、今はそれでいい。

 溢れそうな歓喜の気持ちを押し殺し、唇に食い込んだ歯に力を入れる。

 血の味がする。

 けれどそれは、兄様が今感じているものと同じなのだから。

 ゆっくりと腕を外した兄様は、私の顔をまっすぐ見つめた。


「お前に僕は殺させない」


 力強い声は、確固たる意志を感じられた。

 真っ赤に染まる手を握ると、弱々しく握り返される。

 固く荒れたぼろぼろの指は、私にただ一人触れてくれる指だ。

 私はこの手を、離したくない。


「この事件……必ず三日で解決する」


 はっきりと口に出したあと、兄様は力尽きたかのように意識を失った。

 緊張状態に加えて、毒を口にした影響だろう。

 絨毯の上に引き寄せ、毛布をかけてから暖炉に薪をくべる。

 これで一晩持つだろう。

 おおよその時間を頭に浮かべ、ローブに赤い斑点を残したまま立ち上がる。

 何があろうとも、あと一日で事件を解決しなければならない。 

 ならば、これからは私が挑もう。

 調査官に支障があったなら、監視官が補佐するのが当然なのだから。

 兄様は、一人きりの私に会いに来てくれた。

 何も与えられなかった私に、心を教えてくれた。

 そんな人を、失うわけにはいかないのだ。

 薪が爆ぜる音の合間に、高く湿った音が響く。

 音に目を向けると、先程倒してしまったコップから水が滴り落ちていた。

 兄様の命も、こうして滴り落ちているのではないか。

 一瞬浮かんでしまった不安を振り払い、音を立てないよう扉を開けた。


「待っててください、兄様」


 独り言のように口に出し、私は薄暗い廊下を駆け出した。

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