第11話 現場検証

 薄暗い儀礼室に入ると、強い香りに包まれる。

 それは先程の鉄臭いものではなく、様々な香草の匂いだった。

 今は見当たらないけれど、臭い消しにでも撒いたのだろうか。

 気になったのは一瞬で、すぐに清々しい匂いに馴染んだ。


「掃除も済まされているようだね」


 兄様の言葉に視線を向けると、部屋の中央を染め上げていたものは消えていた。

 残っているのは石床の僅かな傷だけで、言われなければ惨劇が起きたとは信じられないだろう。

 けれど私は見てしまった。

 ならば、現実逃避などせずに事件の解決に挑むのが役割というものだ。

 今ここで、何か掴めるものはないか。

 室内をぐるりと見回すと、床に転がっていた水瓶や武具は定位置に戻っているようだ。

 綺羅びやかな装飾をされた武具により、殺風景な壁を賑やかにしていた。


「元はこんな風に飾られていたんだねぇ」


 まじまじと眺める兄様の視線を追うと、そこには先程まで床に刺さっていた武具が飾られていた。

 証拠品として厳重に保管することはないのだろうか。

 管理の杜撰さに呆れてしまったけれど、この儀礼室自体が厳戒態勢であることを思い出した。

 侵入して証拠品を盗むなんて不可能だろう。

 いや、そもそもそんな必要なんてないだろうし。


「フィオナ、見てごらん」


 そう言って兄様が指差した先。

 扉の真正面に高々と飾られていたのは、黄金の宝剣だった。

 日差しを受けた姿は、血にまみれていたとは思えないほど美しい。

 思わず見とれてしまったけれど、兄様はそういう意味で言ったわけではないらしい。

 私では背伸びをしないと届かないだろう宝剣をあっさり手に取り、鞘を抜いた。


「うーん、ずいぶん重たいね。騎士というのはこんなものを振り回しているのかな」


「入り口の騎士はもっと簡素な剣を持っているようですが」


 開け放たれた扉をちらりと見ると、腰に付けているのはもっと華奢な剣だ。

 そもそも王冠かと思うほどの宝石の数々は、これだけで結構な重量になるだろう。

 それに、金は重い。

 剣にしては重くて脆い素材は、実用的とは思えなかった。


「あくまで儀礼的なものなんだろうね……おや?」


 握った宝剣をまじまじと見ていたかと思うと、突然、広げた手の平にその刃を押しあてた。


「兄様っ!?」


 いきなりの凶行に慌てて剣を奪おうとすると、兄様はやんわりと私の手を解いた。

 どうしてこんなに落ち着いていられるのか。

 意味も分からず兄様の顔を見上げると、青白い手の平をこちらに向けられた。


「あれ……ご無事、ですか?」


「うん。どうやら刃を潰されているみたいだ」


 宝剣の角度を変えて向けられると、たしかに刃の部分が潰されていた。

 これでは肌どころか紙すら切れないだろう。

 兄様に傷がつかなかったことに胸をなでおろすと、ふとした疑問が湧いてきた。


「って……宝剣は、切れないのですか?」


「そうだね。どちらかというと鈍器としてのほうが使えそうだ」


 レオーネの胸を貫いていた剣が、切れない?

 まるで意味の分からない事態の中、兄様は他の武具にも手を伸ばした。

 槍。斧。矢。ナイフ。そして、宝剣。

 そのどれもがレオーネの身体を貫いていたはずなのに、すべての刃は鈍く潰れていた。


「ということは、凶器は他にあるようだね。それに、鈍い武具を床にどう突き立てたのやら」


「よほどの怪力の持ち主、ですか?」


 最初に兄様が冗談交じりに言っていたことを口にすると、苦笑が聞こえた。


「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない」


 そう言って、兄様は黄色い天幕に隠された場所を見て回る。

 壁に垂れ下がっているところも多く、時々兄様の姿が見えなくなってしまう。

 けれど曖昧な言葉が気になって、黄色の裏に見え隠れする兄様に向かい声を張った。


「そうじゃないかもしれないって……どういうことですか?」


「さて、どういうことだろうね?」


 姿を見せた兄様は、謎が増えたというのにまるで困っていないように見えた。

 むしろ、楽しんでいるかのような……いや、それはないだろう。

 私以上に事件に取り組んできた兄様が、そんな不謹慎なことを思うはずがない。

 ならばどうしてかと考えていると、私の前に戻ってきた兄様は武具を丁寧に壁に戻した。


「ただ、ゾロ騎士長の言っていた、慌てた犯人が壁の武具で応戦したというのは通用しなくなった。

 だからといって、外部犯が完全になくなったわけじゃないけどね」


 謎が増えたのではなく、謎が減ったということか。

 それなら確かに喜ぶべきことだとようやく理解できて、なぜかほっとしてしまった。

 六年ぶりに会えた兄様は、もしかしたら私の知らない兄様になっているのかもしれないと。

 そんなことはないと思っていても、不安は拭いきれなかったのだろう。

 私情に振り回されている暇はない。

 私たち調査団は三日で事件を解決するのが使命なのだから。

 香草の匂いを感じながら深く深呼吸すると、兄様は壁際の天幕をちらりとめくった。


「フィオナ、こっちに来てごらん。部屋があるようだ」


 わざとそうしているのか、部屋の奥に簡素な扉が隠されていた。

 鍵はかかっていないらしく、軋むことなく奥へと開いていく。

 窓すらない空間は、私たちの背後から差し込む日差しを吸い込んでいった。


「物置か何かでしょうか?」


「かもしれない。明かりは……ああ、天幕の裏か。ずいぶん役立つ布だね」


 垂れ下がった天幕をめくると、扉の横にランプがかけてあった。

 定期的に使われているのか、芯は短くなっているようだ。

 マッチで火を付け改めて部屋に向かうと、どうやら物置ではなかったらしい。

 きっと四、五人も入れば窮屈に感じるだろう。

 使用人の部屋かと思うくらいの狭さの部屋に、大きなソファと小さなテーブルが置いてある。

 壁にはいくつかの燭台や小さな暖炉も取り付けられていた。


「控え室か何かかな」


 目に痛い黄色はなく、テーブルにはなぜか空の酒瓶が置かれている。

 暖炉には灰がこんもり積もっているから、掃除は行き届いていないのかもしれない。

 もしくは使われる機会が少ないのか。

 ならば事件に関係なさそうだ。

 息苦しい場所からさっさと出ると、ちょうど反対側にも隙間があることに気づく。


「あれは……鐘つき部屋だろうね」


 私のあとに控え室を出てきた兄様にも見えたらしい。

 扉はなく、細い隙間が空いているようだ。

 私たちはなんなく通れるけれど、ゾロやポルクでは到底不可能だろう。

 入った場所は二人でも窮屈な場所で、鐘に繋がるロープが床を這っていた。

 引けば鳴るのだろうけれど、さすがに予告なしに鳴ったら驚かせてしまうだろう。

 遥か上方に付けられた鐘を見上げていると、突然大きく揺れ始めた。


「え、兄様、まさか……っ」


 ガラン、ゴロン、ガラン、ゴロン。

 狭苦しい鐘つき部屋の中で、壁に音が反響して耳が壊れてしまいそうだ。

 いや、それよりも。

 慌てた様子の足音がした気がしたけれど、鐘の音に邪魔されてよく分からない。

 頭の芯から揺さぶられているような衝撃は続き、音が弱まるまでその場で動けなくなってしまった。


「いやぁ、失礼。実際に鳴るところを見たかったんだ」


 足音の正体は警備の騎士たちらしい。

 兄様は平然とした様子で軽く謝り、騎士たちは憮然とした表情で戻っていった。

 これだけ音が鳴るのなら、施設内のどこにいても気づくだろう。

 今も耳の中で木霊する音に惑わされながら、ふらふらと鐘つき部屋を出る。

 だというのに、兄様はまるで何もなかったかのように立っていた。

 さっきまで浮かべていた柔らかな笑みが消え、薄い唇を引き結んでいる。

 どうしたのだろう。

 急に雰囲気が変わった兄様に戸惑っていると、小さくもはっきりした声で言った。


「さて……そろそろ思考に移ろうか」


 そう言うと、兄様は黄色い布を背に壁にもたれる。

 私も真似してみると、壁はぞっとするほど冷たく落ち着けなかった。


「調査は終了ということですか?」


「今日のところはね」


 疲れたように笑う兄様は、窓から差し込む夕日に目を向けた。

 ルーヴに言ったように、騎士たちも勤務時間を終えるだろう。

 けれど私たち調査団に終わりはない。

 灯の灯ったランプを床に置き、高い天井をゆったりと見上げた。


「この事件は、単純に考えることも出来るんだ」


 兄様は私に目を向けることなく、けれど私に向かって言葉を続ける。


「レオーネ団長に儀礼室の鍵を開けさせる。そして殺害、後に損壊。最後に鐘を鳴らし施錠する」


 話としてはそれだけなのだ。

 離れた場所に謎の人影が居たとか、普段閉まっている場所が開いていたとか。

 そういう、こことは違う場所で不思議なことが起こったわけでもない。

 鍵だって、詰め所とゾロだけでなくレオーネ本人も持っていた。

 なのに、単純だからこそ分からない。


「どうやって儀礼室を開けさせたのか。

 いや、そもそもレオーネ団長は、どうして深夜の儀礼室なんかに来たのか」


 ぽつりぽつりと話す言葉に、私も一緒に考える。

 なんと言ってもレオーネは団長で、騎士団の頂点にいた人物だ。

 犯人が部外者だとしたら、不審者を見つけたと部下を呼べばいい。

 逆に関係者だとしたら、深夜にひと気のない場所に呼び出す理由などあるのだろうか。

 どちらにしても妥当な説明ができず、冷え切った空気に身を震わせる。

 けれど兄様は身動ぎ一つせず、淡々と思考を進めていった。


「もう一つ。鐘を鳴らした理由だ」


「理由、ですか?」


 震える唇で問いかけると、兄様は髪で隠れた目を向ける。

 灰色の髪の奥にある瞳は、今、どんな色をしているのだろう。

 ランプの明かりでぼんやり照らされている姿を見ながら、耳に残る鐘の音を思い出した。


「ゾロ騎士長は自己顕示欲と言っていたけど、本当にそうだろうか。

 たったそれだけのために、逃げる時間を減らすほどの危険を冒すだろうか」


 あれだけの音が鳴り響けば、大勢の騎士が駆けつけるだろう。

 犯人にとって、逃走時間は長ければ長いほどいい。

 なのに鳴らしたということは、それが必要なことだったのだ。

 鐘を鳴らすことにどんな意味があるのか。

 今日まで詰め込んだ知識を総動員し、納得できる理由がぱっと浮かんできた。


「犯行時刻を誤認させる……とか」


 例えば、実際に殺害、損壊したのは二十二時だとしたら。

 外から鐘を鳴らせる仕組みがあって、たった一瞬で鳴らして立ち去ったら。

 そうすると、殺害にかかる時間がそっくり省略されるのだ。

 あれほどまでの惨劇は数分では済まないだろう。

 四時に鐘をつく一瞬だけ捻出できれば、付近の時間に現場不在証明を作っておけばいい。


「悪くない考えだね。だとしたら、その時間に現場不在証明のある人物は誰だい?」


 兄様の問いかけに、ゾロから提供された容疑者の話を思い出す。

 二十二時から四時の間に、決定的な現場不在証明がある人物は……。


「えっと……いま、せん?」


 そう、いないのだ。

 規則正しい騎士団のことだ。

 普通に考えて、こんな時間に現場不在証明など作れない。 

 あったとしたらそのほうが疑われる可能性だってあるだろう。

 せっかく兄様の役に立てるかと思ったのに、決定的に間違った推理を披露してしまった。

 情けなさでつい俯いていると、髪をそっと撫でられた。


「それでいいんだよ」


 穏やかな声に顔を上げると、兄様が私を覗き込んでいた。

 柔らかな口元は咎めることも怒ることもせず、ただただ優しい。

 そんな兄様に報いることが出来なくて、無性に悔しくなってしまった。


「私……監視官として、不足していますよね」


 つい漏らしてしまった弱音に、兄様はゆっくりと、大きく首を横に振った。


「いいや。言っただろう?

 二つの目で、二つの頭で見つけた答えなら、それなら僕も肯定せざるを得ない。

 そのためにお前が……監視官が必要なんだ」


 必要、と。

 兄様は私を必要と言ってくれた。

 六年も前に離れた私を、再び手元に置いてくれた。

 張り詰めていた気持ちがふっと解け、涙が滲んでくる。

 けれど泣いている暇なんてない。

 瞬きを繰り返して涙を散らし、背の高い兄様に目線を合わせた。


「兄様のお役に立てるよう、努力します」


「うん。一緒に解決しようね」


 頭をぽんと撫でられ、二人で鐘つき部屋に目を向ける。

 鐘が鳴った理由について話をしてきたけれど、つまり……。


「あの時間に鐘を鳴らすことに利点はないんだ」


 兄様の断定に、私も深く頷いた。

 誰かに現場不在証明がある時間なら。

 もしくは、大勢が存在する日だったら。

 確かに意味があったかもしれない。

 けれど事件が起こった日は、誰にも現場不在証明はなく、容疑者も片手で数えられる人数だ。

 そんな時にわざわざ犯行を知らせる鐘なんて、犯人にとって必要なはずがない。


「ですが、兄様。利点がないと分かったことで、捜査は進みますか?」


 さっきもそうだった。

 今まで兄様が洗い出してきたのは、正直、とても小さな否定だけだ。

 このペースのままで、後二日で事件を解決できるのか。

 僅かながらに浮かんだ不安は、兄様の笑顔にかき消された。


「出来る限りの可能性を洗い出し、潰していく。先代の教えだよ」


 そう言うと、兄様はふと顔を背けてしまう。

 先代というと……兄様の前に調査官だった人物だろうか。

 調査官というのは、監視官が経験を積んだ後にたどり着く立場だ。

 そうなると、先代とやらは今どうしているのだろう。

 もしもこの先、私が調査官になることがあったら、兄様はどうするのだろう。

 そんな考えが浮かんだけれど、そんなことはありえない。

 だって私は、兄様の側にいるために監視官になったのだから。

 ありえない空想で思考を止めてはいけない。

 髪が乱れるほどに頭を振ると、兄様は床に置いたランプを取った。


「そろそろ部屋に向かおう。夕食の時間にいないとなると、ゾロ騎士長が大騒ぎしそうだ」


 影を落とす兄様の後ろに続き、頑丈な扉へ向かう。

 薄暗い部屋の中でも、飾られた武具の綺羅びやかさは衰えないらしい。

 視界の端をちかちかさせながら通り過ぎると、ふと壁の一点に目が留まる。

 壁に打たれた金属の留め金は、武具を固定するものだろう。

 なのにそこには何も飾られていない。

 天幕に隠れそうな位置にあるから、使っていないのだろうか。


「フィオナ、どうかしたかい?」


「いえ、なんでもないですっ」


 せっかくの武具でも、見えないのならば飾る意味はない。

 気にするものではないだろう。

 今度こそ兄様の背中を追い、香草の匂いに満ちた儀礼室を後にした。

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