第12話 一日目の儀式

 私たちにあてがわれたのは、想像以上に豪華な貴賓室だった。

 広々とした空間に置かれた調度品は、高価な骨董品だろう。

 そこかしこに飾られている美術品だって、名のある作家の作品ばかりだ。

 模様が彫り込まれた大きな暖炉には大量の薪がくべられ、赤々と熱を放っている。


「兄様……偏食にもほどがあると思いますよ」


 そんな部屋で私たちは、騎士団の料理人が贅を凝らした夕食をとっていた。

 香辛料が惜しげもなく使われた野生動物のステーキに、丁寧に作られたスープ。

 乾燥地帯では貴重であろう生野菜のサラダに、瑞々しい果物まで添えられている。

 だというのに、兄様の前にはパンと塩と砂糖、それに水しか置かれていない。


「せっかく用意してくれたのに申し訳ないね」


「そう思うのなら食べればいいと思うのですが……」


 もちろん、兄様にも同じ料理が提供されるはずだった。

 けれど兄様は並ぶ前に断り、今あるものだけを求めたのだ。


「それ、おいしいのですか?」


 小さく砕かれた岩塩を口にするのを見て、思わず聞いてしまう。

 さっきは砂糖をそのまま口に放り込んでいたし、素材の味にも程がある。

 なのに兄様はきょとんとした顔でパンを千切り、バターも付けずに口に入れた。


「生きるのに必要なものを摂っているだけだから、味はよく分からないね」


「多分、こっちのほうがおいしいですよ?」


「僕は味や匂いに鈍感らしいから。分かる人が食べたほうが料理も喜ぶさ」


 こうも飄々と言われては何も言えなくなってしまう。

 初めての場所で飲食物に警戒している、というわけではないだろう。

 兄様も私も、とある事情から幼少のころから毒物の耐性をつけさせられたし、見分けも出来る。

 ということは、兄様はこんなにも偏った嗜好だったのだろうか。

 幼少の記憶には残っておらず、格差の有りすぎる食事を前にため息が溢れた。

 せめて私だけでも食べきらないと、料理人に申し訳ない。

 磨き上げられたナイフで肉を切ろうとすると、カチンとお皿にぶつかってしまった。


「あっ……すみません」


「大丈夫だよ。それ、慣れてないんだろう?」


 そう言って、兄様は自分の右目を指差した。

 私の右目を覆う眼帯は、ここに来る前に初めて付けたものだ。

 歩いたり観察したりは問題なくても、細かい作業には支障が出るらしい。

 けれど慣れなくてはいけないものだ。

 慎重に距離感を確かめながら食事を続けた。


 食事が終わってしばらくすると、遠くから教会の時報が響いてきた。

 音の数から二十一時だろう。

 兄様は一瞬だけ視線を窓に向け、小さな息を吐いた。


「時間だ。儀式を始めよう」


「あの、そんなに急ぐものですか? 形式的なものでしょう?」


 きれいに片付けられたテーブルには、温かな紅茶が置かれている。

 せめて飲み終わるまで待てないかと思ったけれど、兄様は席を立った。


「規則は規則だからね。守っておかないと」


 そう言うと、兄様は長い足を窮屈そうに折りたたみ、床に片膝を付いた。

 飴色の木が敷かれているけれど、絨毯もない場所では痛むだろう。

 慌てて私も椅子から立ち上がり、兄様の側にしゃがんだ。


「えっと……本当にするのですか?」


「ああ。ちゃんと教わってきただろう?」


「それは、まぁ……」


 その言葉に、ローブの内側に縫い付けられたポケットに手を伸ばした。

 服の中で時たま重なる音を立てていたものは、三つの小さな瓶。

 緑色。黒色。赤色。

 明らかに身体に悪そうな液体は、儀式に使うものだった。

 調査官は、三日で事件を解決しなければならない。

 身を以て意識するために、調査に挑む三日間、毎日二十一時に儀式をするのだ。

 ただ、なんというか……正直、気恥ずかしい。

 まるで大昔の騎士の宣誓のような。

 もしくは独裁政治の死刑宣告のような。

 どうにも気障ったらしい文言を口にしなければいけないからだ。

 できることならやりたくないし、そんなことより事件の話をするほうが有益なはずだ。

 なのに兄様は決してそれを許さないようだから、従うしかない。

 跪く兄様の前に、背筋を伸ばして立つ。

 ただの形式的なもので、私が考えた文言でもないから照れる必要もない。

 胸元から緑色の液体が入った小瓶を取り出し、頭に浮かべた恥ずかしい言葉を口にした。


「紅玉を託されし調査官クリシュナは、一日目にして解決に至らなかった。

 これは重大な罪である。罪には罰を。罰の雫を」


 難事件だから調査団が派遣されるというのに、なんて言い草か。

 三日で解決するだけでもすごいことなのだから、こんなに卑下する必要なんてないのに。

 それにしても、この液体は一体なんなのだろう。

 蓋を開けた瞬間、酸っぱいような苦いような、刺激的な臭いを撒き散らしている。

 とはいえ、帝国から支給されたものだから毒ではないだろう。

 兄様は私が差し出した小瓶を恭しく受け取り、一息に飲み干した。

 

「……必ず、後二日で解決することを誓います」


 よほど不味かったのだろう。

 珍しく口元を歪めた兄様は、掠れた声で決められた文言を口にした。

 たったこれだけの儀式なのだ。

 こんなもの、無視したって誰も困らないだろうに。


「あの、儀式なんて今日だけにしませんか? 誰が見てるわけでもないですし」


「いいや。誰が見ているか分からないからやるんだ」


 兄様はテーブルの水差しを掴んで直接口に流し込むと、大きく咳き込んでしまった。

 背中を擦っても咳は治まらず、苦しそうな呼吸が続く。

 もしかしたら、旅の疲れも出ているのかもしれない。

 身体が強くない兄様に、得体のしれないものを飲ませるのはよくないだろう。

 残る二本の小瓶を取り出してテーブルの上に置いた。


「だったら、明日は私が飲みます。私も調査団なのですから問題ないでしょう?」


 だから無理はしないでほしい。

 そう伝えたかったのに、兄様はハッとしたように顔を上げた。

 そして勢いよく手を伸ばすと、小瓶をまとめて掴んでローブの中に押し込んだ。


「駄目だ」


「ですが……」


「駄目だ!」


 初めて聞いた荒い声に、肩が震えてしまった。

 どうしてしまったのだろう。

 なんだか……怖い。

 ただの形式的な儀式に対し、どうして兄様はこんなにもむきになるのだろう。

 どうしていいか分からず、熱の籠もる背中から手を離せない。

 苦しそうな呼吸をしていた兄様は、しばらくしてからゆっくりと身体を起こした。


「三日で解決すればいいんだ。だから、お前は何も心配しなくていい」


 骨ばった指が私の頬に触れた。

 いつもは青白く冷たい肌が、今は赤く熱を持っている。

 きっと兄様は疲れているのだ。

 そんな時に、兄様を助ける立場の私が困らせてはいけない。

 この儀式が何を示すかは分からないけれど、兄様の言うようにさっさと解決すればいいのだ。

 そうすれば、この意味の分からない儀式なんてしなくていいのだから。


「分かりました。ですが、今は休まないと。暖炉に当たりましょう」


 赤いのか青いのか。

 薄っすらと汗をかいた顔は今も苦しそうなままだ。

 椅子に引き上げることは出来ないから、絨毯が敷いてある場所へと這っていった。

 暖かい部屋の中でも暖炉の前は格別だ。

 ソファに置かれたクッションを背中に添え、二人で火にあたった。

 炉内には薪が堆く積まれ、今夜一晩は十分に持ってくれるだろう。

 そっと兄様の顔を伺うと、ぼんやりと炎を眺めていた。


「……こんなにも薪を燃やしたら、さぞ掃除が大変だろうね」


 僅かな苦笑を浮かべた兄様は、さっきの鋭い表情ではない。

 そのことにホッとして、硬い身体に寄り添って顔を寄せた。


「きっと掃除婦もたくさん居ますよ。ああ、でもこれだけ広いと手が回らないのでしょうね」


 儀礼室の控え室は山のような灰がそのままにされていた。

 優先順位の高い場所から掃除をしているのかもしれない。

 私たちの視界の中で、燃え尽きた灰が音を立てて落ちる。

 崩れた灰は思ったより少なく、控え室が放置されているのは一日どころではないはずだ。

 かといって、事件が終わるまでわざわざ掃除はしないだろう。

 長く放置されてしまう控え室を思うと、なんだか侘しさのようなものを感じてしまった。


「……灰」


「はい?」


 ぽつりと聞こえた声をそのまま返すと、兄様はクッションから背中を上げる。

 乾いた唇が小さく開かれ、髪に隠れた視線は暖炉に向かっているらしい。

 訳も分からず見つめていると、あろうことか兄様は暖炉に頭を突っ込んでしまった。


「兄様っ、燃えてしまいますよっ!?」


「ん……? ああ、そうだね」


 動きに反してぼんやりした声の兄様は、私の声が聞こえたのか炎の目の前で止まってくれた。

 けれど灰色の髪は数本燃えてしまったようで、頭の上に僅かな煙を作っている。

 暖炉がどうしたというのか。

 突拍子もない行動に肝を冷やしつつ、適切な位置まで兄様を引っ張った。


「……うん、分かった」


「危ないということがですか? それくらい分かっていただかないと……」


「いや、磔にした方法が分かった」


「……へ?」


 思わず気の抜けた声が出てしまったけれど……何が分かったと?

 唐突な言葉に思考が止まっている間に、兄様はゆっくりと身体を私に向けた。

 その口元は緩く笑みを浮かべていて、自信のようなものが漂っているように感じた。


「フィオナ、今現在で考えられていた犯人の特徴はなんだと思う?」


「えっと……刃の潰れた宝剣を石床に突き立てられる怪力の持ち主、ですよね?」


 冗談半分に言ったことかもしれないけれど、現状それしか思い当たらないのは事実だ。

 私には到底不可能なことでも、筋骨隆々な騎士なり野盗なりなら可能なのかもしれない。

 ただ、それは事件の解決には直接関係しそうにないことだ。

 だというのに、兄様はさも重要そうに話を続けた。


「もう一つ。壁にかけられた武具が足りなかったのに気付いていたかい?」


「垂れ幕に隠れていたところ、ですか? あれは隠れてしまうからでは」


「いいや。きっと、あそこにもちゃんとあったんだよ。元々は、だけどね」


 確信的な言葉に、儀礼室の景色を思い浮かべる。

 黄色い垂れ幕に隠された留め金は、それぞれの武具に見合った位置に打たれていたのだろう。

 私の両腕を広げたくらいの幅がだったけれど、そこには一体何があったのか。

 壁には様々な武具が飾られていたし、たったそれだけでは思いつきそうにもなかった。

 それにしても、暖炉の灰と壁の留め金にどんな関係があるのか。

 兄様の思考についていけないことに、どうしようもない悔しさを感じてしまった。


「これは想像でしかないけど、あそこにあったのは木槌のようなものじゃないかな」


「木槌……ですか?」


 木槌は武具と呼べるのだろうか。

 知識でしか知らないけれど、どうせ武器にするなら金属製のほうがいいのではないだろうか。

 そんな私の考えすらお見通しなのか、兄様は補足するように付け加える。


「あそこに飾られていた武具は、そのままでは武器にならないよう加工されていた。

 だったら、本来は重量のある金属製の槌を、軽い木製にすることもあるんじゃないかな」


 言われてみれば確かにそうかもしれない。

 レオーネの身体を貫いていたせいで凶器に感じてしまうけれど、本来は紙すら切れない鈍らだ。

 そんな中で、存在だけで武器となりうる槌をそのまま飾る必然性もないだろう。


「犯人はレオーネ団長を殺害したあと、木槌を使って壁の武具を石床に打ち付けたんだ。

 道具を使ったなら怪力の持ち主である必要はない。時間さえあれば腕力のない人間でも可能だろう」


「では……控え室の暖炉にあった灰は」


「あれは薪が燃えたものじゃない、もっと大きなものを燃やしたんだ」


 目の前の暖炉を見ると、薪が再び灰になる。

 それは控え室で見たものよりずっと小さく頼りなく、ひと目で別物だと分かった。


「事後工作に使った木槌を、暖炉で燃やしたのですか?」


「多分ね。使った痕跡が残ってしまったのか、単純に不安だったのか。

 ただ、外部犯なら証拠隠滅の必要はない。

 あんなに分かりづらい控え室で燃やすくらいなら、放置して逃げたほうがマシだ」


 つまり……内部犯ということか。

 ゾロが強く主張していた説はてんで見当違いで、数少ない容疑者の中に犯人が居る。

 そう突きつけられてしまったせいか、暖かいはずなのに身震いがしてしまった。

 暖炉の灰だけでそこまでたどり着けるなんて。

 歴代で一番長く調査官を務めているだけのことはある。

 誰よりも有能な兄様に改めて尊敬しつつ、自分の無力感を突きつけられてしまったような気がした。

 こんなことで、これから監視官をやっていけるのだろうか。

 気付かれないように小さく息を吐くと、兄様は私の頭にそっと手を置いた。


「お前が火にあたるよう言ってくれたおかげだよ。僕一人じゃ気づけなかったかもしれない」


 そう言って、ゆっくり髪を撫でてくれる。

 小さなころも、こうしてくれたっけ。

 きっと私の不安に気づかれてしまったのだろう。

 本当はただ気遣ってくれただけなのかもしれない。

 けれど、兄様がそう言うなら役に立てたと思っておこう。

 心地よい重みに身を任せていると、だんだん目蓋が重くなってきた。

 安心して気が抜けてしまったのかもしれない。

 慌てて瞬きを繰り返していると、兄様は小さく笑って立ち上がった。


「そろそろ眠ったほうがいい」


「で、すが……」


「内部犯となると、容疑者について調べないといけない。

 何か動機になるものを探りたいところだけど、今からできることはないよ」


 確かにそうだけれど……。

 必死に眠気に抗おうとしても、眼帯をしていない左目はまともに景色を映してくれない。

 そうしている間に身体がふわりと浮かび、二つ並んだ大きなベッドの片方に横にされた。

 多少硬いけれど上等なものだろう。

 初めての任務の疲れが、一気に染み出してしまいそうだ。


「兄様、は……?」


「僕はあまり睡眠を必要としないんだ。ずっとここにいるから、安心して休みなさい」


 柔らかい毛布をかけてくれる兄様は、もう一つのベッドに触れようともしない。

 広すぎるベッドの端に腰掛けた兄様は、私の眼帯をそっと外してくれた。

 両目で見る兄様は、どこまでも黒く染まっていた。

 赤い炎を背負い、黒い服から黒い影を伸ばす。

 こんなに近くにいるのに、どうして遠く感じてしまうのだろう。

 私の知らない六年間で、兄様はどう変わったのだろう。

 寝返りの振りをして兄様の身体にすり寄ると、どうしようもない愛おしさがこみ上げる。

 もっと、兄様の役に立ちたい。

 もっと……兄様の心に寄り添いたい。

 そう願うことは、義理の妹として過分な思いなのだろうか。

 口にできるはずもなく、ちぐはぐな目を閉じる。

 毛布の中から真っ黒なローブの端を握っても、兄様はそのままにしてくれた。

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